探索範囲の拡大
二連休の二日目。この日の朝、秋斗は大量のおにぎりを握っていた。アナザーワールドで食べるためのおにぎりであり、とりあえず二食分用意するつもりだった。余ってしまったら、リアルワールドに戻ってきてから食べれば良いだろう。
水筒にお茶を入れ、おにぎりを詰めたタッパと一緒にストレージにしまう。あと、おやつ用に菓子パンも持っていく。それから秋斗はアナザーワールドにダイブインした。そしてフライパンを駆使してスライムを蹴散らしつつ、当面の目標である小高い山の方へ向かう。
遺跡エリアを抜けると、秋斗はフライパンをストレージにしまう。これは現在のメインウェポンである杖をもっと上手に使うための選択だった。彼が参考にしようとしているのは杖術の動画だが、さすが片手にフライパンを装備している動画はなかったのだ。
加えて、秋斗は今の自分の課題を、多数を相手にしたときの立ち回りの拙さだと思っている。その課題を克服するためには、ちゃんとした杖術を参考にしたほうが良いだろうと思ったのだ。……ネット上の動画が「ちゃんとした杖術」であるかは、また別問題なのだが。
「よし、行くか」
[うむ。気をつけてな]
ほどほどに気合いを入れて、秋斗はこの日の探索を開始する。とはいえこのあたりはマッピング済みだし、出現するモンスターがいきなり強くなるわけではない。ジャイアントラットなどのそこそこ弱い敵を相手にしながら、彼は杖術の練習に励んだ。
「お、ドロップ」
そう言って秋斗が微妙な顔になりながらつまみ上げたのは、ドロップアイテム「ジャイアントラットの尻尾」である。鑑定したわけではないのだが、それ以外に形容のしようがないドロップ品だった。
実のところ、昨日の段階ですでにジャイアントラットの尻尾はドロップしていた。どう考えても使い道がなかったので、拾わずにそのまま放置していたのである。またリュックサックなどを持ち込んでいなかったので、回収しても持ち運びに難があったというのもある。
使い道が思い浮かばないのは、今も変わらない。だが今はストレージがある。回収しても邪魔にはならないだろう。秋斗はそう思ってジャイアントラットの尻尾をつまみ上げたのだが、本当にコレを回収して良いのか不安になる。何しろコイツは生モノだ。腐ったりしないだろうか。
「……やっぱり止めておこう」
そう呟き、秋斗はジャイアントラットの尻尾を投げ捨てる。ストレージの肥やしにするには、少々ゲテモノに過ぎる。結局、彼はこれまで通り魔石だけ回収するのだった。
その後も、秋斗は探索範囲を広げながら、杖術の練習に励んだ。まったく自分の感覚としての話だが、少しずつ身体が動くようになっているように思う。一対多の戦いにも徐々に慣れ、シキのサポートがあればジャイアントラットを三匹まではなんとか同時に捌けるようになった。
そしてモンスターと戦っていれば、それなりにドロップアイテムも出る。ジャイアントラットの尻尾は捨てていたが、一角兎の角などは回収していた。他にも宝箱(白)が出て、二着目の探索服(上下)をゲットできたのは秋斗にとって嬉しかった。洗濯すると乾いていない時もあったのだ。
「今度は迷彩柄か。探索服っていうより、軍服だな。まあ、似たようなモンか」
そう言って秋斗は新しい探索服をストレージにしまった。ただ相変わらず、武器らしい武器は出てこない。そこだけちょっと彼は不満だった。
さて、三時間ほど探索を行うと、秋斗は適当な木陰に腰掛けて休憩を入れた。そしてストレージからおにぎりを取り出してほおばる。お茶を飲み、一時間ほど休憩してから、彼はまた探索を再開した。
「何か、思ったほど休めなかったな」
秋斗はそうぼやく。彼自身が動き回らずとも、モンスターが近づいてくれば戦わざるを得ない。また実際に戦わないとしても、そうなる可能性があると思えば、完全に気を抜くことはできない。結果として、彼のアナザーワールドでの初めての食事休憩は、あまり質の高いものにはならなかった。
[慣れもあるだろう。回数を重ねれば、緊張も抜けるのではないのか?]
シキの言葉に頷きながら、秋斗は探索を再開する。実のところ、今回の探索はこれからが本番だ。つまり未踏破エリアに足を踏み込むのである。とはいえ時間の関係で足を延ばせなかっただけのエリアでもある。出現するモンスターも変化なしで、シキが忙しくマッピングしていることを除けば、探索する秋斗の様子は前半と代わり映えしないものだった。
それでも未踏破エリアを探索しているのだから、新たな発見はある。探索を再開してからおよそ二時間後、秋斗は新たな石板を見つけたのだ。刻まれた文字は相変わらず読めないが、彼は構わずその石板に触れる。得られた情報は次のようなものだった。
【一定範囲内でモンスターを倒し続けると、その範囲内におけるモンスターの出現率は徐々に下がる】
「これはアレか? セーフティーエリアを作るための情報ってことか?」
[本当にセーフティーエリアを作れるのかは別として、狙ったようなタイミングではあるな]
実際、狙っているのだろう。スタート地点さえ定まってしまえば、あとはそこからの距離だけで、一食挟む必要があるかどうかはだいたい分かる。となればやはり狙ってこの石板をこの位置に置いた存在がいるわけで、そういう裏の事情まで考えると秋斗は少々げんなりしてしまう。
[情報は情報として利用させてもらえば良いだろう。いわゆる運営側の意図が何なのかはまだ分からないし、判明したとしてこちらがそれに合わせてやる義理もない]
「ま、それもそうだな」
シキの主張に軽く同意し、秋斗は気分を変える。そしてまた探索を再開した。さらに一時間ほどマッピングを続けてから、彼はおやつ休憩を取るべく、「一定範囲内におけるモンスターの連続討伐」を行った。石板の情報が正しいなら、これでモンスターの出現率が下がるはずである。
「こんなもんか?」
[うむ。まあ実験だ。気楽にやればいいだろう]
シキに言われるまでもなく、秋斗もとことんまでやるつもりはない。それで出現率が下がってきたと思ったところで腰を下ろし、ストレージから菓子パンを一つ取り出して頬張った。その際、用意してきたお茶の残りを全部飲み干してしまった。次から2Lのペットボトルでももちこむかな、と秋斗は思った。
菓子パンを食べてから、またさらに一時間ほど休む。これはお腹を落ち着けるためだが、同時にモンスターの出現率を比べるためでもある。その結果は、出現率(もしくは数)は前回と比べて三分の一というものだった。
「微妙だな……。せめて十分の一くらいになれば……」
[まだ一回目の実験だ。さらなるデータの蓄積が必要だな]
シキの口ぶりからして、今後も実験は続けるようだ。それは別に良いのだが、飯を食う時間がだんだん短くなりはしないだろうかと秋斗は少し心配するのだった。
おやつ休憩を終えると、秋斗はまた探索を再開する。雑木林のようなものがあったので入ってみると、赤い木の実をたわわに実らせている樹木があった。一つ手に取ってみると、甘酸っぱい香りも合わさってなかなか美味しそうだ。とはいえその場で食べるような事はせず、幾つか収穫しておいて後で【鑑定の石板】で調べて見ることにした。
「いちいち【鑑定の石板】の所まで行くのも面倒だよな。シキ、鑑定できないか?」
[……今はまだ無理だ]
「まあ、ストレージ作ったしなぁ」
要するにスペック不足ということなのだろう。秋斗はそう解釈した。とはいえ残念がる理由にはならない。現状、その場で鑑定できないと凄く不便というわけでもない。それに今は無理でも、将来的には可能性があるのだ。
もっとも、後回しにされる可能性もある。ともかく【鑑定の石板】というツールはあるのだ。ならばもっと必要な別の能力、もしくは機能を、というはおかしな話ではない。まあそのときになって考えればいいか、と秋斗は気楽に考えた。
おやつ休憩から四時間ほど探索を行い、疲労感を興奮と緊張でごまかせなくなってきたあたりで、彼はアナザーワールドからダイブアウトした。ただすぐにダイブインして【鑑定の石板】のところへ行く。そして収穫しておいた赤い木の実を鑑定してみた。
名称:ファルムの実
ファルムの果実。食用可。
「ファルムの実」というのは聞いたことがない。恐らくリアルワールドにはない果実だろう。ファンタジーだな、と秋斗は思った。とはいえ、どうやら食べられるらしい。となればどんな味なのか、好奇心がうずく。彼はさっさとダイブアウトした。
アパートの一室に戻ってくると、秋斗はまず時間を確認した。時刻はまだ朝の九時過ぎ。このアナザーワールドとリアルワールドの時間の差には、彼もまだ慣れずにいる。それでも一日をより長く使えるのだから、お得な話だと思っていた。
ブーツを脱ぎ、手を洗う。ストレージから残ったおにぎりを取り出し、お茶を入れてからそれを食べる。デザートにファルムの実を食べたが、リンゴとスモモの中間のような味わいだった。ちょっと酸味が強いような気もしたが、まあ美味しいと言っていいだろう。
腹が膨れたら、シャワーを浴びて汗と埃を流す。ラフな格好に着替え、座布団の上であぐらをかいて、秋斗は一息ついた。これから一眠りするつもりなのだが、その前の雑談のつもりで彼はシキにこう声をかけた。
「シキ、マッピングは進んだか?」
[うむ。上々だ]
シキがそう答えると、ストレージが開いてルーズリーフが一枚出てくる。そこにはアナザーワールドで探索済みエリアの地図が描かれていて、その中にはさらに「new!」の文字が書き添えられている。きっとそのエリアが、さっき探索してきたエリアなのだろう。
「へぇ、結構広いな」
[見晴らしの良い場所だったからな。マッピングはしやすかった。それに新規エリアの探索にまとまった時間を使えたのは大きい]
主にストレージに突っ込んでいった食料品の手柄である。ルーズリーフに書かれたその地図を見ながら、秋斗はさらにこう尋ねた。
「ところでシキ、今日のオレの動き、どうだった?」
[こなれてきた感があると思うぞ。少なくとも素人の動きではなかった]
「そっか」
小さく頷きながら、秋斗はそう呟いた。「動画だけでも何とかなるもんだな」とか思っているが、これはどちらかというと蓄積した経験値とそれに伴うステータスアップの恩恵というべきだろう。つまりアナザーワールドを探索していない人間が、動画だけでほんの数時間の内に彼のレベルになるのは、ほとんど不可能と言って良い。
とはいえ今回は秋斗自身の話だし、彼は他の誰かをアナザーワールドに連れて行くつもりはない。自分のやっている事が無駄でなければそれで良いのだ。彼は手応えを感じ、同時に眠気も感じて、遮光カーテンを閉めて横になった。
「最長六時間で起こしてくれ」
[ああ、分かった]
最後にそう言葉を交わし、秋斗は目をつぶる。間もなく、規則正しい寝息が響いた。
ジャイアントラットさん「ああ、我の尻尾が!」