クマ
アナザーワールドでドロップする肉。秋斗が調子に乗って集めたそれらの肉は、あっという間に彼一人では消費しきれない量になった。とりあえずは冷凍庫に突っ込んで保存しておくとして、問題は入りきらなかった分だ。それらを消費するべく、秋斗の食生活は一時肉まみれになった。
当然というか、弁当もそのあおりを受ける。とても肉肉しい弁当になった。それら肉肉しいおかずたちは、物々交換によって次々と不足しがちな野菜類に換わっていく。彩りの良くなった弁当箱を見て、秋斗は思わずこう呟いた。
「交換レートがおかしくないか?」
[原価で比べれば、むしろ得をしているのでは?]
頭の中に響くシキの声に「ああ、なるほど、確かに」と妙に納得し、秋斗は新鮮なプチトマトを口に運ぶ。山菜の天ぷらはなかなかのレアものだ。少なくとも彼が自分で作ることはほぼない。カボチャの煮付けはほくほくで、ポテトサラダは意外とあっさりしていた。あと、メカブをよこしたの誰だ。
さて学校から帰ってくると、ストレージに食料品を放り込んでから、秋斗はアナザーワールドへダイブインした。今日はいよいよ、あの小高い山でクマを仕留めるつもりでいる。クマ肉はどんな味なのか、秋斗は今から楽しみだった。
遺跡エリアを抜け、草原を突っ切って、秋斗はクマのいる山を目指す。サルを蹴散らし、石の手斧を投げてシカを仕留める。猪突してくるイノシシは、正面から戦わずに突進を回避して、側面や背後から仕掛けるのがコツだ。
[肉はいい加減、保存場所がないのだが……]
「時間凍結よろしく」
頭の中で渋い声を響かせるシキにそう答え、秋斗はまたドロップした肉をストレージに突っ込んだ。完全な時間凍結ができるようになれば、大量の肉を長期間にわたって保存できるようになる。秋斗は好きなときに好きなだけ肉が食えるようになるし、食費だってずいぶん助かるだろう。彼は機嫌良くそう考えて、シキに奮起を促すのだった。
さて、繰り返しになるが、今回の探索で秋斗が狙っているのはクマである。もちろんモンスターであり、普通の熊と比べれば凶悪で凶暴そうな外見をしている。リアルワールドの熊は雑食だが、肉だって普通に食う。つまり肉食獣の範疇に入るのだ。そこが鹿や猪とは決定的に違う。
今まで秋斗がクマを避けていた理由の一つもそれだ。またリアルワールドでも、熊は鹿や猪を襲うことがあると聞く。であればやはり、クマのモンスターは手強い敵であるに違いない。
そのクマを今あえて狙うのは、単に「クマ肉が食べたいから」というだけではない。それも大きな理由の一つには違いないが、何も彼は食欲にのみ突き動かされているのではなかった。彼は自分が強くなっているという実感が欲しかったのだ。
無論、秋斗自身、自分の成長を感じ取ってはいる。加えて、クマをどうしても倒さなければならない理由というのはない。だがここでクマを避けて通れば、この先自分はずっと強敵を避けるようになるのではないのか。秋斗はそんなふうに思っていた。
強敵を避けることは、一概に悪いとは言えないだろう。勝てそうにない敵を避けるのは、むしろ賢い選択だ。ただ秋斗が気にしているのはメンタルの問題だった。要するに逃げ癖がつかないかと思ったのである。そして彼は逃げ隠れするためにアナザーワールドにいるのではないのだ。
クマを倒すための準備もしてきた。手斧が三つだけだった石器は、さらに石の槍を五本追加してある。シカやイノシシを狩るなかで宝箱(白)もドロップしており、そこから赤ポーションも補充できている。
防具がドロップしていないのは心許ないが、ドロップしないものはしないのだから仕方がない。秋斗もシキもそう割り切っている。ともかく準備はしたし、サルのモンスターと泥仕合を演じた時と比べれば実力もついている。後は実際に見つけることができるのか、それだけだ。
そして山の中腹あたりを探索していた時のこと、秋斗はついにクマのモンスターを見つけた。初めて目撃したのとは別の個体なのだろう。ただ彼の目には見分けがつかない。少なくとも大きさはほぼ同じくらいに思えた。
クマはまだ秋斗に気付いていない。これまではここで踵を返していた。だが今日は違う。仕留めるつもりでここにいる。彼はごくりと唾を飲み込み、ストレージから石の槍を取り出す。そして大きく振りかぶり、勢いよく投擲した。
「グォォォォオオオ!?」
槍はクマの肩の辺りに刺さった。ただ角度が悪かったのか、クマが身体を起こすとすぐに抜けて落ちてしまう。クマは槍が飛んできた方へ顔を向け、そして赤々とした目が秋斗の姿を捉える。敵と認識するまで一瞬。次の瞬間、大きな咆吼が響き渡った。
「ガァァァォォォオオオオ!!」
ビリビリと空気が震える。しかし秋斗は怯まなかった。ストレージから石槍を取り出して構える。クマがかき裂くように爪を振るう。秋斗はバックステップでそれをかわすと、クマの腕目掛けて槍を突き出した。
石の穂先が肉を貫く。だが手応えは硬い。角度が悪いのか、それともクマの防御力が高いのか。秋斗が槍を押し込もうとしても、穂先はピクリとも動かない。ややあってから、クマが反対側の前足を振るって槍の柄を折る。それに合わせて秋斗はまた少し後ろに下がった。
「グゥゥルルルル……!」
クマがうなり声を上げながら、両前足をついて姿勢を低くする。秋斗は視線を逸らさないようにしながら、右手をストレージに突っ込んだ。取り出したのは石の手斧。それとほぼ同時にクマが動いて、彼に噛みつきをしかけた。
「おっと!」
秋斗は噛みつきをバックステップでかわし、そのままクマに背を向けて走り出す。クマは彼を追いかけて、その背中に爪を突き立てようとする。その瞬間、シキの警告が彼の頭の中に響いた。
[アキ!]
それとほぼ同時に、秋斗は前方へ跳躍する。そこにあった木の幹を蹴って、三角飛びの要領でさらに高さを稼ぐ。半瞬遅れてクマの爪が木の幹に突き刺さる。伸びきったその前足に、彼は思いきり石の手斧を叩きつけた。
衝撃。そして反動。ほとんど鈍器で殴ったような手応えだ。分かっていたことではあるが、石器の刃物としての性能は最低である。これが鉄製の剣や斧だったら、結果はもう少し違っていたのだろう。こうなると、装備の質の低さにつくづく泣かされる。
「石器じゃダメかな、こりゃ!?」
距離をとり、追いすがるクマに手斧を投げつけて足を止める。正直、武器が石器ではまともにダメージが入る気がしない。こう言ってはなんだが、武器として貧相なのだ。
巧く立ち回れば懐に入り込めるのかも知れないが、今のところ秋斗にそんな技術はない。それに巧く懐に入り込めたとして、爪は届かないかも知れないが、クマには噛みつきという攻撃手段がある。
「噛まれたらワリと致命傷だよな、たぶん」
[たぶんではなく致命傷だろうな]
シキもそう言うので、秋斗としてはなるべく牙が届く範囲まで近づくのはナシでいきたい。ただそれでどうやってクマを倒すのか。撤退という選択肢が頭をよぎる。だが彼にはまだ手札があった。
「しゃーない。アレ使うか」
ニヤリと笑ってそう呟き、秋斗はストレージを開いた。取り出したのは一本の丸太、いや丸太の片方を尖らせた杭。これが彼の奥の手である。秋斗はその巨大な杭を両手で抱えるようにして持った。
この杭は言うまでもなく対クマ戦のために用意したモノである。石の手斧を使って木を切り倒し、それをストレージに収納してシキに加工してもらったのだ。枝を落としたり、先端を尖らせたりするだけなら石器でもできるので、シキも快く承諾してくれた。
現状、鉄製の武器は手に入りそうにない。スコップもクマ相手では鈍器とほとんど変わらないだろう。ならばと思い、現状で調達できる武器として最も強力なモノを考えたところ、思い浮かんだのがこの巨大な杭だったのだ。
杭の太さはおよそ三〇センチで、長さは三メートル近い。取り回しは最悪で、その上やたらと重いが、今はその重さが最大の武器だ。秋斗は腰を落として杭をしっかりと持ち、視線を鋭くしてクマの出方を窺った。
睨み合う一人と一体。秋斗に自分から動く気はない。狙うのはカウンター。クマのほうもそれに勘付いているのか、うなり声を上げはするものの、なかなか近づいてこない。睨み合うこと二分弱。しびれを切らしたのか、クマが動き出した。ジグザグに動きながら、秋斗に襲いかかる。
その動きを秋斗は冷静に見極める。クマは巨体だから、大きく動けば迫力がある。だが前足に傷を負っているからなのか、少し動きがぎこちなく見えた。彼はそれを好機と捉え、クマが方向転換をした瞬間を狙い、杭を脇に抱えて突進した。
「おおおおおお!」
動いた秋斗を見て、クマが身体をひねる。だが次の瞬間、クマの身体がガクッと崩れる。前足が急激な負荷に耐えられなかったのだ。もちろん、クマが隙を見せたのは一瞬だ。だが秋斗はその一瞬を見逃さず、脇に抱えた杭をクマの脇腹に突き立てた。
「グゥゥウオオオオ!?」
クマが悲鳴を上げる。デタラメに前足を振るうが、鋭い爪は杭の表面を削るばかり。それを見て秋斗は足腰をもう一段踏ん張る。そしてさらに杭を押し込んだ。そのまま拮抗を維持すること数秒。やがてクマの赤々とした目から力が抜け、クマは黒い光の粒子になって消えていった。
「ふう」
クマを倒し、秋斗は安堵の息を吐く。途端に身体から力抜け、彼はその場に膝から崩れ落ちた。足がプルプルとしている。彼はなんだかおかしくなってしまって、足を叩きながら笑い声を上げた。
しばらくして立てるようになると、秋斗は石器やドロップ品を回収する。残念ながらクマ肉はドロップしなかった。毛皮を手に入れたのだが、シカやイノシシの毛皮と同様、今のところは使い道がない。しばらくはストレージの肥やしになりそうだった。
[どうする、次のクマを狙うか?]
「いや。とりあえず頂上を目指そう」
秋斗はクマ肉に執着することなくそう答えた。クマ肉を食べてみたいのは本当だが、また別の機会でもいいだろう。
そしてクマを倒してからおよそ一時間後。秋斗は山頂に到着した。山頂には大きな石碑があって、そこには例によって見たこともない文字が刻まれていた。
「おお、こんな所にも石板が」
石板と言うには巨大だろう。記念碑くらいの大きさがある。それがドンッと山頂に突き立てられたかのように直立している。何か特別な情報でももらえるのだろうか。秋斗はそう期待しながら石版に触れる。次の瞬間、頭の中に文字が躍った。
【クエスト:地下墳墓を攻略せよ! 残り時間:147:23:59】
クマさん「与えたダメージがスライム以下……」