山狩り
石の手斧の扱いにある程度慣れると、秋斗はアナザーワールドからダイブアウトした。体力的に考えて、これから小高い山の探索に移っても大して進められないと思ったのだ。山に挑むのは次になるだろう。
ただこの日、秋斗はもう一度アナザーワールドへ行こうとは思わなかった。これもやはり体力的な問題である。体力を十分に回復させるためにはしっかりと睡眠をとる必要があるが、そうすると時刻は夕方を過ぎるだろう。暗い中でアナザーワールドを探索するのは、ちょっと無理だ。
それでこの日の探索を打ち切ると、秋斗は諸々の雑用を片付けることにした。浸け洗いしていた探索服を洗濯機で脱水し、外に干す。それからストレージに入れていた食料品を取り出して冷蔵庫に押し込んだ。
色々と後回しにしていた雑用を片付けると、時刻は四時前になっていた。少し早いが、秋斗は夕食の支度を始める。ただし作るのは夕食の分だけではない。明日以降の分も、作り置きできる物は作り置きしておくつもりだった。
秋斗はもともと、好んで自炊をするタイプではなかった。むしろできあい品や冷凍食品で済ませることが多かった。ただ自炊した方が食費は浮く。今後のアナザーワールドの探索のことを考えれば、お金がどれだけかかるかは分からない。節約するに越したことはないのだ。
「んじゃシキ、サポートよろしく」
[任せておけ]
シキの頼もしい声が秋斗の頭の中に響く。秋斗は料理初心者と言って間違いない。その彼が日々の自炊を投げ出さず、しかも順調にレシピを増やせているのは、言うまでもなくシキのおかげだった。シキのサポートがなければ、彼の自炊生活は長続きしなかっただろう。
とは言っても、秋斗が積極的に自炊するようになってから、まだ一ヶ月も経っていないのだが。ただ彼自身、台所に立つのが苦ではなくなってきたのは本当だ。
何より、彼は食べ盛りの高校生。美味しい物を食べたいという欲求は当然大きい。それを自分で満たせるのだから、自炊もまんざらではなかった。
ちなみに学校にも弁当を持っていくようになったので、それを見た同級生から理由を聞かれたのだが、「節約のため」と言ってごまかしている。あと、おかずの交換が地味に楽しい。
さて連休明けの翌日。この日は朝から雨で、学校から帰ってきてもまだ雨が降り続いていた。この日も秋斗はアナザーワールドへ行くつもりだったのだが、さて向こうの天気はどうだろうか。
アナザーワールドの天候や時刻などが、ある程度リアルワールドから影響を受けているのであろう事は、秋斗もこれまでの経験を通して感じ取っている。もしかしたら向こうも雨かもしれない。彼はそう思い、玄関で傘を差したまま「アナザーワールド、ダイブイン」と呟いた。
「やっぱりかぁ……」
果たして、アナザーワールドは雨だった。豪雨というほどではないが、傘がなければあっという間にずぶ濡れになってしまうだろう。つまりそれなりに強い雨の降り方を見て、秋斗は諦めたようにため息を吐いた。
「『ダイブアウト』」
特別、差し迫った理由があるわけではないのだ。雨に濡れながら探索を行う気になれなかった。「雨具を着て……」という気にもならないし、「傘を差しながら……」というのは論外だ。結局、この日の探索は中止することにした。
そしてその翌日。この日の朝は前日に一日降り続いた雨がウソのような快晴だった。とはいえ秋斗は学校があるので朝からアナザーワールドへダイブインするわけにはいかない。彼はこの天気が夕方まで続くことを願いつつ登校するのだった。
彼の願いが通じたのか(もともと一日晴れる予報だったのだが)、下校時刻になっても雨が降り出しそうな気配はなかった。彼は気持ちよく自転車を走らせながら、自宅のアパートへ向かう。そして二食分の食料と飲み物を用意し探索服に着替えると、アナザーワールドへダイブインした。
アナザーワールドも昨日の様子とは打って変わり、すっきりと晴れていた。さらに、全体的に石畳が敷かれている遺跡エリアはともかく、地面が剥き出しになっている場所はぬかるんでいるのではないかと思ったが、そういうこともない。
「相変わらずの謎仕様だな」
[探索がしやすい分には良いのではないか?]
シキにそう言われ、秋斗は「それもそうだな」と納得する。だいたい、アナザーワールドが謎なのは今更だ。細かい部分にまで突っ込んでいたら切りが無い。
それで今回の探索の目的だが、今度こそあの小高い山の登頂に取りかかることになる。ただし今回のアタックはモンスターの種類や強さを確認するのが主たる目的だ。前回、サルのモンスター相手に泥仕合を演じてしまったことが、秋斗とシキを慎重にならせていた。
おにぎりを三つ食べてエネルギー補給をしてから、いよいよ秋斗は山裾の傾斜が現われ始める場所へ足を踏み入れた。茂る木の密度があがり、これまでに比べれば見晴らしが悪くなる。スコップを握る秋斗の手にも、自然と力がこもった。
[上だ!]
シキの警告が響くのと同時に、秋斗は葉がこすれる音がした方へ視線を上げる。そこにいたのはサルのモンスターで、いつぞやのように上から不意打ちをしようとしていたらしかった。しかもまた複数。
とはいえ今回はシキも秋斗も十分にそれを警戒していた。そして気付くのが間に合えば、自由落下してくる敵は割と良いカモだ。秋斗は臆することなく思いきりスコップを突き出してサルを撃退した。
「ギャア!?」
悲鳴を上げてサルのモンスターが弾き飛ばされる。そのモンスターがどうなったのかも確認せず、秋斗はさらにスコップを横へ振り回して二体目のサルを撃退する。彼の体勢が崩れたところへ三体目のサルが飛びかかるが、彼はそれをやや強引に姿勢を低くして回避。同時に左の裏拳を入れた。
[もう一匹! 正面だ!]
シキの声に反応し、秋斗は敵の姿を確認しないままスコップを正面に突き出した。すると飛びかかってきた四体目のサルに、きれいにカウンターが決まる。重い手応えと一緒に悲鳴が響き、四体目のサルは後ろへひっくり返った。
四体のサルの奇襲をしのぐと、今度は秋斗の方から仕掛ける。まずは左の裏拳を入れた三体目だ。牙をむいて威嚇してくるサルに、そんなモン知るかと言わんばかりに間合いを詰めてスコップをぶちかます。その一撃は喉元に入り、サルは黒い光の粒子へと還った。
残りは三体だが、後は消化試合だった。スコップの一撃がそれぞれに入っており、みな動きが鈍っていたからだ。それでも逃げないのはモンスターだからなのか。秋斗は油断せず、一体ずつ倒していった。
「ふう」
四体のサルのモンスターを倒し終えると、秋斗は大きく息を吐いた。前回の泥仕合と比べ、完勝と言って良い。武器の差はもちろんあるだろう。だがそれよりも奇襲に一瞬早く気づけたことが大きい。彼はそう思った。
「シキも、ありがとな」
[それがわたしの存在意義だ]
秋斗の頭に響くシキの声は少し得意げだ。秋斗は小さく微笑むと、気を引き締め直して探索を再開した。
山に足を踏み入れたことで、出現するモンスターの種類ははっきりと変わった。シカ、イノシシ、クマなどなど。もちろんモンスターだから、その姿形は普通の鹿や猪とは異なる。だがその種類を見ると、サルも含めて日本の里山に出るような動物ばかり。その辺りは影響を受けているんだろうな、と秋斗は思った。
「アレは止めておこう」
木の陰に身体を隠しながら、秋斗は小声でそう呟く。彼の視線の先には、大きなクマがいる。立ち上がったときの身長は二メートルを超えるだろう。金属的な輝きを放つ爪は大きくて鋭い。口から飛び出した二本の牙が、そのクマがモンスターであることを教えていた。
この山の主だろうか。見るからに強敵である。幸いにして向こうはまだ秋斗に気付いていない。そしてシキもまた彼の決定に異を唱えない。そもそもどうしても戦わなければならない敵ではないのだ。彼はそっとその場を離れた。
山を探索するに当たって障害となったのは、モンスターばかりではない。勾配のついた地形そのものが、秋斗の探索を阻害する。道のない山を登ることや、また傾斜のある場所で戦うことそのものが、彼が思っていた以上に困難だったのだ。
「これは、少し腰を据えてやらないとダメかな」
[一筋縄ではいかなそうだな]
秋斗とシキはそう言葉を交わす。どうやら小高い、つまりそれほど高くない山だと思って油断していたようだ。頂上へたどり着くには、何度かアタックすることになるだろう。
「となると、多少は登りやすいルートを探した方が良いかな?」
[どうせ時間はかかるのだ。動き回ってくれれば、マッピングはわたしがする]
「じゃ、任せた」
こうして秋斗は方針を変えた。ある程度時間をかけることにしたのだ。今のところ、この山を完全にマッピングするつもりはない。だがまずはこの地形に慣れることが必要だと思ったのである。
この日、彼はさらにもう一時間ほど探索してからダイブアウトした。そしてその後、リアルワールドで十日をかけてこの小高い山の探索を行った。雨が降ったときは休んだので毎日探索をしていたわけではないが、それでもこれまでで最も時間をかけたと言っていい。
そして時間をかけた甲斐はあった。秋斗は自分が強くなったのを感じていた。道のない山へと分け入るのにもずいぶん慣れた。シカやイノシシなどのモンスターを相手にしても、そつなく立ち回れるようになっている。
踏ん張りがきかず、谷底へ転がり落ちてしまったのも今は昔。足腰が鍛えられたのか、傾斜のある場所で戦っても踏ん張って思うように動けるようになった。一時は赤ポーションを使い切ってしまったが、安定してモンスターを倒せるようになると、この山は文字通り美味しい場所だった。
この山のモンスターは、倒すと肉をドロップすることがあるのだ。【鑑定の石板】で確認してみると「食用可」。その日の夕食に早速食べてみたのだが、これがなかなか美味かった。肉をドロップするのは主にシカとイノシシで、それぞれに味わいが違う。ちなみにクマはまだ倒したことがないので、秋斗がクマ肉を味わったことはまだない。
「よし、クマを倒して肉を食うぞ!」
[アキがそれを望むのなら、わたしはサポートするだけだ]
当初の目的はどこへやら。食欲を満たすべく、それと食費の節約もかねて、秋斗は肉ハントにのめり込むのだった。
山の幸(肉)