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第四章 知遅逡巡な者たち。 『直訳するとヘタレ共だな。By 世界一可愛い彼女を持つもの』

四月十三日。

入学式から一週間が経ち、授業は本格的にスタートをして、最初のホームルームでは早々に委員会決めが行われた。

 前回同様、委員長は慎吾が受け持ち、副委員長はコノハが受け持った。

「よぉ、夫婦!」

 囃し立てるクラスメイトに、コノハはチョークを正確に投擲して、そいつのおでこにクリティカルヒットする。教室から感嘆の声が漏れる。

「私が副委員長をやるのは、希空様と一緒にいる時間を一分一秒でも増やす為です。

 じゃないとこんな面倒な仕事をわざわざ貴重な時間を使ってまで引き受けません」

「おい、おい。そんな私利私欲でやることを堂々と宣言するなよ」

「教職を惰性でやっている神田に言われたくありません!」

「おい、おい、俺、一応お前らの担任なんだが」

「担任なら、もっと担任らしく振る舞いなさい!

 じゃないと隣のクラスの赤羽先生との入れ替えを要求するストを女子全員で、決行しますよ!」

 赤羽は体育教師でその役職に恥じない立派な体つきとルックスで女子から一番人気のある教師だ。

「そうよ。そうよ」

「むしろ推奨!」

 クラスの女子から続々賛同を得る。

「流石、コノハ」

 既にクラスの女子のほとんどを掌握している。

 いくら中学からのエスカレーターメンバーが多いとはいえ、ここまで短期間で、女子たちの支持を得るのはまさに彼女の才能だろ。

「まぁ、まぁ、とりあえず時間もないからさっさと委員会を決めて、野活の話に入ろう。

 神田のことは放って置いて」

「おい、お前が一番酷くないか委員長」

 肩を落とす神田を放っておき、サクサクと慎吾は委員会を決めていく。

「それじゃ体育委員は園田と牧落でどうだ?」

「え~面倒なのだが」

「まぁ、まぁ、対した仕事じゃないから」

それじゃ美化委員は畦野と石橋だな」

 文字通りサクサクと委員会を決めていくが。

「中々、惨い」

 ポツリと零したシリウスの言葉に輪は苦笑いを浮かべる。

「まさか、お前の口からそんな言葉が出るとは」

「何を言っているんですか。私は平等を重んじる女神ですよ」

 平等が聞いて泣く。

 だが、シリウスの意見には、輪も同意だった。

 名指しで指名して、黒板に既に書いてしまう。それだけでほぼ決定だ。

 内向的な奴はそれだけで断れなくなり、たとえ反発する奴がいたとしても、

「まぁ、まぁ、ほら、平野さんは掃除綺麗にしてくれているから、絶対美化委員に向いていると思うんだよ」

 少なくとも輪の中に平野にそんなイメージはない。

「でも」

「ちょっとの間だから頑張ってやってくれ。皆協力してくれているんだから」

 そこで話を打ち切る。実に溝の残る人選だ。

「慎吾は人に嫌われることも、人が傷つくこともなんとも思っていない。

 よくも悪くも空気の詠めない奴なんだ」

 その竹を割ったようなきっぱりした態度にはどちらかというと優柔不断な希空や人の心を第一に感じる恭平に代わって、カノープスの意見をまとめることも何度か会って、彼の意見でスムーズにことが進むこともあった。

だが、前の人生で輪は最初から最後まで慎吾とは本当の意味で和解出来なかった。


「責任を取るのは当然のことだろう」

 

 思わずフラッシュバックしたその言葉に身震いをする輪。

「輪!聞いているのか!」

 呼びかけられた慎吾の声に我に返り、前を向く。

「え、なんだ?」

「ったく、図書委員、お前と佐藤に頼むな」

「……俺はいいが」

 チラリと隣の空席を見る。彼女は今日も欠席だ。

「いない方が悪い。それにお前なら彼女の分もフォロー出来るだろ?」

 ニヤリと笑いかけられた慎吾の顔に神妙な面持ちで輪は頷く。

「……わかった」

「よし、シリウスちゃんは後期の委員会を頼むから、今は学校に早く慣れてくれ」

「は~い。わかりました」

 そう言って微笑み、

「厄介な敵ですね」

 とボソリと輪に聞こえる声で呟いた。

 その一言で事情を把握しているとわかった輪は。

「流石女神様」

 と皮肉交じりに言ったのだが、

「まぁ、それほどだよ」

 謙遜とか謙虚と鎖国しているシリウスには全く効かないジョークだった。

 そして話は野活の話に移った。

「場所とか細かなところは栞を確認してくれ。

 じゃあ、今日はオリエンテーリングの班決めだな」

 本当にそれだけ。一分にも満たない説明だった。

 神田の、まさに絵に描いたような反面教師の姿にもはや誰も突っ込まない。

「それじゃ、オリエンテーリングの班決めをする。男女混合の六人組。班長は俺とコノハと輪、後はリーダシップがある園田と夙川と曽根なんてどうだ?」

 ここもほぼ、強制的にリーダーが決まった。

 だけどその人選は的確だったらしく、皆それぞれ人気のあるリーダーの元に向かう。ある一人、輪を除いては。

「まぁ、こうなるわな」

 これも前回と一緒。ただ一つ違うのは六人のリーダーよりも人気の奴がいた。

「シリウスさん。一緒の班になろう」

「俺たちの班になって、勝利の女神になってくれ」

「ちょっと男子。邪な考えでシリウスさんを誘わないでよ!」

 人だかりが出来るシリウスの席を後ろからぼけ~っと眺めている輪は動かない。

 前回もそうだった。

 輪をリーダーに割り振ったのはあくまで、未だにクラスで孤立しているメンバーを寄せ集める為。ようはクラスの吹き溜まりメンバーを作る為だ。

 それは輪も先刻承知で、今回も特に拒否することはない。考えている計画に支障が出ることではないからだ。

 だが、今回は違った。

「ありがとうございます。でも、私、お兄様と後、佐藤さんと同じ班になるので、それでよろしい方なら是非一緒に」

 その一言に場の空気が凍り、皆が輪を見る。

「へぇ?」

 おい、なんてことを言ってくれるんだと恨みがましい視線をシリウスには向けるが、もちろん気づかない振り、ようは無視される。

 そこから一波乱があった。

 多くの生徒がシリウスと同じ班になりたくて、結果じゃんけん大会となり、輪の班はもっとも倍率が高い班になった。

 その当の班長には皆全く見向きもせず、本人も隣の芝生を見る感覚でその光景を見ていたら、スマホが揺れた。

 徐にスマホを開くと通知バーにこう記されていた。

『クラスの人気者になる』

 その画面を複雑な心境で輪がみていたのは自明の理だった。


「頼むから、目立つ行動や、大きなアクションはやめてくれ。未来が変わる」

 いつものように非常階段で一人飯を食べていたら、シリウスが逃げるようにやってきて、

「一緒に食べましょう」

 そう言ってきたので、断る理由もなく、二人で肩を並べて大きさこそ違っているが、小鳥が作ってくれた同じ弁当を食べる。

「細かな部分は変わるかもしれませんが、大塚と阿久津がお兄様を陥れようとするのは、変わりませんよ」

「……お兄様と呼ぶのは止めろ」

 目を逸らす輪の表情を、シリウスは口角をこれほどまでかと緩めて、覗き込む。

「ごめんなさい。トラウマ蒸し返して。

 でも、ちゃんと計画を練っているんでしょう?」

 そこまでお見通しかよと思いながら、輪は何かを誤魔化すようにご飯を掻きこみ、租借しながら前回のオリエンテーリングのことを思い出す。

 オリエンテーリングはリーダーの指示のもと、山道を歩きチェックポイントを進んでいき、班ごとにそのタイムを競うものだ。

 当日まで道順は知らされないが、そこまで複雑なものではないので、遅くても一時間半で終わる工程。

 だが、二つの大きな誤算が起きた。

 一つは霧が出てきたこと。そしてもう一つは輪が渡された地図は改ざんされた出鱈目な地図だったこと。

 おかげで、一時間半で終わる工程に三時間かかり、その中の何人かは長時間の緊張で疲労がたたり、学校をしばらく休んだり、野活を途中退場することになったりしてしまった。

 更に悪いことにその日、別にも登山していた女の子が一人遭難して、数日後遺体で発見された。

 学校側もPTAや教育委員会から大きく糾弾されて、それ以降その山でのオリエンテーリングが行われることはなかった。

 しかし事態はそこで収まらなかった。

「これは明らかに輪の過失だ。時間通りに戻ったら、霧に呑まれることはなかった。

 俺たちカノープスは生徒への影響力も大きく、それと同時に責任も負っている。

 だから、無能に対してなんら処罰を下さないのは他の生徒に対して、示しがつかない」

「そうよ!折角希空様がここまで立派にしたカノープスを汚さないでよ!」

 慎吾とコノハは輪に対して、二度とカノープスの一員として、名乗ることを禁じる要求を希空に求めた。

 もちろん喜瀬羅と恭平は養護に回ってくれた。

「ちょっと待って、そもそもベルをリーダーにしたのは恭平じゃないか、なのにベル一人に責任を押し付けるのかよ」

「それに別にカノープスは営利団体とか、組織ではないわ!

 その言い方じゃまるで、ベル君が私達に二度と話しかけるなって言っているのと一緒じゃない!」

 埒が明かない審議は平行線になり、結局最終的な判断は希空に託された。そして。

「すまない。別に元来のカノープスから追い出す訳じゃない。

 だが、退部届は自主的に出して欲しい。それできっと示しがつくはずだ。

 ことが落ちづけばまた勧誘に行くから」

 輪はその言葉を信じて、というか一人ぼっちだった輪を救い上げて、カノープスに誘ってくれ、恩義を感じている希空に、これ以上迷惑をかけたくなかったので、了承した。

「それから色々頑張ったんですよね」

「……ああ、でも全てが空回り、二年になる頃には俺の方からカノープスを積極的に遠ざけたんだ」

 そしてそのままズルズルと卒業式を迎えたのが、前回の輪の青春だった。

 シリウスはミニハンバーグぱくつき租借する。

「今回私が入ったことで、やり方を変える可能性はあると思いますか?」

 輪は食べ終えた弁当をナプキンで包みながら「それはない」と言い切った。

「自信というものから随分遠ざかっている兄様にしてはきっぱりした言い方ですね」

「一々お前は一言多いんだよ」

 そう言いながら、お茶を一口飲んだ。

「むしろ積極的に仕掛けてくると思う」

「その心は?」

 あまり口にするのは恥ずかしいので、輪は聞こえないような音量でボソリと呟いた。

「お前の俺に対する好感度を下げるためだ」

 しかしそれはしっかりシリウスの耳に聞こえて、数回パチパチと瞬きをしながら輪を見た後に、人を小馬鹿にしたような笑みに変わった。

「へぇ~私達、そんな風に見られているんだ」

 顔を赤くしながら、その視線から逃げる輪。

「あくまで俺の想像だ……でも、最近の俺に対する視線やお前が無駄に構うせいで、やっかみや妬みが更にエスカレートしている」

 いきなり現れた美少女転校生はなんとクラスの陰気な男の義理の妹で、毎日のように一緒に登下校している。

 しかもそいつはカノープスにいるだけで有名人という無能。

 周りの男子からしたら、そりゃ面白くない話だ。

「もしかして、惚れちゃいました?」

「何故、そんな話になる」

「ダメですよ。私、女神ですから。サポート期間が終われば、お別れですので」

「そう、なのか」

 気落ちしたようなその声が更にシリウスの悪戯心に燃料を投下してしまい、気づいた時には遅かった。

「そんな悲しまないでください。もし死んだら、また会いに行ってあげますから」

「絶対お断りする」

 ただでさえ何を考えているかわからない爆弾のような女を置いているだけで、輪の二度目の青春はハードモードになっているのだ。

「これで死んだら不良債権として、お前を返品してやる」

 全く使い物になりませんでした。という言葉を一言添えて。

「まぁ、お兄様が妹に対しての愛情のことは脇に置いといて。

 これからどうするおつもりで?」

 枕詞のようにつけた言葉を本当に置いとくとして。

「とりあえず、コノハと慎吾の妨害工作はほうっておく」

 いつ地図を改ざんするのかもわからないし、変なことをしたらそれこそ未来が変わり、他の妨害工作にうつり、対処が立てられなくなるからだ。

 それに対してはシリウスも同感で。

「そうですね。地図を変えることと当日のルートさえ把握しておけば対処できますからね?

 下見にはいきますか?」

「ああ、ゴールデンウイークに行く」

「じゃあ、着いていきます」

 そう言ったシリウスをジト目で睨みつける。

「何も企んでませんよ!

 というか、私のことよりちゃんと借金のことも考えといてくださいよ。

 いざとなったら借金増やしてまで、情報を得ないといけない状況が出てくるのですから、出来るだけ多くアオハルマネーを稼いどくべきです」

「……まぁ、そうなんだが」

 輪は溜息をついてアプリを開く。

 この前喜瀬羅達と食事をしたり、希空と登校したりした分もちゃっかり借金返額に含まれているが、まだまだ先は長い。

「この前と同じ人生じゃ、確実に死ぬんだよな、俺」

 陰キャの輪にしては、その全てが結構高いハードルなのだ。

「むしろどうして同じ人生を歩もうとしているのですか」

 呆れたようなシリウスの声は扉の向こうから聞こえた音で、途中でシャットアウトされた。

 ドアに何かが当たる大きな音がしたと思ったら、

「ちょっと、待って!」

 喜瀬羅の声と遠ざかる二つの足音。その足音が消えると同時にゆっくりと扉が開いた。そこには恭平が立っていた。

「何事だ?」

 そう尋ねた輪に恭平は肩をすくめた。

「いや、そこで希空を見つけたんだが、喜瀬羅が声をかけたら逃げ出したから、追いかけていった」

「なんだそれ?」

「いや、まぁ、色々あるんだ」

 どこか喋りづらそうにする恭平の様子に、まぁ、話したくないなら無理に追及することはないと思い、輪は会話を切った。

「おぅ、その子が?」

 当然話題は輪の隣にいるシリウスにうつった。

「はい、蒼砥シリウスです。

 似鳥恭平さんですよね?兄様から、カノープスの話はよく聞いていました」

「おぅ、よろしくな……兄様って」

「名誉の為にいうが、俺がそう呼ばせている訳じゃないからな」

 ジト目で睨まれるが、まぁ、いっかという感じで、恭平は輪の隣に座る。

「え~とシリウスさんは輪とは知り合いだったのか?」

「はい、小学校の頃は日本に住んでいて、長期休暇の度に兄様の家に遊びに行っていたので。

 ですから両親が亡くなったことは本当に悲しかったのですが、蒼砥家の皆さんのおかげで、こうやって今でも笑って過ごせてます」

「おい、輪。滅茶苦茶良い子じゃないか!」

「あ~そうだな」

 輪も初耳だったが。

「しかし知らなかったな。お前にこんな知り合いがいたなんて」

 当然だ。輪も知らなかったのだから。

「まぁ、これからよろしく頼む」

 そう言って伸ばした手をシリウスは掴む。

「はい、よろしくお願いしま、わぁ」

 手を握ったところで態勢を崩したシリウスが恭平の胸に飛び込む。

「ご、ごめんなさい」

「あ、大丈夫だから」

「わぁ、腹筋固いですね。少し触っても?」

「お、おぅ」

「ありがとうございます」

 そう言って、ペタペタと制服越しに恭平の体を障るシリウス。少し頬を染めながら受け入れる恭平に輪は悲しい知らせを告げる。

「なぁ、恭平」

「な、なんだ?」

「さっきから扉の向こうでこっちを見る女子がいるんだけど、あれ、お前の彼女じゃないか?」

「……え?」

 すりガラス越しなのでよく見えないが、そこから感じる殺気だけで、誰かわかったらしく、恭平は慌てて立ち上がり、そこから去っていく喜瀬羅を追いかける。

「ちょ、ちょっ待ってくれ」

「何かな?女の子に触られて鼻の下を伸ばしている似鳥君」

「引き離し方が露骨!」

 そんな二人の声が遠ざかったところで、輪は溜息を吐いた。

「この悪女が」

「女神です。そしてあなたの妹ですよ、兄様」

 そう言ってニコリと笑ったシリウスをまるでバケモノを見たような気分で、輪の顔は真っ青だった。


 四月十四日。

 いつものように、シリウスと登校した輪。今更態度を変えたところで、何も変わることはないだろうと思い、とりあえず野活が終わるまでは、この視線に耐えることにした輪は早速皆に囲まれたシリウスを尻目に参考書に向き合う。

 借金返済で一番簡単に手に入るのは成績だ。

 もちろん、それは簡単に出来ることではないのだが、少なからず努力がそのまま返ってくるものだし、大学生まで学生をやっていたこともあって、人よりはアドバンテージがあると思い、より上位に食い込む為に、教室の自席で自学に励んでいた時だった。

 ガラっ。

 初めて聞いた。ずっと空席だった右隣の椅子を引く音に、輪は顔をあげてそちらを見る。

 佐藤香那。

 ブカブカの制服に少し茶髪混じりの黒髪のショートボブよりも少し長めの髪は前髪が長く、ほとんどその眼もとを隠しているキャラメル色の瞳はどこか不安に満ちていて、肩も首も少し落としているので、全般的に前のめりの姿勢になっている彼女の存在は希空とシリウスと比べ物にならないぐらい地味だ。

 その証拠に高校になって初登校なのに、ほとんどの人が彼女の見向きもしない。

 だが。

「おはよう。佐藤さん」

 着席した彼女に、輪はまるで離れ離れになった友達との存在を懐かしむような朗らかな笑顔で挨拶した。

「お、おはようです」

 ビクリと体を揺らした香那の声は、耳を澄まさないといけないぐらいに小さかったが、ちゃんと輪に届いていた。

「これ、佐藤さんが休んでいる間のノートのコピー」

「あ、ありがとうです」

 そう言って、香那は輪に向き直って、まるで表彰状を受け取るように両手でしっかりそれを掴んで、それを胸に抱えたら何度も頭を下げた。

「アハハ、いいよ。それと休んでいる間に佐藤さん図書委員になって、今度の野活俺と同じ班になったんだ。

 早速だけど、今日委員会があるから放課後明けといてくれるかな」

 嫌がられたらどうしようという不安もあったが、その考えは杞憂に終わった。

「は、はいです」

 そう言って、香那が前に向き直ったところで予鈴が鳴って、神田が教室に入ってきた。

「お、ようやく来たか佐藤。これでようやく全員揃ったな」

 ようやく他のクラスメイトが香那の存在に気づく。

「私、初めて見たかも」

「中学、ほとんど来てなかったよな」

「レアキャラ降臨」

 そんな、まるで香那を、珍獣を見るような視線で見るクラスメイトの視線に、輪は腹を立たせたが、

「よろしくお願いしますね。香那さん!」

「は、はいです」

 シリウスの大きなその挨拶で、クラスメイト全員が黙った。

「蒼砥妹、そういうのは休み時間にな」

「は~い、すいません」

 茶目っ気たっぷりのその姿にクラスが和やかな雰囲気になる。

輪から見ればあざとらしいその姿に、今日ばかりは救われた。

 そして放課後。

「じゃあ、俺委員会あるから」

「わかりました。じゃあ、先に帰っておきますね」

 そう言ったシリウスは不意に輪に詰め寄ってきて、耳元で囁いた。

「デートですね」

 輪にしか聞こえないような小さな声だった。

「はぁ、何言っているんだお前」

 予想外の輪の態度にシリウスは小首を傾げて。

「ああ、まだそういう感じなんですね」

「どういう感じだよ」

 言っている意味が全くわからなくて、訝し気な表情をシリウスに向けたが、彼女は何かを誤魔化すようにニコリと笑った。

「まぁ、とにかく。兄様。しっかりエスコートしてあげてくださいね」

 委員会に行くのにエスコートなんてあるのかと突っ込もうとしたが、今日は他のクラスメイトの女子と遊ぶらしく、シリウスは数名の女子の元に元気よく駆け寄っていった。

 それを見送ってから、輪はじっと席で待っていた香那に声をかける。

「じゃあ、行こうか」

「は、はいです」

 立ち上がる姿も、歩き方も、まるでロボットのようで、どこまでもぎこちないその動きに輪は笑みを浮かべながら、隣を歩く。

 月一で行われる会議では今月の流れを確認したり、当番などを決めたりする。

 委員長は割と早口の方なので、そのスピードについていけず、ポカ~ンとしている香那に、

「後で、教えます」

 と言ったら、輪に向かって何度もお辞儀した。全ての行動が小動物みたいで、基本無表情で大人しいのに、リアクションは全てオーバーで、本当に見ていて飽きない。

 輪と香那は前回の学校生活でも結構長い時間を過ごした。

 その時と全く変わらないその姿や仕草に、輪の胸は暖かくなり、それと同じく締め付けられた。


「お前は優越感に浸っているだけなんだろ?

 自分より愚かな人と一緒にいて」

 

 過去から飛んできた言葉という尖ったナイフが輪の胸に突き刺さり、思わず俯く。

「ど、どうしたですか?」

 小首を傾げる香那。まるで主人にじゃれつく猫のようだった。

「ううん、なんでもない」

 そうして二人は図書委員長の話に耳を傾けながら、わからないところを輪が解説して、終始穏やかな時間が続き、最後に当番表を書かれた紙をもらい、委員会を終了した。

「良かったら、途中まで送るよ」

 リュックを背負った香那に、輪はそう提案した。

 何を言われているのかよくわからず、目をパチクリさせる香那に輪は補足する。

「佐藤さんは確か、下山駅から電車だよね?だから、そこまで一緒に帰らない?俺も駅に用事があるんだ」

 駅に用事はないし、別に借金返済でもない、純粋に輪はもう少し、香那と一緒にいたいと思ったのだ。

「でも、その、私といたら」

 俯く香那に輪は微笑みかける。

「俺と帰るのは嫌?」

 輪の質問に香那は大きく被りを振った。

「そ、そんなことないです!」

「じゃあ、行こうか」

 そう言って歩き始めた輪の隣にまるで飼い主にじゃれつく犬のように、香那は駆け足で追いかけ、二人並んで歩いた。

 学校から出ても、会話はほとんどない。

 どちらも口下手同士。でも、それでも別に嫌だとはお互い思わなかった。

 車の音、バイクの音。風が吹くたびに舞い散る桜。遠くから聞こえる踏切の音。パン屋から匂ってくるおいしそうな匂い。

 その全てが、輪にとっては居心地がよく、そしてそれと同時にこれもまた自己満足だと険悪感に苛まれた。

 決して嫌な時間じゃない。むしろ居心地の良い空間だった。

 それなのにどこか息苦しさを感じるのはきっと、エゴなのだろう。

 自分で近づいて、自分で傷ついているのだから。

「あ、あの、蒼砥君!」

 その時不意に香那は立ち止まったと思ったら、輪の方に体を向けた。

 そこは小さな橋の上だった。

 橋と呼ぶには数歩歩いただけで通り過ぎる小さな橋で、それでも橋で、一メートルぐらい下を流れる川も、川と呼べるには小さすぎて、それでもやはり川で、まるで香那みたいだなと、思った輪に、彼女は唐突に頭を下げた。

「きょ、今日はありがとう、です」

「…………いや、まだ駅じゃないけど」

 駅までまだ数キロはある道のりなのに、まるで別れ際のような言い回しに、悪戯っぽく茶化してみると、香那は顔を真っ赤にした。

「いや、その、あの違うんです。

 私、その今日学校来た時、とても緊張していて」

「今もしているね」

「……は、はい。でも、その少なくなったというか、減ったというかですね」

「朝程、緊張してないと?」

「は、はい。蒼砥君のおかげです」

 すっと輪から微笑みが消えた。

「……いや、俺は何もしてないよ」

 むしろ環境を整えたのはシリウスだ。あの後も香那に声をかけていた。

「改めて、よろしくね」

「次、移動教室だよね。一緒に行こう」

「あ、これは明日提出だよ」

 圧倒的なシリウスのオーラーに酔いそうになっていたが。

「は、はい。ありがとうです」

 といった香那の返事は徐々に大きく、明るくなっていったのは、傍から見ていても明らかだった。

「そ、そんなことないです。そ、そのですね」

 必死に言葉を探すようにあたりをキョロキョロを見回す。そんなところに落ちてないのに。

「あ、蒼砥君のおかげで明日も、学校に行けます!」

「明日からまた休むつもりだったんだ」

 揚げ足を取られた形になり、小さい香那の体が更に小さくなる。

「その、あの、状況によっては、その選択しもあったという話で、その、ですから、決して最初から今日一日で終わらせようとは思っていませんでして、だから、その」

「アハハ」

 口元で両手の人差し指をコツコツ当てながら目線を逸らし、ブツブツ言う香那の姿がとても滑稽で思わず輪は笑ってしまった。

「ごめん。でも、ありがとう。元気出た」

 コロコロ変わる輪の表情に、香那の頭の中はクエスチョンマークで埋め尽くされた。

「ねぇ、佐藤さん」

「は、はい」

「じゃあ、一つお願い聞いてくれる?」

「お願いですか?」

「うん………野活来てよ。俺、班長として精一杯頑張るから。しっかりサポートするから」

 先ほどまで困惑していたキャラメル色の瞳が真っすぐ自分を見据えていたことは輪にもわかった。

「わかりました。頑張るです」

 そう言って頭を下げた香那の姿を見ながら、

 絶対失敗できない。

 決意を新たにできた。


「じゃあ、その……また明日です」

 体が弱く、生真面目な香那にとって、その言葉を出すのは勇気のある一言だということを輪は知っていた。

「ああ、また明日」

 そう言ってゆっくり右手を挙げて、彼女を見送った。

 姿が見えなくなったところで、輪は手を下げて一つ息を吐いた。

「さて、どうするか」

 ここから電車に乗った方が早いのだが、残念ながら手持ちがない。

 でも、このまま電車にも乗らず、帰るのは非常に面倒だ。

「あ、そういえば」

 輪は青春アプリを開いた。アプリの機能の一つであるアオハルマネーの現金化のことを思い出したのだ。

「正直、借金を増やしたくないのだが」

 八百万の借金がある身だ。今更数百円増えたところで一緒だと、自分に言い聞かせて、お金を使うことにした。

「どうしたらいいんだ?」

 アプリのヘルプボタンを押して、現金への変換方法を調べた。

「え~と。なるほど、電子マネーのチャージ方法と一緒か」

 欲しい金額を入力して、引き出すボタンを押すだけで、いいらしい。

 スマホはATMではないので、一体どんな方法でお金を出すのかはこの際気にせず、ここから輪の家までの最寄り駅分までの電車賃を入力して、引き出すボタンを押した。

 チャリン。

 すると制服のポケットから小銭が当たる音が聞こえて、手を突っ込んでみたら、そこには入力した金額が入ってあった。

「便利だな」

 その小銭を券売機に入れて、切符を買っていた時だった。

「おや、そこにいるのはベルじゃないか」

 後ろから声をかけられて、振り返ると、そこにはぎこちない笑顔を浮かべた希空が立っていた。

「どうしたんだ、そのおでこ?」

 希空の額に貼ってある絆創膏を見て、輪は首を傾げる。

 すると忘れていたのか、希空はそれに触れながら、カラカラと笑う。

「ああ、その、なんだ。ちょっと壁にぶつけてしまって」

「気を付けてくれよ、リーダー」

「うん、それよりもこんなところにいるなんて、珍しいな」

「それをそのまま返すんだが」

 小学生からの幼馴染なのだ。近いというほどの距離ではないのだが、それでも家の最寄り駅は当然一緒だ。

「私は、その、ちょっと用事があってな」

「そうなのか。じゃあ、また」

 そう言って、踵を返す輪の進路上に慌てて立つ希空。

「久しぶりにあったのに、その、冷たくないか」

「いや、まぁ、確かに希空のことも追々はしっかり考えないといけないのだが」

 まず、野活を乗り越えないとどうしようもないので、特に今希空と話す必要もない。故にどうしたってその態度は淡泊になるのは仕方ない。

 それに出来るだけ野活の重要関係者とは接触を避けて、計算が狂わないようにしとかないといけない。

「私のことを考える!」

 顔を真っ赤にしてそう叫ぶ希空に言葉の言い回しを間違ったと思い訂正する。

「すまない。言い回しを間違えた。気分を害したのなら謝る」

「い、嫌。別に怒ってるわけでは」

「?じゃあ、なんで顔を赤くしているんだ?」

「いや、決して顔は赤くなってない」

 どう見ても赤くなっているのだが、長年の付き合いだ。これ以上突っ込むと更に意固地になることは大いに予想がつくので、引くことにした。

「それで?何か用があるのか?」

「いや、用というほどではないのだが」

 輪は大仰な溜息を吐く。

 締めるところはしっかり締めるし、いざとなった時にはとても頼りになるリーダーなのは間違いないのだが、こうやって通常時は普通ぐらい、いや普通よりも多少ポンコツな、一人の女の子だということを輪も重々承知なので、ここはしっかり希空の意思を汲み取ろうと考えを改める。

「用事はまだ、時間がかかるのか?」

「え、あ~いや。うん、もぅ、終わっている」

「じゃあ、一緒に帰るか?」

 そう言った輪に対して、希空はぱっと笑みを浮かべた。

「うん、それで行こう。うん、それが良い」

「じゃあ、切符買ってきてくれ」

 流石にここから歩いて帰ろうとは思っていなかっただろう。

 すると希空は言いづらそうに、

「その、あの~お金がなくて」

「……」

 うん、一八〇円も三六〇円も変わらない。

 輪は自分にそう言い聞かせて、アプリを起動した。


「す、すまない」

「いいさ。だけど、もうちょっと計画的に買い物をした方がいいぞ」

「ああ、肝に銘じておく」

 ホームに立って、並んで電車を待つ二人。近くに桜があるのか、時々風に乗って、花ビラがホームに舞い散る。

「懐かしいな、こうやってこのホームに経つのは」

 頷きかけて、冷静に答える。

「まだ、二ケ月前のことじゃないか」

 輪にとって数十年前のことなのだが。

 北稜学園の中等部と高等部は離れた位置にあり、ここが中等部の最寄り駅なのだ。

「本当にベルは現実主義というか、夢がないというか」

「希空のように、ロマンチストじゃないんだよ」

「私のどこがロマンチストなんだ!」

 希空をロマンチストと呼ばず、誰をロマンチストと呼ぶのか。

 そして厄介なことにそれを叶える力と才能を持っているのだ。

「確かに、希空程リアリストな人間はいないのかもしれないな」

 彼女の前ではどんな夢物語もそこで、止まらないのだから。

「どうした、柄にもなく人を褒めるなんて、ベルらしくないな」

 前にも言われたその言葉に薄く息を吐く。

「俺って、そんなに人を褒めないか?」

「全くと良いほどにな」

 まぁ、でも確かにと思った。

 心では思っていても、口に出すことはほとんどないかもしれないと思えた。

「今度から善処する」

「それはそれで気持ち悪いけどな」

「八方塞がりじゃねぇか」

 輪の突っ込みに、希空はクスクス笑う。

「ベルは本当に、無口なのに偶にそうやって、面白い一面を見せるな」

 人を情緒不安定みたいに言わないで貰いたいと思いながらも、言ったらまた茶化されそうなので黙った。

 ホームに電車が滑り込んできた。まだ完全下校の時間には早く、帰宅ラッシュの時間でもないので、比較的車内は空いていて、十分に座ることが出るのだが。

「座るか?」

「一駅だからいいさ」

 希空の提案に乗り、二人はドアのすぐそばに立った。

「ところで、その、ベルはどうしてあの駅に?」

 電車が出発すると同時に隣に立つ希空が非常に歯切れの悪い口調で輪にそう尋ねた。

「ああ、あれだ。佐藤さん覚えてるか?」

「え、ああ。あの子か!カノープス全員で家に押しかけた」

 他人事みたいにいう希空に輪は大きな溜息を吐く。

「先生からは話し相手になってくれって言われただけなのに、いつの間にか家から引っ張り出すことを目的にしたのは希空だろう」

「いや、最終目標がそこなら、だったら私達がそこまで解決するのが普通だろう?」

 どこの世界の普通なのかとジト目で抗議する輪。その姿が馬鹿にされたと捉えたのか、

「私はまだましの方だろう!初対面の女子に会いに行くのに、慎吾なんて鉄パイプを持ってきたんだから!」

 思った以上の声量に一瞬輪は驚いたが、丁度トンネルに入ったこともあって、あまり周りに迷惑はかからなかったので、そのまま受け流す。

「あれは例外すぎる」

 もちろん、集合した瞬間、慎吾が総ツッコミを喰らったのは当然のことだ。

「え、引きこもりを引き出すのなら、鉄パイプだろう?」

 これを本気で言っているのが、慎吾の凄くて怖いところだ。

 元ネタを知っている希空以外は皆、頭を抱えたのは言うまでもない。

首を傾げる希空に、

「とりあえず鉄パイプを持って、女の子に会いにいくのは間違っているということぐらい、わかるでしょ?」

 喜瀬羅の言い分に、希空は頬を膨らました。

「キセは私を馬鹿にしてないか」

「わかっているのなら、止めて!」

 どこか、釈然としないまでも、希空の説得で鉄パイプを持って、訪れることは一度もなかった。

「結局、佐藤さんを学校に登校するまではいかなかったが」

 トンネルを出ると同時に車内は夕暮れのオレンジ色に包まれる。車窓から見える過ぎ行く夕暮れの光景を希空は物悲しそうな表情で見つめている。

「保健室登校まで行ったじゃないか。専門家でもないのに、十分立派な成果だ」

「それは佐藤さんが凄いだけだ」

 それは輪も同意なのだが、希空の真摯な気持ちが香那にも届いていたことは、輪だけじゃなくカノープス全員が思っていることだ。

「しかしその、佐藤さんが普通に学校に登校できるようになったのか。嬉しいな!」

 満面の笑みを浮かべる希空。まるで自分事のように無邪気に笑う彼女を見て、十年のアドバンテージがあるにも関わらず、未だに追い付いていないと改めて輪は認識した。

 でも、別に悪い気分じゃなかった。

「ところで、リーダーはどうしてあの駅にいたんだ?」

「え、あ~ほら、中学の先生に呼ばれて、ちょっと相談されてたんだ」

 実に出来の悪い嘘で、喜瀬羅に鼻で笑われるレベルだった。

「あ~そうなのか」

 輪は全く疑わなかった。

 希空があまり嘘をつくというイメージがないのだ。喜瀬羅からしたら、しょっちゅうのことなのだが。

 だが、まぁ、下校しようとしたら、輪が見知らぬ女子と下校しているのを見てしまい、思わずつけてしまったなんて、口が裂けても言えない彼女の気持ちも是非汲み取ってもらいたい。

「そして、その帰りに自販機でジュースを買ってしまったのだが」

「唯一の所持金だったと」

「ああ、面目ない。今度耳をそろえて返すから」

 耳を揃えてというのは死語のような。

「それは別にいいんだが」

 数百円の貸し借りを、いつまでも引きずる程、輪は守銭奴ではない。

でも、女子高生の所持金が百二十円って、どうなんだと突っ込みかけたが、男子高校生の輪の所持金も百六十円以下だったことを思い出し、口を噤む。

「まぁ、今度何かあったら、相談料ということで」

 そう言って、希空の方に向き直ろうとした輪のおでこに彼女の鋭いデコピンが飛んできた。

「いてぇ~」

 本気で痛くて、涙目を浮かべる輪に、

「私を見くびるな。友達の相談に金を取ったりはしない!だから、いつでも相談しろ!」

 そう言った夕暮れに照らされる希空の姿は神秘的で、思わず見惚れそうになったが、おでこに貼っている絆創膏が輪を現実に引き戻した。


 電車が最寄り駅に着くと同時に、駅前にある時計台が五時の鐘を鳴らした。

 駅前にいくつかの店が立ち並んでいて、そこからはかぐわしい香りもするのだが、所持金ゼロの輪達にとって、直帰以外の選択肢はなくて、見て見ぬ振り改め、匂って、匂わない振りをした。

「……」

 少し前を歩く希空は西日に照らされて、綺麗だと思う反面、切なく思えて、輪の脳裏にラーメン屋での恭平の言葉がフラッシュバックする。


『希空、あまり幸せではないらしい』


「……なぁ、リーダー」

 思わず漏れてしまった言葉に、急に輪はバツが悪くなり、こんなことを聞いても仕方ないと思ったのだが。

「先ほどから気になっていたのだが、どっちかにしてくれないか、呼び方」

「え?」 

立ち止まり、振り返った希空からの予想外の突っ込みに、輪は一瞬固まったが、すぐに自分の順応性の低さに頭を抱えた。

 カノープスを結成した時から呼び慣れた呼び方。

 そして必死に高校生活で去勢した呼び方。

 その二つが未だに混在していることに驚き、情けなさを感じた輪は思わず目を逸らした。

「すまない。希空」

「そんな顔をするな、別に怒っているわけじゃない」

「それ、怒る奴の常套句じゃないか」

「そういう減らず口が出ているところを見たら、大丈夫のようだな」

 精神年齢としたら十歳も年下の女の子に気を遣われ、窘められたのだ。輪のプライドはズタボロで、視線を合わせることが出来ないが、それはそれで子供っぽく思って、出来るだけ平静を装いながら、希空に追いついて、二人は並んで歩く。

「それで、私に何か質問があったんじゃないのか?」

 散々恥を晒してしまったこともあり、輪の中にはほとんど羞恥心はなかったので、割とすんなりと言葉が出た。

「リーダーにとっての幸せって、なんだ?」

 思わず目を見開く希空。

「本当に君らしくない質問だな」

「ああ。でもちょっと事情があって、らしさとか、プライドとか捨てることにしたんだ」

「それはまた大きな心境の変化だな。

 つまり、あれだな、本気と書いてマジと読むやつだな」

「……」

 希空の顔が夕暮れよりも真っ赤に染まる。

「すまない、今のは忘れてくれ!」

 両手を顔で覆いつくして、輪に背を向ける希空。

「ああ、まぁ、大丈夫だ。カノープス以外の奴には言わない」

「一番言ってはいけない奴らじゃないか!特にキセ!」

「その気持ちは大いにわかるな」

 シリウスが現れるまでは間違いなく輪だって、一番秘密を握られたくないのも敵に回したくないのも喜瀬羅だと言い切れる。

 今は……同じぐらい嫌だ。

「とにかく誰にも言わないから」

「本当だろうな?」

 意外と疑り深い奴だと思いながら、

「ああ、人の秘密で商売しようとは思ってないから」

「むしろ、そんな発想自体が私にとって寝耳に水で、不安要素が増したのだが」

 希空は大きく息を吐いて。

「まぁ、色々あるな。ケーキを食べている時とか、散歩している時とか、大好きなリスの動画を見ているときとか、後は……」

 そこで急に、言葉を止めて警戒するように輪の顔を見た。

「笑わないか?」

「それ、笑えっていう前振りか?」

「違う!本当に笑うなってことだ!」

「わかった。笑わない」

「えらくあっさり言われると、信じたくなくなるな」

 面倒な奴だなと思いつつも。

「大丈夫だ。笑っても、一時の感情だ。半永久的な笑い話にするつもりはない」

「……益々信用できなくないんだが」

 何かを諦めたように、大きく息を吐いて、希空には珍しい、しどろもどろな口調で「あの、そのだな」とか言いながら答えた。

「好きな人と一緒にいる時だ」

 目を見開く輪に、希空は慌てて訂正する。

「いや、別に好きな異性がいるというわけじゃないんだ。

 家族やカノープスのメンバーと過ごす時間が楽しいというか。

「アハハ」

 腹を抱えて、涙を浮かべながら、輪は大声で笑った。

 こんなにも笑ったのは久しぶりだと思うぐらいに。

「君は本当に酷い奴だな」

「すまない。いや、俺、なんか大きく勘違いしてきた気がする」

 別にコノハのように陶酔していたわけではないのだが、自分も希空のことをうがったような、変なフィルターを通してみていたようだ。

 別に目の前の男が馬鹿にしているわけではないと、希空にもわかっているのだが、釈然としない。

「フフフ、私も勘違いしていたようだ」

「え?何が」

「君はもうちょっとクールな奴だと思っていたよ。

 まさか、人前でそんなに大声で笑う奴とは思っていなかったよ」

 希空にそう言われて、今度は輪が頬を染める番だった。

「すまない。忘れてくれ」

「じゃあ、今日のことは二人だけの秘密だな」

「……わかった」

 頷く輪に、希空は手を伸ばした。

「交渉成立だな」

「ああ、そうだな」

 伸ばした手をお互いにがっちり握った。

 雲の上のような存在。オーロラのような存在。滅多に見られない星のような存在。深い、深い森の中だけで見られる妖精のような存在。ダンジョンの奥深くで眠る宝箱のような存在。

 そんな彼女と初めて、一瞬なのかもしれないが、ほんの刹那の瞬間なのかもしれないが、初めて輪が対等と思えた瞬間だった。


蒼砥輪様の4月14日現在の返済状況。査定者のコメント付き。

4月13日

・委員会に入る +300sd(無用な働き者は使いつぶされますよ)

・リーダーになる +150sd

・人気者になる +100sd(完全にピエロですけど(失笑))

4月14日

・ノートを見せる +400sd(役に立つかは査定には入りません)

・異性と委員会 +100sd

・下校イベント1 +600sd(プラスα査定しています)

・下校イベント2 +300sd

・握手 +500sd(異性とやるような握手ではないような)

・秘密の共有 +200sd

・異性と会話 +50sd

・電車賃 -3sd 繰越60円


残り返済額 

75078sd=¥8,565,649(1sd=¥114)

 シリウスコメント(女の子と別れた後に他の女の子と下校というのはマイナス査定だと思います)



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