合格
「おめでとう。合格だ」
ずいぶんと寒くなったある日の放課後。秋斗は担任から呼ばれて空き教室に向かった。そしてそこで、都立理工科大学の推薦入試試験に無事合格したことを伝えられた。
「…………おお、やった」
[嬉しくないのか?]
(いや、何て言うか……、もうちょっとしたら嬉しくなる、と思う……)
秋斗が頭の中でそんな会話をしているとは知るよしもない担任は、要するに「勝って兜の緒を締めよ」的な話をしている。秋斗は半分以上聞き流していたが、問題はない。共通テストはすでに申し込み済みで、やるなら結果は出したいと思っている。だから少なくともそれまでは、ちゃんと勉強を続けるつもりだった。
さて合格証書は後で郵送されてくるという。それを聞き、担任に一言告げてから、秋斗は空き教室を出た。補習を受けていればそちらへ向かうのだが、彼は受けていないのでそのまま玄関へ向かう。
風を受けながら自転車を走らせていると、徐々に「志望校に合格したんだ」という実感が湧いてくる。いや、「追いついてくる」と言った方が感覚としては近いかも知れない。彼はだんだん嬉しくなってきて、立ちこぎになって自転車を加速させた。
「よしっ、今日は例のマンモス肉を喰うぞ!」
[あったな、そんなのも]
どう調理してやろうかと考えながら、秋斗は自転車を走らせる。マンモス肉のレシピなんてネット上には絶対にないので(あったとしたらそれはネタだ)、何を作るかは自分で考えなければならない。そもそも実際のマンモス肉はマズいと聞いたことがあるが、アレはドロップ品なのでちゃんと喰えるはずと信じている。
(そうだ、紗希にもメッセージ入れとかないと……)
秋斗は頭の中でそう予定を付け加える。マンモス肉を調理したことを、ではない。大学に合格したことを、だ。「桜のスタンプはあったかな? 絵文字はあったはず」と、そんなことを考えながら彼は自転車を走らせるのだった。
ちなみにマンモス肉は(ビーフじゃないけど)ローストビーフにした。ちょっと警戒しながら口に運んだのだが、溢れる肉汁と脂は絶品。間違いなくこれまでのドロップ肉の中で一番旨い。秋斗は無言になって貪った。
「そりゃ、原始人もマンモス狩るわ。オレもまた狩ってこよ」
[石槍をまた作らなければな]
「そっちはシキさんに任せるぜ」
そんな会話をしながら、秋斗は大満足の一日を終えたのだった。そして次の日、彼が学校に行くと、早速紗希が彼に話しかけてくる。彼女からは昨日のうちにお祝いのメッセージを貰っていたのだが、それでも直接言いたかったらしい。開口一番、彼女はこう言った。
「アキ君、合格おめでとう!」
「おお、ありがと。何とか推薦で決められた」
「うんうん、面接練習したかいがあったね。それでお祝いしてあげたいんだけど、あたしも入試が終わるまでは忙しくってさ……」
紗希は少し申し訳なさそうにそう言った。だが秋斗は別に気にしていない。だいたい自分の入試が終わっていないのに、他人の合格を祝うというのも妙な話だろう。それで彼はこう答えた。
「いいよ、別に。紗希が合格したらまとめてやろう」
「いいね! あ、ケーキ食べ放題とか行く?」
「……そういうのは合格してから考えようぜ」
秋斗がそう指摘すると、紗希は少し恥ずかしそうにはにかんで「えへへ」と笑った。さて日中の授業だが、高校三年生のこの時期になると、通常の授業はもうない。全てが入試に向けた、いわゆる補習的な内容になる。
前述した通り、秋斗は共通テストは受けるつもりでいる。それで普通の授業の代わりの補習は彼も受けていた。ただやはり合格が決まった後だからなのか、なんだか身体に締まりがないような気がする。
(気が抜けたかなぁ)
[肩の力が抜けていいのではないか? 問題は解けている]
シキが秋斗の解答をチェックしながらそう答える。肩の力が抜けたかはともかくとして、一種の逼迫感がなくなったのは確かだろう。彼は大学に合格した。数ヶ月後には東京へ引っ越すことになる。つまりここから出て行けるのだ。
秋斗が暮らすこの土地は田舎だ。それも悪い意味で田舎だと彼は思っている。何もかも時代遅れなくせに、噂話だけはインターネットより早い。狭い社会で、外れた者や特異な者が白い目で見られる。そういう場所だ。
そういうところでシングルマザーに育てられ、彼女が死んだ後は一人暮らしをする秋斗は、間違いなく白い目で見られていた。少なくとも彼はそう思っている。あるいは哀れまれていたのかも知れないが、どちらにせよ不愉快であったことに違いはない。
彼は東京へ行きたかった。「ビッグになりたい」と思っているわけでも、まして都会に憧れているわけでもない。全国から人が集まってごった返していて、人と人の繋がりが希薄で、お互いにお互いの事情には首を突っ込まない。色んな人がいて、自分が悪い意味で目立つことがない、そんな場所へ行きたかったのだ。
(そうだ、茂さんにも合格したことを伝えておかないと……)
引っ越しをするとなれば、諸々手続きが必要になる。アパートの契約の解除などは、茂にやって貰わなければならない。またそもそも大学の授業料は茂に払って貰うのだから、合格の報告は当然だろう。
[勲氏にも伝えたほうが良いのではないか。部屋を探してもらうのだろう?]
(ああ、そうか。そっちも伝えないとか……)
[後は……]
合格が決まった後も、いや合格が決まったからこそ、やるべきことは多い。秋斗はそれらをリスト化することをシキに頼んだ。
さて放課後。秋斗はいつも通り真っ直ぐ家に帰る。自転車を走らせながら考えるのは、引っ越すまでにやっておきたいこと、だ。ただしリアルワールドではなく、アナザーワールドで。
「マンモス肉は備蓄するとして……」
[探索範囲は広げなくていいのか?]
「いや、どこまでやるのかって話になるだろ、それ。クエストの、せめてヒントがあれば探すけどさ」
秋斗は口の端を歪めながらそう答えた。アナザーワールドは広すぎる。行こうと思えばどこまででも行けてしまう。だが引っ越しまでの時間は有限だ。やりたいこと、つまり目標は明確にしておかなければ、結局時間だけが過ぎてしまうだろう。
「シキは、何かやっておきたいことある?」
[ふむ、そうだな……。ドールのパーツをもう少しストックしておいた方が良いかもしれんな]
シキの答えに秋斗も頷く。今のところ、彼がアナザーワールドで寝泊まりする際、見張りをしているのはドールだ。ドールのパーツが手に入るのは城砦エリアだが、東京へ引っ越した後でも同じ物が手に入ると考えるのは、少々楽観的すぎるだろう。ならばシキの言うとおり、ストックは多目に集めておくべきだ。
「じゃあ、それもするとして。後は……」
ドールのパーツの件がきっかけになったのか、秋斗はさらに必要と思える物資を挙げていく。食材が多目になったのは、彼の食い意地が張っているせいか。ともかく東京では手に入らないと思える物はなるべく集めておくことにした。
「東京は物価が高いって言うからな。なるべく備蓄しておかないと」
[……まあ、向こうで【クエストの石版】みたいなのがあった場合、こちらに取りに来るのも面倒だからな]
「そうそう、それそれ!」
秋斗が取って付けたように同意すると、彼の頭の中でシキが小さくため息を吐く。ただそうなるとかなり広範囲にわたって動く必要があるのだが。彼はそれをあまり問題視はしていなかった。
「あとは……、やっぱりあの壁かな」
[壁というと、山岳道路エリアの、あの次元の壁か?]
「そ。やっぱりあの壁、ちょっとぶち破って見たいんだよねぇ」
[……そもそもの話として、アレは破壊可能なシロモノなのか?]
「さあ? でも可能か不可能かって話なら、いけるんじゃないかと思う」
秋斗がそう考える根拠は、同じエリアで見つけた石版の情報である。曰く【魔素は摂理を再定義する】。あの次元の壁は間違いなく魔素の作用によるもの。ならば同じく魔素を用いて突破できないはずはない。彼はそう考えたのだ。
[しかし、一度挑戦して失敗したではないか]
シキの指摘に秋斗も頷く。アレは痛い失敗だった。主に手首が。ただ失敗したことを認めつつも、彼はこう反論する。
「レベルが足りなかったのか、それとも魔素やら魔力やらの練り方が悪かったのか……。何にしても、いろいろ試してみる価値はあると思うんだよ。何事もトライアルアンドエラー、だろ?」
[ふむ。当たって砕けろ、か]
「いや、砕けちゃダメだろ。砕かないと、この場合は」
そう言って秋斗は楽しげに笑った。そうこうしている間にアパートが見えてくる。「まずは諸々連絡だな」と思いながら、彼は階段を上った。
秋斗「サクラが咲いたぜ!」
シキ「まあ、おめでとう」