推薦入試1
スマホを前にして、秋斗は難しい顔をしていた。連絡を待っているわけではない。むしろ彼の方から連絡を取ろうとしている。だが覚悟というか、踏ん切りが付かないのだ。その理由は相手にある。これから連絡しようとしている相手は宗方茂。つまり秋斗の父親だった。
用件はお小遣いのおねだりである。秋斗は晴れて学校から推薦をもらえる事になったのだが、推薦入試を受けるためには当然ながら東京へ行く必要がある。交通費その他諸々の費用がかかるので、その分を用立てて欲しいとお願いするつもりなのだ。ちなみに受けるのは最初に考えていた総合大学ではなく、三年生になってから候補に加わった大学の方である。
実際のところ、秋斗の本当の懐事情からすれば、わざわざ茂におねだりをする必要はない。だがおねだりをしなければ、茂はその分の費用をどこから出したのかと不審に思うだろう。またそもそもの話として、推薦入試を受けることくらいは保護者に話しておかなければなるまい。
そんなわけで連絡しようと思いスマホを取り出したのだが、なかなか気分が乗らずにグダグダと時間だけが過ぎているのが現状である。秋斗もさすがにこれ以上は時間の無駄だと思い、「はあ」とため息を吐いてからスマホを手に取った。数秒の呼び出し音の後、相手が電話に出る。
「……私だ」
「秋斗です。今、少し大丈夫ですか?」
「ああ。何かあったか?」
「大学のことなんですが、実は推薦が受けられることになりました。それで東京に行くことになるんですが、その交通費とかを、その……」
「分かった。あとで振り込んでおく」
茂はあっさりとそう答えた。それを聞いて秋斗はホッとしたような、でも拍子抜けしたような、そんな気分になる。それは彼が父親に苦手意識を持っているというか、馴染めていないことの証拠だった。
「あ、ありがとうございます」
「うむ。……それで、最近はどうだ。何か変わったことはないか?」
「変わったこと、ですか? ……いえ、特には。学校が完全に受験モードになったくらいです」
「そうか。モンスター関連の方はどうだ?」
「モンスター関連と言われても……。まあ、クラスでも話題には出ます。気にしている奴も結構いるみたいです。ただ直接どうこうっていうのは、聞かないですね」
自分がモンスターに遭遇したことは棚に上げて、秋斗はそう答えた。まああの一件は彼が黙殺したので、世間一般には知られていない。よって彼の耳にも何も入ってこないので、「聞かない」というのは決してウソではない。
「そうか。それは良かった」
「その、茂さんのほうはどうですか? モンスターとか」
「直接目にしたことはまだない。だがまあ、ピリついているな、人も市場も」
やり手のビジネスマンらしい感想を、茂はそう口にした。同時にため息もスマホから聞こえてくる。モンスターが原因で世界経済に影響が及んでいることは、秋斗もテレビのニュースなどで知っている。だが茂はその世界の最前線で活躍している人物。彼の言葉は真に迫っているように思えた。
その後、秋斗と茂はもう少しだけ話をした。バイクの免許の話をして、「安全運転を心がけなさい」と言われた。「普段どんな風に使っているのか?」と聞かれたので、秋斗は「近くのドライブコースでツーリングしている」と答える。そして最後に茂はこう言った。
「……では秋斗、その、入学試験、頑張って」
「あ、はい。ありがとう、ございます」
通話を終えると、秋斗は「ふう」と息を吐く。そして「ふふ」と小さく笑った。最後、茂がやや言いにくそうというか、気恥ずかしそうに聞こえたのが彼の印象に残っている。彼の方でも一緒に暮らしていない息子との距離感に悩んだりしているのだろうか。そう思うと秋斗は彼のことを少しだけ身近に感じた。
「……まあ、ともかくこれで軍資金ゲット」
[いろいろ台無しだな]
シキのツッコミに秋斗は肩をすくめる。今更親子らしい親子になるのは、彼だってちょっと気恥ずかしいのだ。
まあそれはそれとして。茂への報告を済ませてからしばらくして、いよいよ秋斗の大学推薦入試が目前に迫った。通知された面接試験の予定時間は午後からだったが、秋斗は前日から東京入りすることにする。これは交通トラブルなどで間に合わなくなるリスクを回避するためだ。
ただ前日入りするのであれば、宿が必要になる。茂からもらった軍資金はそれも見越した金額になっていたが、秋斗はホテルの予約はしなかった。事情を聞いた勲が「それなら家に泊まれば良い」と言ってくれたのだ。
ホテルを探して、予約して、というのはなかなか手間だ。秋斗としても省けるものは省きたい。それに佐伯邸なら一度泊まったことがあるので、道順なども分かっている。まあどのみちシキにナビしてもらうわけだが。
(それに……)
それに佐伯邸のゲストルームは下手なビジネスホテルよりも快適だ。しかもお風呂はジャグジー付き。無料でより快適な場所に泊まれるのだから、断る理由はない。秋斗はありがたくその申し出を容れた。
そして面接の前日。秋斗はいつも通り学校へ行く。東京へ向かうのは放課後の予定だ。そのせいなのか緊張するというかソワソワするというか、なんだか妙に落ち着かない。そんな彼に紗希がこう話しかけた。
「アキ君って、明日面接だっけ?」
「うん、そう。なんとかコレで決めたいよ」
「ほほう? じゃあ……、『宗方さん、志望理由を教えて下さい』」
「はい。わたしは……」
唐突ではあったが紗希が面接官の役をしてくれたので、秋斗もそれに合せて面接の練習をする。志望理由や自己評価、どんなキャンパスライフを送りたいかなど、あらかじめ考えておいた答えをスラスラと答えていく。
「嫌いな食べ物はありますか?」
「どうしても食べられない物はありません。食物アレルギーもありません」
「ロングヘアとショートヘア、どちらが好きですか?」
「どちらかといえば……、ってこれもう面接じゃないだろ」
秋斗がそう言って面接練習を切り上げると、紗希は「えへへ」と何かをごまかすように笑った。できれば退席するところまでやりたかったが、彼女のおかげで良い具合に肩の力が抜けた。気をつかわせてしまったことに気付き、秋斗は素直に礼を言った。
「ありがとう、ちょっとリラックスできた。今から緊張していても仕方ないもんな」
「ふふん、お礼は形を伴うとなお良いよ?」
「分かった。なんか土産買ってくる。コンビニスイーツでいいか?」
「コッチでも買えるよ! っていうか全国共通だよ!」
あまりの手抜き具合に紗希がプンスコ怒る。彼女はせめてご当地モノにしろと注文するが、秋斗は強引に話題を変えてこう尋ねた。
「共通といえば、紗希は共通テストを受けるんだっけ?」
「え、ああ、うん、そう。なんか推薦は九州の子が優先らしくてさ。まあでも去年の倍率を調べたら後期も狙えそうだから、一発勝負にはならずにすむかな」
「なるほどね。まあ、オレも共通テストは受けるけどね。合否発表より締め切りのほうが早いから。まあ、腕試しだな」
実際問題、仮に推薦入試で合格したとして、それに浮かれて遊びほうけていては、大学に入学してから苦労しかねない。シキのサポートがあればどうとでもなるような気もするが、クラスメイトが必死に勉強している横で遊ぶというのも気が引ける。それで合否にかかわらず、共通テストまでは秋斗も真面目に勉強するつもりだった。
「そっか。……っていうか、それなら補習受けようよ」
「それはそれ。これはこれ、だ」
そう言って秋斗は肩をすくめるのだった。そして学校から帰ってくると、秋斗は颯爽とバイクにまたがった。軍資金的には新幹線を使っても余裕なのだが、秋斗は前回と同じくバイクで行くつもりだった。
費用の節約という意味もあるが、それ以上にバイクを楽しみたかったのだ。もともとはアナザーワールドの探索のために買ったバイクだが、今では彼の趣味の一つになっていた。ちなみにオフロードを走るほうが好きなのだが、リアルワールドでは自重している。
[日暮れが早くなっている。気をつけろよ]
(なんだったら暗視を使うさ)
[ライトの無灯火は悪目立ちするぞ]
(周囲の迷惑にもなるしな。付けてなかったら指摘してくれ)
シキにそう頼んでから、秋斗はバイクを発進させた。高速道路を走って東京へ向かう。交通量はゴールデンウィークの時より少なく思える。夕食は途中のサービスエリアで済ませた。シキが指摘していたとおり日が暮れて暗くなるのは早かったが、暗視を使うまでもなく特に問題はなかった。
首都圏に入ると、さすがに交通量は増える。ゴールデンウィークの時と比べても、大きな差があるようには見えない。ライトや街灯、建物の照明がチカチカしていて、秋斗はヘルメットのなかでちょっと顔をしかめた。
秋斗が佐伯邸に到着したのは夜の八時前。事前に許可はもらっているので、勝手にガレージのシャッターを開けてそこへバイクを入れる。それから彼は玄関のチャイムを鳴らした。するとすぐに向こうから足音が聞こえてくる。彼を出迎えたのは、大和撫子という言葉がよく似合う少女だった。
「良くいらっしゃいました、秋斗さん。お久しぶりですね」
「うん。久しぶり、奏ちゃん」
奏が笑顔を見せ、つられるようにして秋斗も笑みを浮かべる。画面越しには度々話していたが、ゴールデンウィーク以来の再会だった。
紗希「ッチ、誘導尋問失敗……」