新生活2
秋斗は東京に来てから外食の回数が増えていた。家賃が実質無料なので、その分だけ懐に余裕があるのだ。そしてさすが東京にはレストランなどがたくさんある。そのなかでも彼がそこそこの頻度で通っているのが、例の大学近くにあるラーメン店だ。そしてこの日もまた、彼はラーメンを食べるためにそこへ向かった。
「醤油ラーメン。ショウガ増し増しで。あと餃子」
手慣れた様子で食べたい物を注文し、秋斗はカウンター席に座った。そしてテレビのニュースをぼんやりと眺めながら彼は料理が出てくるのを待つ。まず目の前に出てきたのは醤油ラーメン。ショウガの香りが強烈だ。
ラーメンを食べていると、次に餃子が出てくる。カリッと焼かれた餃子は食感が楽しく、一口食べれば肉汁があふれ出す。ただ野菜が多目だとかで、意外とあっさりしている。それでも物足りなく感じないのは、使っている肉が美味しいからだ。
(たしか、塊を叩いてミンチにしてるって言ってたよな)
店主のおっちゃんが前に教えてくれたことを思い出す。今度真似してみようと思いつつ、実はまだやっていない。塊肉を見ると、先に角煮が浮かぶのだ。なんとも悩ましいことである。
(あと単純に面倒くさいし……)
そんな悩みとも言えない悩みについて内心でぼやきながら、秋斗はラーメンを啜る。ショウガの利いたラーメンはこってりしつつも後味は爽やかだ。おかげで幾らでも食べられる、ような気分になる。特にスープが危険だ。油と塩の塊だと分かっているのに、ついつい飲んでしまう。
(アナザーワールドで消費するから良いということにしよう)
誰にともなくそんな言い訳をしてから、秋斗はまたスープを一口啜った。そんな彼に奥の席から女が一人、近づいてくる。そして彼にこう声を掛けた。
「……となり、良いかしりゃ?」
(噛んだ……)
[噛んだな]
微妙な空気が流れる。話しかけた女性もどうしていいのか分からない様子だ。ほんの数秒だったが、沈黙が辛くなって秋斗はこう答えた。
「……Take2」
「となり、良いかしら?」
女性は何事もなかったかのように同じセリフを繰り返す。今度は噛まなかった。秋斗は「あ、この人けっこう図太いな」と思いつつ、「どうぞ」と答える。そして隣に座った彼女にこう尋ねた。
「……それで、何の用ですか?」
ラーメンを食べながら、秋斗は隣に座った女にそう尋ねた。年齢は同い年くらいだろうか。上にしろ下にしろ、大きく離れているようには見えない。長い髪を今はポニーテールにまとめている。顔は化粧っ気がない。まあ彼は化粧のことなど何も知らないが。ともかく全体的にサバサバしている印象だ。
「……少し、話がしたいのだけど」
「どうぞ」
「……まずは自己紹介ね。霧島百合子よ」
「宗方秋斗です」
「それで話なんだけど、その、ええっと、何て言えばいいのかしら……」
言葉を探すようにして、百合子が言いよどむ。それを横目に見ながら、秋斗は餃子を一つつまむ。それを見て百合子はこう尋ねた。
「……餃子、美味しい?」
「美味しいですよ。……まさかそれが用件ですか?」
「違うわよ! ええっと、そう! 実は探しているモノがあるのよ」
そう言って百合子はバッグからスマホを取り出した。彼女は一枚の写真をディスプレイに表示してそれを秋斗に見せた。それを見て秋斗は思わず眼を見開く。そこに映っていたのは、なんと赤ポーションだった。
「へえ……」
「……っ、余らせているなら、幾つか譲ってもらえないかしら」
「なんで、オレがコレを持っていると思ったんですか?」
「わたし、眼は良いの」
「……眼、ですか」
面白がるような口調で秋斗はそう答えた。そして今度はラーメンを食べる。表面上なんでもない様子を装いながら、彼は頭の中でシキとこう相談を始める。
(眼、だって。シキ、どう思う?)
[情報が少ないので何とも言えないが。アキが赤ポーションを持っていることを見抜いた、という意味ではないだろう。アナザーワールドに出入りしていることに気付いた、という意味ではないのか?]
(それに気付いたってことは、この百合子さんも招待された側ってことか)
スープを飲みながら秋斗は予測を立てる。すると彼女が言う「眼」というのは、いわゆる“鑑定”的なモノなのかも知れない。いずれにしても関係者と分かったからには、断って「はい、さようなら」というわけにはいかない。
「……まあ、良いですよ」
紙のナプキンで口元を拭ってから、秋斗は百合子にそう答えた。それを聞いて彼女はパッと笑みを浮かべる。そんな彼女に秋斗はさらに続けてこう言った。
「でもさすがに今は手持ちがないですよ。家に帰ればありますけど。どうします?」
「遠いの?」
「いえ、徒歩で行けます」
「なら行くわ。虎穴に入らずんば虎児を得ず、よ」
「いや、ウチは虎穴じゃないんですけど……」
そう言って秋斗が苦笑する。そんな彼をうさんくさそうに見ながら、百合子が内心で「あなたはトラよりも危険でしょうに」と呟いていたことは、彼女だけが知っている。
会計を済ませてから、秋斗と百合子は店を出る。先に店を出たのは秋斗のほうで、彼は軒先で百合子が出てくるのを待った。
(しっかし、初対面の男の家にホイホイついてくるとか、警戒心がないのかね?)
[さすがにアナザーワールドのことを他人に聞かれるわけにはいかない、と思ったのだろう。それに警戒はしていると思うぞ]
(本当に?)
[ああ。オオカミではなくトラと表現したからな。十分以上に警戒しているはずだ]
(そりゃ言葉の綾ってヤツだろ……)
[それより、いきなり家に連れて行ってしまって良いのか?]
(話を聞く必要はあるだろ。それこそラーメン屋でするような話じゃないし。面白い話が聞けたら、情報料代わりに赤ポーションを一つくらいやってもいい)
秋斗が内心でそう説明していると、百合子が店から出てくる。彼女はポニーテールをほどいていた。すると印象が変わって、「気の強いお嬢様みたいだな」と秋斗は思った。
さて、二人は連れ立って歩き始める。無言のまま歩くのも居心地が悪くて、秋斗は百合子にこう尋ねた。
「ええっと、百合子さんは……」
「ユリでいいわ。名前に『子』が付くの、あんまり好きじゃないの。あと、無理に敬語も使わなくて良いわ」
「……分かった。ユリは大学生ってことで良いのか?」
「ええ。音大の二年よ。秋斗は?」
「そこの一年」
そう言って秋斗は都立理工学大学の敷地を指さす。それを見て百合子は納得したように一つ頷いた。そのまま二人は他愛のない会話をしながら歩く。二人ともアナザーワールドのことには一切触れない。そして二人は秋斗の家に到着した。
「……あなたの家とは聞いたけど、まさか本当に一軒家だとは思わなかったわ。あなたの実家ってお金持ちなの?」
「お金持ちの知り合いが格安で貸してくれただけ。ま、取りあえず入って」
そう言って秋斗は中に入るよう、百合子を促した。ちなみに勲と奏を別にすれば、百合子がこの家に招かれた最初の招待客ということになる。まあ百合子は当然そんなことは知るよしもないし、秋斗の方も特別な意図があったわけではないが。
百合子を家にあげると、秋斗は彼女をリビングへ案内する。そして最近買ったばかりのソファーを勧めた。ちなみにソファーは三人掛けで、オットマンが付いているのでカウチソファーとしても使える。足が伸ばせるしそのまま寝れるし、お気に入りのソファーだ。
百合子がソファーに座ると、秋斗は冷蔵庫からペットボトルの麦茶を出す。二人分の飲み物を出してから、秋斗はソファーのオットマンに腰を下ろして百合子と向き合う。やや緊張した面持ちの彼女に、秋斗はこう切り出した。
「……で、最初に聞いておくけど、ユリもあのヘンな夢を見たの?」
「ええ。ヘンな人形をボコボコにしてやったわ」
「ボコボコって……」
「ストレスが溜まっていたのよ、あの頃は」
そう言って百合子は自分がアナザーワールドにダイブするようになった経緯を話した。経験値の蓄積がバイオリンの技量にも関係してくると聞いて、秋斗は少し驚く。ただよくよく考えてみれば、そういうこともあるだろうと思い直した。
[要するに、経験値というのは成長のためのリソースなのだろう。そしてそのリソースは訓練や経験に応じて分配される。それが“レベルアップ”というわけだな]
シキの考察に秋斗は内心で頷く。そして彼も自分の事を話す。地下墳墓を攻略したときのハードでヘビーなローテーションのことを聞き、百合子はドン引きした様子だった。
「んんっ。で、肝心の用件だけど、ユリは赤ポーションが欲しいってことでいいの?」
「そうね。そのほかにも回復アイテムがあって、譲ってもらえるなら嬉しいわ」
「まあ、余らせている分を譲るのはやぶさかじゃない。でもタダじゃあ譲れないな」
そう言って秋斗は眼に力を込めた。
百合子「シュミレーションが役に立たなかったわ……」