山岳道路エリア1
春休みの終わり頃、秋斗は紗希とツーリングしたドライブコースで再びバイクを走らせていた。ただし、今度は一人で。ドライブコースは相変わらず閑散としていて、秋斗の他にバイクや車は一台も走っていない。またしても貸し切り状態の道路で、彼はエンジンを吹かしてバイクを走らせる。ただ秋斗は別にツーリングに来たわけではなかった。
しばらくバイクを走らせ、紗希とおしゃべりをした、街が一望できるあの展望台へ到着する。秋斗はエンジンを止めてからバイクを降り、ヘルメットを脱いで辺りを見渡した。展望台に駐車している車やバイクはなく、そして見える範囲に人影もない。それでも彼は念のためシキにこう尋ねた。
「シキ。周囲に反応は?」
[オールグリーンだ]
その返答を聞き、秋斗は小さく「よし」と呟いた。そして上着を脱いでバイクにかける。彼が下に着ていたのは、いつもの探索服だった。つまり彼はこの展望台へ、アナザーワールドを探索するつもりで来たのだ。紗希と一緒に来たとき、他に人の姿がなく、「これはちょうど良い」と思っていたのだ。
「マンガ喫茶に行くのも、金がかかるからな」
[気にするほどではないと思うが]
シキがツッコむが、秋斗が気にした様子はない。まあ費用はともかくとしても、マンガ喫茶やカラオケボックスなど、個室を借りられる場所というのは主に市内に集まっている。つまり比較的狭い範囲に密集しているわけだ。
店側としてもお客に来て貰わなければ商売にならないのだから、これは仕方がないというか当然のことだろう。ただ「アナザーワールドへダイブインするための場所」として考えると、数百メートル程度離れただけではあまり意味が無いように思える。結局、似たような場所にダイブインするだけになるだろう、と思ってしまうのだ。この場合、秋斗の事情が特殊すぎるだけで、もちろん店側には何の落ち度もない。
バイクを使って探索範囲を広げる、という手もある。そもそもそのために秋斗は免許を取り、バイクを買ったのだ。だがバイクを走らせるには燃料代が必要だし、オイル交換などのメンテナンスも必要だ。つまりバイクを走らせるにもコストがかかる。そういう諸々を勘案すれば、「新しいエリアを開拓するためにダイブインする場所を変える」というのは今も有効な手段なのだ。
それで秋斗は他に人に見られることなくダイブインできる場所を探していた。またダイブインやダイブアウトの瞬間を見とがめられないにしても、「コソコソと何か怪しいことをしている」と思われるようなことは避けたい。彼が暮らしているのは田舎だが、そういう条件を満たせる場所は意外と少なかった。
その点、人がほとんど来ないこの展望台は都合が良い。秋斗が度々ここを訪れても、アナザーワールドのことを知らない人たちは「ツーリングを楽しんでいるのだろう」と勝手に納得してくれる。後はほんの数秒、人目の無い状態を作れれば良い。
「さて、と」
展望台に秋斗以外に人はいない。だが彼は念のため、駐車場のすぐ脇に生えている数本の木の間に分け入った。ここなら道路からも展望台からも目隠しになっている。仮にここから出てきたのを見られたとしても、「立ちションベンしてたんだな」くらいに思ってくれるだろう。
(案外、本当にそういう用途で使われてたりしてな、ここ)
秋斗は心の中でそう呟く。予算の関係なのか、展望台には公衆トイレが整備されていない。尿意をもよおしてしまったとして、仕方がないのでここで、というのはあり得る話だ。というか、だから観光客が来ないんじゃないかと彼は思ったが、まあそれはそれとして。
秋斗は何食わぬ顔でズボンのポケットに手を入れる。そしてそこに入れておいた、幸運のペンデュラムを発動させた。これからまったく新しいエリアへ行くのだ。危険を減らすためのリスクマネジメントである。そして得るものが多くなればなお良い。まあ、比べようはないのだが。
「アナザーワールド、ダイブイン」
そう宣言すると、秋斗の視界が一瞬で切り替わる。アナザーワールドへやって来ると、彼はまず真っ先にストレージからロア・ダイト製の六角棒を取り出す。そして武器を手に持ってから、辺りを見渡して周囲の様子を探った。
「道路……?」
秋斗が立っていたのは、舗装された道路の上だった。コンクリート製だろうか、東京でダイブインした時のコンクリートジャングルのそれと質感が似ている。そして廃墟となっていたコンクリートジャングルと同じく、この道路も人が通らなくなってからすでにかなりの年月が経っているように見受けられた。
道路から少し視線を上げると、そこには急な傾斜の斜面がそそり立っている。反対側も同様で、まるでここは山の中に通された高速道路のようだった。それぞれの斜面には木々が茂っていて、やはり放置されてずいぶん経っているように思える。もう少し視線を上げると、山々の頂も見えた。
道路は、緩やかとはいえ曲がりくねっているようで、右を見ても左を見てもあまり先までは見通せない。そして見える範囲にモンスターを含めめぼしいものは見当たらず、またシキからも警告はない。秋斗はひとまず「ふう」と息を吐いた。
それからもう一度ストレージを開き、今度は隱行のポンチョを取り出す。ここは遺跡エリアとその周辺の気温と同じくらいで、つまりコートは必要ない。どんなモンスターが現われるのかはまだ分からないが、分からないからこそ気配を薄くしてくれる隱行のポンチョは装備しておいた方が良いだろう。
ちなみにリアルワールドで、特にバイクに乗る場合、秋斗はこの隱行のポンチョを使わないようにしている。理由は事故に遭わないようにするためだ。気配を薄くしたために気付いてもらえず、それが事故に繋がったりすれば、それは双方にとって不幸なことだろう。
しかもそれは回避できたはずの不幸だ。それで秋斗はツーリングの最中はこのポンチョを装備していなかったのだ。まあ、バイクを降りた時点で装備すれば良かったと思わないでもないが。
「さて、と。新しいエリアに来たわけだけど……、ここはとりあえず山岳道路エリアとでも呼ぼうか」
バスタードソードも腰に吊してから、秋斗は周囲を見渡しながらそう呟く。「高速道路のよう」と先ほどは感じたが、山岳道路としておいたほうが分かりやすいだろう。そもそも彼以外に使う者はいないので、彼が良ければそれで良いのだ。
さてエリアの呼称が決まったところで、いよいよ探索の開始である。まずは道路のどちら側へ行くのか、決めなければならない。秋斗は少し考えてから一枚のコインを取り出した。以前に城砦エリアで手に入れた銀貨である。
コインの表が出たら右へ、裏が出たら左へ行く。秋斗はまずそう決めた。コインに頼るのは、幸運のペンデュラムの効果をアテにしてのことである。ちなみにコインの表裏は適当に決めた。彼は親指でコインを弾き、右の手の甲の上に左手で上から蓋をするようにキャッチする。左手を開けてみると、コインは裏だった。
「じゃ、左だな」
秋斗はコインを片付け、コインの出目に従って道路を歩き始める。道路の幅は、日本でいうところの片側一車線くらいで、中央分離帯はない。あまり広い道路ではないが、秋斗一人が動き回る分には十分な広さに思えた。少なくとも六角棒を振り回すのに苦労はしないだろう。
「さぁて、この道はどこへ続いているのかね?」
[ローマ、か?]
「コッチにローマがあったら驚きだよ。まあ、遺跡エリアはなんとなくローマっぽいけど」
[残念ながらこの道は遺跡エリアへは通じていないぞ]
「ポツンと孤立してるからな、あそこ」
シキとそんなことを話しながら、秋斗は道路を歩く。歩きにくさは感じない。これならバイクを持ってくれば良かったかな、と秋斗は思った。
(まあ最初だし、ゆっくりやるさ)
この山岳道路エリアが良い稼ぎ場になるのなら、この先何度も来ることになるだろう。だが探索のスタート地点は常に同じ。探索済みの範囲を手早く移動するにはバイクが有効だろうが、今はまだそういう段階ではない。
しばらく歩いていると、秋斗はファーストエンカウントを迎えた。モンスターが現われたのだ。身長は2メートルもあるだろうか。がっしりと肉のついた身体は、縦も横も大きい。肌は緑色で、顔は醜悪な豚面。オークだ。手には木を削っただけの棍棒を持っている。秋斗はひとまず、脇によって身をかがめた。
「オークか……。ゴブリンと同じくファンタジーの定番だな」
つまりゴブリンがいたのだからオークがいてもおかしくはない。ただオークとゴブリンでは体格があまりにも違う。まさに大人と子供で、秋斗はこれから大人の方を相手にしなければならないのだ。
秋斗がいる道路は遮蔽物がほとんどなく、つまり見晴らしが良い。彼は身をかがめてはいるが、ほぼ丸見えだ。彼がオークを見つけたのであれば、逆にオークが彼に気付いてもおかしくはない。だが隱行のポンチョの効果なのだろう。今のところその様子はなく、秋斗は目を逸らさないようにしながら思考を一歩先へ進めた。
(何を想定しておくべきだ……?)
例えばゴブリンの場合、ホブ・ゴブリンやゴブリン・メイジ、ゴブリン・ソルジャーなど、秋斗の勝手な分類ではあるものの多数の種類がいた。オークも同様のパターンを想定しておくべきだろう。
つまり上位種がいる可能性だ。肉体的な強靱さはもちろん、装備が充実するだけでも厄介であることを秋斗は十分に知っている。ファーストエンカウントのオークはほぼ全裸だが、今後、しっかりとした装備のオークが現われることは十分にあり得る。
また一度に多数を相手にすることも想定しておくべきだろう。ゴブリンはそうだったし、リザードマンもそうだった。ただ身体が鱗や甲殻に覆われているわけではない。雷魔法は良く利くのではないか。秋斗はそう思った。
(あとは何だろ……。身体がデカいってことは、その分力も強いだろうし……、こっちに女はいないし……)
[ボッチだしな]
(だまらっしゃい)
サブカルチャー情報に引きずられそうになったところで、秋斗は一旦考えるのを止める。そして次に目の前のオークをどう倒すかを考えはじめた。敵は相変わらず彼に気付いた様子はない。不意打ちしたいところだが、両者の間に身を隠せそうな遮蔽物はない。近づけばその分だけ、気付かれる可能性が高くなる。
(それはそれで最初に確認しておくべきかも知れないけど……)
胸中でそう呟きつつ、秋斗はストレージから弓と矢を取り出した。まずはこれで射撃することにしたのだ。身体強化を使って一気に間合いを詰めるという手もあったが、探索はまだ始まったばかり。魔力と体力は温存したかった。
秋斗は立ち上がり、しっかりと踏ん張って弓を引く。オークはまだ彼に気付いていない。彼は自分のタイミングで弓を射た。
オークさん「野郎だけだなんて……」
作者「この作品は全年齢対象です」