川向こう3
「……モンスターへの対処の方は、とりあえず魔石を使ってみるよ。それで上手くいかなかったりしたら、また相談に乗ってくれ」
「うむ。任せておけ」
そう言ってアリスは満足げに頷き、それから栗大福を手に取った。紅茶では和菓子に合わないような気がしたが、そもそもすでに紅茶と呼べるシロモノではなくなっていることを思い出し、秋斗は「じゃあ、いっか」と考える事を止めた。
「それで、まだ聞きたいことがあるんだけど……」
「話してみるが良い」
「うん。アリスは銀箱をくれただろ? 『モンスターらしいことをする』って言って。でもモンスターが宝箱をドロップするって、そもそも不自然じゃないか?」
「不自然と言われてものぅ……。モンスターとは、そういうものじゃろう? お主とて、モンスターから宝箱を手に入れたことがあるはずじゃ」
「それはそうなんだけど、その、なんて言うのかな……」
[つまりだ、アリス女史。この世界がこうなる前から、モンスターは宝箱をドロップしたのだろうか?]
秋斗が言葉を探していると、シキが代わりにそう質問した。その質問の意味を理解するにつれ、徐々にアリスの表情が強張っていく。それだけで秋斗はもうだいたい答えがわかる。やがて彼女は、食べかけてのチュロスを手に持ちながら、呻くようにこう呟いた。
「データベースに、そのような記録は、ない」
「……どうでもいいけど、チュロス持っているとすごいシュールだぞ」
「うるさいっ。こういう時こそ甘いものが必要なのじゃ!」
噛付くようにそう答え、アリスは食べかけのチュロスを貪るように腹に収める。そして口の中のものを呑み込んでから、彼女は深刻な表情でさらにこう呟いた。
「何度データベースを見直しても、モンスターが宝箱をドロップしたという記録はない。考えてみれば当然じゃ。モンスターは自然発生するモノ。宝箱から縁もゆかりもないアイテムが出てくるなど、自然の摂理に反しておる……」
険しい表情をしたまま、アリスは串に刺さった団子に手を伸ばす。そして団子を一つ食べながら、頭を抱えてこう言った。
「……じゃが今この世界では、モンスターは宝箱をドロップし、そこからアイテムを手に入れることができる。なぜじゃ……、なぜそんなことになっておる……? いや、それ以前になぜ我はそのことに疑問を持たなかった? 明らかにデータベースと矛盾しているというのに……!」
アリスはそう言って顔を歪ませた。そしてまた団子を食べる。そのせいでいまいち悲壮感がない。「食べるか嘆くかどっちかにしろ」と秋斗は思った。ただそれを口に出すことはしない。代わりに彼はこう尋ねた。
「アリスが『モンスターは宝箱をドロップする』っていう知識を得たのはいつなんだ?」
「それは……、それは恐らく、お主の記憶を読み取ったときじゃ」
三つ目の団子を食べながら、アリスはそう答えた。それはあの地下神殿でのことだ。秋斗自身は気を失っていたので覚えていないが、その時のことは後でシキから聞いている。アリスが彼の頭に触れ、そして日本語を喋ったという話だ。
リアルワールドからダイブインしたわけでもないアリスが、普通日本語を喋れるはずはない。だが彼女は日本語でシキに話しかけた。それはつまり秋斗の記憶を読み取って日本語を習得したからだ。そしてその時同時に、彼女は秋斗が持つアナザーワールドに関する知識もまた仕入れていたのである。
つまりその時からずっと、アリスはこの矛盾に気付かなかったことになる。「他に気にすることがたくさんあって、そこまで気が回らなかった」と言われればそれまでだ。だがこれがそういう問題ではないことは、彼女自身が一番よく分かっている。つまり彼女は何かしらの干渉を受けていたのだ。
こうして矛盾に気付き、違和感を持ち得たのだから、そう強い干渉ではないのだろう。だが干渉を受けていたことそれ自体が、アリスはショックだった。ただ単純に目覚めたわけではないことは分かっていたが、思っていた以上に自分という存在が変質しているように感じられて、彼女は嫌悪感から身体を震わせた。
「……まあ、我のことはよい」
大皿に盛り付けられたカヌレを一つつまみ、アリスは嫌悪感を振り払う。より大きな問題はもう一方。つまり以前はそうではなかったのに、現在のアナザーワールドではモンスターが宝箱をドロップする、という点だ。彼女は二つ目のカヌレをつまみつつ、深刻な顔をしてこう言った。
「明らかに人為的な操作がされておるな、これは」
「いや、でもそれって今更じゃないか?」
秋斗は肩をすくめながらそう言った。人為的な操作がされていると言うのなら、それはモンスターに限らず現在のアナザーワールドそのものに言えることだ。人為的な操作がなければクエストなど起こりようがないし、そもそも秋斗がこのアナザーワールドへ来ることもなかっただろう。
「うむ。まあ、それはその通りなのじゃが……」
珍しくアリスは言葉を探すようにして視線を彷徨わせた。だが見つからなかったのか、彼女は手を伸ばしてサーターアンダギーを取った。それを二つに割って頬張る彼女に、秋斗は少し視点を変えてこう尋ねた。
「なあ、アリス。モンスターってのは、魔素の塊なんだろ?」
「うむ、そうじゃ」
「じゃあ、そのモンスターが魔石や何かのドロップを残すって事は、その魔石やドロップももともとは魔素ってことなのか?」
「そう言われておる。ただし、少なくともデータベースにある限りでは確認はできておらぬ」
「確認できない?」
「うむ。不可逆なのじゃ。つまり魔素に戻すことができぬのじゃよ」
「魔素に戻せない……。それは、魔石もなのか?」
「そうじゃ」
アリスは大きく頷いてそう答えた。そして秋斗にある実験の話を聞かせる。魔石の燃焼に伴う質量変化の実験だ。
魔石が燃えることは秋斗も知っている。ただしそれは通常の燃焼現象ではない。つまり炭素と酸素が反応して二酸化炭素が生成される、という化学反応が起こっているわけではないのだ。では何が起こっているのかというのは、今はひとまず置いておく。
さて、魔石の燃焼に酸素は必要ではないので、閉じられた瓶の中などでも魔石は完全に燃焼する。ではここで想像して欲しい。魔石を入れたガラス瓶を計量器の上に載せる。すると当然ながら計量器には魔石とガラス瓶の合計の重さが表示される。これを仮にMとする。
次に魔石に火をつけ、ガラス瓶の口を閉じて完全に密閉する。魔石はガラス瓶の中で燃えているが、しかし気体になって外へ出て行くわけではない。質量保存則的に考えれば、全体の重さは変わらないはずだ。
だが実際には魔石の燃焼が進むにつれて、徐々に計量器に表示される重さは減っていく。そして魔石が完全に燃焼した時の表示をmとすると、mはMよりも小さいのだ。そしてmとはつまりガラス瓶の重さのことである。
「……ようするに、魔石の分はどこかへ消えてしまうわけじゃ。いや、すべて熱量に変換されたと言うべきかの」
「……とても信じられない」
「まあ、魔石についてはそういうモノだと思ってもらうしかないのう。それで実験の話じゃが、魔石の燃焼が終わったあとの瓶の中を調べて見ても、そこから魔素は検出されぬ。つまり魔石が魔素に戻ったわけではないということじゃ」
アリスによれば他にも色々な実験が行われたが、魔石が魔素に戻った例はないと言う。ただ魔石を用いた実験を行うと、他とは明らかに違う結果が出るので、それは魔素のせいであろうというのが通説になっていた。そしてそこから魔石は魔素が結晶化したものと考えられ、魔石と一緒にドロップするアイテムもまた魔素から生成されたのだろう、とそう考えられているわけだ。
「なるほど……。じゃあ宝箱とかその中身とかも、やっぱり魔素から作られてるのかな?」
「そう考えるのが合理的じゃな。……いや、まさしくそうじゃ」
アリスは少し考えてから答え方を変えた。自身が宝箱(銀)を作り出した時のことを、改めて振り返ってみたのだ。あの時はほぼ無意識に行っていたが、何を行ったのかそのプロセスを一つずつ追えば、それは確かに魔素の物質変換に他ならない。
「気持ちが悪いのぅ……」
アリスは思わずそう口に出していた。魔素の物質変換など、彼女のもともとのスペックでは想定すらされていない。彼女自身、ドレスや大鎌を出し入れしているが、それは仮想変換とでも言うべきモノ。言い方を変えれば、手軽ではあるが恒久的ではない。つまり別物だ。
本来想定されていない力をさも当たり前に振るい、しかもそこに違和感を覚えない。しかし一度自覚してしまうと、その気持ちの悪さは拭いがたい。自分がどう変質しているのか、普段はもう気にしないようにしているが、それでも不愉快なものは不愉快だ。
アリスはゆっくりと頭を振った。そして個包装のチーズタルトに手を伸ばす。彼女は甘味で気持ちの悪さを振り払った。今更死ぬことは恐くない。だが無為に死にたいとは思わない。そして生きていく限り、この身体と力とは付き合っていかなければならないのだ。ならばせめて前向きに受け入れるべきだろう。
チーズタルトを食べるうちに、アリスの表情が徐々に和らいでいく。それを見ながら、秋斗はこのアナザーワールドについて考えていた。先ほども言ったが、この世界は明らかに人為的というか作為的だ。だがそこに込められた意図がなかなか見えてこない。
(醜悪、か)
夢で見た石版の一言が、ふと秋斗の頭に浮かぶ。いわゆる“運営”の意図というのは、「醜悪」なものなのだろうか。今の彼にそれを否定する材料はなかった。
アリス「我には謎と秘密が多すぎる……。ゆえに美女じゃ」
秋斗「え……?」