川向こう1
夏休みに入り、およそ一週間経った。この日、秋斗は自宅のアパートからアナザーワールドへダイブインしていた。向かうのは、かつて石器を作った川辺。ただし目的は石器を作ることではない。納品クエストの報酬として手に入れたマジックアイテム「スカイウォーカー」を使い、川の向こう側へ渡って探索範囲を広げることが目的だった。
[アキ、どうだ?]
「そこそこ消費するな。けどまあ、大丈夫だ」
スカイウォーカーで作った足場の上を歩きながら、秋斗はシキにそう答えた。スカイウォーカーはマジックアイテムであるから、使用するには魔力を必要とする。そして作る足場が長くなるにつれて、その消費量は指数関数的に増大していくのだ。
一歩や二歩分なら、スカイウォーカーの魔力消費量は微々たるモノだ。だが川を渡るとなると、その消費量は決して無視できない。事前に川幅の狭いところを探しておいて、そこから渡っているのだが、秋斗は自分の魔力がゴリゴリと減っていくのを感じていた。
とはいえ、まだまだ余裕はある。これまでに溜め込んできた経験値の勝利だ。秋斗はしっかりとした足取りで対岸に降り立った。スカイウォーカーの発動を止め、「ふう」と息を吐く。それから彼は周囲を見渡した。
当たり前だが、風景や植生に大きな変化はない。秋斗は一つ頷くと、ストレージから槍を取り出した。かつてブラックスケルトンから手に入れた、穂先まで漆黒の槍である。同じくブラックスケルトンから手に入れた六角棒とバスタードソードはもうダメになってしまったので、この槍は現在使っている装備の中では最古参の部類だった。その槍を手に、秋斗は歩き出した。
ちなみに、腰には川を渡る前からシキ作のバスタードソードを吊ってある。ただこのバスタードソードはいわばつなぎ。彼が本命として期待しているのは、鍾乳洞で手に入れた竜の牙を使った剣である。ただ「適切な製法が分からない」とかで、こちらはまだ製作にはいたっていない。
まあそれはそれとして。秋斗は川から離れるようにして歩いている。出現するモンスターは、最初はこれまでと代わり映えしなかった。だが川から離れる内に、新しいモンスターも出現するようになった。
「サイ、か……!」
姿勢を低くしながら、秋斗は小声でそう呟いた。彼の視線の先にいるのは一体のサイ。結構な大物だ。もっとも彼はサイの標準的な大きさなど分からない。だからここで言う「大物」とは、「今までに見たモンスターの中で大きい部類」という意味だ。
隱行のポンチョを装備しているおかげで、サイが秋斗に気付いた様子はない。それで彼はすぐには仕掛けず、ゆっくりとサイの様子を確認した。やはり目に付くのはその大きな角。見た限り四肢も力強く、きっと突進の威力は侮れない。
秋斗は低い姿勢のまま、サイの側面に回り込んだ。体躯が大きいだけあって、土手っ腹の面積も広い。ただ見た感じ皮は厚そうで、「きっと防御力も高いんだろうな」と彼は思った。とはいえ、負ける気はしない。
「…………」
槍を握りしめ、秋斗は鋭く踏み込んだ。そして一直線に間合いを詰める。直前でサイが気付いて身体をよじったがもう遅い。秋斗の繰り出した槍は、サイの身体を横に貫いた。
「グゥォォ!」
サイが呻きながら角を秋斗へ向ける。だが彼はさっと槍を手放し、逆方向へ回り込んだ。そして腰のバスタードソードを抜き、伸びきったサイの首へその刃を振り下ろす。首を大きく切り裂かれたサイは崩れるように倒れ、そして黒い光の粒子になって消えた。
「ふう……。武器強化使うと楽だな」
秋斗はそう呟いて笑顔を見せた。サイの防御力が高そうだと思った彼は、最初から武器強化を使っていたのである。そのおかげでサイの皮膚も易々と貫き、また切り裂くことができた。一当たりしてみた感じ、武器強化を使っていなかったら、もうちょっと手こずっていたに違いない。
魔石を回収し、槍を拾い上げる。残念ながら角はドロップしなかった。秋斗は少々残念に思いながら探索を再開した。その後も多彩なモンスターが出現する。いや、多彩と言うよりはカオスなラインナップだった。
やたら転がるアルマジロは槍の石突きを使った浸透打撃で倒した。針を飛ばすハリネズミは、飛ばしすぎて丸裸になったところで一刺しした。カンガルーはなぜか袋の中から爆発物を投げつけてきた。秋斗は雷魔法で応戦し、動きを止めたところを仕留めたのだった。
驚いたのはマンモスだ。最初はゾウかと思ったが、毛が生えている。マンモスだと気付いた時には、不覚にも感動してしまった。だがシキがストレージから石器の槍を差し出したのは解せない。まあそれを使って仕留めたが。ドロップした骨付き肉は、さてどう調理したものかとちょっと悩んでいる。
そして最も秋斗を驚かせた、いやげんなりとさせたのがライオンの群れである。ライオンが群れているのは別に良い。ライオンは群れを作る動物だ。だがその群れのリーダーたる雄ライオンが問題だった。
「なんでキマイラなんだよ」
秋斗がやや怒りを滲ませてそう呟く。そうライオンの群れ、つまり十数頭の雌ライオンの真ん中で堂々と伏しているのは、なんとキマイラだったのである。キマイラは山羊と雄獅子の首と、蛇の尻尾を持つ。雄ライオンが混じってはいるが、「それでいいのか、アナザーワールド」と秋斗は誰にともなくツッコミを入れてしまった。
[羨ましいのか。ハーレムだからな]
「うらやましくねぇし!」
秋斗が思わずそう叫ぶと、キマイラの二つの頭と蛇の尻尾が動き、三対六つの視線が彼を捉えた。そして素早く立ち上がり、猛然と走り出す。キマイラが動いたことで、周りの雌ライオンたちも慌てたように動き始めた。
「っち!」
舌打ちして、秋斗も臨戦態勢を取る。群れを持った雄ライオンは狩りに積極的でないという。だがこのキマイラはいち早く秋斗の存在に気付き、さらには真っ先に駆け出した。つまり群れの先頭に立って狩りをするスタイルだ。
そして見ただけで分かるキマイラの戦闘能力の高さは、これまで狩りの獲物に苦労しなかったであろうことを窺わせる。やっぱり自然界でも働かないオスより働くオスのほうがモテるのだろうか。秋斗はふとそんなことを考えてしまった。
「「「グゥラァァアアアア!」」」
三つの口が雄叫びを上げ、キマイラが秋斗に襲いかかった。振り抜かれた腕と鋭い爪の一撃を、秋斗はバックステップで回避する。反撃に移ろうとしたその時、山羊の口元に炎を捉え、彼は背中に冷たいモノを感じた。そして即座に大きく横へ飛ぶ。次の瞬間、灼熱の炎が彼のいた場所を焼き払った。
ファイアーブレスを回避した秋斗は、そのままキマイラの側面へ回り込んだ。槍を突き出そうとしたが、蛇の尻尾に牽制される。彼が一瞬だけまごつくと、後ろから追いかけてきた雌ライオンが彼に飛びかかった。それを槍で払いのけると、また別の雌ライオンが飛びかかる。そして気がつくと、彼は完全に包囲されてしまっていた。
十数匹の雌ライオンたちがうなり声を上げながら秋斗を取り囲んだ。そしてゆっくりと動きながらその包囲網を狭めていく。一方でキマイラは秋斗の正面に陣取り、微動だにせずに彼を威圧する。そして包囲網が十分に狭まったとき、最初に動いたのはキマイラだった。
雄獅子の首が鋭い牙を覗かせて秋斗に襲いかかる。彼はそれを素早く回避し、そのまま雌ライオンの包囲網の一角へ飛び込む。そして身体強化を駆使しながら槍を縦横無尽に振り回し、数体の雌ライオンをあっという間に片付けた。
「「「グゥゥァァアアアア!」」」
キマイラが怒りを滲ませて吼える。そして秋斗目掛けて突進した。だが彼はキマイラを相手にせず、まずは雌ライオンたちを片付けていく。身体強化を駆使して動く彼に、キマイラも雌ライオンも追いつけない。五分とかからずに群れは壊滅し、残るのはキマイラ一体になった。
「「「グゥゥゥゥゥ……!」」」
赤々とした六つの目に怒りを滲ませながら、キマイラがうなり声を上げる。一対一の状況に持ち込んだ秋斗は、しかし油断することなく槍を構えた。しばし睨み合いが続く。動けずにいるのは、なんとキマイラの方。身体強化を使い続ける秋斗に威圧され、キマイラは退きはしないものの前にも出られない状態になっていた。
ゆえに、先に動いたのは秋斗の方。ほとんど一瞬で間合いを詰め、そのまま槍を突く。神速と言って良いその攻撃を、しかしキマイラは野生の勘でかわした。だが秋斗は次に槍を水平に払う。その穂先がきらめいた次の瞬間、山羊の首が宙を舞った。
「「ギャァアア!?」」
キマイラが悲鳴を上げる。そして反射的になのだろう、身体をよじって距離を取ろうとする。秋斗はまた槍を鋭く振るい、今度は蛇の尻尾を切り落とした。
「グゥゥゥゥゥ……!」
最後に残った雄獅子の首がうなり声を上げる。普通の雄ライオンの姿と比べると、今のキマイラはあまりにも不格好だ。だが同時にその不気味さが際立っているようにも見える。秋斗は油断せず、しかし臆することなく仕掛けた。
秋斗が突き出した槍を、キマイラが回避する。そしてそのまま彼に飛びかかった。秋斗は槍を手放すと、逆に踏み込んでキマイラの前脚を掴み、背負い投げのように地面へ叩きつける。彼は素早くバスタードソードを抜き、立ち上がろうとするキマイラを斬りつけた。
(っち、浅い……!)
秋斗はすぐにバスタードソードを切り返す。キマイラは距離を取ろうとするが、秋斗は武技を使ってその間合いを潰した。伸閃だ。全力で放たれたその不可視の刃は、キマイラの身体を横に両断した。
「ふう……」
黒い光の粒子になって消えていくキマイラの姿を見下ろしながら、秋斗は一つ息を吐いてバスタードソードを鞘に収める。そんな彼の後ろから、どこか面白がるような女の声が響いた。
「若干、オーバーキルじゃの」
「足りないよりは良いさ」
肩をすくめ、苦笑しながら秋斗はそう答えた。それから彼はゆっくりと後ろを振り返る。そこには思った通り、眩い金髪と赤い瞳を持つ女の姿があった。彼女は赤いドレスを身に纏い、テーブルとイスを用意してそこに頬杖をついている。
「久しぶり、アリス」
「うむ。久しぶりじゃ、アキトよ。まずは茶を所望じゃ」
キマイラさん「男の嫉妬は醜いぜ」