奏のアナザーワールド探索1
「わたし、チケットを使いたいです」
奏が秋斗にそう告げたのは、ゴールデンウィークを目前にした四月の末のことだった。彼女がいう「チケット」とは秋斗がアナザーワールドで手に入れた「招待チケット」のことで、つまり奏はアナザーワールドで経験値を稼ぐ覚悟を決めたのだ。
彼女が踏ん切りを付けるきっかけとなったのは、この少し前に行われた秋斗と勲と百合子の、三人の顔合わせだった。顔合わせ自体はオンラインで行われ、時間も三十分程度の短いモノだったのだが、そのなかでこんな話が出たのだ。
『ほう、そんなに違うのかね?』
『はい。正直、経験値を稼いでいなかったら、今の成績はないと思います。課題曲ももっと苦労していたでしょうね』
勲が興味を示したのは、経験値の蓄積がバイオリンの技量にも関わってくるという話だった。彼も秋斗も楽器の演奏はしていない。だからこれは彼にとって、レベルアップの恩恵は思っていたよりも広範に及ぶ、という話になる。
そして勲はそのことを奏にも話したらしい。奏は吹奏楽部でアルトサックスを吹いている。つまり楽器を演奏しているわけで、経験値を稼げば上手くなれると知った彼女は俄然アナザーワールドに興味を持った、というわけだった。
「良いよ。じゃあ、ゴールデンウィークのどこかで計画しようか」
秋斗はあっさりとそう答えた。その後、勲とも話し合い、かねてから申し出ていたように秋斗も付き合うことになった。話がだいたいまとまったところで、秋斗はふと思いついて勲にこう尋ねた。
「ユリにもこの話は伝えた方が良いですかね?」
「うぅむ……。関係がないと言えば関係ないが。だがまあ彼女が参加したいというのであれば、特に拒む理由はないな」
「分かりました。じゃあ、声だけ掛けてみますね」
そう言って勲との話を終えると、秋斗はすぐに百合子へ連絡を取った。通信アプリに出た彼女に、秋斗はまずこう尋ねる。
「ユリって、ゴールデンウィークなにか予定ある?」
「いい、秋斗。音大生にとってゴールデンウィークというのはね、雑事から解放されて練習に打ち込める、まさに黄金のような時間なのよ」
「そ、そうなんだ」
「少なくともわたしにとってはね。それで、何かあったの? あなたのことだから向こう関連の事だと思うけど」
音大生関係ないじゃん、と思いつつ秋斗もそこはスルーする。そして招待チケットを使って奏をアナザーワールドへ連れて行く計画を彼女に伝えた。
「そんなアイテムがあるのね……。でも、わたしはちょっと……。いえ、待って。行くわ。是非参加させて」
最初、百合子は乗り気でない様子だったが、話している途中で彼女の態度は一八〇度変わった。秋斗はやや怪訝な顔をしながらこう尋ねる。
「参加するのは良いけど……。バイオリンの練習したいんじゃないの?」
「だからよ! 要するにボディーガード付きでしょ? 思いっきり弾けるじゃない!」
「いや、ユリのガードはやらないぞ」
「それでも、よ。セーフティーエリアはなかなかないし、こんなチャンス滅多にないわ」
そう言って百合子は鼻を鳴らした。だが秋斗は彼女にこう懸念を指摘する。
「楽器が壊れたら困るんじゃないのか?」
「さすがにメインで使っているのは持っていかないわよ。安い練習用のヤツを持っていくわ」
「へえ。安いって、どれくらい?」
「五万くらいね」
「……十分高い気がするけど」
「あら、わたしがメインで使っているのは三〇〇万以上するわよ?」
百合子は事もなさげにそう言った。だが予想以上の数字に秋斗は驚く。彼は高いと言っても所詮は大学生が使うモノだし、せいぜい十数万円程度だろうと思っていたのだ。
「たっか! 車買えるじゃん! それも二台」
「これくらい普通よ。わたしの大学だって、数百万円くらいの楽器なら、使っている子はざらにいるわ。そもそも最高級品は億単位だし」
「それは知っているけど……。音大ってのは想像の付かない世界だな……」
「変人の巣窟みたいに言わないでよ。変人なら芸大の方が多いんだから」
百合子はそう抗弁するが、それは音大にも変人はいると白状しているようなものだ。話は逸れてしまったが、ともかく百合子は乗り気だ。彼女の動機はやや不純であるとはいえ、拒むほどのものではないし、勲の了解も取ってある。それで秋斗は彼女に具体的な予定を伝えるのだった。
そしてゴールデンウィークの二日目の朝、秋斗と百合子は勲の家に集まった。奏と百合子はこの日が初対面だったが、楽器をやっている者同士すぐに打ち解けた。それから秋斗たちはそれぞれ準備を整える。秋斗は奏に招待チケットを渡し、四人は揃ってこう宣言した。
「「「「アナザーワールド、ダイブイン」」」」
一瞬の浮遊感の後、視界が切り替わる。四人が降り立ったのは廃墟の一室。奏は緊張した様子であたりを見渡しこう呟いた。
「ここが、アナザーワールド……」
さて、いつまでも突っ立っていても仕方がない。四人は行動を開始した。勲はまず、奏に飛翔刃の武技を教えるつもりだった。また百合子は【魔法の石版】に興味があるという。石版の位置は秋斗が知っているので、彼が百合子を案内することになった。
「ついでにこの周辺を掃除しておきますよ。ユリもそれでいいだろ?」
「構わないわ。掃除は大切よね」
「そうか。では頼んだ」
そう言って勲が軽く頭を下げたところで、四人はさっそく動き始めた。秋斗と百合子は連れ立って拠点となる廃墟の周りをぐるりと巡り、その周囲にいるゴブリンを蹴散らしていく。
百合子には出現するモンスターがゴブリンだということを事前に伝えてあり、また初見というわけでもないそうなので特に心配はしていない。実際、彼女は薙刀を駆使して多数のゴブリンを蹴散らしていく。危なげのないその戦い振りを見て、秋斗は感心したように「へえ」と呟いた。
(さすがに慣れた動きだな。洗練されている感じがする)
[中学まで薙刀を習っていたと言っていたからな。そのおかげだろう]
シキの言葉に秋斗は小さく頷いた。どんな分野であるにせよ、きちんとした指導者から筋道立てて教わった技術というのは我流と比べて美しい。そんな百合子の薙刀捌きを見ていたら、秋斗は用件を一つ思い出して彼女にこう声を掛けた。
「そういえばユリ。このあいだ薙刀を手に入れたんだけど、いる?」
正確にはシキが作成したのだが。色々と調べていたら創作意欲を刺激されたらしい。百合子にとってはどちらでも同じ事で、彼女は食い気味に頷いた。
「いるわ。わたしも頼まれていたアイテムを幾つか手に入れたけど、それと交換でいい?」
百合子の提案に秋斗も頷く。ただすぐに交換するのではなく、休憩のときに交換することにした。一時間ほどかけて拠点の周囲のゴブリンを討伐し、それから二人は【魔法の石版】のところへ向かう。だが百合子が触れても石版は反応しなかった。
「んもう、残念」
落胆した様子で肩をすくめながら、百合子は【魔法の石版】から手を離す。秋斗もダメだったが百合子もダメだった。ということは恐らく、この石版は一度しか使えないのだろう。後で奏も試して見ると言うが、正直期待薄だ。
【魔法の石版】がダメだったところで、二人は一度拠点に戻る。拠点に戻ると、奏が飛翔刃を使えるようになっていた。もちろん粗は目立つが、ちゃんと飛ばせている。これは飛翔刃が簡単なのか、それとも奏の才能が凄いのか、秋斗はちょっと悩んでしまった。
[ベースとなるだけの経験値があったから、というのも大きな理由だろう]
(ああ、なるほど……)
シキの推測に秋斗も納得を示す。いずれにしても全ての基本となるのはやはり経験値だ。そして奏はいよいよこれから本格的に経験値を稼ぐという。ただしその前に休憩だ。彼らは廃墟の一室に集まり、車座に座った。
お菓子を出し、お茶を注いだ紙コップを配る。彼らは思い思いに菓子をつまんだ。休憩中に良く喋ったのは奏と百合子で、「いつかセッションしたいね」みたいなことを話していた。そして十五分ほど休んでから、勲が立ち上がって休憩を切り上げる。
「よし。奏、そろそろやろうか」
「うん。分かった、おじいちゃん」
「あ、そうだ。ユリ、これさっき話してたヤツ」
「ありがと。ちょっと待って。わたしも今出すわ」
やや慌ただしく秋斗と百合子がアイテムを交換する。二人がそれぞれアイテムを道具袋に片付けるのを見てから、勲は二人にこう尋ねた。
「それで、二人はどうするのかな?」
「オレは奏ちゃんに付き合いますよ」
「わたしはここでバイオリンの練習をしています」
二人の答えを聞いて、勲は大きく頷く。それから四人は動き始めた。
秋斗「四人でタイミングを合わせるのは結構大変でした」
シキ[一発勝負だからな]