奏のアナザーワールド探索3
食事休憩後、秋斗ら三人はほぼ休まずにゴブリン・ハントを続けた。その結果、奏は約四時間で八〇体以上のゴブリンを討伐。経験値を稼いだ。彼女が放つ飛翔刃もだいぶ鋭くなってきた。
ただ四時間もハントを続ければ相応に消耗する。動きは明らかに精彩をかき始めている。アドレナリンが出ている状態の奏は「まだ大丈夫」と言ったが、勲はこう言って拠点に戻ることを促した。
「いや、さすがに私もお腹がすいたよ」
三人が拠点に戻ると、百合子もバイオリンの練習を切り上げる。そしてまた食事の支度をした。ただ今回は新たに作ることはしない。それぞれが持ち込んだお弁当などを、電子レンジで温めて食べた。電源はもちろんポータブル魔道発電機だ。ちなみにこれまでに得た魔石を突っ込んだので、秋斗の懐は痛んでいない。
食事を食べ終えてお腹が満ちると、奏がウトウトし始めた。さすがに疲れが出てきたらしい。勲が「向こうに戻る?」と尋ねるが、彼女は首を横に振る。どうやらまだ頑張るつもりらしい。だがそれでも仮眠は必要だろう。
「奏、一度休みなさい」
そう言って勲は道具袋から寝袋を取り出した。聞けばクエスト報酬だとかで、秋斗が持つ安眠アイマスクと同じような効果があるという。奏はそれを受け取ると、少し困ったような顔をしてこう言った。
「できたら汗を流したいんですけど……、無理ですよねぇ」
「まあシャワーは無理だけど、こんなので良ければ」
そう言って秋斗は奏にクリーンの魔法をかけた。さっぱりとしたのが分かったのだろう。驚いた様子で奏が目を見開く。そしてにっこりと笑顔を浮かべてから「ありがとうございます」と言って秋斗に頭を下げた。
「ちょっと、秋斗。それ、わたしにもお願い」
「私も頼んでいいかな?」
奏が見るからに小綺麗になったのを見て、百合子と勲もクリーンの魔法を秋斗に求める。結局秋斗は自分も含めて四回クリーンを使った。全員がさっぱりしたところで、秋斗は勲にも仮眠を取るように進め、寝袋と安眠アイマスクを彼に貸した。
安眠アイマスクには睡眠導入効果があり、つまり寝付きが良くなるのだが、勲の寝袋にも似たような効果があるらしい。加えて疲れていたこともあるのだろう、勲と奏の二人は横になるとすぐに寝息を立て始めた。
一方で秋斗と百合子は不寝番である。ここはセーフティーエリアではないし、秋斗もドールやナイトを見せる気はない。となれば不測の事態に備えて不寝番が必要になる。ただ索敵自体はシキがやっているので、常に気を張っている必要はない。秋斗は適当に腰を下ろすと、魔道コンロを取り出してお湯を沸かし、ドリップパックのコーヒーを淹れた。
「あ、わたしにも一杯ちょうだい」
「あいよ」
秋斗は最初の一杯を百合子に渡し、それから二杯目のコーヒーを淹れた。二人は無言でコーヒーを啜る。秋斗のコーヒーが半分くらいになった頃、やおら百合子が口を開いてこう言った。
「……クリーン、だったかしら。さっきの魔法、魔石を使っていたわよね? あれ、具体的にはどうやっているの?」
「あ~、イメージを込めるっていうか、思念を込めるっていうか……、まあそんな感じ?」
自身の魔法の使い方を改めて説明するのは意外と難しく、秋斗の説明はしどろもどろになった。それでも目の前で実例を見たのが良かったのだろう、何とか百合子は理解できたらしく、顎先に小さく指を当てて「なるほどね……」と小さく呟いた。
「魔法、使いたいのか?」
「ええ。【魔法の石版】がダメだったから諦めていたんだけど、そっか、こういう方法もあるのね……」
そう答えて、百合子はまた考え込む。彼女は【魔法の石版】が使えたなら回復魔法を覚えるつもりだった。回復魔法が使えれば、安定的に準備できない消耗品をアテにする必要はなくなる。それは大きなメリットだ。
ただこうして不寝番をしていると別の考えも浮かんでくる。アナザーワールドで最も警戒するべき事は何か。それは不意打ちだ。不意を打たれて致命傷を負ってしまえば、どれだけアイテムを持っていても、どれだけ強力な回復魔法を使えても無意味だ。
また当然だが回復魔法というのは怪我をした後に使うモノ。だがそもそも怪我をしないことが理想であり、そのために百合子は「眼」を鍛えるなりしてきた。ならばその方向でもう一つ考える方が役に立つのではないか。
(まあ、この方法なら一種類だけということはないしね)
つまり回復魔法は後で使えるようにするとして。百合子は自分の閃きを形にするべく考えを進める。ベースとなるアイディアは「不意打ちを防ぐ魔法」。ではどう防ぐのか。レーダーのように全方位を警戒するのか、それとも一定の距離に近づいて来たら警報を鳴らすのか。色々と考えは浮かぶがどれもしっくりとこない。それで百合子は秋斗に意見を求めた。
「う~ん、そうだなぁ……。じゃあ、こういうのはどうだ?」
秋斗が提案したのは、「あらかじめ障壁のようなモノを展開しておき、それにダメージを肩代わりさせる」というアイディアだった。出典はもちろんサブカルチャーだ。それを聞いて百合子はまた考え込む。ただ悩むと言うより、イメージを固めているように見えた。
一方で秋斗もこの新しい魔法についてイメージを膨らませ始めた。自分でアイディアを出したせいか、「案外使えるかも」と思ったのだ。
彼も百合子と同じくこれまでは回避主体のスタイルだったが、この魔法は保険になりうる。至近距離でどつき合う場合など、どうしても回避が難しい場面というのはあるものだ。それで彼は魔石を握って目を薄くつむり、それから集中力を高めた。
(……インスタント・アーマー)
魔石に思念を込め、心の中でトリガーワードを唱える。同時に彼の手の中で魔石が消失し、彼の周囲にある種の力場が展開された。それを感じ取りながら、彼は魔石を握っていた手を開いたり閉じたりする。その動作に違和感はない。
「ユリ、できたっぽいからちょっと叩いてみてくれ」
「ええ!? もうできたの……」
百合子が表情を険しくして立ち上がる。どうやら彼女は手こずっているらしい。そしてにやりと悪い笑みを浮かべたかと思うと、彼女は秋斗の頭目掛けて勢いよくチョップを振り下ろした。
「ちょ……!?」
「あら、本当に防ぐのね」
思いのほか勢いのあるチョップに秋斗は焦ったが、インスタント・アーマーの魔法はちゃんとその攻撃を防いだ。そのまま検証を進めると、防げるダメージ量には上限があること、盾などの装備品には効果が及ばないこと、有効時間を過ぎると魔法は自然と解除されることなどが分かった。
「なるほど……。こういう感じなのね……」
興味深そうにそう呟くのは、腰の入ったボディーブローでインスタント・アーマーの障壁をぶち破った百合子。秋斗は障壁で相殺できなかった分のダメージをきっちり受けて悶絶している。まあ調子に乗って「どんどん打ってこい!」と煽っていたのは彼なのだが。
ともかく一緒にこの新魔法を検証したことで、百合子の中でもイメージがしっかりと固まった。彼女は秋斗に倣って魔石を握り、そして集中力を高める。魔石がじんわりと熱を持ってきたのを感じ取ると、彼女はこうトリガーワードを唱えた。
「……っ、テヌート!」
力の流れを感じ取り、秋斗は魔法が発動したことを知る。百合子も体感としてそれが分かるのだろう。驚きと喜びが一緒になったような顔をしている。そんな彼女に秋斗は「やったじゃん」と声をかけた。
魔法が発動したら次は検証だ。百合子の魔法は基本的には秋斗の魔法と同じだったが、防げるダメージ量が少ない代わりに持続時間が長くなっていた。その違いにシキが興味を示し、こんなふうに考察をする。
[要するに、何を重視するのかということなのだろう]
(ユリは持続時間がもっと欲しいと思ったって事か?)
[うむ。テヌートというのは、『音を保持する』ことを指示する音楽記号だ。思うに百合子嬢は不意打ちの一撃さえ防げれば、それで良いのではないかな]
それを聞いて秋斗は「なるほど」と思った。確かにインスタント・アーマーの魔法をイメージするとき、秋斗が頭に浮かべたのは実際の戦闘の場面。無意識ではあっても、持続力よりも簡便さや防御力を重視していたと考えるのは筋が通っている。
(今まで結構適当にやってきたけど、名前って大切なんだなぁ)
秋斗は今更ながらそう思った。「名は体を表す」というが、それは魔法にも当てはまるらしい。なお、彼がこの魔法に「インスタント・アーマー」と名付けた際、飲んでいたコーヒーからインスピレーションを受けたかどうかは証明不可能である。
さて秋斗がそんなことを考えている横では、百合子が拳を握りしめながら笑みを浮かべている。達成感が滲んでいて、テヌートの魔法を使えるようになったことがよほど嬉しかったらしい。だが秋斗はそんな彼女に言わなければならないことがある。
「ユリ。たぶんだけどこの魔法、超音波みたいな攻撃は防げないぞ」
「ええ!? そんな攻撃もあるの……!?」
「おう、死にかけたぜ」
秋斗がそう答えると、百合子は嘆息して肩をすくめた。何事にも万能の対策はない。メリットとデメリットを把握し、それに合せてまた対策を講じる必要があるのだ。だが百合子は面倒くさそうにこう言った。
「わたしはあくまでバイオリンのためにやっているんだけど」
「ユリだって怪我はしたくないだろ? まして死んだら元も子もない」
秋斗がそういうと、百合子はもう一度肩をすくめた。アナザーワールドで経験値を稼ごうとする限り、モンスターに上手く対処していかなければならない。だがモンスターの種類は千差万別。つまり試行錯誤を止めるわけにはいかないのだ。
とはいえ、秋斗と百合子が今日新たな手札を一枚手に入れたことは間違いない。まずはこれをちゃんと使いこなせるようにしよう。秋斗はそう思った。
百合子「これでわたしも魔法少女よ!」
秋斗「いや年齢的に少女はちょっと……」