推薦入試2
「つまらない物ですが……」
佐伯邸に上がり、家主である勲に挨拶したとき、秋斗は一緒に手土産を渡した。段ボールの中身はアナザーワールド由来の食材で、要するにいつも通りのお土産である。まあ、肉類多目にしたが。それを見て勲は顔をほころばせた。
「ああ、ありがとう。ありがたくいただくよ」
「つまらない物ならいらない」なんてひねくれたことは言わず、勲は礼を言って秋斗の手土産を受け取った。そしてすぐに肉類を冷凍室へ入れる。量は多いが、佐伯家の冷蔵庫は大型だ。問題なく入った。
手土産が全て冷蔵庫に収まると、秋斗は応接室のソファーを勧められた。彼が腰を下ろすと、勲がお茶を淹れてくれる。季節的に夜はもう冷える。暖かいお茶を一口飲んで、彼は「ふう」と息を吐いた。
「……ありがとうございます。またお世話になります」
「ああ、気にせずくつろいでいってくれ」
秋斗が頭を下げると、勲はそう言って鷹揚に頷く。そしてふと思いついた様子で彼は秋斗にこう尋ねた。
「無事に合格したら、こちらへ越してくるのだろう? 部屋をどうするかとかは、もう考えているのかい?」
「いえ、まだ何も。合格が決まってから考えるつもりですけど……」
「まあ、そうだろうね。ふむ、それなら私のほうで少し探してみようか? なんなら家に下宿してもいい」
「いえ、下宿はさすがに……。でも部屋を探しておいてもらえるならありがたいです」
「分かった。では、合格が決まったら連絡をくれ」
秋斗の合格をほとんど確定事項として勲は話を進めた。もちろん秋斗も合格するつもりでいる。仮に推薦入試に落ちても、一般入試に挑戦するつもりだ。模試ではB判定以上を出しているので、よほどのポカをしない限りは合格できるだろう。
受験生は秋斗だけではない。勲の孫娘である奏も、来年に高校受験を控えている。高校受験はともすると大学受験よりも今後の人生を左右しかねない。秋斗が自分の時のことを思い返してみても、今よりストレスを感じていたように思う。それで彼はこう尋ねた。
「奏ちゃんのほうはどうですか?」
「この前、学校の先生とも面談をしてきたが、志望校のレベル的には油断しなければ大丈夫だろうという話だったよ。他の子に比べればハンデがあるはずなのだけどね、贔屓目抜きにしても頑張っていると思うよ」
勲はしみじみとした様子でそう語った。彼は孫娘を溺愛しているから、できることは何でもしてあげたいと思っている。だがだからといって、代わりに受験勉強をしても意味がない。それはあくまでも奏自身が頑張らなければならないことで、そしてその努力を間近でみてきたからこその言葉だった。
ちなみにその奏は「お風呂に入ってきなさい」と言われてお風呂に入っている。彼女はしぶしぶといった様子だったが、それに従ったので今ここにはいない。そういうタイミングもあって、秋斗はやや声をひそめながら勲にこう尋ねた。
「……それで、例の動画の件なんですけど、その後何かありましたか?」
「あると言えばあるし、ないと言えばない」
勲は曖昧な言い方をした。動画のおかげで、モンスターも討伐方法については、だいたい目途が立ったと言っていい。
そもそもなりふり構わずに現代兵器を投入すれば、恐らく討伐できないモンスターはいない。ラフレシアとて、精密誘導爆弾を使えば駆除できたのだ。だから文字通りの意味で倒せないモンスターは恐らくいない。
問題なのは、行使する手段の使い勝手だ。モンスターが発見される度に戦闘機を飛ばして空爆する、というのは幾らなんでも大げさすぎる。また数が増えれば対応は難しくなる。そのせいで国防に差し障りが出ては、本末転倒と言わざるを得ない。
また素人が農業用のフォークで倒せてしまえるようなモンスターは、そもそも駆除が難しくない。だからこれまで現場の人間を悩ませていたのは、ある程度のタフネスと重量を備えたモンスターで、つまり人間を力任せになぎ倒せるモンスターだ。
こういうモンスターに対してこそ、本来ならば銃が必要なのだ。だがモンスターに対して銃は効き目がほとんどなかった。そこへ公開されたのが件の動画だったわけである。
その結果、魔石を巡る情勢は世界中で激しく動いている。ただ如何せん魔石は数が少ない。それで熱気だけが空回りしている側面もあった。
また今のところ、動画の知見以外に新たな成果があるわけではない。研究も盛んに行われているが、期待値だけが先行しているのが現状だ。まだまだ先を見通せない状況が続いている。勲が曖昧な答え方をしたのもそのせいである。
「じゃあ、次の動画では魔石を燃やしてみましょうか?」
秋斗はそう提案してみた。石版からの情報によれば魔石は燃えるし、それは彼も確認している。魔石に関する情報を一つ明らかにすれば、その後の研究に弾みが付くのではないかと思ったのだが、勲は苦笑して首を横に振った。
「それはまだやめておいた方が良いだろうね。数がまだ少ないんだ。燃やすにはまだ惜しいよ」
「ですが、燃えるって事は新たなエネルギー源になるかもってことです。モンスターハントのモチベーションを上げることには繋がると思いますけど」
「おいおい。今でさえ、魔石のグラム単価は金より高いんだよ? そんな物で発電したら、電気代が一体幾らになることやら」
勲にそう指摘され、秋斗は「あ……」と呟いた。確かに魔石が非常に高価である現状、それを発電に用いることはできないだろう。そもそも数が足りていないわけであるし。それを踏まえれば、開示した情報は無駄にはならないだろうが、状況を動かすブレイクスルーのきっかけにもまだなるまい。
「今はもう少し情勢を見守ろう。なに、各国の政府、警察、軍隊、そんなに無能ではないよ」
「はい……」
「それよりも私が気になるのは、モンスターが魔石以外のモノをドロップするかどうか、だね。牙や毛皮くらいならば良いが、箱がドロップするとなると……」
「まずい、ですか?」
「さて、ね。だが間違いなくこの世界にとっては劇薬だろう」
勲のその言葉に、秋斗も大きく頷いた。例えば赤ポーションを考えてみれば、その効能と即効性は既存の傷薬をはるかに超えている。もはや魔法と言って良いレベルだ。その存在が明らかになれば、世界には激震が走るだろう。エリクサーが明るみに出た場合のことなど、考えたくもない。
もちろん宝箱(白)がドロップし、そこから赤ポーションが出たとして、いきなりそれを服用する大馬鹿者はなかなかいないだろう。だがいずれ必ず、その効能は明らかになる。そしてその時、世界は少なからず混乱する。それは火を見るより明らかなように思われた。
「まあ、もしかしたらコチラでは魔石以外はドロップしないという可能性もある。こちらも様子見だね」
そう言って勲は肩をすくめた。秋斗は「様子見している間に悪い方向へ転がらないものか」と心配したが、しかしそれを口には出さない。彼が一番警戒しているのは、相変わらず“身バレ”だからだ。
アナザーワールド由来のアイテムを紹介するのは、魔石を一つ燃やしてみせるのとは訳が違う。それで彼としては、ドロップアイテムの存在がもっと一般化するまでは、どんな混乱も見て見ぬ振りをするつもりだった。
一方で勲の思惑だが、これは秋斗のそれとは少し違う。要するに彼はドロップアイテムを巡る情報を追いかけるだけの自信があるのだ。彼がこれまでに築いてきたコネクションを駆使すればそれが可能だと思っている。
またモンスターを駆除する公的な人員、つまり警察官や軍人が赤ポーションのようなアイテムをいきなり服用することは考えづらい。まずは回収し、そして研究機関へ回すことになるだろう。それ自体は彼も歓迎する流れだ。
ただモンスターを駆除しているのは公的な人員だけではない。経緯はともかく素人がモンスターを倒してしまうことは多々あり、つまり彼らがドロップアイテムを手に入れる可能性も十分にある。そして分母が多ければそこへ大馬鹿者が混じることもあるだろう。
とはいえ勲はそれをあまり問題視していない。それはあくまで個人レベルの話に留まるからだ。もちろんそこからさらに国の機関の調査へと話が発展したりすることはあるだろう。だがそういう形で話が大きくなるなら、それはまだ良いと彼は思っている。
(ネットで情報公開してくれるなら、それはそれで望ましい方向性と言える……)
勲が最も警戒しているのは、「肝心な情報が一般には秘匿された状態で、権力者や有力者がなりふり構わずにドロップアイテムを求めるようになること」だ。そのようなことになれば、「モンスター対策」という視点で考えた場合、失速もしくは後退することになりかねない。露見した場合の衝撃も、巨大なものになるだろう。
彼はそれを防ぎたいと思っている。ただ今の時点でそこまで考えても仕方がないことも分かっていた。
「……それに、だ。我々はドロップアイテムなんてモノより、はるかに大きな爆弾を抱えている。どう動くにしても、慎重にしなければ、ね」
勲は自分に言い聞かせるようにそう言った。彼の言う爆弾とは魔法のことである。ドロップアイテムよりはるかに分かりやすいそれは、まさしく奇跡の御業に見えるだろう。それが世界に知られた時どうなるのか、あまり考えたくはない。
「勲さんは回復魔法が使えますからね」
「奏を治したのは君だがね」
秋斗と勲は互いをつつき合い、そしてお互いに慎重さの重要性を再認識するのだった。
シキ「推薦入試関係なくないか?」
秋斗「東京に来たのは推薦入試のためだから……」