僕が知っている最強の女性
何も知らなかったあの頃。自分の視界にあるものが世界のすべてだったあの頃。
事を荒立てないように、僕を知る数少ない人間ができるだけ悲しまないように遺書を書いた後、この20年間に出会った人、出来事に想いを馳せた。
この20年間で僕の最盛期といえる時代はきっと小学生時代だだ。不思議なもので、最近のことより昔のことの方が鮮明に覚えている。
あの時の僕は確かに生きていた気がする。
昔はとても恥ずかしがり屋で喧嘩屋だった。
小学校には日直が朝、スピーチをクラスの前で行う習慣があった。
けど、僕はみんなの前に立つだけで赤面し喋ろうにも吃ってしまうので、先生に促されて自分の席で泣いていた。
そのくせ、休み時間には友達と殴り合いの喧嘩ばかりしていた気がする。
きっと、そんな弱くて格好悪い自分から脱却して強くなりたかったのだと思う。そこで、喧嘩をするというのがなんとも小学生らしい選択である。そして、意外にも喧嘩は負けなしであったため、周りからは泣き虫の癖に喧嘩が強いという何とも「危ない奴」であった。
小学3~6年生ずっと担任だった平野先生にはお世話になった。40代の短髪の女性でスポーツをしていたらしく身長は170近くあり、体もがっちりしていた。初めて会った時の印象は「強そう」だった。母は背が低かったため、背が高くガタイのいい初老の女性は小学生の僕からしたら、もう別の世界の人間に見えた。
平野先生は、みんなから陰で「熊」と呼ばれていた。理由は怒るとクマくらい怖いからだ。私のいた小学校の周りにはよくクマが出て、怪我人や、時には死者も出ることがあったから、私の住んでいた町の恐怖の象徴のような存在であった。けど、みんな平野先生のことを嫌っているわけではなかった。
一度、クラスの中心人物であった田中君の提案で先生が朝のHRに入ってくる前にみんなで机に伏して寝たふりのような恰好をしたことがあった。平野先生が入ってくると、「皆さん、何やってるんですか?」と少し不満げに聞いて、田中君が「クマが来たから死んだ真似~」とおどけた顔で言い、クラスのみんなもクスクスと笑っていた。僕もこの時は笑っていた気がする。
すると、先生が呆れた顔で、冗談交じりに「田中君、後で職員室に来てください」と言った。それに対して、田中君はいたずら好きではあるが年相応に素直なので「ごめんなさい。」と弱弱しく謝り、それを見て先生が「冗談ですよ」と微笑むのであった。それくらい、平野先生と児童の距離は遠くなかった。
ちなみに僕はとても嫌いだった。喧嘩した後はいつも怒られた。廊下の前に立たされたり、みんなの前で公開説教されたこともあった。その時は、みんなの前で恥ずかしいし、情けないし、悔しいしでぐちゃぐちゃに泣いていた。
けど、一つだけ印象に残っている言葉がある。それは、僕が小学4年生になった時、いつものように喧嘩していた時だ。相手は俗にいうクラスでカーストの一番上に君臨する菊池香穂だった。彼女とは別に仲が良くなかったが、クラスが一緒になることが多かった。
2時限目と3時限目の間にある20分休みの時間に、結局、決着もつかずお互いに涙目になりながら殴り合っていた時に平野先生が教室に入ってきた。
喧嘩している二人を見るなり、熊というより猪突猛進して近づき僕だけ頬を思い切りビンタされた。というより気づいたら頬が赤く腫れていた。
「玲翔、女の子には絶対殴るな。」膝をついて僕の両肩を握って怒髪冠を衝くかの如く怒っていた。その形相は熊というより鬼に近かった。
今思えば、体罰であり男女平等の欠片もない問題発言だけど、当時の僕にとっては頬のひりひりとした痛みと共に心に沁みていった感覚があった。その日から、不思議と女子には手を出さないようになった。
あなたがもっと恐れている人は誰ですか?コメントで教えてね!読んでくれてありがと!