新生活3
「まあ、余らせている分を譲るのはやぶさかじゃない。でもタダじゃあ譲れないな」
宗方秋斗と名乗った少年(いや年齢的には青年と言うべきか)は、そう言ってやや身を前に乗り出した。鋭い視線が百合子を射貫き、底冷えする圧が彼からにじみ出る。まるで猛獣が目の前にいるかのように感じられて、百合子は身体を強張らせながらゴクリと唾を飲み込んだ。
(落ち着きなさい……。話し合いには応じてくれたし、軽口も通じる。どれだけバケモノじみていても、話の通じる相手よ)
百合子は自分にそう言い聞かせる。そして一度深呼吸をしてから、秋斗の眼を真っ直ぐに見てこう答えた。
「もちろんよ。それで、秋斗は何が欲しいの?」
「そうだなぁ……。向こうで手に入れたアイテムと物々交換でどう?」
秋斗のその提案を聞き、百合子は少し考えてから頷いた。一応現金は用意してあるが、物々交換ができるなら願ったり叶ったりだ。折り合いが付かなければ、その時に改めて「お金で」ということにすれば良い。
そう考え、百合子はバッグから袋を取り出した。アナザーワールドのクエストで手に入れた「道具袋」だ。それを見て秋斗が「へえ」という顔をする。そして彼は道具袋に視線を向けながらこう言った。
「ユリもソレ、持ってるんだ」
「ええ。重宝しているわ。コレがないと、お弁当を持っていくのも一苦労だもの」
分かる、と言わんばかりに秋斗が大きく頷く。実際、この道具袋がなければ百合子は今ほどにはアナザーワールドの探索を進めることができていなかっただろう。またバイオリンを持ち込むこともできず、練習時間も大きく減っていたに違いない。
「だけどソレ、いちいち持ち歩いているの?」
「そういうわけじゃないわ。だけど今日こそはあなたがいるかと思って」
百合子の話を聞いて秋斗が首をかしげる。そんな彼に百合子は事情を説明した。一度ラーメン屋で見かけ、その時は声を掛けそびれたのだと言われ、秋斗は不思議そうな顔をした。ともかくそれ以来、あのラーメン屋に行くときは道具袋を持ち歩いていたのだと百合子は話す。
「……ってことはその時からこの話をしようと思ってたのか」
「ええ、そうよ。おかげであのラーメン屋に行く頻度が増えちゃったわ。他にも美味しい店はあるのに」
「え、どこ?」
秋斗が食い付く。百合子は去年一年間のうちに調べたお店のうち、特に良かったと思う店を幾つか教えた。秋斗はすぐにそれをスマホで検索する。全てラーメン屋で評価も高い。そんな彼の様子を見ながら、百合子はどのお店のどれが美味しいなどと得意げに語る。音大の友人達とこういう話はできないのでちょっと楽しかった。
「……って、話が逸れたわね。ええっと、わたしが出せるアイテムは……」
そう言って百合子はテーブルの上にアイテムを並べ始めた。それを見て秋斗は「ちょっと待って」と言って席を立つ。彼は一度隣の部屋に行き、百合子からは見えない位置で道具袋をストレージから取り出した。
(ストレージのことはまだ知られたくないからな)
[まあそれは良いが。それより、ユリ嬢に魔法の使い方は教えてやらないのか? 回復魔法を使えるようになれば、アイテムの消費量は減ると思うが]
(まだそんなに仲が良いわけじゃないだろ。それにオレのやり方があの人に合うかも分からないし)
秋斗はシキにそう答える。彼は魔石を触媒にするという変則的な方法で魔法を使っているし、勲は【魔法の石版】で回復魔法を覚えた。つまり二人とも完全に自力で魔法を使えるようになったわけではない。話を聞く限りでは百合子も魔法は使えないようだし、「魔法」というスキルは習得の難易度が高いのかも知れない。
そんなことを考えながら、彼はリビングに戻る。そしてまた百合子と向かい合って座った。テーブルの上には彼女が取り出したアイテムが並べられている。知っているアイテムもあれば知らないアイテムもある。銃刀法に抵触しそうなブツもあるが、二人ともそんなことは気にしていない。並べられたアイテムを見て、秋斗はこう言った。
「そっちが出せるのはこれで全部?」
「まさか。テーブルが小さいのよ」
百合子にそう言われ、秋斗は肩をすくめた。それからリストを取り出して彼女に見せる。納品クエストで必要だが手元にないか、もしくは足りないアイテムだ。秋斗がそう説明すると、百合子は「じゃあ、わたしも」と言って自分のリストを彼に渡した。
「あ、それと薙刀持ってない? 向こうでもなかなか手に入らないのよ」
「薙刀はない。青竜刀ならある」
「青竜刀ねぇ……。まあ、似たようなモノよね」
百合子がそう呟く。秋斗は「違うんじゃないかな」と思ったが、彼自身、薙刀と青竜刀の違いなんてよく分からないので黙っておいた。彼が取り出した青竜刀は無骨な作りで結構な重量があるが、百合子は「これくらいなら大丈夫」と言ってそれを物々交換のリストに加えた。
そんな感じで、もともとは「回復アイテムが欲しい」というだけの話だったのに、いつの間にかその他のアイテムでも物々交換が行われた。取引が終わると、百合子は満足げな様子でアイテムを道具袋へ片付ける。望み通り赤ポーションやその他の回復アイテムを手に入れ、彼女はホクホク顔だった。
百合子がこの取引で手に入れたモノは他にもある。剣術武芸書、の写しだ。彼女の得物は薙刀なので直接的には役に立たない。だがそこに記されている武技は応用が利く。特に飛翔刃が気に入ったようだった。
「ありがとう。これでもっと経験値を稼げるわ」
「どういたしまして」
秋斗は短くそう答えたが、表情は緩んでいる。実際、良い取引だったと思っていた。おかげで納品用のアイテムがかなり揃った。もらった情報も含め、全部ではないが目途は立ったと言って良い。百合子の方で手持ちはないがアテはあるというアイテムもあったので、それは後日また物々交換することになった。
それで秋斗が手に入れたアイテムだが、その大半は今すぐに必要というわけではない。だが気になったり、面白そうなアイテムは幾つかあった。例えば次のようなアイテムだ。
名称:宝箱(緑)
空。
秋斗は最初「空」と読んでしまい何のことか分からなかったが、すぐに「空」だと気付く。そしてまたすぐに首をかしげた。宝箱だというのになぜ空なのか。そもそも今までの宝箱は何色であっても開けたら箱は消滅していた。だがこの宝箱(緑)は箱だけで存在している。
[これは要するに、宝箱という名の収納アイテムなのではないか?]
(ああ、そういうことか)
シキの言葉に秋斗は「腑に落ちた」という顔をする。どういう風に使うのかは検証が必要だ。ちなみに百合子も知らなかった。当然と言えば当然だ。道具袋という別の収納アイテムがあるのだから。秋斗にいたってはストレージまである。要するに収納については間に合っているのだ。
(ま、検証はするけど)
面白そうだから。そう思いつつ、秋斗は宝箱(緑)を道具袋に収めた。彼が手に入れたアイテムは他にもある。その中の一つは「白紙の魔道書」。これは要するに魔法を書き込むことのできる魔道書だ。
秋斗にとっては過去に一度手に入れたことのあるアイテムで、実を言えばどうしても必要というわけではない。だいたい自分で使える魔法を書き込んだところで、連発速度が上がる以上の意味はない。ただあればいざという時に使えるかと思い、物々交換で手に入れたのだった。
また百合子が提示したアイテムの中には、「宝箱(黒)」もあった。これは罠付きの宝箱なのだが、その罠を解除するためには「セキュリティーカード」というアイテムが必要になる。だが百合子はこのセキュリティーカードを手に入れられなかったらしい。かといって強引に開ける気にもならず、こうして物々交換の中に混ぜたというわけだ。
「自分で出しておいてなんだけど、本当にコレでいいの?」
「ああ。黒とはいえ、箱はそうそう手に入るもんじゃないからな」
信じられないという顔をする百合子に、秋斗は笑いながらそう答えた。二人の表情の差は、つまりセキュリティーカードを入手するアテがあるかどうかの差だ。もっとも彼にその種明かしをする気はなかったが。
ただこうして物々交換をしても、主に百合子のほうが不足気味だった。「残りは現金で」という彼女に、秋斗はひとまず財布をしまわせる。彼がまず求めたのは魔石だった。百合子は一つ頷くとテーブルの上に魔石を積み上げる。それからやや困惑気味にこう尋ねた。
「これで足りるかしら?」
魔石はモンスターを倒せば手に入る。ただ彼女にとってはあまり使い道がない。それを秋斗が欲しがるというのはちょっと意外だった。ただ彼は魔石を動力源とする魔道具を多数持っている。笑顔で頷き、それらの魔石を自分の道具袋に片付けた。
「なんだったら、売れば大金が手に入ったのに」
「嫌よ。出所をどう説明するのよ。だいたい、わたしのようなか弱い女の子がモンスターを倒したなんて言っても、誰も信じてくれないわ」
百合子がそう嘯くのを聞いて秋斗は肩をすくめる。彼女がか弱いかはともかく、彼女が目先の大金に目がくらむような人間ではないことが分かったのは収穫だ。やはりアナザーワールドへ招待される人間は警戒心が強い、のだろう。
「それにしても、秋斗も秘薬は持っていないのね」
「あ~、ほら、使っちゃうから」
「分かってるわ。わたしもそうだもの。でもやっぱり経験値は欲しいから」
「じゃあ、そんなユリに一つ耳寄り情報。経験値はアナザーワールド産の食材からも手に入るよ」
「……それ、本当?」
「本当。まあ、ほんのちょっとみたいだけどね」
秋斗がそう答えると、百合子は真剣な顔をして何やら考え始めた。食材を得られそうな場所をリストアップしているのかも知れない。そんな彼女に秋斗はこう提案した。
「これからドロップした肉で餃子を作ろうかと思うんだけど、手伝ってくれるなら四分の一でどう?」
「……半分、よ」
「いやいや、材料費はこっち持ちなんだからさ。三分の一」
百合子はゆっくりと頷いた。秋斗は「よしっ」と言って立ち上がる。百合子もソファーから立ち上がって髪を後ろでまとめる。こうしてラーメン屋で出会ったばかりの二人による餃子作りが突発的に始まった。
「ちょっと! なんで皮から手作りなのよ!」
「そりゃ、労働力があるときにやらないと。それに手作りの方が旨いし」
そう答え、秋斗は小麦粉を計り始めるのだった。
百合子「食材そのものをもらえば良かったんじゃ……?」