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第五章 再び、この道を行く。 (これから、よろしくです。 By十五歳元引き籠り女子高生)     

五月六日

「よし、これで大丈夫なはずだ」

 ゴールデンウイーク明け。野活を明日に迫っていた。

 計画通り、輪はゴールデンウイーク中にオリエンテーリングが行われる山の下見にシリウスと赴いた。

 二人分の電車賃とバス賃を払ったので、思った以上の出費になったが、それでも価値はあり、輪は半日かけて全てのルートを周って、ほぼ地形を掌握して、頭の中にマッピングをして、もしもの為に麓で配っていた正しい道順が書かれたパンフレットももらっておいた。

 香那や希空との下校イベントなどが起こったりもしたが、概ね前回と同じ流れで来ていた。

 一応、シリウスにも協力してもらって、コノハと慎吾の様子を観察してもらっていた。

「特に動きはありません。といっても、他の人達が見ている範囲だけですけど。

 ゴールデンウイーク中も部活や友達と遊びに行ったりもしていたけど、お兄様のことを話題に出すこともなかったみたいですね」

「やっぱり、クラスの人気者は違うな」

 輪が聞いても、これだけの情報を得られなかっただろう。

「フフフ、そうでしょう。そうでしょう。もっと崇めてもいいですよ。

 なんなら貢物を考えてもいいのよ。クレープとかドーナツとか」

「わかったよ。野活を上手く乗り切ったら、奢ってやるよ」

 シリウスはガッツポーズをして、今日もクラスメイトに積極的にはなしかけていた。

「使えるな、女神」

 不良債権として返品せずに済みそうだ。

 とはいっても不安はぬぐい切れない。

 ここでミスったら、積みはしないが、かなりこの先のパーフェクトスクールライフの道のりが険しいものになるからだ。

 自信過ではない輪にとって、いくら完璧に準備しても不安が募るのはどうしようもないことだった。

「そわそわしない。堂々とすることが大切です!」

 先ほどシリウスに説教されたことを思い出しては、なんとか落ち着こうとするが、

「無理だな」

教室にいても落ち着かず、コノハ達に怪しまれる可能性もあるので、休み時間の度に自分の作戦に見落としがないか、考えながら校内を徘徊していたら、二つの大きな山にぶつかり、輪は押し倒された。

「あ、ごめんなさい」

 そう言って、神田とは違う、真っ白な清潔感あふれる白衣を着た女性は輪に手を伸ばした。

「あ、ありがとうございます。紫合先生」

 手を握った時に見覚えのある顔に輪は思わず名前を口に出した。

「うん、なんで私の名前を?今日赴任きたんだけどな」

 首を傾げる紫合。

 しまったと思い、輪は口を手で塞ぐ。

 紫合と顔なじみだったのは当然、前の人生の時で、彼女は春休みからこの学校で勤務はしていたのだが、一般生徒との接触は全くない。

 訝し気な表情を向けてくる紫合に輪は訥々と語る。

「その、あの、友達が言っていて。やたら胸がでかい、読み方がよくわからない名札を付けた女医がいたって」

 今度は違う意味で表情を歪める。

「随分ド直球に言うわね。

 高校生からだといって、セクハラだから気をつけなさいね」

「は、はい。すいません」

 頭を下げた輪に彼女はニコリと笑って、手を差し出した。

「まぁ、ここで会ったのも何かの縁ね。

 スクールカウンセラーの紫合佳兎よ。よろしくね」

「蒼砥輪です」

 その名前を聞いて、佳兎は目をぱちくりさせた。

「ああ、じゃあ、あなたが」

 含みのある言い方に輪は小首を傾げる。

「私、春休み中から時々佐藤さんと話しているから。

 それでこの間話した時にあなたの名前が出たの。とても親切なクラスメイトだって」

 輪の表情が曇る。

「……親切じゃないですよ。単なる自己満みたいなものですよ」

「謙虚ね。とても初対面の女性に巨乳とか言うとは思えないわね」

「それは本当に失言でした。すいません」

「まぁ、佐藤さんのことに免じて許すわ。

 その代わりこれからも、佐藤さんのこと気をかけてやってね」

「はい、そのつもりです!」

 あまりの即答に、佳兎は輪をじっとみてから「ああ、そういうことか」と勝手に納得した。

「うん、青春だね」

 なんでそんな話になるのかはわからなかったが、彼女と接点が出来たのは無駄にしたくなかった。

「これからよろしくお願いします」 

 前回の時に大変お世話になった人で、輪にとって最も信頼できる大人だ。仲良くなって損はないという打算的な考えだった。

「うん、よろしくね。それじゃ教室戻りなさい。予鈴が鳴るわよ」

 そう言って去っていく佳兎の背中を見送ったと同時に予鈴が鳴ったので、輪は教室に向かって小走りで歩き始めた。


 放課後。

 今日は高校生活初めて、カノープスの一同が全員部室である旧一年八組のクラスに集まる日だった。

 部室に行くと、そこには既に全員が揃っていた。

「遅いよ、ベル君!」

「すまない。掃除当番で」

 いつもならもっと追及が来るのだが、全員の視線が輪ではなくその隣にいるシリウスに移っていて、当然それに気づいていた輪は溜息一つ、隣でニコニコ笑っている彼女に横目で視線を送りながら溜息を吐いた。

「すまない。部員を募集しているわけでもないのに、部活見学したいからって」

 紹介されたシリウスは教卓に立つ希空に話しかける。

「初めまして、蒼砥シリウスです」

「ああ、君が噂の妹君か」

「はい、我儘言ってすいません。邪魔しないように後ろの方でちょこんと座っているので、お願いします」

「ああ、構わない。なんなら、ベルの隣で見ているといい」

「ありがとうございます」

 会議が始まった。前回では唯一高校に入って、輪が参加した会議になる。次に集まった時は魔女裁判になったからだ。

「皆、今日は集まってくれてありがとう」

 机は全て、椅子のほとんどが教室の後ろに積み上げられて、輪達は教卓を囲むように、半円状に椅子を置いて、希空の話に耳を傾けた。

「明日の野活。私と恭平と喜瀬羅は生徒会からの依頼で、全体指揮になった。

 オリエンテーリングも別行動になる。

 もし、何か非常事態があったら、カノープス全員に召集をかけることになるから、よろしく頼む」

 カノープスを知らない同学年の子達はいない。だから、こうやってイベントになる度に、希空達は特別行動を許されるが、あくまでそれは全体の監視の元。今回の場合、大本の野外活動実行委員の下部組織のような扱いだ。

「それから明日登る山は時々濃い霧に覆われることで有名で、もしそうなったら、大変危険な山に変わる」

 今思えば、よくあんな危険な山でオリエンテーリングなんてしようと思ったもんだ。北稜学園のリスクマネジメントに輪は疑問を抱かざるを得なかった。

「まぁ、といってもオリエンテーリングが始まるのは朝の十時ごろ。霧が出るのは午後三時以降らしいから問題ないだろうが、十分留意して、危険と感じたらリーダーとして即刻下山ルートを取ってくれ」 

 そこまでは真剣だった希空の顔が破顔した。

「そして私たちの第一目的はカノープス全員が楽しく、野活を過ごすことだ。

 そしてそれを他の生徒に波及すること。つまり」

「楽しさのおすそ分けね!」

 喜瀬羅の言葉に希空は大きく頷いた。

「その通りだ。だから、まずは自分が楽しむことを第一に考えてくれ。

 もちろん、人に迷惑をかけないようにな」

 そこからは日程の確認など、一日目の夜のレクレーションの確認などをしてから、解散となった。

「もはや生徒会みたいですね。いや、それよりも凄いのかも」

 全てを聞き終えたシリウスはどこから持ってきたのかと思われる声と態度と仮面を被って、希空に話しかけていた。

「いや、そんなことはないよ」

「いえ、尊敬します!」

 褒められることにはあまり態勢がない、希空はタジタジだ。

 あ、これ絶対面白がってる。

 希空をおもちゃにしていることを確信した輪は溜息を吐いて。

「帰るぞ。シリウス」

「あ、は~い」

「お前ら、本当に毎日帰っているのか?」

 教室を出ようとしたら慎吾がそう声をかけてきた。

「いや、そんなことはない。最近はほとんどクラスの奴と帰ってるよな?」

「はい、皆親切で良い人なので」

 何か言いたげな表情で輪とシリウスを交互に見た後、何も言わず教師を出ていった。

「どうしたんだろ?慎吾君」

 どこか雰囲気が違う彼の態度に喜瀬羅は首を傾げた。

「さぁ、何股かしていることばれたんじゃないか?」

「ああ~そうかも」

 中学に入ったころから天然の女ったらしである慎吾はいつも複数の女子と修羅場をやっていて、時々それはカノープスにもクレームが来ることもあった。

「全く、彼には困ったものだな」

 希空も疲れたような溜息を吐いた。

「あいつの女性問題もそろそろなんとかしないといけないんじゃないか?」

 恭平の提案に希空は小さく頷く。

「まぁ、別に評判とか体裁とかどうでもいいが、人に迷惑をかけないように、改めて釘を刺す必要があるな」

 そのことは前回の人生で恭平が輪を弁護する時にも使った題材だ。だが、本人が居直っているのと、本当に上手いことをやっていて、クレームといっても本当にごく一部のことで、彼を責めるネタにはならなかった。

 だから輪もそのことで慎吾を攻撃しようとは鼻から思っていない。

「それじゃ、また明日な」

「おっ」

「遅刻するんじゃないよベル君!」

「大丈夫です。私がたたき起こしますから」

「いつも起こしているのは俺なのだが」

 そんなやり取りにクスクス笑う皆を閉じ込めるように、輪は扉を閉めた。

「……絶対、戻ってきてやる」

「気合を入れるのは良いですが、一番大切なことを見落とさないように」

 そう言って、歩き出したシリウスに輪は一つ小首を傾げて、その横に並んだ。

「なんだよそれ?」

「さぁ、まぁ、空回りしないようにね。お兄様」

「ああ、まぁ、なんかあった時は頼むわ」

「はい、スーパーハイスペックな妹が助けてあげますよ」

 拳を出したシリウスに輪は苦笑い一つ、拳をぶつけた。


五月七日

 野外活動の場所は輪達が通う北稜学園からバスで一時間ぐらいの場所にある、青少年健康の里。キャンプ場なのだが、ちゃんとした宿泊施設も併設されていて、輪達はそこに泊まる。

プールやテニスコート、体育館や飯盒などがあり、そこの裏手にある山の名を昼霧山。オリエンテーリングはこの山で行われる。

 名前の通り、午後三時以降に霧の出やすい山として有名で、一度霧が出てしまったら、地元の人でも遭難こそしないが、三十分で下山出来るルートが二時間以上かかってしまうこともある。

 だから午後三時以降の入山は禁止されている。

 しかしそれ以外は標高もそれほどなく、小学生の足でも一時間半もあれば頂上に辿り着き、様々な植物が生息していることや、頂上までのルートが複数あることから、オリエンテーリングの場所として地元の小、中、高の野外活動の場所としてよく利用されていた。

「ところが今日、数十年に一度、起きるか起きないかの非常事態が起こる」

 バスに揺られ、窓の桟に頬杖を突きながら、外を眺める輪は独り言のようにぼそっと言ったが、隣に座るシリウスにはしっかり聞こえていた。

「予想よりも早く、正午過ぎには霧が発生して、午後一時には視界が一気に悪くなった。

当時小学生だった女の子が一人、運悪いことに足を滑らせ転落。登山ルートの丁度上から見ても下から見ても、死角になる場所で止まってしまった為、発見が遅れ、帰らぬ人となってしまった」

 完璧すぎる彼女の説明に輪は溜息を吐く。

「お前なぁ、なんで俺の隣に座るんだよ」

 男女問わず、クラスメイトの多くがシリウスの隣の座席を望んだ。ジャンケンにまで議論が進んだところで、

「時間がありませんので、行きはお兄様の隣に座ることにします。

 帰りは、そうでうすね。オリエンテーリングで一位になった班から選ぶのはどうでしょう?」

 一気にクラスメイトのモチベーションが上がった。

「本当に女神様だな」

「ふふん、私ほどの女神であれば、こんな小さなコミュニティの一角を掌握するなんて、容易いことです」

 胸を張るシリウス。

 普通こういうキャラというものは、口ばっかりで実力が伴わないものだとラノベでは相場決まっているはずなのに、

「本当にお前って、いろんな意味で理不尽な存在だよな」

 今着ている学年指定の上から下まで真っ赤なジャージもシリウスが着れば、ファッション誌に載っている気がしてしまうので、不思議だ。

「野活が終わったら、距離を取ってくれよ。

 お前のせいで借金返済が遠ざかる」

 もちろん席が隣同士になるというイベントもちゃんとアオハルマネーになる。だが、その相手がシリウスならノーカンになってしまうので、彼女といればいるほど、輪は損をすることになってしまう。

 間違ってシリウスルートに入ってしまうのなら、その先には死という最悪なバッドエンドしかないので、それだけは絶対避けなければならない事態だ。

「まぁ、万が一つもないがな」

「今、失礼なこと思いませんでした?」

「何も」

 ジト目で睨んでくるが、今の彼女には人の心を詠む能力はないので、疑いの眼差しを向けながらも、溜息一つ、矛を収めた。

「安心してください。野活が終わったら、丁度頃合いなので、私も独自に動こうと思っていますので」

「…………」

 非常に気になる言い方だ。

「頼むから余計なトラブルは避けてくれよ」

「人をトラブルメーカーみたいに言わないでください」

「古今東西。どんな世界でも美女はトラブルメーカーなんだよ」

 良くも悪くも。

「どんな世界の常識ですか」

 疲れたように深く椅子に座るシリウスの頬が少し赤いことに輪は気づいていない。

「良かったですね」

「ん?何が?」

 シリウスの視線の先には香那がいた。

「……まぁ、前の人生でも野活はちゃんと出席していたからな」

「じゃあ、リベンジが出来ますね」

そう言って不敵な笑みを輪に向けるシリウス。その表情は「私は知っているんですよ~」ということを雄弁に語っていたので、輪は露骨に視線を逸らした。


「それでは、これよりオリエンテーリングを始めます」

 バスに揺られること約一時間。宿泊施設に着いた輪達は部屋に荷物を置き、早速オリエンテーリングの舞台である昼霧山の入り口に集まり、実行委員の話を聞いている。その隣には希空と喜瀬羅が立っている。

 本日オリエンテーリングをするのは一組~三組。残りのクラスは体育館でレクレーションをやっているので、恭平はそっち側にいる。

明日の午前中はその逆になる。

「くれぐれも怪我がないように。皆さまの検討を祈ります。

 それでは各クラスの委員長は道順が記された地図を取りに来てください」

 そう言われて、慎吾が地図を取りにいった。

 昼霧山には山頂に登る登山道がいくつかあって、各班は地図に指定されたチェックポイントを全て周って、下山するのだ。

 唯一、全ての班が共通して回るのが山頂のチェックポイントで、どのルートを使って登っていき、どのルートを辿って下山すれば全てのチェックポイントを効率よく回れるかというルート作成が何より重要になってくる。

 かといって一位になったところで何もないので、前回のオリエンテーリングはそこまで皆、順位にこだわっていなかったが、

「おい、蒼砥頼むぞ!」

 シリウスが変な景品を設けてしまったせいで、皆やる気、特に男子はこれでもかってぐらいに燃えていた。

「早速、全部丸投げかよ」

 別にリーダーがルート作成をしなければならないというルールはないので、皆が協力してゴールを目指せばいいのだが。

「お前、こういうのは得意だろ?だったら任せた方が効率的じゃないか」

 ただ単に失敗をした時の責任を全て輪に押し付けたいだけなのだ。

 前回もそうだった。

「おい、輪これ地図だ」

 溜息をつく輪に慎吾が地図を渡す。

 その地図を見て、彼は不敵な笑みを浮かべる。

「よし、変わってないな」

 細かなところまで流石に覚えていないが、大まかなルートは変わってないことに安堵して、慎吾が去ったことを確認してから、バックからこの前、下見に行ったときにもらったパンフレットの地図と照らし合わせる。

「しかしよくこんな細かいことを」

 今更ながら、随分手の込んだ方法に輪は思わず感心する。

 偽物の地図は怪しまれない程度に改ざんされていて、前回は途中まで全く気づかなかったし、気づいたところで焦りと怒りで何も考える余裕はなかったが、いざ偽物の地図として見ると、実に精巧に出来ていると輪は思わず感心してしまう。

 コノハが作ったのか、慎吾が作ったのかはわからないが、流石カノープスの天才集団の一員だけはある。

「それじゃ、出発します」

 そう言って、輪は班員を先導して、最初のチェックポイントに向かった。

終始和やかなムードで輪の班は山道を進んでいく。決して険しくない道のり。後ろから常に談笑する声を聴きながら、輪は偽物の地図を見ながら、頭の中で下方修正をしていく。

 何度もシュミュレートして下準備をした輪のルート作成は完璧で、

「もぅ、三つ目のチェックポイントか」

「私達早くない!」

とても順調に進んでいるのも、登山というほとんどの人が億劫だと思っている中、誰一人愚痴を零さない理由でもあるのだが、それよりもシリウスの存在が大きかった。

 平等に声をかけて、時に励まし、時にジョークを言ったり、常にニコニコ笑顔を浮かべたりしながら楽しそうに歩くので、皆それにつられて笑顔になっている。

 まさに勝利の女神。

 特に体力がない少し遅れ気味の香那のフォロワーはしっかりして、輪が気づいた時には香那の荷物は他の男子生徒が持っていた。

「ありがとうね。多田君」

「ありがとうです」

「気にすんな!こんなの朝飯前だ。それよりも佐藤も無理すんなよ!」

「は、はいです」

「多田君は頼りなるね!」

 シリウスに笑顔を向けられた多田はだらしなく舌を伸ばしている。

 香那も少しきつそうだが、シリウスやいつの間にか他の班員にも励まされ、なんとかやっている。

 その存在は、三年間で二百万のレンタル料に見合う働きだと一瞬思って。

「いや、流石にその判断は早いな」

 二百万というリアルな数字がすぐに輪を現実に引き戻した。

 それでもシリウスの存在が輪の中で大きなものになっているのは確かだった。

 良くも悪くも。

「よし、じゃあ、ここで少し休憩しようか」

 山頂のチェックポイントを通過したところで、休憩を取ることにした。

「俺たちめちゃくちゃ早くないか」

「ああ、山頂に最初に着いたのも俺たちだって、先生言っていたし」

「蒼砥君って、やっぱりカノープスの一員なんだ」

 等々、そういうのは本人に聞こえないようなボリュームで言ってもらいたいものなのだが、輪の耳には届いてなかった。ここでやるべき作業があるからだ。

 スマホの画面に表示された時間を確認して、

「よし、そろそろ頃合いだな」

 輪はスマホの電話帳から希空を呼び出して、電話をかけた。

 二、三回のコール音の後、電話は繋がった。

『べ、べるか、どうした!』

 明らかに電話で話すにはボリューム違いをしている希空の声に、輪は思わずスマホから耳を離した。

「リーダー、取り込み中のところに電話をしたのは悪いが、聞いてもらいたいことがあるんだ」

 どこか取り乱しているように聞こえる希空の口調に、彼女が忙しいなか電話に出ていると解釈したのだ。

 いきなりの輪からの電話に動揺して取り乱したなんて、露ほどにも思っていなくて、希空も口が裂けても言えなかった。

『お、おう。なんだ』

 希空は実行委員と一緒にオリエンテーリング全体の統括をしながら、複数人で地元の人と一緒に山を警備している。

 正直、頼るのは心苦しかったが、輪が頼んで、それを信じてスムーズに処理をしてくれる人は彼女以外いなかった。

 輪は前もって用意していた作り話を希空に説明した。

 以前にもこの山に来たことが会って、以前よりも明らかに靄がかかっていて、どんどん濃くなっていることを。

 正直なところ、ほとんどの人が気にしないレベル。気にし過ぎだと一掃できる話なのだが、

「驚いたな。実はさっき地元の人から、この時間にしては若干だがいつもより靄が濃いように思えるという話をしてもらったばかりだったんだ」

 驚いたような希空の声に、輪は思わず笑みを零す。

 よし、ツキも味方してくれているようだ。

 深呼吸一つ、用意していた言葉をゆっくりと声に出す。

「だから十一時半になっても、終わらないメンバーがいたら、そこでオリエンテーリングを終わらせて、即刻下山するようにと先生達や実行委員の人に打診してくれないか?」

 濃い靄がかかるのは十二時から。そこから二十分足らずでこの山は完全に霧に包まれる。そうなる前に全員が下山する必要がある。

 そしてそんな唐突な決定を押し通して、先生たちを納得させる人物は輪の学年では希空だけだろう。

『別に構わないが、随分具体的で、そしていつにもなく真剣じゃないか』

 彼女の疑問はもっともだ。

 半分以上は取りこし苦労に終わるであろう、予言に近いような話だ。

 荒唐無稽とまではいかないが、現時点で多少いつもより靄が濃いぐらいのことで、普段何かを打診したり提案したりすることのない男が真剣な口調で言うのだ。変に思わない方が不思議だ。だが。

 輪は大きく息を吸い込み、震える口調で訥々と語りだす。

「すまないリーダー。いきなりこんな話をされて困惑して当たり前だと思う」

 実は自分が未来から来て、一度このオリエンテーリングを経験して、この後起こることがわかっている。

 なんて言えるはずがないし、そんな話を信じるのはよっぽど頭のおかしい人か、単なる馬鹿だ。

 だからこの話に根拠なんて持たせることは出来ないし、実に曖昧で不鮮明なことだ。

 でも。

「頼む、俺の話に耳を傾けてくれて、今からすぐに何かを変える力を持っているのはリーダーだけなんだ」

 しばらくの沈黙。木々のざわめきがまるで嘲笑っているように彼には聞こえる『何、そんなに真剣になっているの?』と言われているみたいだった。

 それぐらいのテンションで、無茶苦茶な話をしている自覚はあった。

 一掃されても不思議じゃない。

 でも。

『その言い方はずるいな。

 カノープスの一員から、そんな頼み方をされたら、リーダーとして動くしかないじゃないか』

 電話越しからでも、希空が笑顔でそれを言ったことがわかった。

「ありがとう。恩に着る」

『気にするな。仲間だろう』

 そう言って、希空は電話を切った。

「やっぱり、敵わないな」

 一体いくつ助けられて、一体いくつ励まされて、一体どれだけ救われたことか。

「やっぱり、お前に不幸は似合わないな」

 スマホに映し出された希空のアドレスを見ながら、輪は決意を新たにした。

「よし、そろそろ行こうか」

 現在時刻は十時四十分。残りのチェックポイントは一つで、それも下山しながら通れるルートなので、遅くとも十一時過ぎにはゴールできる。

確か前回、一番にゴールできた班のタイムは十一時過ぎ。細かな時間は覚えてないが、このまま順調にいけば、必ず上位に食い込める。そうなってくると十分な実績で、魔女裁判はなんとか免れそうだ。

 輪の号令に合わせて、再び班は行軍を開始しようとしたが、とあることに気づいて。

「シリウス、ここから前を歩いてくれないか?」

 そう頼む輪の視線はチラチラととある方角を向いていて、それに気づいて、彼女はニヤリと微笑む。

「わかりました。余裕です。それじゃ、皆さん行きましょう!」

 リーダーがシリウスになったところで、再び班の中の士気があがった。

 やっぱりすげぇな、と思いつつ輪は最後尾で一人、トボトボと列についていっている香那の横に並んだ。

「疲れたか?」

 声をかけられて、ようやく輪が隣にいることに気がついて、慌てふためく。

「あ、え、あ、その、すいません、です」

「別に謝る必要はないよ」

 そう言ってぎこちないなりに笑顔を向けたら、香那はコクリと頷いて、前を向くが。

「何か言いたいことがあるんじゃないの?」

 ビクリと肩を揺らして、輪の方を向く香那のカラメル色の瞳は瞠若している。

「な、な、なんで」

「いや、その、なんとなく」

 言える訳がなかった。

 右手で左腕の肘を掴むのが、君が何かを言いたくて、でも言ったら迷惑がかかるんじゃないかとか、本当に言うべきか悩んでいる時の癖だということを。

「本当になんとなくなんだ。だから間違っていたらすまない」

 もっと前回の人生の記憶を参考にして動く時の言い訳を考えとくべきだなと心で呟きながら、輪は愛想笑いで誤魔化した。

「…………」

 右手が左腕から離れない。よっぽど葛藤しているのだろう。

 別にいうだけならタダだとよく言うが、とても輪はそう思えなかった。

 言霊という言葉があるように、その一言がその人の人生を大きく左右することだってあるし、その一言がその人との関りを終了させることだってある。

 だから、香那が言葉を口にするのを輪はじっと待った。

 休憩した場所から五分ぐらい歩いて、もぅ間もなく最後のチェックポイントのところに到着しようとした時だった。

「あの、その、見た気がして」

 香那が口を開いた。

 今にも消え入りそうな小さな声だったが、輪の耳に、ちゃんと届いた。

「見た、何を?」

「あの、その、女の子を」

 いまいち、何を言いたいのかわからず首を傾げる輪だったが、

「小学生ぐらいの」

 その一言で、輪は全てを理解して目を見開き、

「どこで!」

 思わず声を張り上げてしまったので、班員が一斉に輪の方を振り返ったので、

「あ、すまない」

 冷静さを取り戻し、謝罪したら。

「はい、皆さん。お兄様のことなんて、露ほどに気にすることはありませんよ~」

 柏手一つ、シリウスがそう言ったら、場に一瞬笑いが起きて、何事もなかったように、再び行軍が始まった。

 しかし香那だけが未だに固まっていて、輪も隣で立ち尽くす。

「あ、ごめん。あの、その、教えてくれないか、その子を見た場所を?」

 香那は被りを振った。

「いや、その、でも。私の気のせい」

「一人で歩いていたんだろう?もし、本当に見たのなら迷子かもしれないし」

 そう言われても、未だに自分の言葉に自信がないらしく、香那は俯いている。

 時間は刻一刻迫っている。早くしないと取り返しのつかないことになる。

 しかし、無理矢理彼女の口を開かせるのは最も駄作だ。だから。

「……俺さ、優柔不断でいつも迷って、悩んでいるから、何度も後悔している。もしかしたら何かを選択する度に一つは必ず後悔していると思う」

「蒼砥君が?」

 意外そうな顔に輪は苦笑いを浮かべる。そりゃそうだ。香那の前では常にしっかりした自分を演じているのだから。この独白だって、すんなり言えたことじゃない。

 でも、今の輪はわかっている。そのちっぽけなプライドが原因で、前回の青春で大きな過ちを犯してしまったことを。だから。

「人は当たり前に間違うと思う。でも、間違えた結果、その先にある大きな後悔を無くせるのなら、俺は間違えるべきだと思うんだ。

 だから、その、俺に佐藤さんのこの先の後悔を無くす手伝いをさせて欲しい」

 俯き、沈思黙考する香那だったが、やがて口を開いた。

「……チェックポイントの二番目と三番目の間辺りで」

 輪は破顔した。

「ありがとう!シリウス!悪いが、俺はここで別行動を取る。後は頼む!」

「え、その」

「はぁ、何言っているんだ。いきなり」

 いきなりの輪の言葉に、多田達は当然、不平を漏らす。

「お前がいなくなったら、ゴールできないじゃないか」

 このオリエンテーリングをゴールするためには班員全員がいることなのなのだ。当然といえば当然なのだが。

 もちろん、そのことを輪も理解していた。だけど。

「最初と最後に一緒にいればいいんだろう?

 だったら、ゴールするまでには戻る」

 理屈としてはそうなのだが、当然納得のいくことではない。

 だけど。

「わかりました。ゴールで待っています。ですから必ず帰ってきてください。どんなことがあっても」

 シリウスの笑顔に誰もが言葉を失い、輪は歩いてきた道を駆け足で引き返していった。


「くそ、なんで忘れてたんだよ!」

 山道を駆け抜けながら、輪は自分の完璧と思われるプランの大きな欠陥に今まで気が付かなかったことに恨み節をぶつける。

 今朝のバスの中でもシリウスと話していたじゃないか。

 この日に小学生の女の子が一人、帰らぬとなることを。

 知ってはいた。でも、自分のことで頭がいっぱいでいつの間にか隅においやっていた。

 恐らく、香那の話を聞かなかったら、全てが終わるまで忘れていただろう。

 だけど、それは一つの大きなリスクを背負うものでもあった。

 救える命があるのなら、もちろん救うべきだ。

 だが、誰もが今、少女が遭難したことを知っていない状況で、輪は救出に向かっている。

 一度目の人生の情報を元に死ぬはずだった女の子の命を救おうとしていることが、この先どんな影響があるのかは未知数。

 元来、少女と輪は関わり合いを持つ関係ではない。だから、輪のパーフェクトスクールライフに向けての道筋に大きな障害を及ぼすものではないが、もしかしたら彼女が救うことによって、誰かの人生を歪めてしまうかもしれない。

 誰かの人生を不幸にしてしまうかもしれない。

 それでも、輪は進むことを止めなかった。

「そんなこと知るか!」

 そこには別に救える命があるなら、救うのが人間としての使命とか、そんな殊勝なことなんて考えているわけではない。

 彼が必死に動く理由は一つだけ。

「悲しませたくないんだよな」

 笑みを零す彼の中にあるのはただ、一人の女の子を悲しませたくない。この先、背負うであろう未練を取り除いてやりたい。

 ただ、それだけなのだ。

 恐らく、香那は一度目の人生でも少女を見かけたのだろう。でも、あの時の彼女にはそのことをいう相手なんていなかったし、そんな余裕もなかった。

 そして結果最悪な事態になってしまった。

 それで誰かが香那を責めることなんてなかっただろう。でも、真面目で誠実な彼女が自分で自分を責めたであろうことは、輪でも容易に想像できた。

 その結果、佐藤香那は再び引き籠りがちになり、出席日数が足りず、進級することは出来なかった。

 その後のことは輪も知らないし、前の人生で香那がどんな生活を送っていたのかなんて、もはやどうでも良かった。

 ただ、彼女を救える方法があって、それを実現できる力を持っている。

 輪が動くには十分な理由だった。

「うわぁ!」

 石に躓き転ぶ。いくら小学生でも歩けるハイキングコースとはいえ、走るのは当然危険だ。だが。

「はぁ、はぁ、はぁ」

 輪は立ち上がり、再び走り出す。

 他のメンバーと差を縮めたくて、時間があればランニングや筋トレをしていたし、前の人生でも時には恭平にトレーニングの仕方の指南を受けていたこともあって、香那が女の子を見かけたという場所まで駆け抜けたところで、まだ多少の余力はあった。だが。

「ここからどうする?」

 脳に酸素を送るように大きく深呼吸をして、呼吸を整え輪は思案する。

 当然のことながら、ここから女の子がどのような道筋を辿って、足を滑らすか、踏み外して滑落してしまったのかなんて、輪にはわからない。

 もしかしたら既に足を滑らして、ぱっと見ではわからないところで気絶しているのかもしれない。

 そうなったら、もはや輪にはどうすることもできない。

「くそっ」

 不甲斐ない自分に苦虫を噛みしめる。怒りがこみあげてくる。

 先ほどから薄っすらと出てきた霧は明らかに濃くなっていた。

 時刻は十一時過ぎ。山全体が濃い霧に覆われるまで、一時間少しだ。それまでに少女を見つけて、輪も下山しなければ、前回と一緒で何時間も山を彷徨うことになる。そうなったら本末転倒だ。

 あまりにも大きな壁に俯き、震える膝を輪は思いっきり叩く。

「クソ!」

 とにかく頭を回せ。

 輪は必死で可能性を漁る。

 今から希空達に連絡をして人手を借りる?

「いや、これはダメだ」

 説明している間に霧が濃くなって、二次被害を避ける為に捜索事態が中止される。そうなったら、少女が助かる可能性は限りなく低くなる。

 正直なところ前回のオリエンテーリングで輪達の班が無事に下山出来たことは奇跡に近く、むしろ輪を賞賛する人すらもいたぐらいだ。

 それぐらい普段小学生でも気軽にハイキングが楽しめるこの昼霧山は豹変するのだ。

 そしてそれを、身を持って知っている輪は下手に誰かを巻きこむわけにはいかなかった。

 人の手も借りられない。制限時間はすぐ目の前。この広い山の全てが捜索範囲で、ぱっと見ではわからないところにいるかもしれない。

「無理ゲーにもほどがあるだろう」

 それでも諦める訳にはいかない輪は頭を抱えて、奇跡のような可能性を考える。

 だが、全く良い案は思いつかず、ただ、焦りと絶望だけが募り、無情に時間が過ぎていく、そんな時だった輪のスマホから着信音が鳴ったのは。

「はい」

『悲劇の主人公ごっこですか?』

 空気に全くそぐわない、シリウスの声にもぅ、突っ込む気にもなれない。

「……何の用だ?」

『人に班員を押し付けておいて、その態度はどうかと?

 何故に私達はゴール目前にして、立ち往生しているのでしょうか?』

 班員全員が揃わないとゴールは認められない。だから輪の班はゴールしようにも出来ないのだ。

「そのことに関しては申し訳なく思うが、今はオリエンテーリングとか、そんな話をしている余裕はない」

『助けるんですか?

 もしかしたら、助けたことによって、これからの道筋が一気に不鮮明になるかもしれませんよ?』

「助けるさ。例え、この先前回の高校生活と全く違う流れになっても」

 迷いのない輪の一言にシリウスは納得いったように『そうですか。ようやく自覚しましたか』とボソリと呟いた。

「なんの話だ?」

「青春アプリ」

「え?」

『そのアプリは何の為にあるんでしたっけ?』

「そりゃ、俺の借金を返す為……」 

 輪はすぐさま通話を切って、青春アプリを開いた。

もちろんこの時のことについて、シリウスから罰を受けることになるのだが、それはまだ先の話だ。

『青春アプリ』にはいくつか機能があり、その中の一つが情報機能だ。

 普通に調べたら何日もかかるような情報、ネットや書籍に載ってないような情報、本人に聞かないとわからないような情報。等々が料金さえ払えば得られるというものだ。

 調べ方はネットの検索と同じで検索バーに調べたい事柄を入力するだけ。どれだけ曖昧な言葉でも、まるで人の心が詠まれているのではないかと思うぐらいに、的確な答えを返してくる。

 輪は徐に『昼霧山で迷子になっている女の子の居場所』と打ち込んだら、次に出てきた画面に輪は目を丸くした。

どれか一つを選んでください。

1.とっても親切 5,000sd

2.中々親切。 2,000sd

3.まぁ、親切。1,000sd

4.あまり親切じゃない。30sd。

 値段も驚いたのだが、選べと言われたところで。

「滅茶苦茶曖昧じゃないか」

 そもそも親切かどうかなんて、主観の問題だし、輪は『美味しいコーヒー』とか『親切な自転車屋』とかそんな看板を見たら、積極的に避けるような男だ。

「こんなの、何を基準に」

 迷っている時間はなかったし、もしここでお金をケチって、捜索に余計に時間がかかるということになれば、それこそタイムリミットが来てしまう。

「ええい、ままよ!」

 そう叫んで、輪は『とっても親切』の選択肢を選んだ。ガチャをあまりやったことはないが、こんな感じなのだろうかと思いながら選んだ『とっても親切』の選択肢は、確かに親切だった。

「凄いなこれは」

 それはスマホを前にかざして、画面越しにそこの風景を見ると、少女の後ろ姿が見えて、画面の右下には今より三十分少し前の時刻が表示されていた。画面越しに三十分の目の前の風景を見られるのだ。

「これで約五十万円は安いかもしれない」

 しかしすぐにその考えを改めた。確かに凄いのだが、リアルにその額を想像すればするほど、その額の大きさを自覚してしまうので、究極的に考えないことにした。

「さぁ、急がないと」

 スマホを右手に輪は駆けだした。


「切りやがった。私の通話を切りやがった」

 そんな恨み節を吐きながらもシリウスの顔はどこか満足げな顔を浮かべていた。

「あ、あの~」

「うぉっ!」

 通話を終えた途端に香那にそう声をかけられて、至近距離にいた彼女の存在に思わずシリウスは驚く。

「ご、ごめんなさい」

「あ、はい。大丈夫ですよ」

 天界にもこれほど気配を殺せる人はいないな、と彼女は変なところで感心した。

「あの、その、大丈夫ですか?」

 すぐにそれが輪のことを言っていることはわかる。

「大丈夫ですよ。兄様は忘れ物を取りにいっているだけなので」

 目をパチクリとさせる。

「忘れ物?」

「はい、忘れ物です。それを取りにいかないと、兄様はいつまでたっても前に進めませんので。

 ですから、佐藤さんは何も気にしなくていいのです」

「で、でも」

 事前に香那のことを調べているシリウス。これぐらいで彼女が納得も安心もしないことはわかっていた。

「でしたら、佐藤さんに一つやってもらいたいことがあるのです」

 そう言って微笑むシリウスの方をみる香那は小首を傾げた。


 五分程、山道を走っていると突如少女は画面から消えたので、立ち止まる。

「くそ、やっぱりか」

 道の隅にある落下防止用のロープのすぐ下に土をえぐったような跡があった。ここから下を覗き込んだ時に、足を滑らしたのだろう。

 小学生の女の子だ。大方、リスかシカか野生の動物を見つけて、それに見惚れている間に足を踏み外したのだろうと輪は勝手に推測する。

 覗き込むようにしてロープの向こうの、傾斜を見る。

「結構急だな」

 傾斜としては二十度ぐらいなのだが、ボコボコした土の地面と無造作に生えている木々が険しくて、下っていくのは少し厄介だった。

 かといって、下から登るには大きく迂回しないといけなくて、そんな時間はない。

「……いくか」

 荷物の中から軍手を取り出し、それを装着する。

「まさか、こんなことで役に立つなんて」

前回、急にキャンプファイヤーの準備を頼まれて、渡された軍手が汚くてつけたくなかったので、つけずにしていたら、棘は刺さるし、指は切れるし散々だったので、用意していたのだ。

転落防止用のロープの下をくぐって、輪はゆっくりと足を滑らせないように、両手、両足を駆使して坂を降りていく。時々、スマホを確認しながら降りていく方向を定める。

転落している少女の映像に思わず目を逸らしそうになるが、逸らす訳にはいかなかった。

「あそこか」

 少し降りたところ、木々の隙間に引っかかって止まっている女の子がスマホに映し出される。

 スマホをポケットにしまい、右に少しずつ移動しながら降りていくと、上の登山道と下の登山道の丁度中間地点。上からも下からも木で見えない場所で気絶している女の子を肉眼で確認する。

「これはわからないな」

 濃霧が晴れたのは暗くなってから。そこから夜通しの捜索が行われたらしいが、見つかったのは次の日の明け方で、そこから病院に運ばれたと新聞で読んだ覚えがあった。

「これは知ってないとわからないな」

 ようやく女の子の傍らによって、呼吸を確認するとちゃんと正常に動いていて、頭から血が流れていて、骨が折れているかもしれないが、命に別状があるような外傷は肉眼で確認できなかった。出血量もそこまで多くない。死因は輪も知らないが、やはり発見が遅れたことが致命傷になったようだ。このまま病院に送れば十分に間に合うだろうが。

「……どうする?」

 ここまで無我夢中でやってきたので、戻る時のことを全く考えてなかった。

 女の子を背負ってこの坂を降りることは不可能だ。無理をしたら一緒に落下するという最悪の事態になるかもしれない。

「くそ、ここまできて」

 もぅ、既に霧は大分濃くなっている。今から救助を頼んだところで、時既に遅し。自分の脇の甘さにつくづく嫌気がさしてくる。

 かといってこういう風に自己険悪に浸っていたら、また義理妹から『そうやって、情けないアピールしていると構ってもらえると思っているんですか?』と割と本気に首を傾げて、そういうだろう。

「くそ、絶対なんとかしてやる」

 しかし、輪はすぐに気づかされる。義理妹の凄さを。

「ベル君!いるか!」

 聞き覚えのある声に、ゆっくりと体を動かし、木々の隙間から下の登山道を覗き込むと、希空が地元の人と一緒にいるのが輪の視界に飛び込んだ。

「リーダー!」

 輪はそう叫んで、スマホのライトを照らして、それを大きく振った。

「あそこだ!」

 一緒にいた地元の救助隊と思われる人が、輪の存在に気づいた。

 そこからは流石プロという手際の良さで、折り畳みの担架を持って複数人で輪の元まで登ってきて、応急処置をしたら、女の子を担架にのせて、坂を慎重に降りていく。

そこから一番近い登山道の入り口のところまで運び、待機していた救急車に収用して、そのまま女の子は病院に搬送された。

 それを希空と一緒に輪は見送った。

 救急車が見えなくなったところで、ボロボロの輪を見て希空の顔をしかめる。

「あまり、無茶なことはするな!いつも言っているだろ。自分の出来ることをすればいいと」

 叱られることは何度もあった。でも説教をされることはとても久しぶりで、思わず笑みを零しそうになるのを輪は必死に堪えた。

「すまない。助かった。けどどうしてあそこに?」

「ああ、君の妹が、スマホの画面を見せながら、ここに兄が要救護者と一緒にいるから、救助隊の人と一緒に救助に向かってくれと言われてな」

 思わず苦笑いを零す輪。

 流石女神様だ。

「ありがとう。リーダー」

「気にするな」

「じゃあ、もう一つ頼みがある。このことは内緒で。救助したのはリーダーということにしてくれ」

 希空の顔が急に険しくなる。

「それはどうして?」

「その方が上手くおさまる。こういうので祀り上げられるのは俺の性に合わない」

 それにその方が話に現実味が増す。

「しかしそれだと」

「ああ、俺は班員をほっぽり出した無責任リーダーとなるだろうな」

 そうなったら前回の高校生活と一緒。ボッチ街道まっしぐら。教室で孤立するのは免れないだろう。

 でも、以前とは全然違う。

「こうやって何人かが理解してくれるだけで十分だ。

 量より質のタイプなんでな。

 それにもう少しで何かに気づけそうなんだ。だから、頼む」

 失笑混じりにそう言った輪に、希空は頭を抱える。

「全く、君はいつだってそうだな」

「適材適所という奴だよ」

「あまり、その言葉を便利に使いまわさないことだ。

 まぁ、了解だ。ただし、君のことを大切にしている人間がいることも忘れないように」

 ふと横を見ると希空から手を差し出されたことに気がつき、彼女の顔を見るが、そっぽを向いていて、その顔は見えなかったが。

「ああ、わかった」

 輪は何ら躊躇いなく、細くか細いくせして、どこまでも威厳を感じさせる手に手を重ねた。

 

野活の結果としては下手したら以前よりも悪くなったといっても過言ではなかった。

 当然輪の班は、オリエンテーリングは最下位になり、班員からは恨み節を吐かれて、先生からも追及を受けて、その日の晩のキャンプファイヤーは謹慎処分となり、準備だけ手伝わされて、本番は宿舎で一人いた。

 でも、ベッドの上で寝そべる輪の顔はだらしなくにやけていた。

「あ、あの、おかえりなさい!」

 先生からの説教が終わった後に、香那から声をかけられて、陽だまりのような笑顔でお礼を言われた。

 それを見て、ようやく輪はたどり着きたい場所に辿り着いたような気がした。

 驚愕する輪にはその横でニヤニヤ笑うシリウスなんて眼中になかった。

「くぅ~~~」

 ベッドの上でゴロゴロと転がっていたら、スマホがメールを着信した。

『キモイ』

 Byシリウス。

『格好いいよ。ベル君』

 By喜瀬羅。

『よぉ、英雄!』

 By恭平

『今日の君は本当に立派だった』

 By希空。

「……やっぱり、全然違うな」

 メールを読みながら、一人でいるのに、まるで皆と一緒にいるような気がして、タイムリープして本当に良かったと思った。

 借金の総額を見るまでは。

四月八日終了時点の蒼砥輪様の返済状況。

四月十五日

・スポーツテストで異性からの尊敬の眼差し+150sd(不特定多数よりもピンポイントの方が特典があがります)

五月三日

・交通費、食事代 引き出し金¥5,040 -44sd 繰越¥40

五月六日

・異性との会話 +90sd(年上女性特典でプラス評価です)

五月七日

・同級生に褒められる +50sd

・人名救助 +1,000sd

・異性と握手 +600sd

・おかえりなさい +800sd(男子が女子に行ってもらいたい憧れの言葉ですね~)  

・名誉ある犠牲心 +500sd

・異性とバスの席隣同士 +200sd

・幸せの絶頂 -100sd

・情報料 -5,000sd

・四月十五日の二股疑惑 -300sd    

 

返済額残高

 76983sd=¥8,779,911


輪コメント(絶対評価している奴、非リア充だろう!)


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