サル
秋斗が目を覚ましたのは、午後の一時半前のことだった。だいたい四時間ほど睡眠をとったことになる。さすがに寝起きはぼんやりとしていたが、少し動けば頭もシャッキリしてくる。トイレを済ませると、彼は次の探索のための準備に取りかかった。
おにぎりはまだタッパーの中に残っているが、量的には足りないだろう。ただ炊飯器の中にもうご飯が残っていない。それで食パンにジャムなどを塗って、それをラップで包んで持っていくことにした。他にも、そのまま食べられるものを幾つか用意する。ファルムの実もカットした物をタッパーに入れておく。
飲み物は、水筒にお茶を入れていくが、同時に水を入れたペットボトルも用意しておく。2L用意したので、これで水が足りなくなることはないだろう。そして用意した食料品をストレージに放り込み、秋斗は満足げに一つ頷いた。
食料品の用意が終わってから、最後に秋斗は探索服に着替えた。まだ洗濯していないので少々ほこりっぽいが、どうせ向こうに行けば気にならない。最後にブーツを履いて、彼はアナザーワールドへ向かった。そして遺跡エリアを抜けたところで、秋斗はシキにこう声をかけた。
「なあシキ。そろそろ山の方に手を付けないか?」
そもそも現在の目標は、「山の頂上から周囲の様子を確認すること」である。その前段階として、山の周囲の比較的見晴らしの良い範囲をマッピングしていたのだ。そしてそのマッピングも、すでにある程度の所まで進んでいる。このまま惰性でマッピングを続けると、それこそ山の周囲をぐるりと一周するような、本末転倒な事になりかねない。
それを考えれば、いよいよ山の頂上を目指すというのは、タイミング的には有りだろう。もしかしたらモンスターのレベルが上がるかも知れないが、秋斗のステータスや杖術のレベルもそれなりになってきているのだ。
[反対する理由はないな]
「じゃあ」
[アキがそれを望むのなら、わたしはそれをサポートするだけだ]
「よし!」
シキの同意が得られ、秋斗は歓声を上げた。そして小高い山の方へ、意気揚々と歩き出す。彼が山裾へ足を踏み入れ、徐々に勾配を感じるようになったのは、それからおよそ三〇分後のことだった。
勾配を感じるようになると、それに伴って周囲の景色も変わっていく。木が多くなってきたのだ。そのため、視界はあまり良くない。シキに確認すると、やはりマッピングできる範囲も狭くなっているという。
それでも秋斗は水平方向に動いてマッピングの範囲を稼ごうとは思わなかった。現在の目標は登頂である。マッピングを行うのは、その後でいい。もしかしたら、マッピングする必要さえないかもしれないのだ。
さて、緩やかな勾配を上ること、およそ十分。その間、秋斗はまだ一体のモンスターにも遭遇していない。順調なのは良いことだ。しかし周囲の雰囲気が妙に張り詰めてきていることを、秋斗は感じ取っていた。そしてついに、シキの警告が響く。
[後ろ! 上からだ! しかも三つ!]
秋斗は即座に振り返り、同時に視線を上に上げる。襲ってきたのはサルのようなモンスター。木の枝から飛び降りてきたのだろう。上の方から秋斗目掛けて降下してくる。しかも三体のサルはそれぞれ手に木の棒を持っていた。
「……っ」
秋斗は反射的に杖を両手で掲げて防御姿勢をとった。そこへ一体のサルが木の棒を大きく振り上げて襲いかかる。サルの目は赤々としており、剥き出しの牙は凶悪だった。そしてそのサルは降下の勢いそのままに、手に持った木の棒を振り下ろした。
――――バギィィ!
イヤな音を立てて、秋斗の杖が真っ二つにへし折れる。彼はその様子を呆然と見つめた。そこから先はひどい泥仕合だ。
折れた杖をサルの腹にねじ込む。組み付いてきたサルを振り払おうとしている内に、バランスを崩して斜面を転がり、その際に掴んだ石でサルの牙を折った。頭がフラフラするのはアドレナリンが出過ぎているせいか、それとも木の棒でぶっ叩かれたからか。腕に噛みついてきたサルをそのまま木に叩きつけ、それでも放さないので頭を掴んで何度も木に打ちつけた。気がつくと、三体のサルは全て黒い光の粒子になって消えていた。
[アキ、ポーションを使え!]
シキの焦った声が頭の中に響く。秋斗はそれをぼんやりと聞いていた。視界はグラグラしていて、膝に力が入らない。「あ、やばいな」と思った瞬間、彼はその場に座り込む。頭がズキズキするのを堪えつつ、彼は上着のポケットから赤ポーションを取り出してそれを口に入れた。
グミのような赤ポーションを咀嚼すると、スッと頭の痛みが引く。揺れていた視界も焦点が定まってクリアになる。顔にヌルリとした感触があり、手で拭ってみると血だ。秋斗はこの時初めて、自分が出血していることに気付いたのだった。
[アキ、大丈夫か!?]
「あ、ああ。何とか」
まだ焦っている様子のシキにそれだけ答え、秋斗はゆっくりと立ち上がった。改めて自分の様子を確認してみれば、ひどいものだ。探索服は泥まみれで、あちらこちらに血が滲んだり穴が空いたりしている。
[アキ、一度ダイブアウトしたほうが良い]
シキの言葉に、秋斗は一つ頷く。ただすぐにはダイブアウトしない。魔石と、サルたちが持っていた木の棒をそれぞれ三つずつ回収してから、シキに急かされるようにしてダイブアウトした。
リアルワールドに戻ってくると、秋斗はまず探索服を脱いだ。まだ捨てる気はないが、ずいぶん汚れてしまっている。洗濯機は使わず、浸け洗いにすることにした。
ラフな格好に着替え、ストレージからお茶とジャムを塗ったパンを取り出し、一息つく。大きく吐き出したのはため息だった。色々な感情がグルグルと渦巻く。それでも口に出したのは、比較的冷静な一言だった。
「武器が、無くなっちまったな……」
[そうだな]
「どうする? どうしたらいいと思う?」
[選択肢は幾つかある]
先ほど回収してきた木の棒を使うか、あるいは別の武器が宝箱(白)から出るまで粘るのか。リアルワールドで何かしらの武器を調達するという手もあるし、それこそ武器を自作するという方法もある。
「作れるのか?」
[石器くらいなら、おそらく]
シキの返答を聞き、秋斗は「へえ」と感心したように呟いた。それから彼は少し考え込み、そしてゆっくりと考えをまとめるようにしながらこう答えた。
「……できれば武器は、向こうで、調達したい」
[その理由は?]
「さっきの探索で思い知ったけど、やっぱり武器は消耗品だ。よほど優秀な武器なら違うのかも知れないけど、そんなモノが手に入るのはずっと先だろう。となるとこの先も探索を続ける限りは、武器は入れ替えていくことになる。そのたびにお金を出して買っていたんじゃ、財政破綻してしまう」
秋斗の生活費は、離れて暮らす実父が出してくれている。そのおかげで彼はバイトもせずに済んでいるが、しかしそうそう余裕があるわけではない。しかも今後、食費は増大する見込みなのだ。一方で現在、アナザーワールドから収益を得られる見込みはない。それを踏まえれば、探索の必要経費はなるべく安くしておきたいのが彼の本音だった。
[ふむ。だが武器のドロップ率は知っての通りだぞ?]
「だから石器をアテにしてるんだけど……」
[そちらは何とでもしてみるが。だが今更装備をフライパンと金槌に戻すのは賛成できないな]
「そこなんだよなぁ……」
秋斗はそうぼやきながら、ジャムを塗ったパンを頬張った。お茶を飲んで口の中をリセットし、またパンを食べる。そしてラップに包んでいた二枚サンドのジャムパンを食べ終えると、彼はおもむろにこう言いだした。
「よし。スコップだけ買おう」
[とりあえず理由を聞いておこう]
「スコップなら武器としても使えるらしいし、結構頑丈だし、なによりそんなに高くないし」
[まあ、納得できる理由だな]
「あと、スコップは最強の武器らしいし」
[そんな最終決戦用兵器は日本のホームセンターには売っていないから諦めろ]
シキの突っ込みにケタケタ笑いながら、秋斗は出かける支度を始める。最寄りのホームセンターまでは自転車で片道およそ十五分。スーパーと同じだが、それもそのはずでホームセンターはスーパーの隣に併設されているのだ。
[アキ。スマホを貸してくれ。石器の作り方を調べたい]
「あいよ」
シキの要望に応えてスマホをストレージに突っ込んでから、秋斗は自転車にまたがってホームセンターへ向かった。調べ物に没頭しているのか、ホームセンターに向かう間中、シキは静かだった。
[ビニールロープも買っておいてくれ。石器に使う]
ホームセンターに到着すると、シキのそんな声が頭の中に響く。その注文に、秋斗は黙って頷いた。周りに人がいるので、一人でブツブツ言っていると、変な人に思われるのだ。
学校では何度かやらかしていて、友達からは「変な電波でも受信してんのか?」と言われてしまった。実のところ、受信するまでもなく頭の中にいるのだが。それはもちろん秘密である。
目当てのモノを買うと、秋斗はさっさと帰路についた。ちなみに購入したスコップは先が丸いヤツである。スコップは自転車の籠に入らないので、片手に持って秋斗は自転車をこぐ。あまりよろしくないのだが、他に方法がないので大目に見てもらいたい、と彼は心の中で誰にともなく言い訳を述べた。
まあそれも途中までだ。周りに人目がなくなると、秋斗はさっさとストレージにスコップを片付けた。そして身軽になってから、坂道を上っていく。アパートに戻ってくると、今度は迷彩柄の探索服に着替える。そして今一度アナザーワールドへダイブインするのだった。
おサルさん「強襲降下部隊だぜ!」