漫然とした日々にお別れを
自分の死、遺されたものに想いを馳せるという行為である遺書というのは、死を本能的に避ける生物の中で人間の特異な行動の一つなのではないでしょうか。
僕は何もしないまま、今日も一日をやり過ごす。
大学構内に並列に植えられている桜の淡紅色の花弁がほぼ散りかけ、青々とした新緑の葉にかわる頃、僕は部屋の天井の白を起きて30分くらい呆然と眺めていた。
朝、すぐに起きれない理由は沢山あるが、一番の理由は部屋が汚いからだろう。
大学まで徒歩2分の1Kのアパートの部屋の床には、飲み終わった水のペットボトルと食べ終えたカップ麺や大学から配布された資料がが散乱しており歩くときはいつもペットボトルがカラッ、コロッと音を立てる。体積したカップ麺の空には虫も湧いており、種類豊富なカップ麺から放たれる匂いも酷いものである。が。今は慣れてしまって、あまり感じない。
いま、この 惨状を父が見たらどう思うだろうか。きっと父は優しいから何も言わずに掃除してくれるだろうなと思った。父は頭の悪かった私を、「今の時代は大学は出ておきなさい」と安くない学費を払い大学に入れさせてもらった。しかし、当の本人は友達もできず、遊ぶわけでもなく、淡々と訳の分からない講義を受けて、食べて、寝るそんな二年が過ぎた。
4月から始まった3年前期の講義も一か月が過ぎた。大学3年というのは、一、二年で必修の講義もほぼ終わり、あまり講義がなく自由な時間が多いものの就活も始まるため、あまり暇というわけではないらしい。講義前の学生の話を盗み聞きすると「長期インターン始めるわ~」「私は大学院に行ってエリート街道突っ走ろうかな」「俺は地元に帰って福祉関係の仕事かな」と、いつものくだらない雑談の中に真面目な卒業後の進路話が混ざっている。
例に漏れず、僕も将来について考えていた。いや、いつも考えていた。けど、それは将来こうなりたいとか、こういう仕事がしたいとかそういう前向きな事ではなく
「いつ死のうかな。」そんなことをここ5年の間、漫然と考えていた。
僕は、天井を見るのに飽きて、湿ってかび臭いベットから立ち上がることにした。足には紙が触れてカサカサと音を立てた。何も悲しくはないのに、眼からは何故か涙が零れていた。
「あぁ、もういきたくないなぁ」
僕は5月1日の朝にその足元を見ながら一人、寝ぼけまなこでだるそうに呟いた。きっと自殺する人間の多くは「死にたい」という積極的な動機でなく「生きたくない」という消極的動機によって起こるのだと、つまりそれは、別に死にたい訳ではないと僕は無意識の中で感じていた。きっと、「死にたい」と積極的に思う人間は、早く死んで死後の世界を見たがる変態くらいだろう。
そこからの僕の行動は早かった。まず、机の上のカップ麵の空の山を少しどけて椅子につき、無地のコピー用紙とボールペンを用意した。
遺書を書こう、そう思った。
読んでくれてありがとう! コメント、高評価よろしくね!(Youtuber風)