お茶会1
「茶を所望じゃ」
ひとしきり笑い終えると、アリスは起き上がってそうのたまった。だが秋斗がお茶を取り出すより早くさらにこう続ける。
「ふむ。ここではちとアレじゃのう。ついてこい。バルコニーでお茶会と洒落込もうぞ」
そう言ってアリスはさっさと歩き始めた。主にアリスが魔力弾を放ちまくったせいで、謁見の間はボロボロになっている。確かにここでお茶会という雰囲気ではない。だがこの惨状の原因がさっさと歩いて行ってしまうのはいかがなものか。秋斗はちょっと納得がいかなかった。
「はぁ……」
とはいえアリスはもう行ってしまった。秋斗はため息を吐くと、彼女の後を追った。そんな彼の口元には小さな笑みが浮かんでいる。彼はアリスと付き合いが長いわけではない。だが彼女が生き生きとしている姿を見るのはなんだか無性に嬉しかった。
秋斗がバルコニーに出ると、そこには光が幾つか浮かんでいた。淡い光で、幻想的な光景だ。イスとテーブルはすでに用意されている。アリスが用意したものだ。初めて彼女に出会ったときもそうだった。空を見上げれば重苦しい雲は晴れていて、新月の透きとおる星空が見えた。
アリスはさきに席に着いていた。彼女のドレスは相変わらず黒一色だったが、よく見るとデザインが変わっている。透かしや刺繍が入っていて、さっきまで来ていたドレスよりも華やかだ。意図的なのか、それとも無意識なのか。「意図的ならドレスは白になりそうだから無意識かな」と秋斗は思った。
秋斗はテーブルを挟んでアリスとは反対側のイスに座る。彼女がまた「茶を所望じゃ」と言って催促するので、用意しておいたペットボトルのミルクティーをストレージから出した。また苦いコーヒーを飲ませてやろうかと思ったが、また「殺せ」と言い出されても面倒なので自重した次第だ。
ミルクティーをマグカップに移す。ティーカップなどという洒落たモノを、秋斗は持っていないのだ。ミルクティーをアリスに渡し、ついでにガムシロップもテーブルの上に出す。ただマグカップを受け取ったアリスは小さく首をかしげていた。
「あ~、ぬるいと思うから自分で暖めてくれ」
「仕方がないのぅ」
苦笑して小さく肩をすくめ、アリスは指でマグカップの縁を弾く。すると湯気が立った。それを見て秋斗は目を見開く。恐らくは魔法だろう。それ以外に説明はつかない。だが魔法を使った兆候は何も感じられなかった。目の前で見ていたにも関わらず。それがつまり、秋斗とアリスの技量の差だ。
「どうじゃ? 実に実用的じゃろう?」
秋斗の視線に気付き、アリスはそう言って得意げに笑った。そしてミルクティーを一口飲むと、「甘くない」と言ってガムシロップを次々に投入する。その数が三つを超えたところで秋斗は「うわぁ」という顔をし、五つを超えたところで「うげぇ」という顔になった。ちなみに彼は途中で目をそらしたので、最終的に何個のガムシロップが投入されたのかは分からない。
「うむ。悪くない」
「……そりゃ良かった」
満足げな顔をするアリスに、秋斗はゲンナリとしながらそう答える。テーブルの上には菓子も並べてあるのだが、どうにも食べる気がしない。彼がブラックコーヒーをちびちび飲んでいると、菓子は次々にアリスの胃袋へ消えていく。
「……それはそうと秋斗よ。お主、なんで魔法ではなく武技なんぞ使った?」
「魔法も武技も変わんないだろ」
「結構違うんじゃがなぁ……。まあお主がそう感じているならそれで良いわ」
そう言ってアリスはまた別の菓子に手を伸ばした。それを口に放り込みニンマリと笑みをもらす。そしてこう続ける。
「お主が覚えたアレは『集気法』という。知っての通り、周囲の魔素を集めて魔力の代わりとして使う技法じゃ。難易度は上がるが、集めた魔素を体内に取り込むことで魔力や体力を回復することもできる」
「便利だな」
「うむ。便利と言うことは実用的ということ。変な使い方をしなければ、特にリスクもないからの。多くの者がコレを求めた。だが習得できたのは一握りの達人のみ。そしてその者達は揃ってめざましい活躍をした。どうじゃ、実に高度であろう?」
「そんなに難しいのか? そんな感じはしなかったけど……」
アリスの説明を聞いて、秋斗は怪訝そうな顔をする。彼からしてみたら、「やってみたらできた」というのがあの集気法だ。実用性は認めるものの、高度で難易度が高いようには思えない。
「まあ、今のこの世界であればそうであろうな」
「どういうことだ?」
「今この世界には魔素が溢れておる。やり方さえ知っていれば、集気法を使うのは難しくない」
「まるで、以前はそうじゃなかった、って口ぶりだな」
「我はただそれを知っているだけ……。だがデータベースによれば、そうだったらしいの」
アリスは肩をすくめてそう答えた。だが彼女の言うことは筋が通っている。魔素が少なければそれを集めるのに苦労するのは道理。逆に多ければ簡単に集められるというのは、納得できる話である。
「集気法を使える者は少なかった。そして文明が発達し、魔道炉が生み出されて広がるとその使い手はさらに減った。その時代であれば、集気法を使うのは達人を通り越してもう変態じゃの。なんせ他に便利な道具がいくらでもあった」
「……悪い、その魔道炉ってのはなんだ?」
「魔素を集め、使いやすいエネルギーに変換する装置じゃな。機械的に集気法を行う装置とも言い換えられる。要するにコイツが少ない魔素をさらにかき集めたから、集気法の難易度がさらに上がったわけじゃ」
秋斗の質問に、アリスはミルクティーを飲みながらそう答える。そしておかわりをマグカップに注ぎ、そこへまたガムシロップを次々に投入していく。だが彼女が満足するより前にガムシロップが尽きる。アリスは秋斗に不満げな顔を向けた。彼はそれを笑顔で無視する。そして強引に話を続けた。
「アリスの話からすると、この世界にはかつて高度な文明があって、たくさんの人がいたみたいだな」
「う、うむ。その通りじゃ」
「じゃあ、なんで今はこのありさまなんだ?」
「……少々、長くなる」
「いいよ。どうせ向こうでは一秒だ」
秋斗がそう即答すると、アリスは小さく苦笑した。そしてキャラメルに手を伸ばし、しかし包みははがさずに手のひらの中でもてあそぶ。それから長いため息を吐き、甘くないミルクティーを一口啜る。それから口を開いてこう言った。
「さて……。では何から話したものか……。やはり鍵となるのは“魔素”じゃな」
そう前置きして、アリスはゆっくりと話し始めた。
秋斗がアナザーワールドと呼ぶこの世界には、人の歴史より早く魔素が存在していた。ただし地質学上の発見によれば、惑星の誕生と同時に魔素が存在していたわけではない。魔素の痕跡が表れるようになったのはある地質時代からで、それより古い地質時代に魔素の痕跡は見当たらなかったからだ。
「じゃあ、魔素は一体どこから来たんだ?」
秋斗がそう尋ねる。当然の疑問だろう。だがアリスは苦笑して「そう急くな」と彼を宥めた。そしてこう言葉を続ける。
「魔素はどこから来たのか? それを話す前に、まずは人の世において魔素とは一体何であったのかを話そう」
魔素とは一体何なのか、学術的な見地からすれば「不明」と答えるしかない。少なくともアリスのデータベースにはっきりとした答えは載っていない。だがそれは魔素について何も分かっていないことを意味しない。
経験則上、あるいは無数の試行錯誤を繰り返して、この世界の人類は魔素の性質と利用法を学習してきた。そして魔素がエネルギーとしての性質を持っていたことで、魔素は人類史と切っても切れない関係となることになる。
「正体が不明なのに利用できるって、なんかおかしくないか?」
秋斗はそう言って首をかしげたが、これはリアルワールドにおいても珍しいことではない。例えば光や電気はその正体が未だに「不明」である。人類が知っているのはその性質と利用法だ。そして人類は光も電気も使いまくっている。分からないモノを分からないまま使う能力というのは、人類の大きな力なのかもしれない。
まあそれはそれとして。魔素はエネルギーだ。より正確に言えば、エネルギーとしての性質を持つ。だがこのエネルギーは決して人類にとって利用しやすいものではなかった。むしろ奔放、いや混沌とした性質を持っていて、長らく人類社会を悩ませる頭痛のタネだった。
「モンスターか」
「うむ。そういうことじゃ」
秋斗の推測をアリスは大きく頷いて肯定する。魔素はモンスターを生み出す。モンスターを倒すことで魔石という資源を手に入れることはできるが、そのメリットを大きく上回るくらいにデメリットが大きい。
実際、この世界の歴史では魔素溜まりから強力なモンスターが現われて、そのために国が滅ぶような事例も珍しくない。モンスターに対抗するべく人類は武技や魔法を発展させたが、その根本にあるのはやはり魔素だ。
魔素と人類の間には、良くも悪くも切っても切れない関係がある。だが歴史のある時点からその関係は大きく変容していることになる。そのきっかけとなったのは、他でもない「魔道炉」だった。
アリス「モンスター、糖尿病にならない」