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第二章 青春十五歳切符。 『ゴロが悪いです。by 年齢不詳 天界所属のOL』

家に着いて、ベッドに横になってもすぐに睡魔は襲ってこなかった。明日も早いのに。

「……」

 後悔はしていない。といったらウソになる。

 今まで何度も人生の中で躓いたり、不安に思ったり、嫌気がさしたりする度に『たら、れば』を考えてしまう。

 そしてそういう時に決まって思い出すのが、高校時代のことだった。

 そしてカノープスのことだった。

 部活という実態は持っていたが、単なる仲良しグループ。さっきも言ったように、今となっては単なる子供が作ったなんの権限も力も持っていないもの。

 それでもあの時の輪達にとって間違いなくカノープスは世界の中心だった。

 それをたった一つのミスで追い出されたのだ。憤りもしたし、みっともなく縋りついた。

 しかしあがけばあがくほど、輪の立ち位置は酷いものとなり、結果三年間、彼は孤立した。

 当然カノープスに戻れることもなく、高校卒業と共に逃げるように東京の大学に進路を決めて上京した。

 そして今日の今日までカノープスのメンバーに会うことはなかった。

 でも、今日恭平に会ってまた、思ってしまった。

 またあの頃に戻れるのではないかと。

「ハハハ、馬鹿じゃないのか」

 寒い室内にカラカラと笑う輪の声はより一層寒々しい。

 もぅ、三十手前のおっさんが何、夢物語を語っているんだ。

 もぅ、遅いのだ。遅すぎるのだ。

 夢を語るのも、過去に後悔するのも。

 そんな後ろ向きじゃ、何も得られない。

 パーフェクトスクールライフ。

 そりゃ、そんなことを考えたことがある。

 パーフェクトスクールライフ。

 もし、今、高校に戻ったら、それが出来るんじゃないのか?

 パーフェクトスクールライフ。

 いや、出来るわけがない。散々高校時代に自分の無能さを知っただろう。今も痛感しているだろう。

 多少知識が増えて、大人として精神が成熟しているというアドバンテージを付けたところでどうしようもない。

 パーフェクトスクールライフ。

 バラ色のキャンパスライフも、虹色の青春も、そんなの全て妄想だ。

 パーフェクトスクールライフ。

 でも、もし戻れるなら今よりも多少はマシな人生になっていたのかもしれない。

 そんなことを考えながらいつの間にか輪は眠りに落ちた。

 

 気がつくと輪は真っ黒な空間にいた。

 正しく真っ黒な空間。右も左も上も下も真っ黒。一体自分が何に立っているのかもわからないので、次の一方踏み出した途端に真っ逆さまに闇の中に落ちてしまうのではないのかと思うぐらいに。

「……」

 恐怖から体が震えて、思わず俯いてしまった時だった。

「そんなに俯いていたら、幸せは逃げてしまいますよ!」

 そう言われて顔を上げた時だった。いつの間にか数メートル離れたところにあるところに女性が立っていた。

 銀色の髪に金色の瞳。身にまとっている真っ白なドレスはまるでビーナスが纏っているような凄く大胆なもので、真っ白な肌との境界線が凄く曖昧で、そのドレスがキラキラ光っていなかったら、まるで裸のようにも見える。

 年齢は輪よりも遥かに下の十七歳ぐらいに見えるのだが、可愛いという言葉を使うには憚られる程に綺麗で、先ほどの緊張なんて忘れて、思わず見惚れてしまった。

「フフフ、こんな状況になっても、本能を表すなんて、やっぱり男という生き物は非常に単純で馬鹿ですね」

 先ほどまで浮かべていたどこか優しそうな笑みはどこへやら、今はどこまでも輪のことを、舐め腐ったような邪悪な笑みで見つめていた。

「……なんだこいつ」

 輪は既に二十五歳。可愛いが、綺麗が全てにおいて免罪符になるのが許されるのは学生時代までだ。

 会社にも綺麗な子はいるが、これが全くもっての無能で、

「ごめんなさい!」

 と全く誠意のこもってない謝罪に、何度輪の頭の中の欠陥が切れて、怒鳴り散らしてやろうと思って、耐えたことか。

 だから目の前の子が人並み外れた美しい美女であっても看過出来るもではなかった。

 だが、輪は立派な社会人。さっきもいったように怒鳴りかけたが、耐えたのだ。こんな十歳近くの初対面の女の子に怒るような年齢じゃない。

「それで、君は何者で、ここはどこなんだ?」

「子供扱いしないでください。おっさん」

「よし、そんなことどうでもいい。今は君が視界から消えるだけで十分だ。さっさと消えてくれ!」

「全然耐えられてないじゃないですか」

「ふっ、夢の中の住人に何を言ったところで、名誉棄損にも人権侵害にもならないからな」

 とっくに輪は気づいていた。ここが夢の中だと。だって、先ほどまで自室で寝ていたのだ。それを移動もなくこんなところにいるのだ。夢以外何物でもない。

「はぁ~とことん失礼な人ですね。

 まぁ、いいでしょう。別に蒼砥さんと口喧嘩する為に、ここに呼び出したわけじゃないですから」

 そう言って彼女はゆっくり何もない空間に腰をかけて、足を組んだ。

「……」

「本当にサルですね。立派なこと言っときながら、私の仕草、一つ一つにドキドキしてるじゃないですか」

「うるさい!目の前にこんな綺麗な子がいて、見なかったら逆に失礼だろ!」

 完全に逆切れなのだか。

「…………」

 目の前の子が一瞬狼狽したように見えて、口元に手を当てて咳払いをしたのも何かを誤魔化すようにもみえた。

「さて、話は戻しますが、私は蒼砥さんと喧嘩する為にでも、ましてや口説かれる為にここに呼んだんじゃないです」

 一体いつ、自分が口説いたのか皆目見当がつかなかった輪だったが、これ以上の話を脱線したら、こんな見たくもない夢をいつまでも見続けないといけないので、押し黙り女の子の声に耳を傾けた。

「端的にいえば、あなたは当選したのです」

「当選?」

「はい、私はあなた達の世界の女神的存在です」

 本当に女神だった。

「それで、女神様がわざわざ当選通知に来てくれるなんて、一体俺は何に当選したんだ?」

「呑み込みが早いのか、頭のネジがぶっ飛んでいるのか、判断しかねるほどに冷静ですね」

「クリスマスの夜だからな。多少のことは呑み込むさ」

「とかなんとかいって、どうせ話半分も信じてないんでしょうけど」

 当たり前だ。なにせここは輪の夢の中。夢というものは何が起こっても許される。理屈も常識も全てを捻じ曲げてでも。そして当然夢なのだから、目覚めた瞬間に全て消え失せる。

 良いことも悪いことも。

 つまり、言葉違いかもしれないが、輪にとって今は無駄に時間を浪費しているだけなのだ。

 女神様を大仰な溜息を吐く。

「まぁ、今はその舐め腐った態度に目を瞑ってあげます。

 これが夢で終わるのか、現実のものになるのか、あなたのこれからの決断次第なのですから」

「流石女神様。寛大だな」

「お褒めにあずかり恐悦至極です」

 全く褒めてはないが。

「それで、俺は何に当選したんだ?」

「過去に戻る権利です」

 一瞬言葉を失い、次の瞬間吹き出した。

 なるほど。実にご都合主義な夢だ。夢は深層心理を映し出す鏡だともいうが、正しくその状況だ。先ほどまで考えていた望みが、そのまま反映されているのだから。

「つまり俺は今の記憶と知識そのままに、十五歳に戻れると?」

「はい、お望みとあれば」

 実にファンタジーでありきたりなものだ。SFという言葉すらも廃れてきた昨今に。

「それで、過去に戻って何をしろと?」

「こちらから望むことは何もありません!

 思う存分不完全燃焼で、中途半端に、今でもズルズル引きずっている青春時代をやり直して、パーフェクトスクールライフを手にいれてください」  

 もはや怒りも笑いも起きない。

「そういう割に顔は笑っていますよ」

「!!!」

 いつの間に水溜まりのように真っ暗闇の足元に映し出された輪の顔は薄ら笑いを浮かべていた。

「本当に正直ですね。

 まぁ、仕方ありませんね。喉から手が出る程欲しかったものが手に入ろうとしているのですから」

「くっ」

 頬を両手で二回叩いて、輪は平静を装う。

「お気持ちは有難いんだが、悪いが遠慮させてもらう」

「我慢しなくていいんですよ?」

「いや、我慢じゃなくて、その自信がない」

 先ほどまで大仰な態度とは全く違う縮こまった輪の姿に女神は目をぱちくりとさせる。

 でも、輪の懸念は実に正しいものなのだ。

 いくら今の記憶と精神がそのままだといっても、元の器はそのままなのだ。

 異世界転生のように急にチートスキルを手に入れないでも限り、恐らく同じような高校生活になるだろう。

 人間が失敗を繰り返す生き物だということは長い歴史の中で日の目を見るより明らかだし、自明の理だ。

 もちろん、こんな夢物語な話を真剣に考えている時点で、自分が異常で馬鹿げたことだと輪本人も自覚しているのだが、どうしても真剣に考える事だと思ってしまうのだ。

「変なところで卑屈なんですね」

「冷静沈着といってくれ。それに当選というのなら、繰り上げ当選もあるということだろう?」

 そいつが輪よりも遥かに優秀な場合、下手したら人生をやり直すどころか、世界すらも変えてしまうような、エジソンやジャンヌダルクのような存在になるかもしれない。そうなると益々その責任は重大で、自分がそんな重みを背負えるとは輪には思えなかった。

 そんな輪の態度に女神は呆れるどころか、どこか嬉しそうな笑みを浮かべて立ち上がった。

「面白そうですね。じゃあ、こうしましょう。あなたのやり直し人生をバックアップする有料コンテンツをつけます」

「有料コンテンツ?」

「はい、一つは随時あなたのスクールライフをより素晴らしいものになるようにサポートする存在。

そしてもう一つは必要に応じて手に入れられるものです」

「……」

 輪は思案する。

 確かにそれがあればパーフェクトスクールライフも妄想に終わらないのかもしれない。

 でも。

「流石に高校生で借金まみれになるのは」

 有料を優良と捉えるほど、輪の頭はめでたくない。

「大丈夫です。すぐに返せるものですので。あなたが素敵な青春を謳歌しさえすれば」

 ニコリと笑う女神の顔は非常に素敵で、端的にいえば全く信用ならない。

「さて、どうします?

 このままグダグダと干からびていきますか?

 それとも学生時代の無邪気な心でリスクを背負いながら、起死回生一発逆転のチャンスにかけてみますか?」

 いつの間にか目の前にきた女神は輪の眼前にすっと手を差し伸べた。

 天国行きか、地獄行きか全くわからない、美しくもどこか魅惑的な細く綺麗な手を。

 しばしの葛藤の後、輪は大仰な溜息を吐いた。

「わかった。やってみる。まぁ、死にはしないだろうしな!」

 そう叫んで、輪は女神の手を握った。

「契約成立です。払い戻し、クーリングオフなどの要求は一切認められませんので、ご了承を」

 ファンタジーな世界なのに、どこまでも現実的な契約に輪は苦笑いを浮かべた。

「それでは年齢十五歳。四月五日。北稜学園高等部の入学式の日にタイムリープします。

 是非ともパーフェクトスクールライフを手にいれましょう!」

 そう言った女神の笑みはどこまでも無邪気だった。

 まるで遊びに行く子供のように。



 目を覚ました時、輪の目に映った光景は見たことはあるが、ここ最近全く見ていない景色だった。

 集合団地の一室の一部屋。窓は西側に大きなのが一つと、北側に小さなのがあるだけなので、西日は諸に入ってくるし夏暑く、冬寒い。学習机と箪笥とベッドがあるせいで、人一人が通るのが精いっぱいの通路しかなく、全くもって快適とは程遠い、久しく帰ってない大阪にある輪の実家。

「……嘘だろ」

 あれだけ息巻いていたのが、当然それは夢の中だとわかっていたからの話で、実際に起きたとなったら、驚愕しない方がどうかしている。

「いや、まだわからないな」

 寝ているうちに瞬間移動しただだけかもしれないという、あり得ないことをあり得ないことで塗りつぶすという、なんともよくわからない慰みをするのは当然混乱しているからだ。

 ベッドの上にあったスマホの存在に気づき、カメラの自撮り機能を使い、輪は自分を写真に収めた。

「ハハハ」

 そこに映っていたのは紛れもなく未成年の、高校生ぐらいの蒼砥論の顔だった。

 そこまで驚愕しないのには、薄々感づいていたからだ。いや、周りの風景が感じる温度が、嫌でも瞬間移動しただけではないことを輪に強く訴えかけてくる。

 十二月にしては暖かすぎる室内。壁にかかっている真新しいカッターシャツに灰色のズボンに紺のブレザー、そしてワンタッチ式の赤いネクタイの高校の制服。

 そして先ほど自撮りした角ばってない、丸っこい形の何世代も前のスマホのホーム画面に映し出された日付は女神が言った通りの四月五日。

 全ての状況が、輪を高校一年生入学式の日にタイムリープさせるという女神の主張を正当化するものだった。

「あ、リンちゃん起きた。朝ご飯の時間ですよ!入学式から遅刻しないように早くしなさいよ~!」

 年齢よりも明らかに年下の童顔にニコリと笑顔を張り付けながら、輪の母親こと小鳥がノックもせずに部屋の扉を開けて、そう言い放った。

「ああ」

「うん、どうしたの?まさか、お母さんの顔に見とれちゃった?」

「いや、それはないんだけど、懐かしくて」

 なにせ成人してから輪はまともに実家に帰ったことがなかった。

毎週のように小鳥からの催促のメールもひたすら無視を続けていたせいで、数年前からパタリと止まったこともあって、とっくに見放されたのだと輪は思っていたからだ。

「もぅ、ゴマを擦っても、お小遣いはあげないからね。

 さぁ、さっさと着替えなさい」

 そう言って出ていった小鳥を見送っても、しばらくベッドから起き上がることが出来なかった。

 まだ頭が混乱しているのだ。

 でも、いい加減受け入れないといけない。

「本当にタイムリープしたのか」

 何度もラノベやアニメで読んで、観た題材。 

 何度も嫌なことがある度に、間違った旅路を歩んできたと考える度に脳裏を過ったこと。

 それが現実になって輪の身に起きた。

 つまり。

「本当にやり直せるんだ」

 手を伸ばせば届くんだ。

 パーフェクトスクールライフ(もちろん妄想だけど)のかぎかっこの部分が取れる可能性があるのだ。

 そう思ったら、胸の中が熱くなった。

 気持ち悪いほどに輪の顔はにやけた。

 ここまで未来が明るいと思ったことは今までなかったし、これからもないだろう。

 そうして決意を新たにベッドから起き上がった輪の初めの一歩はお約束の如く踏み外した。

 理由は単純明快。体が軽いからだ。

 二徹してでも、寝ることよりもゲームや友達との馬鹿話が優先出来る学生の体は本当に軽かった。

 しかも、何かしら優れた能力を持っていたカノープスのメンバーから遅れを取らない為に、最低限の努力はしようと、鍛えていた体のせいもあって、ほぼ、炭水化物と油物とモンスターで出来ていた二十五歳の体は見事に引き締まっていた。

「凄いな」

「リンちゃん!いい加減にしないと、お母さん脱がすわよ」

 上半身裸で思わず自分の体に見惚れ、母親にその姿を見られるというダブル羞恥心を味わい、赤面しながら輪は真新しい制服に袖を通した。

 食卓にいくと、新聞に目を通していた輪の父こと修二が顔をあげた。

「お、今日から高校生か」

「ああ」

「悔いのないようにな。父さん悔いだらけ青春だったからな~」

 そう言いながら、そのまま召されるんじゃないかというぐらいに、穏やかな顔を浮かべていると、

「何、お父さんは私と結婚したこの人生を後悔しているのかな?」

 小鳥が物凄い素敵な笑顔で輪の前に朝食を置きながら、修二をにらんだ。

「そ、そんなことあるものか。青春時代は後悔の連続だったが、今はそのとても幸せだな~という話をしているんだ」

「どうだか~」

 本当に召されそうな修二とご立腹は小鳥に苦笑いを浮かべながら、目の前に置かれた朝食に目をやる。

 ハムエッグにサラダにトーストという至って普通の朝食なのだが。

「……」

「どうしたの?」

「いや、なんでもない」

 まさか、朝はギリギリまで寝ていて、ここ数年間朝食を取っていなかったので、まともな朝食が、しかも勝手に出てくることに感動していたなんて言える訳がなかった。

「いただきます」

 そう言って輪は朝食を、数年振りの手料理というには大げさだが、その朝食をゆっくり味わった。

「小鳥さん。コーヒーくれるかな?」

 不機嫌な小鳥にすがるように尋ねる修二を見ながら、

「あ、俺もコーヒーが良いな」

 そう言った輪に、思わず二人は視線を送った。

「どうしたの?コーヒーなんて苦いだけで何が美味しいのか全くわからないって言っていたのに」

「いくら高校生になったからって言って、無理はしなくていいんだぞ?」

 思わず口走ってしまったことに後悔しながらも、

「ああ、その、ほら、父さんが母さんの淹れたコーヒーを美味しそうに飲んでるから、飲みたくなって」

「まぁ、嬉しいこと言ってくれるわね」

「そうなんだよ。小鳥さんの淹れるコーヒーは絶品だ」

 そんな感じでなんとか誤魔化せて、それと同時に二人の喧嘩が収まって、輪は胸を撫でおろす。

 まぁ、こんな小さな喧嘩はしょっちゅうやっているので、放って置いても良かったのだが、偶に拗らせて、二人とも輪に愚痴を言ってきて、板挟みになると非常に面倒なので、早い目に摘み取っておくことにした。

 そしてもう一つの目的は、

「嗜好も二十五歳のものになるのか」

 学生時代は苦くて、飲めなかったブラックコーヒーを難なく飲めた。

 つまり肉体的レベルは十五歳だが、趣味嗜好は二十五歳のままのようだ。

 驚く両親を他所眼に、輪はマグカップに入ったブラックコーヒーを飲み干した。

「おお、なんか輪が大人に見えるぞ」

「本当!こんなに大きくなって、お母さん嬉しいわよ!」

 そんな感じで久しぶりに誰かと食べる食事と和やかな雰囲気に、思わず時間をかけてしまい、

「輪ちゃん時間!」

 小鳥に言われ、ようやく時間が差し迫っていることに気がつき、輪は慌てて家を飛び出した。

「いってらっしゃい!」

 出ていく時に小鳥にそう言われ、思わず笑顔がこぼれた。

「ああ、行ってきます!」

 

「綺麗だな」

 桜並木が連なる春の坂を駆け降りていく。春になる度に桜は見ていたはずなのに、久しく見ていなかった気がした。正確に言えば見上げるという行為時代を輪は久しくしてなかったのだ。

「こんな気持ちの良い朝は何年ぶりだろうか」

 日差しが温かい。うるさいと思っていた車たちも肉食から草食に変わったぐらいにとても静かに聞こえる。

 心境の変化とのずれか、それともどこかスポットライトを照らされたような感じがし、場違いな気がしたせいか、晴れの日よりも雨の日の方が落ち着いたそんな日々を過ごしていた。

 でも、今は全く違っていた。

 体がどこまでも軽い。

 今まで鉄の鉛をつけていたのかと思うぐらいに重かった体はとても軽く、同じ一歩でも歩幅は違うし、走ったところで、階段を一気に降りたところで息切れも、膝の痛みも感じない。

「若さって、素晴らしいな!」

 といっても家から北稜学園までは歩いたら三十分かかる道のりだ。入学してからしばらくして自転車通学をする為の試験があるのだが、それまでは徒歩通学になる。自宅から駅までの往復すらも億劫だったのに、今はまったく気にならなかった。

 むしろ全ての景色が新鮮に映った。

 軒先の花。道を横切る猫。並んで通学する幼稚園児。車が一台も通らない横断歩道で立ち止まるように指示を出す煩わしく思っていた赤色に光る信号も、今の輪には律儀で可愛く見えた。

 しばらく走ったところで、同じ制服の人達がチラホラ見始めたので、輪は歩を緩めて、スマホで時間を確認する。

「ここから歩いても十分間に合うな」

 流石に多少息は荒れているが、止まって休まないと回復しないといけないものでもないので、歩みを止めることもしない。

 浮足立った足が地に着く感覚に、輪の思考も落ち着きを取り戻す。

「さて、いつまでも浮かれているわけにはいかないよな」

 これからのこと。パーフェクトスクールライフを送るためにはまずやらないといけないことの第一が、

「やっぱりカノープスから追い出されないことだな」

 北稜学園は中高一貫校で、カノープスは輪の世代どころか、学園でも知らない人がいないぐらいに、学園のトップカーストに登りつめていた。

幼馴染の男女六人で結成されたカノープスは小学校の頃から学生や地域の仕事に積極的に関りを持ち、色々な活動に従事していた。

別に奉仕活動をしていた訳じゃなく、その活動全てを良い意味で楽しみに捉えていたのだ。

そしていつの間に地域の中でも有名人となっていた。

 そして中学に入ると同時にリーダーである部長の星空希空によって正式な部活、カノープスとして立ち上がった。

 といっても部費はほとんど下りず、部室だけを宛がわれた格好になっているのだが、希空自身はそんなこと全く気にしてないし、輪も含め他の部員五人も同意だ。

 現に希空と輪とコノハ以外の三人は委員会やら他の部活動との併用だ。

 だが一度、希空が集合をかければ皆が必ず集まる。それがカノープスというグループなのだ。

 そしてそのグループから輪は高校入学から間もなくして追放されることになる。

「これを回避しないことには何も始まらないな」

 まず、最初の目標をゴールデンウイーク明けにある、一泊二日の日程で行われる野外活動だ。

 何故なら野外活動から輪の想像していた高校生活が大いに狂い始めるからだ。

 輪は徐にスマホを開いて、その中のメモ帳を開いた。タイトルはもちろん パーフェクトスクールライフ。

 そしてその一番上に『野外活動を完璧に乗り切る』と打ち込む輪の背中は、

「おはよう、ベル君!」

 ポンと叩かれ、それが中々の勢いで、輪は前のめりに倒れそうなところをなんとか押しとどまった。

 前の体なら確実に倒れていたな。

 苦笑いを浮かべながら振り返ると、

「……希空」

 そこに立つ星空希空の姿に、輪は言葉を失った。

 健康そうな肌色にルビーをあしらったような二つの双眸、亜麻色のセミロングヘアーはハーフアップされ、小さなポニーテールになっていて、どこか大人っぽく見える。

 桜吹雪の中で立ち尽くす彼女の姿に輪の全神経は奪われた。

「どうした?まさか、私の制服姿に見惚れたのかな?」

「…………ああ。そうだな。とても綺麗だ」

「……え?」

 軽口で言っただけに、真正面から褒められた希空の表情は固まる。

 一方、どうして彼女がそのような表情をしているのかわからず、首を傾げる輪だったが、ようやく自分が言ったことを自覚し、彼女の表情が険悪感から来るものだと捉えて、謝罪する。

「すまない。気持ち悪かったか?」

 今の精神年齢での誉め言葉は割とあっさり出るんだということを輪は自覚して、今後は気をつけようと自分を戒める。

 まぁ、でも仕方ないよな。

 一〇歳年下の女の子のことを褒めるのと、同年代の女の子を褒めるとでは、ハードルもリスクも下がる。

 綺麗に見えたことは確かだし、今も輪は希空に憧れている。でも、それと同時に彼女のことを年の離れた年下の女の子だと見てしまうのも、また事実だった。

 頬をピンク色に染めた希空はブンブン首を振る。

「ううん、そんなことないんだが。ただ、ベル君から真正面に褒められたことなんて最近ないような気がして」

「そうだったか」

 輪は決してプレイボーイではないので、誉め言葉も必要最低限で、仕事仲間からも『お前はわかりづらいんだよ』と幾度となく言われたことがあった。

「そうだ。全く、ベル君にはいつも驚かされるな」

「そこまでのことか。まぁでも、久しぶりだな。元気してたか?」

「久しぶり?昨日も会ったじゃないか。ランニング中に」

 首を傾げる希空から、やってしまったと、目を背ける輪。

 希空とは春休みのランニング中にばったり会ったことがあっていたのだ。しかも意図的ではないかと思えるぐらい、結構な頻度で。

 でも、輪にとってはもぅ、十年以上も前の話だ。覚えてなくても当然なのだ。

「あ~そうだったな。すっかり忘れてた」

「昨日の今日で忘れるなんて。私ってそんなに存在感ないのか」

 露骨に落ち込む希空に輪は慌てて弁明する。

「そんなわけないだろ。ただ、新しい高校生活に少し浮足立っていただけだ」

 自分でも随分苦しい言い訳だと気づくが、今はごり押しするしかない。流石にタイムリープしてきたとか言えないし、言った時点で今度は別の心配をさせてしまう。

 これは今日帰ってから復習しないといけないな。

 といってもほとんどのことを輪は覚えていない。

 輪にとって前回の高校生活は少しでも早く忘れたいことだから当然のことなのだが、それでも思い出さなければ、いつかぼろが出る。

 かといって本当のことを言えば、今度はからかっていると思われ、余計な隔たりを生んでしまう。

まさか十五歳の自分を演じる日が来ようとは当然のことながら、輪は露ほどにも思っていない。

それでも。

「とにかく、入学式初日からお前みたいな有名人を遅刻させるわけにはいかないし、行こうか」

「ああ、そうだな」

 自然と肩を並べて歩き始めることが出来るこの距離感を守る為なら、努力は惜しまないと、輪は素直に思えた。

「高校でもカノープスを続けるのか?」

「ああ、もちろんだ。もぅ、既に喜瀬羅を経由して、生徒会長へ根回し済みだ」

 もちろん知っているのだが、知らないはずの情報を思わず口ずさむ前に、出来るだけ情報を仕入れておくことと、一周目との違いを確認するためだ。

 冷静に努めれば、さっきのようなぼろを出すことを輪は滅多にしない。

「だから、またよろしく頼む」

「まだ、入部届書いてないけど」

「既に人数分提出済みだ」

「偽造じゃないか」

 そうだ。この感じだ。

 いつの間にか希空のペースに乗せられていて、でもその感じが嫌じゃない。

「というわけで、また三年間よろしく頼む!」

「……ああ」

 笑顔で言ったその表情に、戦力外通告を言い渡したどこか、寂しそうな希空の表情が輪の脳裏にフラッシュバックして、思わず目を逸らしてしまった。

 学校へ続く長い階段を登ったら合格発表の時、受験番号が張り出された二階建ての体育館の下に、今度はクラス分けの表が張り出されていた。

「俺はコノハと慎吾と一緒か」

 これも一周目と変わらない。

「うむ、私だけ一人なんだな」

 表情はきりっとしているが、露骨に落ち込んでいる希空も前回と一緒。

「希空様!なんで、私達が離れないといけないのですか!」

「ぐへぇ」

「いてぇ」

 希空の右わき腹に頭突きをかます形で抱き着いてきたコノハ。隣に立っていた輪を弾き飛ばして。

「……これも一緒」

立ち上がった輪に向かって犬のように「ガルルルル」と歯ぎしりをしながら、威嚇してくるのも一緒。

「お、クラスメイトだな。よろしくな、輪!」

 そう言って、にこりと笑い、輪の肩を叩いた慎吾も一緒。

「……ああ、よろしく」

「んだよ。相変わらず愛想がないな」

「表情が作るの下手なだけだ」

「まぁ、そういうことにしとくか」

 そう言って、他の中学からの友達を見つけて駆け寄る慎吾を輪は目で追った。

「どうした?」

 未だにべっとりくっつくコノハをたしなめながら、俯く輪の姿を見て、希空は首を傾げる。

「……別に。それじゃ、俺は教室に行くよ」

「その前にこの子を引きはがすことを手伝ってくれないか?」

「無理だ。飼い主責任として、なんとかしてくれ」

「そんな殺生な」

 そう言って、未だにじゃれつく希空とコノハに別れを告げ、輪は昇降口に行って、自分の下駄箱に外靴を入れて代わりに、真新しい学年で色が分かれている赤色のスリッパに足を通して、四階にある教室には向かわず、特別棟にある非常階段のところまでいったところで、

「はぁ、はぁ、はぁ」

 胸を抑え込み、過呼吸のような荒い息を吐きだしながら、非常階段の壁にもたれた。

「みっともねぇ、相手は十歳も年下のガキだぞ」

 それなのに話しただけで、ちょっと触れられただけで、こんなにビクビクするなんて、やっぱり年齢はあまりアドバンテージにならないのではと一瞬考えたが、そんなことじゃパーフェクトスクールライフなんて夢のまた夢だ。

「絶対克服してやる!」

 立ち上がった輪は自分を鼓舞するようにそう叫んで、教室に向かった。


 一年四組の教室には既に二十人程の生徒がいて、皆楽しそうに談笑していた。

 高校に入学したが、ほとんどが中等部からのエスカレーターなので、顔見知りばかり。感覚としては中学四年生に近く、新しいクラスに緊張する人やぎこちない人は数人の生徒で、春の木漏れ日のような穏やかな雰囲気がそこには流れていた。

「クラスメイトも代わってないな」

 入り口に立ち、教室を見渡し輪は呟いた。

 全員の顔と名前が一致しているわけではないのだが、そこにいる二十人、つまりクラスの約半分の生徒の中に真新しい生徒をいないことを確認してから、輪は黒板に貼られている座席表に目を通す。見覚えのない名前はなかったのだが、

「……え?」

 座席の位置が微妙に違っていた。

 窓側の一番前の席から出席番号順で男女交互になっている座席表。奇数クラスは男子が出席番号一になり、偶数クラスは女子が出席番号一になる。

 前回のクラスの出席番号一番は大塚コノハだった。

 だが、今回は窓側の一番前の席は空席になっていて、その後ろの席に輪、そしてその後ろの席がコノハになっていたのだ。

「どうなっているんだ?」

 前回と違う状況に輪の表情は険しくなる。

 タイムリープしたものの最大のアドバンテージが、これから起こることが分かっているので、前もって準備が出来ることだ。

 だが、このような以前の記憶とは違うことが起きたら、そのアドバンテージはなくなり、ただ単に別のルートの学校生活を送ることになる。いくら精神年齢が二十五歳だとしても、流石にその状況ではパーフェクトスクールライフを送るのは困難を極める。

「いや、落ち着け」

 たった一つの違いだ。それぐらいで動揺してズルズルいってしまうのが、最悪なパターンだと輪は努めて冷静に思考を巡らせる。

「とりあえず流れに任せよう」

 輪が自席に座ると同時にチャイムが鳴り、担任教師が入ってきた。

「あ~出席取るぞ」

 ぶしょ髭を生やして、ヨレヨレの白衣を着た生物教師の神田は前回と一緒で、良くも悪くもクラスのことに干渉してこない。やる気という言葉と鎖国している、いつも気だるそうな男だ。

「よし、それじゃ折角だから一人ずつ自己紹介してもらおうか。

 ほとんどが中学からだが、新しい奴もいるからな、それじゃ蒼砥から」

「先生!どうして蒼砥君の前の席は空いていて、座席表にも名前がないんです?」

「人の話を聞けよ」

 神田はそうツッコミながらも、ボサボサな髪を掻きながら答える。

「明日、転校してくる生徒の席だ。

 海外からの転入らしく、今日の入学式に間に合わなかったらしい」

「うそ、帰国子女!」

「やばくない」

「かわい子だったらいいな」

 教室内が一気にざわつく中、輪は頬杖をついて平静を装いながらも、心は動揺していた。

「どうなっているんだ?」

 海外の留学生とか、ラノベの世界でいうと完全に台風の目だ。

その子一人の影響で状況が大きく変わる。つまりこの先、輪は青春という大海原を海図なしで泳ぎきらないといけなくなる。

「……いきなりハードモードかよ」

 輪の呟きは神田の声でかき消される。

「ほら、静かにしろ!」

「先生、その子の名前は?」

「そんなの、明日本人から聞け!ほら、さっさと蒼砥から自己紹介していけ」

 神田の号令に教室が静まり返ったので、輪は立ち上がった。

「蒼砥輪です。よろしくお願いします」

「それだけか?有名人!」

 カノープスを知らない人はこの学年にはいない。つまり、誰もがそこにいるメンバーを知っているので、必然的に輪の名も他のメンバーほどではないが、知れ渡っている。

「有名なのは他のメンバーで、俺は後ろ二人に比べたら、金魚のフンみたいなものだから、特にいうことはない」

 明らかな皮肉にコノハは着席する輪を睨みつけながら、立ち上がった。

「大塚コノハ。そこの金魚のフンと違って、希空様の片腕よ!

 それじゃ、早速希空様のすばらしさを」

「はい、はい。阿久津(あくつ)(しん)()だ」

 暴走しかけるコノハを止めるように、その頭を抑えつけて、慎吾は立ち上がる。

「高校でもサッカーをやるつもりだ。誰か、俺からエースを奪いにくる逸材を求めているぜ!」

「こら、手を離せ!」

 まるで妹が兄に噛みつくようなその光景に、

「こら、夫婦漫才は他所でやれ!」

 クラスメイトの男子が囃し立てる。

「冗談じゃない!私が愛しているのは希空様だけよ」

「俺もごめんだな。もっと、少女じゃなくて、女性的なグラマラスな子が好みだな」

「俺の前でいちゃつくとはいい度胸だな!」

 明らかに冗談に聞こえない神田のドスの効いた声音に教室は何事もなかったように静まり返って、コノハと慎吾もゆっくり着席した。

 

 それからは特に何か起こるでもなく、淡々と自己紹介が続いていった。

「よし、これで全部……いや、佐藤が今日は欠席か」

 聞き覚えがあるどころか、その名前を聞いた瞬間に輪の中で電気が走り、思わず右隣の空席に目をやる。

「佐藤さんって、中学もほとんど来なかったよね」

「うん、みるからに病弱って感じで」

「病弱というか陰キャというか、根暗というか」

 楽しそうに笑いながらする女子の雑談を聞いていた輪は思わず立ち上がりかけたが、

「おい、それは言い過ぎだぞお前ら」

 その前に、慎吾が女子二人を窘めて「「は~い」」と反省しているのかどうかわからない返事を聞いて、輪は平静を取り戻す。

 情けない。十歳も年下の子達の悪口程度に憤るとかどれだけ器が小さいんだ。

 深呼吸して、平静を取り戻す。

 とにかく野外活動までは絶対、クラスの奴らと隔たりを作らない。

 そして大切なのはイレギュラーなことを起こさないことだ。その度に大きく時間の流れが変わってしまうのだから。

 そして決して動揺せず、冷静沈着に対処していくこと。これが何より大事。

 そう考えていた時期が、輪にもありました。




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