家
「ふう、これでだいたい片付いたな」
新居にて荷物を片付け、秋斗は達成感を滲ませながらそう呟いた。ここは東京。二十三区外だが、大学へは徒歩で通える距離だ。ここから新生活が始まる。彼の胸に湧き上がるのは、不安よりも期待の成分の方が多かった。
三月。高校の卒業式を終えると、秋斗はその翌日にアパートを引き払った。実際の解約手続きは父親である茂がしてくれることになっているが、ともかく不動産屋に鍵を返したのでもうあのアパートへ帰ることはない。
秋斗はバイクで東京へ向かった。そしてまずは佐伯邸へ赴く。勲が用意してくれた家の鍵を受け取るためだ。そう、「家」である。アパートの部屋ではない。勲が秋斗のために用意してくれたのは、平屋の戸建て住宅だったのである。
『どうかな。中古住宅だが、築年数はそれほど古くないし、購入してから内外はリフォームしてある。少々僻地だが、その分静かだし大学にも近い。電車を使えば都心へのアクセスも良いし、なかなかの立地だと思うよ』
勲が少々得意げにそう説明するのを、秋斗は唖然としながら聞いたものだ。勲から「部屋の目星がついた」と連絡を受け、実際に見に行った時のことである。
秋斗はてっきりアパートの一室だと思っていたのだが、実際に見せられたのは平屋とはいえ立派な戸建て住宅。しかも勲がわざわざ購入してさらにリフォームまでしてくれたらしい。秋斗はちょっと理解が追いつかなかった。
『どこかのアパートかと思っていたんですけど……』
『私も最初はそう考えていたのだがね。秋斗君の場合、パーソナルスペースは広い方が何かと都合が良いだろう?』
勲はやや面白がるような視線を向けながら、秋斗にそう尋ねた。彼がアナザーワールド関連のアレコレを念頭に置いていることは明白で、それを考えるならアパートよりも戸建て住宅の方が何かと都合は良い。それは確かだ。
『それとお金のことだが。電気ガス水道そしてインターネットなどは、全て私の名義で契約してある。請求が来た分をそのまま君に請求するから、使った分は負担してくれ』
『それは、もちろん』
『あとは土地と建物にかかる税金分だけ支払ってくれれば、それで良いよ』
その申し出に、秋斗はさすがに驚いた。それでは家を貸す勲になんのメリットもない。彼は思わず勲にこう尋ねた。
『良いんですか、それで?』
『構わないよ。今後とも君の協力を得られるなら、安いものだ』
そう言い切られてしまうと、断ることはできない。また客観的に考えてあり得ない好条件であることは明白。秋斗は「よろしくお願いします」と頭を下げたのだった。
とはいえ、申し訳なさは消えない。土地を買い、家を買い、さらにリフォームまでしたのだ。恐らくウン千万円の単位で費用がかかっている。あまりに申し訳なくて、秋斗は鍵を受け取りに言った際、持参した手土産の底に金塊を敷き詰めて献上したのだった。
さて、ともかくこうして秋斗は東京での生活の基盤を確保した。あとは引っ越しをしなければならないわけだが、秋斗は業者に頼むことはしなかった。ストレージを駆使してアパートの荷物を新居へ移した。不審に思われるかも知れないと思ったが、そこは開き直る。本人がいないのだから、噂が立ったとしてもすぐに消えるだろうと思ったのだ。
[だが東京の方はどうする? これからそこで生活するというのに不審感をもたれては、元も子もない気がするが]
『大丈夫だろ。東京はそのあたり淡泊な気がするし』
まあその辺の意見は秋斗の独断と偏見なわけだが。大っぴらに、そして継続的に使うわけではないのだから、ごまかしは利くだろう。こんな超能力、誰も想定していないのだから。そう考え、シキはそれ以上何も言わなかった。
ともかくストレージを駆使したことで、アパートで使っていた家具家電一式を新居へ映すことができた。エアコンは備え付けだったので持ってこなかったが、新居にもエアコンは付いているので問題ない。しかもより高性能なヤツだ。手土産持っていって正解だったと秋斗は思った。
そうやって持ってきた家具家電を、カーテンで目隠ししつつ時にはドールの手も借りながら、秋斗は一つずつ所定の位置へおいていく。一人暮らしだし、もともと荷物が多いわけでもない。ただそれでも荷物を片付けるのに半日かかった。
「腹が減ったな」
時計を見ながら、秋斗はそう呟いた。夕飯にはまだ少し早いが、おやつ抜きで動き続けたので、彼はすっかり空腹だった。冷蔵庫やそれこそストレージの中にはすぐに食べられる物が入っているが、今は何となくそんな気分ではない。それで彼は外で食べることにした。
戸締まりを確認してから外出する。バイクは使わない。この辺りの地理にはまったく詳しくないが、それでも前に来たときに大学への道順だけは確認してある。そして大学の周辺には大学生を主なターゲットにした飲食店が軒を連ねていた。そこならば値段も手頃だろうと思い、道の確認もかねて秋斗は大学の方へ向かって歩き始めた。
秋斗が入ったのは、大学の近くのラーメン屋。それもチェーン店ではなく、どうも個人店らしい。時間帯のせいか、客の入りはまだまばらだ。ただやはりというか、大学生らしき年代が多い。オススメを聞くと味噌ラーメンだというので、彼はそれを注文した。
「ウチは餃子もうまいぞ」
「じゃ、それもお願いします」
「炒飯も自信あり、だ」
「なんと。そっちも追加で」
「醤油ラーメンだって絶品だ!」
「それはまた今後にします」
「よし、また来いよ。サービスしてやるからな!」
食べる前からリピーターを確保したやり手の店主は、ニカリと笑って調理に取りかかった。まず出てきたのは味噌ラーメンで、店主は「チャーシュー一枚サービスだ」と言ってくれた。
ラーメンを食べていると次に餃子が出てきて、さらに間を置かずに炒飯も来た。三品とも店主がオススメするだけあってレベルが高い。しかも大学の近くにあるからなのだろう、量も多い。三品全て食べきると、さすがに秋斗の胃袋ははち切れんばかりだった。ちなみにスープは残した。
「ご馳走様でした」
会計を済ませて外へ出ると、日はすっかり沈んでいた。とはいえそこはさすがに東京。街灯は明るいし人通りも多い。秋斗が昨日まで住んでいた田舎と比べると、桁違いに賑やかだ。違う街に来たんだなぁ、としみじみ感じながら彼は家までの道をゆっくり歩いた。
家に帰ってくると、秋斗は座布団を引っ張り出してそこへ腰を下ろす。それからテレビを付けて、何となしにチャンネルを回す。東京はチャンネルの数が多い。彼はそのことに地味に驚いた。
「それにしても……」
ニュースを聞き流しながら、秋斗は部屋の中を見渡す。勲が用意してくれたこの平屋は、当然ながらアパートの一室より断然広い。ストレージを駆使して家具家電は一式持ってきたが、それでもまだガランとしているように思える。
「ソファー欲しいよな。あと小さくても良いからテーブルも買うかなぁ。フローリングにちゃぶ台ってのは、どうも合わない」
[パソコンも買った方が良いのではないか? 大学生になったのだから、課題やら何やらで必要になるだろう]
「パソコンかぁ。どれが良いとかよく分かんないんだよな。シキさんや、良さげなのを選んでおいてくれないか?」
[任せておけ]
食い気味にシキが返事をする。それを聞いて秋斗は内心で苦笑した。これはパソコンを買っても主に使うのはシキになりそうだ。まあ、今のところはスマホで不自由していないので別に構わないのだが。
(あと買い物と言えば……)
私服も何枚か揃えておいたほうが良いだろう。今までは制服を来て高校へ通っていたが、大学に制服はない。オープンキャンパスの時に見かけた大学生達はみんな私服だった。秋斗もこれからは私服で大学へ通うことになる。
ただ秋斗の私服は数が少ない。今まではそれで不都合はなかったのだが、まさか毎日同じ服を着ていくわけにもいかない。それなりに用意しておく必要がある。できれば入学式の前、比較的時間のあるうちに買っておきたいところだ。
(それにしても……)
秋斗はぼんやりと思い出す。オープンキャンパスで見かけた大学生達は確かにみんな私服だった。しかしだからこそその装いは様々だった。上下灰色のスエットのお姉さんもいれば、まるでモデルのようにジャケットと帽子を着こなすお兄さんもいた。秋斗としてはそんなにファッションに力を入れるつもりはないが、さりとて野暮ったく見られるのもイヤだ。
「いざとなったら店員さんのオススメだな」
[その前に、どこへ行くかを考えたらどうだ?]
「幾らでもあるだろ。なんせ東京だし」
秋斗は気楽な調子でそう答えた。テレビのニュースでは天気予報が始まっている。雨雲の予想が出ると、これまでの場所を見そうになって、そういえば東京だったと思い直す。慣れないな、と思って彼は小さく苦笑した。
某大学生さん「物件探しを依頼したら、平屋一戸建てを紹介された。詐欺なんてチャチなモンじゃねぇ、もっと恐ろしい何かの片鱗を味わったぜ……」