佐伯邸
ゴールデンウィークが始まる前日。秋斗は学校から帰ってくると、手早く準備を整えてバイクにまたがった。これから東京の佐伯邸へ向かうのである。わざわざ前日に出発するのは混雑を回避するためだ。
予定では佐伯邸まで四時間弱。到着する頃にはすでに日が落ちているだろう。夜にまったく初めての道で、しかもバイクではナビも使えないが、道に迷う心配はない。道案内ならシキがしてくれる。バイクの給油は昨日のうちに済ませてあり、秋斗は意気揚々とエンジンを吹かした。
まだゴールデンウィークに入っていないからなのか、道はずいぶんとすいている。秋斗はストレスフリーなドライブを楽しんだ。もっとも東京へ近づけばその分だけ交通量は増える。これまで基本的に田舎道しか走ったことのない秋斗にとって、東京都心の交通量は衝撃的だった。
「ゴールデンウィークは明日からだろ……? ってことはなに、普段からこの量なの?」
[データがないのでなんとも言えんが。極端に多い、ということはないだろうな]
「どうしよう。今の時点で結構うんざりなんだけど」
[アキが考えている大学の周辺は、こんなに交通量は多くないだろう]
「そりゃ安心だ。……いや、安心なのか?」
シキとそんな話をしつつ、秋斗は安全最優先でバイクを走らせて佐伯邸に到着した。予定よりも幾分時間はかかったものの、とにかく無事に到着できて彼は安堵の息を吐いた。
「やあ、秋斗君。こんばんは。夕食はもうすませたかな?」
「こんばんは、勲さん。夕食はサービスエリアで食べてきました」
玄関で勲と秋斗はそうあいさつをして、それから握手を交わした。ひさしぶりに対面で会った勲は、以前よりも溌剌としているように見える。それでいて纏う雰囲気は穏やかだ。社長から会長へ退いたこともあるのだろうが、一番大きいのはやはり奏が目を覚ましたことなのだろう。生活に張り合いが出ているようだった。
握手をしてから二人は一度外に出て、秋斗のバイクを屋根付きのガレージに駐めさせてもらう。ガレージのシャッターを閉めてしまえば、外から中の様子はわからない。つまりバイクをストレージや収納袋に収納しても、人に見られる心配はない。まあ今は普通に駐めておくだけだが。
「いらっしゃいませ、秋斗さん」
「おじゃまします、奏ちゃん」
改めて佐伯邸に入ると、今度は奏が秋斗を出迎えてくれる。自宅ということもあり、彼女はラフな格好をしていたが、楚々としたそのたたずまいのおかげでだらしなさは感じない。お風呂に入った後なのか、長い髪の毛が湿っている。
秋斗が奏と対面で会うのは、病院での一件を別にすればこれが初めてだ。あの時と比べると、当然ながら奏の血色や肌つやはすこぶる良い。表情にも生気が満ちていて、もうすっかり健康であることは一目瞭然だった。
いや、奏が健康な身体を取り戻したことは、秋斗も前から知っている。画面越しでなら、何度か顔を合わせているのだ。ただ直に会うと、何というか、やはり情報量が多い。大和撫子風の美少女だとは思っていたが、実物は思っていた以上だった。
学校では高嶺の花だったというが、それも納得である。むしろ彼女をイロモノ扱いしようという中学生たちに、秋斗は呆れと共に「恐い物知らずだな」と思わざるを得ない。まあ、モンスターを蹴り上げた姿を直に見ていれば、また違うのかも知れないが。
「秋斗さん? どうかされましたか?」
奏が小首をかしげる。そんな姿は年相応に幼く見えて、秋斗はちょっと安心した。そしてそれをごまかすかのようにこう答えた。
「いや、奏ちゃんの同級生は恐い物知らずだと思ってね」
「秋斗、さん?」
奏が笑顔で圧をかける。とはいえ相手はアナザーワールドで散々モンスターと対峙してきた男。その程度の圧で萎縮するはずもなく、秋斗は小さく肩をすくめて彼女の頭をポンポンと撫でた。
この日、秋斗は佐伯邸に泊まった。応接室で少し雑談をし、持参した手土産(アナザーワールド産の食材)を手渡す。それからお互いに必要なアイテムを物々交換し、さらに秋斗は鑑定のモノクルを勲から借りた。
「本当に、何度見ても不思議な道具ですよね……。四次○ポケットみたいです」
秋斗と勲がそれぞれ収納袋にアイテムを出し入れする様子を見て、奏がしみじみとそう呟く。今でこそ落ち着いているが、初めて見たときは彼女もずいぶん驚いたという。秋斗はこういうアイテムについて「そういうものだ」と割り切ってしまっているので、伝え聞く彼女の反応はなんだか新鮮だった。
アイテムの物々交換を終えると、秋斗は勧められてお風呂を借りた。佐伯邸の浴室は秋斗が住むボロアパートの浴室とは桁違いである。個人宅のお風呂にジャグジーがついているとか、ちょっと彼の理解を超えている。彼はややカルチャーショックを受けながら汗を流した。
「おおぅ……、じゃぁぁぁぐじぃぃぃぃ」
変な声を出しながら、秋斗はお風呂を楽しむ。勲が自慢していただけあって、ジャグジーはなかなかのものだ。人様んちのお風呂を堪能する彼に、シキがこう声をかけた。
[アキ、リラックス中のところすまないが。アリス女史のことは、勲氏に伝えなくて良いのか?]
(あ~、まあ、まだ良いんじゃない? 聞きたいこともまだ全然聞けてないわけだし)
[ふむ、アキがそう言うなら、わたしはそれで構わないが]
(それより例の車っぽいオブジェクト、鑑定の方はどうだ?)
[実に興味深い。後で詳細なレポートを用意してやろう]
(ほどほどで頼むぞ、ほどほどで)
お風呂から上がると、秋斗はゲストルームに案内された。寝袋でも良かったのだが、ちゃんとベッドがあるのでそちらを使わせてもらう。そしてしっかりと寝た翌朝、泊めてもらってなにもしないわけにはいかないので、朝食は秋斗が作った。結構好評だったが、まあ半分はお世辞と社交辞令だろう。
さてゴールデンウィークの一日目。今日はまだドリームランドへは行かない。ホテルの予約の関係で、ドリームランドへ行くのは明日の予定になっている。それなのに秋斗がわざわざ前日から東京入りしたのには、混雑を避ける以外にも理由がある。最近になって志望校候補に急浮上した大学の見学だ。
秋斗は一人で行くつもりだったのだが、奏が「わたしも行ってみたいです」と言いだしたので、勲が車を出してくれることになった。ただ勲は「仕事をしているよ」と言ったので、大学の見学自体は秋斗と奏の二人で行った。
「大学って、ずいぶん雰囲気が違うんですね……」
感嘆混じりにそう呟いたのは奏だった。彼女の言いたいことは秋斗もよく分かる。小学校、中学校、高校までは学校の雰囲気や造りというのはだいたい似通っている。だが大学は違う。個々に差はあるのだろうが、秋斗は高校までと比べて開放的だと感じている。一方で奏はこんな風に感想を述べた。
「お洒落っていうか、洗練されているっていうか……。すごく大人っぽいです」
ちょっとうっとりして眺めながら、奏は大学構内を見学する。直接研究室の見学はしなかったが、パネル形式でそれぞれの研究室が紹介されていたので、秋斗はそれを興味深く眺めた。
「ところで秋斗さん。わたし達って、どう見えていると思いますか?」
見学の途中、奏は腕を絡めながら秋斗にそう尋ねた。悪戯っぽく微笑む彼女がどんな答えを期待しているのかは、秋斗もだいたい分かる。だから彼は肩をすくめてこう答えた。
「高校生二人に見えているんじゃないのか? ほら、奏ちゃんは大人っぽいから」
「むう……、まあ、いいです。それよりほら、あそこで写真を撮りましょう!」
建物に囲まれた中庭に前衛的なオブジェクトを見つけ、奏が秋斗の腕を取って小走りに駆け出す。手を引かれる秋斗の頭の中で、シキが面白がるようにこう話した。
[察しの悪い男はモテないぞ?]
(そこまでごっこ遊びには付き合えないよ。乙女のプライドは自分で回復してもらうさ)
シキにはそう答えたが、秋斗は楽しげな様子で奏と写真に写った。何も知らない人間がその写真だけ見れば、ずいぶんと仲の良い男女に見えるに違いない。ちなみに前衛的なオブジェクトはあんまり写っていなかった。
大学の見学を終えると、秋斗と奏は喫茶店で勲と合流し、そのままそこで昼食を食べた。佐伯邸に帰宅すると、その日の午後は秋斗も奏も受験生らしく勉強に精力を傾ける。全ては明日、心置きなく遊ぶためだ。いや、勉強はどれだけしても十分ということはないのだろうが、心理的な抵抗を下げる努力は必要なのだ。
「夕飯はわたしが作ります!」
そう言って髪をまとめ、エプロンを身につけたのは奏だった。どうやら朝食を秋斗が作ったことに触発されたらしい。もしかしたら、これも乙女のプライドの問題なのかもしれない。まあ、誰もそんなことは話題にしなかったので真偽の程は分からないが。ちなみに奏が作ってくれたのはハンバーグで、普通に美味しかった。
(人が作ってくれたのを食べるのは久しぶりだな……)
秋斗はふとそんなことを思ったが、よくよく考えてみれば学校で昼食時におかずの交換をしょっちゅうしている。人の作ってくれたものは結構食べているなと思い直し、彼はまた切り分けたハンバーグを口に運ぶのだった。
夕食後は、奏が遊びたがったので秋斗はそれに付き合った。ただ遅くまで遊ぶことはしない。本命は明日だからだ。むしろ明日万全の状態で遊び倒すため、勲を含めて三人は早めに就寝した。
秋斗「収納袋は便利だけど、勉強道具まで持ってこれちゃうのは余計だよね」
シキ[いいから次の問題だ]