ナイト討伐戦1
漫画喫茶の一室に戻ってくると、秋斗は「ふう」と息を吐いた。彼がリアルワールドに戻ってきたのは、トレントの森の奥から城砦エリアに戻るよりは、一度こちらを経由した方が断然早いからだ。ただそれだけが理由ではない。
セーフティエリアでもない限り、アナザーワールドではどれだけ仮眠を取っても気力や体力を完全に回復させることはできない。それでナイトに挑む前にリアルワールドで仮眠を取っておこうと思ったのだ。
秋斗は探索服から普通の私服に着替える。それから彼は安眠アイマスクを装着して横になった。意識はすぐに遠ざかる。モンスターに襲われる心配のない場所で、彼は久しぶりにゆっくりと睡眠を取った。
[リアルワールドにもモンスターは出現するようになったのだが……]
シキのそんな呟きは、朦朧とした秋斗の意識には残らなかったとか。ともかく彼は二時間ほどしっかり睡眠を取った。安眠アイマスクを装着していたので、効果としては六時間分の睡眠である。
「ふわぁ……。よく寝た……」
目を覚ますと、彼はまずトイレに向かった。次にドリンクバーに向かい、野菜ジュースをその場で一杯飲み、さらにもう一杯を個室へ持ち帰る。アナザーワールドを探索していると、どうしても野菜が不足しがちなのだ。
個室に戻ると、秋斗は探索服に着替える。そして野菜ジュースを飲み干してからアナザーワールドへダイブインした。
ナイトがいるのは天守で、天守は城砦エリアのほぼ真ん中にある。秋斗は寄り道せずに真っ直ぐそこへ向かった。途中、ドールが襲いかかってくるが、彼は竜牙剣を振るって鎧袖一触に蹴散らしていく。
天守に到着すると、秋斗は裏口から中に入った。ナイトがいるのは正門から入ってすぐの広間なのだが、そこは吹き抜けになっていて、そこに面したバルコニーには弓を装備したドールが多数配置されているのだ。ナイトと戦っている間に余計な横やりを入れられないためにも、彼はまずそれらの弓兵ドールを片付けるつもりだった。
ただすぐに二階には上がらず、まずは裏口から正門方向へ進む。天守の中にもドールは徘徊していて、侵入者を見つけ次第襲いかかってくる。狭い通路では秋斗も動きを制限されてしまうが、しかし彼はそれを苦にせず、時には壁を走るようなアクロバットな動きも見せながら、群がるドールを蹴散らした。
「お、よしよし。ちゃんといるな……」
正門入ってすぐのエントランスを通路から伺い、そこで佇むナイトの姿を認めると、秋斗はそう呟きながら好戦的に笑った。トレント・キングのことがあったので、もしかしたらここにいないのではないかと心配していたが、どうやら杞憂だったようだ。
さらに彼がナイトから視線を上げると、吹き抜けに面したバルコニーと、そこに居並ぶ弓兵ドールの姿が目に入る。「コッチはいなくても良かったんだけどな」と思い、彼は小さく苦笑した。
ともあれ、弓兵ドールが配置されているのであれば、このまま突っ込むのは愚策だ。秋斗はそっと通路を引き返し、階段を上って三階へ向かった。バルコニーは二段になっていて、つまり三階にも弓兵ドールは配置されているのだ。前回もそうだったがこういう場合、まずは上から潰した方が良いだろう。
三階へ上がると、完全武装したドールも現れるようになる。最初に城砦エリアを探索した時には、この重武装ドールの防御力に手を焼かされた。だが今の秋斗は浸透攻撃を使える。そして浸透攻撃とはまさにこの手の敵を想定した武技なのだ。
竜牙剣で浸透刺撃を使うと、重武装のドールであってもほとんど手こずることなく倒せた。むしろ完全武装のドールは重武装の分だけ動きが遅い。浸透攻撃さえしっかり使えれば、かえってやりやすい相手だ。
「ナイト相手でも浸透攻撃は有効かな?」
[恐らくは。だがあまり楽観はしないほうが良いだろう]
確かに舐めてかかって逆撃を受けては目も当てられない。シキの言葉に秋斗は頷いた。それから彼はバルコニーの方へ向かった。
攻略の仕方は前回と同じ。まずは思念を込めた魔石を投げつけ、雷魔法で先制攻撃をくらわせる。それから秋斗は竜牙剣を握り、姿勢を低くして突撃した。そしてあっという間に三体の弓兵ドールを斬り伏せた。
敵の動きは鈍い。秋斗はさらに二体倒した。彼はそのまま足を止めずに駆け回り、次々に弓兵ドールを仕留めていく。矢が射かけられても、彼はそれを最小限の動きで避けるか、それさえもまどろっこしいと言わんばかりに切り払う。結局、最後の弓兵ドールを刺突で倒すまで、彼は一度も足を止めなかった。
「ふう。こんなもんか」
敵がいなくなったバルコニーを見渡して秋斗はそう呟く。「思った以上に呆気なかったな」というのが正直な感想だ。まあ、最初に攻略した時以来、彼はここへは近づかなかった。そしてその間に様々な敵と戦い、経験値を溜め込んできた。その成長を実感できたように思えて、彼は小さく笑みを浮かべて頷いた。
三階のバルコニーを片付けると、彼はその足で二階のバルコニーへ向かった。そして同じようにそこにいた弓兵ドールたちを駆逐する。彼は一つ息を吐いてから、視線を一階のエントランスに向けた。そこには相変わらずナイトが静かに、しかし威風堂々と佇んでいる。
前回は二階のこのバルコニーから思念を込めた魔石を投げ、雷魔法でナイトにダメージを与え続けた。その戦い方が間違っていたとは思わない。勝てたからだ。だがいま彼がここにいるのは、同じやり方で勝つためではない。今度はナイトを正面から破るために、彼は今ここにいるのだ。
秋斗は欄干に手を掛けると、ヒラリと身体を宙へ踊らせた。一階へ飛び降りたわけだが、彼にとってはこの程度の高さなど何ほどのこともない。膝を柔らかく使って軽やかに着地した。
ガシャガシャと重厚な音を立てながら、ナイトが秋斗の方を振り返る。赤く不吉な双眸が彼を射貫いた。彼の顔が強張る。だがその口元には確かに小さな笑みが浮かんでいる。怖い。だがなぜか嬉しかった。
ナイトが両手で突撃槍を構える。それに呼応して秋斗も竜牙剣を正面に構えた。睨み合いは一拍。先に動いたのはナイトだった。ランスを構えたまま、秋斗に向かって猛然と突進する。
その勢いと迫力は凄まじい。だが秋斗は臆さない。むしろ踏み込んだ。そして突き出されるランスを紙一重で、しかし余裕をもって回避する。彼はそのまま身体を回転させつつ竜牙剣を振るい、ナイトの脇腹を狙った。
多量の魔力を喰わせた刃が、銀色の軌跡を描く。一拍遅れて「ギィィィィン!」と甲高い金属音が響いた。秋斗が振るった竜牙剣は確かにナイトの脇腹を捉えた。しかし彼の表情は険しい。しっかりと武器強化したはずのその一撃は、しかしナイトの鎧の表面にうっすらとかすり傷を付けただけだった。
「硬い」
一度距離を取ってから、秋斗はやや不満げにそう呟いた。フルプレートを装備しているナイトの防御力が高いのは端から想定済み。だからこそしっかり武器強化をしたのだ。それなのにあっさりと弾かれてしまった。
[敵も武器強化をしているな。いや、この場合は防具強化か?]
シキの分析に秋斗も頷く。つまりナイトはフルプレートに魔力を流すことでその防御力を強化しているのだ。トレント・キングの障壁ほどではないだろうが、こちらも相当厄介である。何しろナイトは能動的に攻撃してくるのだから。それも恐らくは武器強化されたランスで。
さらにあの機体にはギミックが仕込まれている。一つはブースターのような推進装置だが、たぶん他にもあるだろう。つまりナイトはまだまだ手の内を隠しているといえ、秋斗はそちらも警戒する必要がある。
[あまり気にしすぎるな。わたしの方でも警戒はする。アキは戦闘に集中しろ]
シキにそう言われ、秋斗は小さく頷いた。そして今度は彼の方から動く。彼は二度竜牙剣を閃かせて飛翔刃を放つ。その刃をナイトはランスを大きく横殴りに振るって潰した。だがその間に秋斗は間合いを詰めている。彼はナイトが繰り出すランスをいなして懐に潜り込み、竜牙剣の切っ先をその鎧へ突き立てる。そして浸透刺撃を放った。
「……っ!」
秋斗は思わず舌打ちする。手応えが硬い。つまり浸透刺撃を防がれたのだ。これはナイトが防御に回している魔力の密度が、秋斗の攻撃のそれを上回っていることを意味している。まさか正攻法で浸透攻撃を潰されるとは思わず、彼は一瞬動きを止めてしまった。そこへナイトの左腕が振るわれる。
裏拳気味のその攻撃を、秋斗は間一髪バックステップで回避する。だがナイトの攻撃はそこで終わらなかった。シキが「アキ!」と警告を発するのとほぼ同時。ナイトの左腕の籠手から二本のワイヤーが発射された。
「っ!」
秋斗は目を見開いた。反射的に一本のワイヤーは切り払うが、もう一本は対処が追いつかない。やむなく左腕でガードした。左腕に巻き付いたワイヤーがピンと伸びる。秋斗はそれをさっさと切断しようと思ったが、それより早く彼の身体を衝撃が襲った。
「がぁっ!?」
秋斗は絶叫を上げた。雷撃だ、とはすぐに気づけない。ただワイヤーが原因であることは分かっている。彼は歯を食いしばって竜牙剣を振るい、二本目のワイヤーを切断した。すると雷撃が止み、彼は思わず片膝を突いた。そこへシキが警戒を飛ばす。
[アキ、来るぞ!]
秋斗が反射的に顔を上げると、そこにはランスを振りかぶったナイトの姿が。秋斗は咄嗟に横へ転がった。振り下ろされたランスがエントランスの石畳を破壊する。その破片が身体に当たるのを無視して、彼はともかく立ち上がる。そこを狙い、ナイトはランスを横薙ぎに振るった。
「ぐっ!」
その一撃を、秋斗は竜牙剣で受けた。当然武器強化しているが、だからこそ強い衝撃が彼を襲う。彼は石畳の上を滑るように弾き飛ばされた。
一方のナイトはクルリと身体を回転させ、ランスを両手で持って袈裟斬りのようにそれを斜めに振り下ろす。両者の間合いは開いている。だがランスから放たれた衝撃波はその間合いを潰した。
秋斗は顔を強張らせる。あれこれと考える時間はない。彼は全身に、そして竜牙剣に魔力をたぎらせて叫んだ。
「切り裂け!」
明確な、そして強固な意志を乗せた刃は、ナイトが放った衝撃波を切り裂いて霧散させた。秋斗が油断なく得物を構える先で、ナイトのランスから排気音がする。恐らく排熱をしたのだろう。ということは、あのランスもギミックの一つと言うことになる。
「強敵だな……!」
分かっていたことを再確認し、秋斗は気を引き締めなおした。
秋斗「野菜大事」
シキ「だからといって野菜ジュースで辻褄を合わせるのはどうかと思うぞ」