次元結晶
卒業式とその後の引っ越しを目前に控えた秋斗は、未練というか、やり残しを残さないようにアナザーワールドの探索を行っている。クエストでもないのにトレント・キングやナイトと戦ったのはそういう理由が大きい。ただそうやってアレコレと動いた結果、「やり残し」になりそうなアイテムを手に入れてしまった。
名称:次元結晶
???
これがそのアイテムである。山岳道路エリアの、アリスが言うところの「次元の壁」の一部を破壊した際、その欠片が集まってこの結晶が生まれた。名称こそ「次元結晶」と判明したが、肝心の説明は「???」になっている。
「名称も、初めから分かっていたんじゃなくて、その場で付けたような感じだよなぁ」
[うむ。恐らくはそうなのだろう]
秋斗の推測にシキも同意する。例えばアナザーワールドに存在する全てのアイテムを収録したアーカイブのようなものがあったとして、そこに未知のアイテムとして次元結晶が登録されていた、と言う可能性はある。
ただ秋斗とシキはたぶんそうではないのだろうと考えている。あらかじめ登録されていたのだとしたら、説明文は「詳細不明」などとなるのではないだろうか。「???」というのは、いかにもエラーやバグのように思える。
まあ、アナザーワールドにとって次元結晶が既に知られているアイテムであるかどうかは、今のところそれほど重要ではない。ただアカシックレコード(偽)にも次元結晶の項目はなかった。語句検索でもヒットなしだったので、つまりアリスもこのアイテムについては知らない可能性が高い。
「さて、どうしたもんかな……」
次元結晶を前に、秋斗は腕組みをしながらそう呟く。鑑定がまったく通用しないアイテムというのは彼も初めてで困惑している。何か悪さをするようなアイテムではなさそうなのでこのままストレージの肥やしにしておいても良いのだが、せっかく手に入れたのだ、何とか活用法を探りたい。
とはいえ秋斗個人にはもう打つ手がない。勲に話し、どこかの大学か研究機関を紹介してもらえば、色々と調べることはできるかも知れない。だがその場合、入手経路をどう説明するかが問題になる。彼の基本スタンスは身バレを避けることで、それは現在まで変わっていない。
それにこのファンタジー物質をこの世界の科学で調査・解析できるのかも不明である。というより秋斗はできないだろうと思っている。また仮にできたとして、あまりにも意味不明な結果が出たら科学者たちが発狂してしまうかも知れない。
そうなると秋斗が頼れる相手はアリスしかいない。だが前述した通り、アリスは次元結晶について知らない可能性が高い。だが知らないとしても、調査や解析に向いているのは彼女の方だろう。それに何も成果がなかったとして、聞くだけならタダだ。
「いや、タダじゃないか」
菓子類を用意しておかなければアリスは拗ねるだろう。菓子類は勲が送ってくれたものがほとんどだが、一緒に饗するお茶や大量消費される角砂糖のコストは秋斗が負担している。だから断じてタダではない。
[だが格安だろう]
「まあね」
シキの言葉を否定せず、秋斗は次元結晶をストレージに収めてから立ち上がった。そしてアナザーワールドへダイブインする。彼はすぐにアリスを呼び出した。
「あ、アリス? ちょっと見てもらいたいモノがあってさ……。いや、鑑定できないアイテムなんだ。うん、そう、よろしく」
連絡を終えると、秋斗はアリスを迎えるべくお茶の用意を始める。こんなことをしていると彼は自分が執事にでもなったような気分だったが、少なくとも本職の執事はティーバッグでお茶を淹れたりはしないだろう。
アリスがやって来ると、二人はまずいつも通りにお茶をした。菓子を食べるのはアリスだけで、秋斗はその向かいに座ってコーヒーを啜っている。アリスは相変わらず忙しく飛び回っているようだったが、成果と言えるほどのものはまだないと言う。
「積層結界はその名の通り、層状に展開された結界じゃ。ゆえに外側の結界を調べるのはひどく面倒なのじゃ」
アリスはそう愚痴った。ただ彼女の場合、結界に影響を出さないように調査しているというのもあるのだろう。秋斗はそう思った。
「……それで、見せたいモノとはなんじゃ?」
大皿に盛り付けられた菓子類を半分以上食べてから、アリスはやおら今日の本題に入った。アリスに視線を向けられ、秋斗はストレージから次元結晶を取り出す。彼からそれを受け取ると、アリスは首をかしげてさらにこう尋ねた。
「なんじゃ、コレは?」
「次元結晶、っていうらしい。詳細は不明」
「次元結晶……? 見慣れぬアイテムじゃ。我のデータベースにも情報がない……」
アリスは怪訝な顔をした。やはり知らないらしい。彼女はお菓子を食べながら、次元結晶をいろいろな角度で眺めて観察する。それから秋斗にこう尋ねた。
「コレをどこで手に入れた? いや、どうやって手に入れた?」
「山岳道路エリアの……、あの次元の壁から手に入れた。一部を破壊って言うか破ったんだけど、その欠片が集まってその結晶ができたんだ」
「あの壁、から……?」
秋斗の説明を聞いても、アリスはなんだか納得できない様子だった。彼女はしばらく難しい顔をして次元結晶を睨んでいたが、やがて菓子を食べ終えると顔を上げるとこう言った。
「よし。あの壁のところへ向かうぞ」
「え、これからか?」
「うむ。スイーツも食べ終えたしの。場所は分かっておる。それにもう少しサンプルが欲しい」
そう答え、アリスは秋斗を急かした。秋斗がもろもろを片付けると、アリスは彼を横抱きにして抱き上げた。いわゆるお姫さま抱っこである。
「え、ちょ……!?」
「じっとしておれ。舌を噛むぞ」
そう言うが早いか、アリスは背中に純白の翼を顕現させて飛び上がった。一息に上空数百メートルの位置まで上昇すると、彼女はそこから水平に飛行する。どの程度本気で飛んでいるのかは分からない。だが凄まじい風圧に秋斗は顔を引きつらせた。
「……!」
首をすぼめて秋斗は風圧に耐える。それでもアリスの方へ寄りかかるようにしないと体勢が安定しない。自然と身体が密着したが、自分の顔がちょうどアリスの胸の位置にあることに気付いて、彼は思わず顔を赤くする。そのままおよそ二十分。二人は山岳道路エリアの次元の壁のところへ到着した。
「着いたぞ。ではアキトよ、……ん、どうしたのじゃ?」
アリスが視線を向けると、秋斗は壁に額を押しつけて突っ立っている。彼は弱々しい声でこう答えた。
「いや、みみっちい男のプライドとかがいろいろと……」
「ふむ。そんなモノはイヌにでも喰わせてしまうがよい」
「まったく、容赦がないな……。で、何をどうすれば良いんだ?」
「うむ。次元結晶を切り出してみよ。どうやってできるのかも含めて色々見たい」
アリスにそう言われ、秋斗は一つ頷いた。彼は頬を叩いて気合いを入れてから次元の壁に向き直る。そして竜牙剣を正面に構え、大きく息を吐いてから目を瞑った。集中力を高めつつ、次元結晶を手に入れた時のことを思い出す。十分に魔力と思念を練り上げると、彼は竜牙剣を振り上げて斜めに振り下ろした。
「ほう!」
秋斗の後ろでアリスが感心したような声をあげる。彼女の視線の先では、次元の壁の一部が鈴の音のような音を立てながら崩れて穴が空く。ただしその穴は向こう側へ繋がっているわけではない。彼女の眼はそのことをしっかりと見抜いていた。
とはいえこうして次元の壁に干渉することそれ自体、なかなかできる事ではない。アリスはそれを素直に評価した。さらに彼女が見守る先で、次元の壁の欠片が集まり結晶が生まれる。その様子を彼女は注意深く観察した。
「……で、まあ、こんな感じなんだけど」
「ふぅむ……、なるほど……」
秋斗が新たに生成された次元結晶をアリスに見せると、彼女は何やら考えながらそれをしげしげと眺める。そしてしばらく眺めてから彼女は秋斗に視線を向け、彼にこうオーダーを入れた。
「ではあと一〇〇個ほど頼む」
「一〇〇個!? いやいや、無理だから。一個切り出すだけでも結構大変なんだぞ」
「む、仕方がないの。では十個じゃ。最低でも十個は頼む」
「まあ、十個なら……」
秋斗はそう答え、また次元の壁に向き直った。そして竜牙剣を構えて次元結晶を切り出しにかかる。途中、「アリスが自分でやれば良いんじゃね?」と思い彼女の方を振り返ったが、彼女は何やら複雑な術式を展開していた。
どうやらアリスはそれで次元結晶の生成過程も含めた解析を行っているらしい。だとすればやはり、結晶の切り出しは秋斗がやるしかない。彼はまた次元の壁に向き直り、最終的に全部で二十七個の次元結晶を切り出した。
「はぁはぁ……。で、アリス。何か分かったか?」
さすがに集中力と魔力の限界を感じ、秋斗は切り出し作業を一旦止めた。そしてここまでの成果をアリスに尋ねる。彼女は一つ頷いてこう答えた。
「うむ。まずこの結晶の一つ一つの面は次元の壁と同質のモノじゃ。つまり結晶というよりは、小さな次元の壁に囲まれた閉空間と言った方が正しい。で、中の空間じゃが、単純な三次元空間というわけではなさそうじゃな。いわゆる亜空間的なモノになっているようじゃ。これ以上のことは、現時点では何とも言えん」
アリスの話を聞いて秋斗は一つ頷いた。正直、ちゃんと理解できたかは怪しい。だがアリスならこの次元結晶に手出しができる。彼にとっていま重要なのはそこだった。
「分かった。じゃあ、もっと詳しい解析を頼みたいんだけど良いか?」
「もちろんじゃ。コレは実に興味深い。ただ解析するためにも幾つかサンプルをもらいたい」
アリスがそう言うので、秋斗はサンプルとして次元結晶を十個彼女に渡した。最後に「成果が出たら教える」と約束して、彼女はまたどこかへと飛び去った。秋斗がそれを見送ると、シキが彼にこう声を掛ける。
[アキ、アカシックレコード(偽)だが、次元結晶の項目が追加されたぞ]
「お、じゃあ……」
[ただし現在の権限レベルでは閲覧不可だが]
「そりゃ残念」
そう言って秋斗は肩をすくめた。ただ閲覧に高い権限レベルが必要と言うことは、それだけ重要度の高い情報であるともいえる。何か分かれば教えてもらえる事になっているのだ。いまはそれを待つことにして、秋斗はダイブアウトを宣言した。
秋斗「アリス相手だとどうも分が悪い……」
シキ[アリス女史は男前だからな」