新たなホームエリア1
秋斗と勲は「アナザーワールド、ダイブイン」というトリガーワードによって、いわばアナザーワールドへ転移することができる。他にも同じように“選ばれた”者たちはいるのだろうが、今のところ秋斗と勲が承知しているのはお互いだけだ。
さて、アナザーワールドへダイブインすると言っても、その転移先は千差万別だ。ただランダムで毎回別の場所に飛ばされる、というわけではない。リアルワールドのどこでダイブインするかによって、アナザーワールドのどこへ転送されるかが決まるのだ。少なくとも秋斗はそんなふうに理解している。
秋斗は東京へ引っ越してきた。東京からアナザーワールドへダイブインしたことはあるが、しかしこれまでの経験上、ダイブインする地点が五キロも違えば全く別の地点へ転送されることになる。つまり彼の現在の住居からダイブインすれば、全く新しいエリアに転送されることになるわけだ。
「やっぱりちょっと緊張するな」
家の中で準備を整えた秋斗は、苦笑を滲ませながらそう呟いた。心境としては期待半分、不安半分といったところだろうか。彼はこれまでにも新規エリアをいろいろと開拓してきたが、それらの場合とはまた少し異なる緊張感がある。
これからダイブインするのは、いわば新たな“ホームエリア”とも言うべき場所。少なくとも大学を卒業するまでは、そこを中心にアナザーワールドの探索を行っていくことになるだろう。あまりにも変なエリアを引き当ててしまうと、今後の探索活動に支障が出かねない。
[変なエリア、というと?]
「極端に暑いとか、極端に寒いとか、面倒くさいモンスターが多いとか、だな」
シキの問い掛けに秋斗はそう答える。要するにダイブインするのが億劫になりそうな場所、ということだ。ダイブインするのに最も便利な自宅がその有様では困る。彼はそう心配しているのだが、同時に楽観もしていた。その根拠となっているのは、彼が持つマジックアイテム「幸運のペンデュラム」だ。
このマジックアイテムには「使用後1時間、まだ観測されていない未来を使用者にとって都合の良い方向へ改変する」という能力がある。端的に言えば「運が良くなる」わけだ。そしてその力はこれまでに実証済み。いや証拠がないので「実証済み」と言えるかは微妙だが、少なくとも秋斗はその力を疑っていない。
「さすが金箱から出たアイテムだよな」
秋斗はそう思っている。彼がこれまでに手に入れた宝箱(金)は一つだけで、幸運のペンデュラムはそこに入っていたアイテム。レアリティで言えば、彼が持つアイテムの中でも間違いなく最上級だろう。そういうことも根拠の一部になっている。
まあそれはそれとして。秋斗はもう一度自分の装備を確認した。探索服に丈夫なブーツ、隱行のポンチョと森避けの腕輪、そして竜牙剣を腰に吊っている。ちなみにブーツは当然ながら土足なので、ダンボールを敷いて彼はその上に立っている。いわばダイブインするためのスペースだ。
他人に見られたらヘンなコスプレ野郎だが、向こうの様子が分からない以上は準備を整えていくのが当然のリスクヘッジだ。そもそも一人しかいないのだから、他人の目を気にする必要もない。秋斗は幸運のペンデュラムを発動させてからダイブインを宣言した。
一瞬の浮遊感の後、ブーツ越しに伝わる感触が変化する。土と砂利の感触だ。同時に視界も切り替わる。そこは鬱蒼とした森の中、に思えた。ただ視線を巡らせると、人工物と思しきモノがすぐに見つかる。
[それなりに数があるな。そして背が低い]
シキの声に秋斗も頷く。人工物と思しき建物は大半が二階か三階建て。ビルのような高層建築物はなく、それらより背の高い木々が何本も生えている。どの建築物も全て廃墟と化していて、かなりの程度自然の浸食を受けていた。
「住宅地、だった場所かな?」
秋斗は何となくそう呟いた。廃墟と化した建築物の様子を見る限りではそのように思われる。ただゴブリンが跋扈していたコンクリートジャングルと比べても、このエリアはさらに自然の浸食が進んでいるように見えた。ただ、悪くない。彼はそう思った。
見た限り、ここは平地だ。山地のような斜面はほとんどない。木々が鬱蒼としてはいるが、それでも原生林というほどではなく、比較的視界は確保されている。木の葉に遮られ、差し込む日差しはそれほど強くない。また廃墟とはいえ建物があるのだ。身を隠すような場所には困らないだろう。
「あとはどんなモンスターが出てくるか、だけど」
[食材、それも肉を期待できそうだな]
シキが茶化すようにそう言うので、秋斗は小さく肩をすくめた。確かに「このエリアなら何か食材がありそう」と思ったのは事実だ。だがまだ一歩も探索していないというのに、期待感だけを先行させても仕方がないだろう。そう思い、彼はそろそろ探索を始めることにした。
「んじゃ、シキ。いつも通り索敵とマッピング、よろしくな」
[うむ。任せておけ]
シキの心強い返事に一つ頷いてから、秋斗は探索を始めた。廃墟と化している建物の中に入ってみようかとも思ったが、どんなモンスターが出現するのか分からないので、まずは周辺のマッピングを優先する。戦うにしろ逃げるにしろ、周囲は開けているほうがやりやすい。
木々の少ない、真っ直ぐな道を歩く。今は土に覆われているが、その下は恐らくコンクリートか何かなのだろう。根を伸ばせないので大きな木が育たないのではないか。秋斗はそんなふうに思った。そしてそこへシキの声が響く。
[アキ、十時方向だ]
シキがそう言うのと同時に、秋斗の視界に俯瞰図が表示された。確かにそこには、モンスターを示す赤いドットが表示されている。ただあまり大きなモンスターではないのか、その姿は茂みに隠れてしまってよく見えない。
だがいることは確かなのだ。そして隱行のポンチョのおかげで、モンスターはまだ秋斗に気付いていない。彼はゆっくりと竜牙剣を鞘から抜いた。そして俯瞰図を頼りに目星を付け、モンスターがいると思しき場所へ飛翔刃を放った。
「ギャ!?」
獣の悲鳴が響く。次の瞬間、茂みからモンスターが飛び出した。その動きは秋斗が思った以上に素早い。もしかしたら飛翔刃はかすった程度だったのかも知れない。そんな事を考えながら、秋斗は竜牙剣を突き出した。その刃はモンスターの口の中に突き刺さり、そのまま後頭部へと抜けた。
(コイツは……、キツネか。何となくイヌっぽく見えたけど)
モンスターの動きが止まると、ようやくそれが何のモンスターなのかハッキリと分かった。キツネである。力を失ったキツネは黒い光の粒子になって消えていく。後には魔石だけが残った。残念ながら毛皮はない。
「うん、森っぽいエリアだからなのか、やっぱり動物型が出たな。これは期待できそうだ」
[嬉しそうだな]
シキがそう言うと秋斗は肩をすくめたが、嬉しそうなのは否定しない。動物型のモンスターが出たということは、これまでの経験から言って食材、それも肉が手に入る可能性が高くなったと言っていい。同時に“エサ”となる果物なども期待して良いだろう。
何しろ魔素を潤沢に含んでいるからなのか、アナザーワールド産の食材は美味しいものが多い。微少ながらも経験値を得つつ、さらに食費も節約できるとなれば、ホームエリアとしてここを引き当てた意義は大きい。秋斗の顔も緩むというもので、彼はさらに気合いを入れて探索を再開した。
キツネを皮切りにして、その後様々な動物タイプのモンスターが出現した。ただしその中にはリアルワールドとは明らかに姿が異なるモンスターもいた。例えば首が三つあるイノシシ「ケルベロス・ボア」や、二本の立派な角を帯電させて雷を放つ「サンダー・ディアー」などだ。
「ちょっとレベル上がった感じ?」
人一人丸呑みできそうなほど巨大な蛇「ジャイアント・スネーク」の首を切り落とし、その身体が黒い光の粒子になって消えていくのを見ながら、秋斗はここまで戦った感想そんなふうに述べた。彼のレベルが上がったわけではない。これまでに比べ、出現するモンスターのレベル帯が上がったように感じるのだ。つまり今までと比べ、手応えのある敵が多い。
[幸運のペンデュラムを使ったからな。適正レベルがチョイスされた、いやレベル上げしやすい環境を引き当てた、ということではないのか?]
「その分、手強くなってるんだけどなぁ」
秋斗は苦笑気味にそう言った。とはいえ手こずっているわけではない。シキの言うとおりレベルが上げやすくなっているというのなら、それは確かに幸運なことだ。リアルワールドにもモンスターが出現するようになった以上、レベルを上げておくに越したことはないのだから。
ジャイアント・スネークの身体が完全に魔素へ還元されると、後には魔石とドロップ肉が残った。ヘビ肉だ。秋斗は一瞬「食えるのか?」と思ったが、マンモス肉も食えたのだ。「多分食えるんだろう」と思い、彼はヘビ肉も回収した。ちなみにヘビ肉はジューシーな鶏肉みたいな感じだった。
さてその後も秋斗は探索を続けた。このエリアに現われるモンスターは動物型だけではない。植物型のモンスターもいた。ただトレントのように擬態しているわけではなく、わりと分かりやすい姿だ。ツルや根がアクティブに動いて他のモンスターを捕食している。ちょうどその場面を見てしまい、秋斗は「うげっ」という顔をしてしまった。
「とはいえチャンス!」
そう叫び、秋斗は飛翔刃を放った。その刃はモンスターの幹の部分に直撃したが、両断するにはいたらない。攻撃されたことでモンスターの方も秋斗に気付き、彼の方へツルを伸ばす。彼は飛翔刃を連発してそれを防いだ。さらに多数の飛翔刃がモンスターへ叩き込まれる。植物モンスターは捕食していたモンスターもろとも討伐されたのだった。
「障害物が多いおかげで、奇襲が良く決まるな。まあ、一番大きいのは隱行のポンチョなんだろうけど」
二つの魔石を拾ってから、秋斗はそう呟いた。奇襲が決まるか決まらないかは、戦術的にかなり重要だ。そしてこのエリアは彼にとって奇襲を仕掛けやすい環境だと言える。また彼を奇襲するのはかなり難しい。秋斗向きのエリア、と言っていいだろう。
彼はその後も順調に戦果を重ねた。そうやって二時間ほど探索してから、彼は一度休憩を挟む。休憩中、シキにマッピングの途中経過を見せてもらうと、やはり区画整理したような痕跡が見受けられる。ただ全体像を把握するには、まだまだ情報量が足りない。もっと足を使う必要がありそうだった。
探索を再開して少しすると、シキがモンスターの反応を捉えた。ただこれまでとは様子が違う。俯瞰図を出してもらうと、十個ほどの赤いドットが一カ所にまとまっている。しかも争っている様子はない。
「ってことは、群れか?」
秋斗はそうアタリを付ける。そして姿勢を低くし、木の陰に身体を隠しながら敵の集団に近づく。彼の予想はだいたい合っていた。ただ、完全ではなかった。
「ウェアウルフ……、いやコボルトか……」
秋斗は小声でそう呟く。正直、予想していなかったモンスターだった。
コボルトさん「満を持して登場! ウェアウルフ先輩に続くぜ!」