果てと壁1
宝箱(黒)は罠付きの宝箱である。罠を解除するためには「セキュリティーカード」というアイテムが必要で、今のところ秋斗には手持ちがない。もしかしたらセキュリティーカードを使わなくても罠を解除する方法があるのかも知れないが、彼はそれを知らないし、また試してみる気もない。宝箱(黒)はしばらくストレージで保管することになった。
ともあれウェアウルフ戦を経て竜牙剣の実戦における評価は定まった。曰く「魔力を通せば使える」。そして魔力は集気法を駆使することでなんとでもなる。要するに秋斗は竜牙剣をメインウェポンとして通用する武器として評価したのだ。
さて、二学期から始まった受験生を対象とした放課後の補習に、秋斗は出ていない。そうやって手に入れた自由時間に彼が何をしていたかというと、もちろんちゃんと勉強していた。当然である。他の同級生達と同じくらいには、彼もちゃんと勉強時間を確保している。ただし体感で見ると、アナザーワールドの探索をしている時間の方が圧倒的に長かった。
ウェアウルフと戦った後、秋斗が足を向けたのは山岳道路エリアである。ちなみに土曜日だったので、同級生達が補習を受けている最中に彼だけツーリングを楽しんでいたわけではない。アナザーワールドにはバイクも持ち込み、彼はエンジンを吹かして走る者のいなくなった道路を疾走した。
「槍よりコッチの方がいいな。バランスが取りやすい」
バイクに乗る秋斗が持っているのは竜牙剣。前回は間合いなどのことを考えて槍にしたが、今回は武技の使用を前提にして竜牙剣をチョイスした。そして槍よりも短くて軽い竜牙剣は取り回しに優れ、バイクの上で姿勢を安定させることに繋がった。
戦闘のほうも問題はない。飛翔刃を放てば、大抵のオークは一撃だ。すれ違いざまに伸閃で斬りつけてもいい。どちらにしても間合いは十分に確保されている。槍を使っていた時よりも安定しているようにさえ感じた。
「ネックは消費魔力の多さだけど……」
それも、前述したとおり集気法を使えばどうとでもなる。ウェアウルフ戦の前に集中的に鍛えたかいもあって、今や秋斗は集気法をそれこそ呼吸をするかのように使えた。バイクに乗っているのも良い。走りながら集気法を使うよりよほど楽だった。
そんな感じで、秋斗は気持ちよくバイクを走らせる。前回オーク・ジェネラルと戦ったサービスエリアには、今回は行かない。モンスターはリポップしているかもしれないが、回収したオブジェクトまで元通りになっていることはないからだ。そのことは城砦エリアで確認済み。得るものがないのに強敵と戦うのは馬鹿らしい。そういうことだ。
そんなわけで、秋斗はサービスエリアを素通りしてそのままバイクを走らせる。ここから先はまだ探索していないエリア。秋斗は気を引き締めた。ただ彼は肩すかしをくらうことになる。一〇分ほどバイクを走らせると、なんと道路が途切れていたのだ。行き止まりである。秋斗はやや唖然とした顔でバイクを止めた。
「このパターンは、ちょっと考えてなかったなぁ」
少し困ったような顔をしながら、秋斗はそう呟いた。そしてバイクから降りてそれをストレージに片付ける。それから彼は歩いて道路が途切れているその際まで向かった。際の数メートル手前にはブロックが並べられていて進入禁止をアピールしているが、それほど高くはないし、そもそも人一人が通り抜けるには十分な隙間が空いている。彼はそこを通り抜けて際の際まで近づいた。
「おお……。良い眺め……、というか凄い迫力だな……」
秋斗は思わずそう声に出した。目の前に広がるのは大自然。ある程度の高さがあり、さらに遮る物のないその風景は、まさに圧巻の一言である。ただ彼はここまで景色を見に来たわけではない。途切れた道路の続きがないかと見に来たのだが、生憎とそんなものは見当たらなかった。
「続きがあるなら、スカイウォーカーでも使って先へ進むんだけど……」
[下へ降りることはできると思うぞ。まあ、森の中を進むことになるが]
「う~ん、パスで」
秋斗は肩をすくめてそう答えた。目の前にあるのは山、というより谷である。つまり勾配が急で、探索には不向きだ。秋斗は戻ろうとして踵を返し、次の瞬間、彼の足は止まった。ブロックのこちら側に文字が彫られている。つまりこのブロックは石版だったのだ。
「石版か。久しぶりだな」
そう呟き、秋斗は石版に触れる。すると彼の頭の中で文字が躍った。そしてイメージはすぐに言語化される。
【魔素は摂理を再定義する】
「また観念的というかなんというか……」
何を言いたいのか良く分からなくて、秋斗は苦笑を浮かべた。「摂理」とは自然法則みたいなモノだろうか。だが「再定義」とはなんだ。書き換えることができるとでもいうのか。もしそんなことが可能なら、この世界はもっとグチャグチャで混沌としていると思うのだが。だがシキはこうツッコむ。
[この世界は十分グチャグチャで混沌としていると思うぞ]
「まあ、それはそうだけど」
[この石版は要するに『魔素を使えば摂理を再定義できる』と言いたいのではないか?]
秋斗は思わず反論しかけ、しかし口をつぐんだ。一例を挙げるなら、魔法は自然法則や物理法則を超越している、つまり再定義していると言っても過言ではないだろう。ではこの石版は魔法のことを言っているのだろうか。だが秋斗はなんだかそれも違うような気がした。
「分からん。後で考えよう」
そう呟き、秋斗は考察を先送りした。情報が少なくて考察しようがないし、現状考察しなくても不都合がないからでもある。将来もっとピースが揃ったときに、この情報が役に立つこともあるだろう。
「さて、と。これからどうしようか」
ブロックの内側に戻り、秋斗は腕を組んでそう呟いた。予定よりずっと早く、こうして行き止まりに行き当たってしまった。さらに探索を続けるかどうか考え、彼はもう少し探索を行うことにした。
ただし、一度ダイブアウトする。戻ってきた人気のない展望台で、周囲に人影がないことを確認してから、彼はもう一度ダイブインした。
山岳道路エリアに戻ってくると、彼はストレージからバイクを取り出してそこへまたがった。そしてエンジンを吹かして発進する。ただし先ほどとは反対の方向へ。このエリアのこちら側は、まだ探索していないことを思い出したのだ。
「またサービスエリアみたいなのがあればいいな」
秋斗はそう期待していたのだが、結論から言えば残念な結果に終わった。秋斗がバイクを走らせ始めてからおよそ三〇分後、彼の前に大きな壁が現われたのだ。つまりまたしても行き止まりである。「今日は行き止まりに縁があるな」と彼は苦く笑った。
「それにしても……、なんだこれ?」
バイクをストレージに片付けてから、“壁”を見上げて秋斗はそう呟く。その壁は縦にも横にも巨大である。見上げれば壁の一番上は雲に隠れて見えず、横へ視線を移せば壁は地平線の彼方へ続いている。
もしも壁の向こう側が見えなかったなら、まるで世界がそこで終わっているかのように思えただろう。だが秋斗の前に現われたその“壁”は普通の壁ではなかった。淡い黄色で壁の存在ははっきりと分かるが、半透明で向こう側の様子が見えたのだ。
そのおかげで“壁”の前に立っても圧迫感はない。壁の向こうではまだ道路が続いている。ただそちらへ進むことはできない。壁がこちら側と向こう側を明確に隔てている。乗り越えたり迂回したりはできそうにない。壁の厚さはほんの紙切れ一枚程度。それはまるでこの世界にひかれた境界線のように思えた。
秋斗は小石を一つ拾ってその半透明の壁へ投げつける。カツン、と硬質な音を立てて小石は跳ね返された。ごく普通の反応だ。少なくとも、何かしらのトラップが仕込まれているようには見えない。彼はゆっくりと壁に近づき、そしてやや躊躇いながら拳で壁を軽く叩いた。
コンコンッ、と小気味の良い音が急ぎ足で響く。秋斗はすぐに拳を引っ込めた。そのまま壁の様子を窺うが、何も変化はない。そして彼の側にも異変はない。見た目はともかく、これはどうやら本当にただの壁のようだと分かり、彼は安堵の息を吐いた。
「しっかし何て言うか……、ファンタジーだな」
秋斗はそう呟いて、その淡い黄色で半透明の壁をもう一度ノックするように叩いた。コンクリートのような冷たさは感じない。むしろ木の板のようにさえ感じられる。不思議な柔らかさとでも言うのか。彼はそういうモノを感じた。そしてだからこそ、この壁がさらに不思議に思えてくる。
[それで、どうするのだ? いつまでもここに突っ立ているわけにはいかないぞ]
「まあ、そうなんだけど。どうするかなぁ……」
秋斗は腕を組んで首をかしげた。力尽くでの突破を試みるか、それともここで探索を切り上げるか。彼はそのどちらも選ばず、まずは知っていそうな人物に聞くことにした。つまりアリスである。秋斗はコールプレート(アリス)を取り出して彼女に連絡を入れた。
「あ、もしもしアリス? いま暇? え、グリフォンの調教で忙しい? いやいや実はさ、見てもらいたいものがあるんだよ」
少し渋ったものの、アリスは来てくれることになった。秋斗は通信を終え、コールプレートを耳元から離す。そして彼はこう呟いた。
「何やってんだ、アイツは?」
グリフォンを調教って、相手はモンスターだろうに、そんなことが本当にできるのだろうか。疑問に思う反面、アリスならできてしまいそうな気もする。ムチを持って笑うアリスの姿を想像してしまい、秋斗は慌ててそれを振り払った。
[ところでアキ]
「なんだ、シキ?」
[アリス女史に饗するスイーツを用意しておいたほうが良いのではないか?]
「……そうだな」
確かマカロンがあったはずだ、と思いながら秋斗はアリスが来るのを待った。
秋斗「調教……」
シキ「なぜそこにこだわる」