自覚
――――きっかけは、一体何だったのだろうか。
早瀬紗希が彼と初めて出会ったのは高校一年生の時。同じクラスになったのが最初だ。ただその時の関係は、控え目に言ってただのクラスメイト。お互いに嫌っていたわけではないが、あえて雑談をするような関係でもなく、結局その一年は事務的な会話しかしなかった。
二年生になった際、彼とはクラスが別になった。そのことを寂しいとは思わなかったし、普通であればそこで縁が切れていただろう。だがそうはならなかった。
転機が訪れたのは、夏休み明けのある休日。紗希は母親に頼まれ(押しつけられたともいう)、スーパーへ買い物へ行ったのだが、そこで彼の姿を見つけたのだ。そして珍しいところであうものだと思い、声を掛けたのである。
『あれ、宗方君?』
『……ああ、早瀬、さん』
彼は紗希の顔を見てから答えるのが数秒遅れた。どうやら名前が出てこなかったらしい。それを指摘してやると、図星を指されたのか彼は視線を逸らす。その様子がおかしくて、つい笑ってしまったのを彼女は覚えている。
話をしてみると、彼も自炊をしていることが判明。連絡先を交換した。お互いの作った料理を見せ合いっこするためだ。紗希の家族は「美味しい」と言ってくれるがそれだけでは張り合いがないし、かといって不特定多数の人たちに向かって公開するのは躊躇いがある。そこへ現われた自炊をする同級生はちょうど良かったのだ。
彼はすぐにメッセージをくれた。鍋だ。大きく切ったネギが目立っている。リュックサックにネギを刺していた姿を思い出して笑ったものだ。いや、アレはいま思い出しても笑ってしまう。だが写真と一緒に送られてきたメッセージに、紗希はさらに笑ってしまった。
『ネギは鍋になったのだ。鴨は逃げ出してしまったので、鶏肉で代用しました』
『あ~はっははははは! 何コレ、はははは!』
取りあえず爆笑のスタンプを三つ送っておいた。そして最初のメッセージがそんな感じだったからなのか、彼とのやり取りはとても気安い感じになった。これが家で料理を続けるモチベーションの一つになったのは間違いない。
さて自炊と言えば弁当だ。紗希は自炊クラブを設立した。学校非公認のクラブで、週に一回自作の弁当を持ち寄って食べるのが活動内容である。最初はメンバーが数人いたのだが、週に一回とはいえ弁当を自分で作るのは面倒だったのだろう。そのうち自炊クラブの名目で集まるのは紗希と彼の二人だけになった。
規模が小さくなってしまったのは残念だったが、紗希は彼と自炊クラブの活動を続けた。彼とは結構話が合って、それも続けるのが億劫にならなかった理由の一つだろう。特に彼とは「県外へ大学進学するつもりでいる」という共通点があり、そういう話を気兼ねなくできるのも良かった。
まあ要するに。自炊クラブの名目で彼とお昼を食べるのは、紗希にとって結構楽しい時間だった。楽しければ続けるのは苦ではないし、モチベーションも上がる。あまり手抜きな弁当を持っていくわけにはいかない、と彼女は研鑽を続けた。
『~~♪、~♪』
『あら、お弁当の写真?』
『あ、お母さん。うん、入れるおかずの参考にしようかと思って』
『まあ、最初はあんなに渋ってたのに……。彼氏でもできた?』
『か、彼氏って……! ち、違うよっ、そんなんじゃないってば』
紗希はやや顔を赤くしながら母親にそう答えた。だがその様子で、しかも男であることは否定しなかったので、色々お察しだ。もっとも母親はそれ以上娘を突っつくようなことはせず、娘と一緒に写真を眺めてレシピ選びにこうアドバイスした。
『ほら紗希、コレなんて良いんじゃない?』
『あ、うん、いいね。喜びそう』
そう答え、真剣な眼差しでレシピを確認する娘を、母親は横目でチラリと眺めた。彼女が勧めたのは、いかにも男子高校生が好きそうなガッツリ系のおかず。それを「喜びそう」と言っているのだから、もう確定である。
とはいえやはり、野暮なことは言わない。代わりに材料を確認し、冷蔵庫の中身を思い出し、足りない食材を書き出す。さらにそこへ弁当とは関係なく必要な、もしくはお得な食材も書き加える。そして母親は紗希に買い出しを命じるのだった。
さてそんなこんなで月日は過ぎ、紗希と彼は放課後一緒に勉強もするようになった。これはテスト勉強だけでなく、大学受験も視野に入れた勉強会だ。勉強会は二人だけではなかったが、そのおかげでそれぞれの得意科目を教えてもらえるなどメリットがあった。
『え、このクッキー、紗希ちゃんの手作り? すご~い』
『えへへ、作ってみました』
紗希は時々、勉強会に手作りのお菓子を持っていった。特に喜んでくれたのは同性の友達だったが、男子メンバーにも好評で、彼も手を伸ばしてはちょこちょこと食べている。彼女は心の中でグッと拳を握った。
『今度さ、勉強会のメンバーでカラオケに行こうよ』
紗希がそう誘ったのは、テストが終わってから少ししてからのことだった。名目は「テストの打ち上げ」ということにしたが、まあ要するに遊びたかったのだ。五時間ほどぶっ通しで騒ぎ、ファーストフードでお腹を満たしてから解散したのだが、その帰り道に紗希は彼から思いがけないことを言われた。
『紗希はみんなのことよく見てるよな。カラオケの時も、全員が歌えるようにさりげなくマイク配ってただろ?』
『紗希のそういうところ、結構すごいと思うよ』
その瞬間、紗希は思わず足を止めてしまった。振り返った彼に「どした?」と尋ねられ、彼女はようやく自分が足を止めたことに気付く。それから「なんでもない!」と叫ぶようにして答え、足早に彼の隣に並び直した。
『そ、そうかな。でも、そんな、すごいなんて、なんか困っちゃうなぁ』
そう答えながら、何となく指で髪をいじる。嬉しくもあり、ちょっと恥ずかしくもある。頬が緩むのを止められない。上機嫌になり、鼻歌を歌ってみたりする。彼女の胸に去来するのは、くすぐったくて叫び出したくなるような感情だ。
(見てて、くれたんだ……)
特にグループで遊んだりするとき、紗希は全員が楽しくないとイヤだった。全員が笑顔になって、それで初めて彼女自身も「楽しかった」と思えるのだ。マイルールと言えば大げさだが、まあ似たようなモノだ。
だからといって、紗希はそれを誰かに話したことはない。わざわざ話すようなことでもない、と思っているのだ。だが彼はそのことに気付いた。気付いて、しかも「すごい」と言ってくれた。
だから多分、それがきっかけだったのだ。ただその時は彼女自身もそのことには気付いていなかった。ただ気恥ずかしさを誤魔化したくて、彼が勉強会に持ってきてくれたスコーンのことを茶化したりした。そして分かれ道にさしかかったとき、紗希は彼のことをショッピングに誘っていた。
『友達といけば良いんじゃないの?』
『アキ君も友達だよ?』
『そ、そっか。いや、女友達って意味だったんだけど……』
『あ~、うん、ほら、細腕の女の子に荷物持ちはさせられないでしょ?』
いかにも取って付けたような理由だが、この時の紗希は女友達と一緒に行くなんて考えられなかった。何しろ彼にそのことを言われるまで、頭の中からすっぽり抜け落ちていたのだから。
そしてショッピング前日の夜。紗希はよそ行きの服をありったけ引っ張り出して並べていた。明日着ていく服をどれにしようか悩んでいるのだ。スカートにしようかと思ったのだが、そもそもあまり好まないこともあって、良いと思える物がない。紗希は腕を組んでうなり声を上げた。
『紗希、お風呂に入りなさい。……って、どうしたの、コレ』
娘を呼びに来た母親が、彼女の部屋の惨状を目の当たりにして驚く。紗希から事情を聞くと、母親はにんまりと笑ってこう言った。
『まあ、つまりデートね?』
『ち、違うよ。友達と買い物に行くだけだって』
紗希はそう反論したが、母親がそれを信じていないことは明らかだった。とはいえ彼女も野暮なことは言わない。娘の服選びを手伝い、部屋の片付けも手伝ってから、早く風呂に入るように言いつける。パタパタと浴室へ向かう娘の背中を見て、「上がるのは遅くなりそうね」と彼女は苦笑した。
ショッピングは普通に楽しかった。彼は真剣に悩んで選んだ服には何も言ってくれなくて、そのせいでちょっと内心カリカリもしたが、ショッピングモールであれこれ意見を聞いたときにはちゃんと答えてくれたのでそれで良しとする。何より、予算が足りなくて諦めざるを得ないかと思っていた髪飾りをプレゼントしてくれた。
『~~♪、~♪~♪』
家に帰り、紗希が上機嫌な様子で髪飾りを眺めていると、母親にそのことをからかわれる。「彼氏からのプレゼント?」と茶化す母親に、紗希は顔を赤くしながら否定の言葉を返す。だがそんなやり取りさえも楽しかった。
そして年が明け、新学期が目前になった、良く晴れたある日の事。紗希は彼とツーリングに出かけた。ヘルメットを借り、バイクのタンデムシートにまたがる。そして彼に背中から抱きつく。バイクに乗るためとは言え、こうやって男子に抱きつくなんて初めてで、紗希は内心でドギマギした。
向かうのは、山の中を走るドライブコース。新緑の季節にはまだ早かったが、町の中を走るのとは雰囲気が全く違う。また他に走る車もなかったので、開放感が大きい。気持ちのいいツーリングだった。
一度展望台に立ち寄ってから、次は海が見えるというポイントを目指して、二人はまたバイクに乗った。紗希はやはり後ろから彼に抱きつく格好だが、ここまでずっと抱きついていたこともあり、今更ドギマギしたりはしない。ただ冷静になった分、今まで気付かなかったことにも気付いてしまう。
(背中、結構おっきい……。男の子なんだなぁ……)
そのことに気付いた瞬間、紗希は顔に血が上るのを自覚して、彼の背中にヘルメットを押しつけた。この時、彼女は一緒に自覚してしまったのだ。
――――自分が、宗方秋斗を好きになってしまったことを。
紗希「うう、恥ずかしい……」