だから、また
山岳道路エリアにある次元の壁。秋斗はついにその壁を破った。砕けた壁の欠片が、キラキラと宙に舞う。彼はそれを見て会心の笑みを浮かべる。だがその表情はすぐに怪訝なモノへと変わった。欠片が一カ所に集まり始めたのだ。そして徐々に一つにまとまっていく。やがて一つの結晶体が生まれ、その結晶体は地面に落ちて「カツン」と硬質な音を立てた。
「これは……、一体……」
秋斗は唖然としながらその結晶体を拾い上げる。正八面体で、一辺の長さは3cmほど。色は淡い半透明の黄色で、これは次元の壁と同じ。つまり次元の壁と同質のモノなんだな、と秋斗は思った。
[……アキ、壁が塞がるぞ]
「え、ええ!?」
シキに声を掛けられ、秋斗は驚いて顔を上げる。そこではシキの言うとおり、開けたはずの次元の壁の穴が塞がり始めていた。彼は思わず手を伸ばす。伸ばしたその手は、しかし何もないはずの空間で弾かれた。
「……っ!」
顔を歪め、反射的に手を引っ込める。何もできないでいる彼の目の前で、ついに穴は完全に塞がった。もう一度手を伸ばして見ると、今度は弾かれることはない。壁にも普通に触れる。だが穴はもうどこにもない。
「……そう簡単にはいかない、か」
完全に元通りになってしまった壁に触りながら、秋斗は苦笑気味にそう呟いた。だが全く成果がなかったわけではない。彼の手の中に正八面体の結晶が握られている。一体コレは何なのか、秋斗はさっそく鑑定のモノクルを取り出して鑑定を行った。
名称:次元結晶
???
その結果に秋斗は眉をひそめる。名称は分かった。だが肝心のことは何も分からない。「次元結晶」というくらいだから次元の壁と関係はあるのだろう。だが入手した経緯から考えればそんなことは自明だし、やはり何も分からないと言うべきだろう。まったく不明なアイテムを手に入れたのはこれが初めてで、秋斗はこの次元結晶をどうするべきかしばし悩んだ。
「アカシックレコード(偽)はどうだ?」
[……次元結晶の項目はないな。語句検索でもヒットなしだ]
「つまりアリスも知らない可能性が高い、ってことか……」
そう呟いてから、秋斗はまた考え込む。だがすぐに彼は頭を振った。何にしても今日はもう疲れた。予想外とはいえ成果も得られ、やりきった感もある。ひとまず今日はここまでということにして、彼はダイブアウトを宣言するのだった。
- * -
「それじゃあみんなの合格を祝してぇぇ……! 今日は騒ぐぞぉぉ!!」
マイクを手に紗希が気炎を上げる。ここはいつぞやとは違うカラオケ店。集まったのはかつての勉強会のメンバーで、紗希が言ったとおり彼らはそれぞれ大学や専門学校への進学を決めていた。今日はその祝賀会、というか打ち上げである。
「「「「おお!!」」」
紗希の音頭に合わせて他のメンバーも拳を突き上げる。秋斗はそこへは混じらなかったが、手を叩いてその場を盛り上げる。紗希が入れたノリの良い曲を皮切りにして、彼らはカラオケで目一杯騒いだ。
受験勉強の鬱憤を晴らすかのように、なんと六時間弱。彼らはほぼぶっ通しで騒いだ。さすがにこれだけ騒ぐと秋斗でも疲れる。他のメンバーはなおさら疲れているはずだが、しかし紗希を筆頭にして彼らの表情は晴れやかだった。
「じゃ、お疲れ~」
「お疲れ~」
「また学校でね」
カラオケ店から出ると、彼らは店の前で解散する。帰る方向が同じなので、秋斗と紗希は自然と一緒に歩いた。おしゃべりをしながら歩くこと十分弱。他のメンバーと完全に別れたところで、紗希がこんなことを言いだした。
「それにしても、お腹すいたねぇ~」
「食べる暇も惜しんで騒いでたからなぁ。このへんで何か食べてく?」
「お、いいね! そうしよ」
こうして何か食べようという話になったのだが、何を食べるかで意見が分かれた。秋斗は「ラーメン!」と主張し、紗希は「オムライスがいい!」という。双方一歩も譲らず、壮絶なじゃんけん七番勝負の結果、勝利の女神は紗希に微笑んだのだった。
二人が入ったのは、駅ナカにあるオムライス専門店。客層としては女性が多目で、秋斗はちょっと入るのに躊躇したが、紗希は気にせずに入っていく。秋斗は小さく肩をすくめてからその背中を追った。
紗希が頼んだのはデミグラスソースのオムライスで、秋斗はハンバーグが付いたオムライスを注文した。卵はもちろんフワとろである。運ばれてきたオムライスを見て、二人は揃って「おぉ~」と声を上げた。
「んじゃ、お互い志望校に合格おめでとう、ってことで」
「うん、おめでとう!」
そう言って秋斗と紗希はオムライスのお皿をコツンとぶつけ合った。それからお互い、自分のオムライスにスプーンを入れる。オムライスは思いのほか美味しく、二人は互いのを味見したりした。
「それにしても、紗希は九州か。コッチよりは冬が暖かいんじゃないのか?」
「うん、暖かかった。マフラー要らなかったよ。でもやっぱり遠いね。そうそう何度も行ったり来たりはできないよ。向こうに行ったら、帰ってこられるのは年に一回くらいかなぁ」
そう話す紗希に、秋斗は「そっか」と答える。ただ彼は頭の中で別のことを考えていた。つまり「紗希は帰省する気があるんだな」と。
秋斗は、一度東京に行ったなら、こちらに帰省するつもりはない。そもそも帰ってくる場所もないと思っている。秋斗はこれまでずっとそれを望んですらいた。だがこの時初めて、彼はそれを少しだけ寂しいと思った。
さてオムライスとデザートを食べ終えると、秋斗と紗希は電車に乗った。最初はたくさんいた人たちも、一駅毎にその数を減らしていく。二人は、最初はつり革に掴まっていたが、席が空いたのでそこへ向かい合って座る。最終的に彼らが乗る車両は二人だけになってしまった。その様子を見て、紗希が苦笑気味にこう呟く。
「誰もいなくなちゃったね」
「こういう時に過疎化を実感するな」
そう答えながら、「東京に行ったらこういう事はたぶんないんだろうな」と秋斗はぼんやりと考えた。窓の外を眺めれば、明かりはずいぶんとまばらだ。こういう風景も、東京へ行けば見なくなるに違いない。
感傷的になってるな、と秋斗は思った。そして「珍しい」とまるで他人事のように考える。感傷を覚えるくらいにはコッチでの、というよりは最近の生活が充実していたのだろう。その考えはストンと彼の中に落ち着いた。
あるいはだからこそ、彼は紗希が少々思い詰めた顔をしていることに気付かなかった。そしてややあってから、紗希は意を決したように顔を秋斗のほうへ向けた。
「…………ね、ねえ、アキ君。あたし達、つ、付き合って、みない?」
「……………………うぇ?」
秋斗の口から間抜けな声が漏れる。だがそのことを気にする余裕は、二人のどちらにもなかった。二人は数秒、無言で見つめ合う。やがて顔を真っ赤にした紗希が俯いて視線を逸らした。それを見て秋斗は彼女のセリフが聞き間違いではなかったことを悟る。彼は身体が熱くなるのを感じた。
「そ、その、付き合うって、その、こ、恋人的な意味、で……?」
秋斗がそう尋ねると、紗希が俯いたままコクコクと頷く。彼の身体がまた熱くなる。熱量は増えているのに排熱できなくて、身体の中にどんどん熱が溜まっていくかのようだった。頭のほうも混乱しているが、不思議なことに一部は冷静で、「返事をしなければ」と考えている。そして彼は二、三度躊躇ってから口を開き、紗希にこう答えた。
「…………ごめん」
秋斗がそう答えると、紗希は一度身体をビクリと震わせた。それから数秒、沈黙が続く。やがて彼女は顔を上げた。泣き笑い、という顔をしていた。それを見て秋斗も胸が痛む。彼は紗希を傷つけたくなくて、後から思えばみっともない話だが、彼女にこう声を掛けた。
「紗希が悪いわけじゃないんだ。ただ、その、ごめん……」
「ううん、いいの、分かってる。えへへ、そうだよね、これから東京と九州だもんね。それなのに付き合おうとか言われても、困っちゃうよね」
紗希は早口で、ややまくし立てるようにそう言った。それが色々と隠しているように見えて、秋斗はまた申し訳なくなる。それが顔に出たのか、紗希は彼にこう言った。
「こっちこそ、ごめんね。白状しちゃうと、ダメだろうとは思ってたんだ。だから黙っていようと思ってたんだけど……、その、言わずに後悔するのもイヤだな、って」
「……ごめん」
「謝らないでよ。こっちが悪いんだからさ」
「紗希は悪くない」
気まずさを覚えつつも、秋斗はハッキリとそう言った。紗希は少し驚いた様な顔をして、それから小さな声で「ありがと」と言った。
電車が減速し、車掌の声が駅に到着したことを伝える。紗希が降りる駅だ。彼女は席を立って、ドアの前に立つ。秋斗はそれを見送って、唐突に「このままじゃダメだ」と思った。
何も言わないで済ませるのは楽だ。けれどもきっと後悔するだろう。言わなければ。言葉にしなければ。その思いに突き動かされて、秋斗は彼女の後を追った。
「紗希!」
ホームに降り立った彼女が振り返る。その彼女に、秋斗はやや早口になりながらこう伝えた。
「紗希とアレコレやるのは、オレも楽しかった。紗希の明るいところは好きだったし、正直助けられたと思ってる。それは本当だ。だから、ありがとう」
「……あたしも、アキ君といるのは楽しかったよ。だから、また、ね」
「うん、また」
電車のドアが閉まる。秋斗が手を振ると、紗希も手を振って見送ってくれた。頬に一筋の涙を流しながら。
彼はもうすぐ、高校を卒業する。
― 第五章 完 ―
紗希「泣いてやるんだからぁ……!」