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センター試験とスーツ


 高校三年生の年末年始を、秋斗は比較的緩やかに過ごした。少なくともリアルワールドでは。アナザーワールドでは狩猟民族になっていたわけだが、志望校の合格をすでに決めていることもあり、追い詰められながら勉強をする必要がない。最後の追い込みをしている受験生と比べれば、精神的に楽なものである。


 そして年が明けてからおよそ二週間後。いよいよ大学入学共通テストが行われた。秋斗が割り当てられた会場は最寄りの大学。当然ながら同じ学校の同級生たちもほとんどがこの会場でテストを受ける。そしてその中には紗希の姿もあった。


「紗希、大丈夫か?」


「あ、アキ君……。ダメ、かも……」


 緊張しているのだろう、紗希はちょっと泣きそうな顔でそう答えた。このままでは実力が発揮できず、残念な結果になりかねない。秋斗はそう思い、内心で「しょうがないな」と呟きながら、両手で彼女のほっぺをムニッと引っ張った。


「……あ、あきふん?」


「紗希は大丈夫だ。夏休みの補習も出たし、放課後の補習も頑張ったじゃないか。少なくとも、オレよりずっと真剣に勉強してたよ。だから紗希は大丈夫だ」


 そう言ってから、秋斗はつまんでいた紗希のほっぺをパッと離した。彼女は両手で頬をさすりながら、視線を鋭くして秋斗を睨む。だが彼に悪びれた様子がないのを見て、大げさにため息を吐いた。


「……ありがと。ちょっと肩の力が抜けたわ。うん、ここまで来たら、やるしかないもんね!」


「そうそう。当たって砕けろ、ってヤツだな」


「ヤダよ!? 砕けたくないよ!?」


 他の受験生の迷惑にならない程度に騒ぎながら、二人は会場に入った。まずは待機室のようなところに行き、そこで席を確保する。全ての科目を受験するわけではないので、空き時間はここで待っているのだ。


 周囲を見渡せば、やはり皆緊張した面持ちである。ノートや参考書を取り出して、復習に余念のない者も多い。秋斗が内心で「山を張っているのかな?」と呟いたら、「アキもやっておいたらどうだ」とシキに言われてしまった。


 肝心のテストだが、秋斗はそれなりにできたように感じた。ただ、一日ずっとテストなわけで、緊張した状態で集中力を持続させるのは結構大変だった。合格が決まっている秋斗でさえそうなのだから、このテストの結果が進学に大きく影響してくる受験生たちの負担はかなりのものだったろう。


「ふう……」


 一日目の日程を終えて外に出ると、空はすっかり暗くなっていた。駐車場には迎えに来た保護者らの車が多数駐まっていて、会場から出てきた受験生たちがホッとした表情を見せながら親たちと言葉を交わしている。その様子を見ながら、駅に向かって歩き出すのだった。


 さて共通テストの日程は全二日間。そして二日目の日程を終えたその翌日。秋斗は普通に学校へ行った。共通テストの自己採点をするためだ。彼の場合、自己採点の結果は上々と言って良い。ただ教室の中を見渡せば、笑顔の者もいれば深刻な顔をしている者もいる。秋斗は一発勝負の怖さを垣間見たような気がした。


 紗希の結果だが、何とか志望校を狙えるだけの点数を取れたという。ホッとしたのか、彼女はそのことを少し涙目になって秋斗に報告した。ただし、彼女の受験はこれで終わったわけではない。


「次は個別試験だよ」


「頑張れ。紗希ならできるよ」


 やや遠い目をする紗希を、秋斗はそう言って励ました。そんな彼に紗希はやや恨めしげな視線を向ける。何しろ彼は個別試験を受ける必要がないのだ。だが彼は紗希の視線をにっこり笑ってスルーした。


 さて共通テストが終わって少しすると、秋斗は電車でこの辺りの中心市街地へ向かった。目的は漫画喫茶、ではない。紳士服の専門店である。それもフォーマルな方の専門店だ。要するに彼はスーツを買いに来たのだ。


『スーツを買っておきなさい』


 秋斗が茂からそう言われたのは、電話で彼に合格の報告をした時のことだった。「入学式で必要になるから」と。確かに大学の入学式に高校の制服を着ていくわけにはいかない。かといって普通の私服で行くわけにもいかないから、フォーマルなユニホームとしてスーツを用意しておかなければならない。


(スーツなんて、初めてだな。今まで必要なかったから)


[高校の制服はもう着られなくなるからな。今後はスーツを着る機会が増えるんじゃないのか?]


(まあ、ゼロが一になるだけでも、増えたとは言えるけど)


 シキとそんな話をしながら、秋斗は洋服店へ入った。店員さんと相談しながら悩み、最終的に決めたのは三つボタンのスーツ。黒っぽい生地に白の細いストライプが入っている。決め手となったのはズボンで、「足が長く、スマートに見える」という。店員さんの口車に乗せられてしまったような気がしなくもなくはないが、まあ良い。


 ただスーツだけ買っても足りない。ベルトとワイシャツとネクタイも買った。ワイシャツは白地に黒の格子模様が入ったワイドカラー。今までは白で無地のワイシャツしか着れなかったので、ちょっと冒険してみた。


 ネクタイはシルク50%の手触りが良いものを選んだ。鮮やかな紫のラインが印象的なネクタイだ。特に「ワイドカラーのワイシャツはネクタイの結び目が目立つ」という話なので、「こちらのネクタイ、お洒落ですよ」という店員さんのオススメを選んでみた。これも口車以下略。


 最後はベルトだが、これはシンプルに黒のベルトを選んだ。ちなみに安い。色々と選んで疲れたからというわけではない。そして会計を済ませ、ワイシャツとネクタイとベルトの三点を紙袋に入れてもらい、それを持って秋斗は店を後にした。


「ふう、結構時間がかかったな……」


 やや疲れを覚えながら、秋斗はそう呟いた。とはいえ、良い買い物ができたのではないだろうか。彼はそう思っている。そして「さて」と呟くと、彼は背筋を伸ばして歩き始めた。


 秋斗が向かったのはとあるスーパー。彼はそこでパンやおにぎり、お惣菜などを買い込んでいく。どう見ても一食分ではない。そして会計を済ませると、彼はそれらの食料をリュックサックに、より正確に言うとリュックサックの中に入れて置いた道具袋の中に入れた。


 食料を調達し、彼が次に向かったのはいつもの漫画喫茶。せっかくコチラまで来たのだから、アナザーワールドの探索もしておこうと思ったのだ。まあ、ついでというか、体感時間の配分で言えばこちらの方が圧倒的にメインなわけだが。


 彼は慣れた様子で受付を済ませ、指定された個室に入る。内側から鍵を掛けると、彼は「ふう」と息を吐いた。紙袋とリュックサックをクッションの上に置き、グルリと肩を回してから「よし」と呟く。そしてストレージからいつもの探索服を取り出して着替え、アナザーワールドへダイブインするのだった。


 スタート地点は見慣れた城砦エリアの一室。そこで彼はまず装備を整えた。今回の探索のメインターゲットは主に二つ。ナイトとトレント・キングだ。ナイトはハメ殺し的に倒した相手だし、トレント・キングにいたってはダメージを与えることすらできず最終的にはアリスが吹き飛ばした。


 つまりどちらのモンスターも、秋斗が自分の実力で倒したとは言い難い。それで東京へ引っ越してしまう前に、今度こそ自分の力で、なおかつ正面から挑んで勝っておこうと思ったのだ。


「心残り、ってわけじゃないけど……」


 ただモヤッとした感じは否めない。「立つ鳥跡を濁さず」というわけではないが、なるべくやり残したことはやっておこうと思ったのである。


 さて二体のターゲットの内、秋斗はまずトレント・キングに挑もうと思っている。それで彼は城砦エリアの外にある、トレントの森へ向かった。


 斧を手にトレントをなぎ倒しながら、秋斗は森を進む。トレントの反応はシキが教えてくれるので、不意打ちを受けることはまずない。それどころかほぼ確実に先制攻撃を成功させることができる。彼は手間取ることなく森の中を進んだ。


「相変わらず、この森は本当にトレント以外のモンスターが少ないな。まあ、楽だからそれで良いんだけど」


 秋斗はそう呟いた。モンスターがモンスターを倒してしまうことは、決して珍しくない。そういう光景を彼は何度も見たことがある。恐らくトレントが他のモンスターを駆逐してしまったのだろう。


「トレントが他のモンスターを倒し、そのトレントをオレが倒す。……食物連鎖だな」


[食べたいなら止めないが]


「効率よく経験値を稼げていそう、ってことだよ。ま、確かめる術はないんだけどさ」


 そう言って肩をすくめ、秋斗は次のトレントに狙いを定める。そして身体強化も使いながら鋭く斧を振るった。


 さて、森の中をズンズンと進む秋斗だが、彼は決してあてどもなく進んでいるわけではない。ひとまずの目的地として、以前にトレント・キングがいた場所を目指している。


 ただ前述した通り、このトレント・キングはアリスが吹き飛ばしてしまった。同じ場所に同じモンスターが再出現するのかは分からない。だから「ひとまず」だ。もしもいなかったら、その時は探索範囲を広げるつもりである。


 もっともその目的地でさえ、かなり森の奥だ。前回は76時間以上かかった。今回はナビがあるので時間は短縮できると思うが、それでも何十時間かはかかるだろう。買い込んだ食料品はそれを見越してのモノだった。


 さて、探索を始めてからおよそ十時間。秋斗は二回目の食事をし、それから仮眠を取ることにした。周囲のトレントを討伐してからストレージから空のコンテナを出し、毛皮を重ねて敷いて寝床を作る。そして入り口をドールとナイトで固めてから、秋斗は寝袋に入った。安眠アイマスクを装着しようとして、ふと気付く。


「あ、靴買うの忘れた」


秋斗「靴はあとでちゃんと買いました」

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― 新着の感想 ―
[一言] 出来れば、腕時計やタイピン、財布や名刺入れハンカチや靴下なんかも無難なものを揃えておくと尚良し◎
[一言] 靴も買わんのか?と思ったらラストで思い出してるww
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