5.ぬいぐるみの話
「……ただいま」
夜10時前。
帰宅した里桜は、ボソリと呟く。
結局萌花達と別れた後、別のコンビニでメロンパンを購入し、そのまま帰ってきたのだった。
父親も母親もリビングにいるが、里桜は顔を合わせる気はなかった。
まっすぐ2階の自室に向かう。
「……あっ」
階段で里桜は1歳年下の妹、里菜と鉢合わせた。
顔つきは里桜より少し幼く、髪は黒のセミロングにしている。
「へぇ、今帰ったんだw帰って来なくてよかったのにw」
「………」
里菜は会って早々に里桜を小馬鹿にする。
それに対して里桜は怒ることもなく、里菜の横を通り過ぎようとした。
しかし里菜はそれが気に入らなかったらしい。
「無視すんなクソ姉」
里菜は里桜の脚を蹴った。
「ッ!?」
里桜はバランスを崩し、階段から落ちた。
全身を打ち付け、体中に鈍い痛みが走る。
階段を見上げると、里菜の自分を嘲笑う表情が見えた。
「マジでゴミみたいwクソ姉の分際で無視してんじゃねぇよ!」
里菜は愉快そうに階段を下り、最後に里桜の背中を踏みつけた。
「じゃあウチ、パパとママと一緒にドラマ観てくるから。リビング来ないでね。空気悪くなるからw」
里菜は最後まで里桜を罵倒し、リビングに向かった。
「さぁ先週の続き続き~」
「里菜、さっき階段の方から凄い音したけど、どうしたの?」
「あぁ、気にしなくていいよ~。お姉ちゃんが勝手に転げ落ちただけだからw」
「あら、そうなの?まったくあの娘は何をやらせてもダメよね。産んで後悔してるわ」
「あいつが役に立つ時があるとしたら、死んで保険金が入る時だろうなぁ」
リビングから家族の、里桜を罵倒して盛り上がる声が聞こえてくる。
里桜はゆっくりと体を起こした。
こうして罵倒されるのにも慣れてしまっていたので、何も思うことはなかった。
打ち所が良かったのか、階段を上る程度のことはできた。
そしてようやく自室に入る。
里桜はベッドに腰掛けると、メロンパンを取り出して袋を開け、齧り付いた。
「……美味しい」
里桜は無表情でそう呟いた。
同時刻。
出席番号18番津秋心愛はベッドでうつ伏せになり、枕に顔を埋めていた。
「はぁ~……学校やだな~…………」
心愛は憂鬱そうにそう呟く。
彼女は可愛いものをこよなく愛しており、外見にも取り入れている。
学校でも頭やスカート等に桜色のリボンを付け、耳にはハート型のピアス、それから黒とピンクの縞模様のソックスを履いている。
そんな格好のせいか、クラスでは浮いた存在になっており、友達も居なかった。
「ホントに嫌だよ。あの空気……。ねぇみんな~…」
心愛はベッドに置かれている、たくさんのぬいぐるみに語りかけた。
すると……。
『心愛かわいそー』
『学校楽しくないの~?』
『サボっちゃえ』
『心愛の可愛さが解らないなんてありえな~い』
ぬいぐるみ達から返事が返ってきた。
心愛は5歳の頃からぬいぐるみと話すことができた。
彼女自身最初は戸惑ったものの、今では受け入れ、すっかり友達のような感覚で会話できるようになっていた。
「う~ん……。サボりたいのも山々なんだけど~。心愛頭悪いし、頑張って登校しないと留年しちゃうかもだからな~」
『留年~?』
『留年ってなに~?』
「う~ん……。今で言うと、高校2年生もう一周ってことかな~?」
『2年生もう一周?』
『いいじゃん。遊べるよ~』
『遊んじゃえ~』
「良くないよ~!心愛以外みんな3年生になるってことだよ?置いてけぼりにされちゃうなんてやだよ~……」
『……心愛、頑張ってるんだね。偉いよ』
「あっ、解ってくれる?バニー」
心愛は黒いマントと帽子を付けた、白いウサギのぬいぐるみを手に取った。
そのぬいぐるみは“バニー”と呼ばれている。
彼は一番最初に心愛の物になったぬいぐるみだ。
出会いは心愛が5歳の頃で、それから12年も一緒に過ごしている。
『遊ぶのもいいけど、僕は頑張ってる心愛が好きだよ。お勉強、無理しないで頑張ってね』
「バニー優しい!ありがとう!」
心愛は体を起こし、バニーを抱き締めた。
行動が示すとおり、バニーは心愛の一番のお気に入りだ。
『『『『『………』』』』』
残りの20体以上の人形達は、心愛達を羨ましそうに眺めていた。
彼らは心愛が今まで購入したり、クレーンゲームで獲得してきたものだった。
犬や猫、熊等の動物から、アニメやゲームのキャラクターまで種類は多い。
彼らは心愛のことを、バニーと同じくらい、いや、それ以上に愛していた。
そのため、皆思っていた。
バニーのポジションに自分が居たいと。
【ウサギの子が羨ましい?】
人形達の頭の中に、女性の声が響き渡った。
心愛やバニーは会話に夢中になっているせいか、気づいていない。
声は続けた。
【ウサギの子のポジションに立つにはどうしたらいいか。答は実に簡単よ。蹴落とせばいいのよ❤】
『……蹴落とすー?』
犬のぬいぐるみが聞き返した。
声は甘い雰囲気を出しながら応える。
【そうよ~。みんなウサギの子が邪魔だって、内心思ってるでしょ?それなら蹴落とす……つまり消しちゃえばいいのよ。そんな力、私なら貸してあげられるわ。どうかしら?】
ぬいぐるみ達の前に、ぼんやりと髪の長い女性が現れた。
彼女が声の主のようだ。
ぬいぐるみ達の目が、妖しく輝いた。
深夜2時。
部屋を真っ暗にし、心愛はすっかり眠りに着いていた。
毛布を肩まで被り、寝息を立てている。
心愛は寝返りを打ち、ぬいぐるみがある方に手を伸ばす。
いつもそうして朝起きると、ぬいぐるみを抱いているのだ。
しかし、この日ばかりは掴めなかった。
「……ん~?」
心愛は何度も手を開け閉じする。
それでも何も掴めなかった。
“ブチッ…ビリ……ビリビリ……”
布が破けるような音も聞こえてきた。
「………うん~?」
心愛は眠い目を擦り、ベッドから降りた。
それから、手探りでリモコンを探し出し、部屋の灯りを点けた。
「……………へ?」
最初に心愛の目に飛び込んできたのは、部屋の中心に集まっているぬいぐるみ達だった。
「え?…みんな……?」
ぬいぐるみ達は一斉に心愛の方に首を向ける。
その中心から、綿が舞い上がった。
「綿?……なんで……?」
心愛はぬいぐるみ達に近づいた。
「………えっ?」
そこにあったのは、かつてぬいぐるみであったであろう残骸だった。
散乱した綿に、ビリビリに破かれた白い布。
そして、黒い帽子とマント。
さらに心愛の足元に、長い耳が転がっていた。
「あっ……あぁ……………」
心愛は床に崩れ落ちる。
残骸の正体がバニーであることに気づくまで、そんなに時間は掛からなかった。
「バニーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」
心愛は泣き叫んだ。
長年傍に居たお気に入りのぬいぐるみと、こんな形でお別れになるとは思っていなかった。
『心愛泣いてるー』
『心愛ー』
他のぬいぐるみ達が、心愛の足元に群がってきた。
『心愛ー、泣かないでよー』
『あれはもうぬいぐるみじゃないよー』
『そんなことより、遊ぼう?』
『僕達を可愛がってよー』
ぬいぐるみ達は心愛の足元に擦り寄ったり、ピョンピョンと跳ねたりしている。
「ふざけないで!!!」
心愛は怒鳴り、床に拳を叩きつけた。
今まで見せたことがない眼差しを、大好きなぬいぐるみ達に向ける。
「何で!?何でバニーをこんなにしたの!?5歳の頃からずっと一緒にいたのに!みんなの友達だったのに!酷い!みんな酷いよ!!」
『心愛、僕達を可愛がって─────』
「うるさい!!!」
甘えてきた犬のぬいぐるみを、心愛は思い切り払い除けた。
犬のぬいぐるみは床をバウンドし、一回り大きな熊のぬいぐるみの腹に当たって止まった。
「こんなことするんだったら……みんな嫌い!!大っ嫌い!!!!」
ぬいぐるみ達は固まる。
大好きな者から発せられた、大嫌いの言葉。
それはぬいぐるみ達の純粋な心を打ち砕くのに充分だった。
【あなたこそ、酷いこと言うわね】
「ッ!?……誰!?」
突然謎の女性の声が聞こえ、心愛は部屋中を見回す。
しかし声の主は見つからない。
【この子達はただ、あなたの一番になりたかっただけなのよ。だから、うさぎの子に嫉妬してたの】
「一番!?心愛はみんな愛してたのに!」
【本当にそう?中途半端な愛がこんな結果を産んだんじゃない?】
「うるさい!!」
心愛は両耳を押さえた。
声は今度は、ぬいぐるみ達に語りかけた。
【もっと力をあげましょうか?】
『……力?』
犬のぬいぐるみが反応する。
声は変わらず甘い声で話す。
【津秋さん……いや、心愛ちゃんのこと、好きなんでしょう?心愛ちゃんがあなた達のこと好きになるような力、あげる】
妖艶な笑い声が響いた。
それと同時に、ぬいぐるみ達に異変が起きた。
「えっ!?……何っ!?……」
ぬいぐるみ達の体が変化していく。
手足が人間のものと同じ形に変わり、口も開くようになる。
あっと言う間にぬいぐるみ達は、心愛の身長を超える大きさになった。
「あっ……あぁ………」
怯える心愛に、ぬいぐるみ達は迫ってくる。
咄嗟に部屋のドアを開け、逃げ出そうとした。
しかし、ドアは開かなかった。
「何で!?何で開かないの!?ねぇ!!開いてよ!!」
焦る心愛はドアをぶち破る程の勢いで叩きまくる。
そうしていると、ドア付近に影が掛かった。
振り返ると、ぬいぐるみ達が心愛を囲んでいた。
「嫌っ……嫌だ…………!」
心愛は再びドアを背に崩れ落ちた。
今まで大事にしてきた可愛い物達が、化け物に変わり果ててしまっている。
再び女性の声が聞こえてきた。
【フフフ♪女の子が悦ぶようなことをしたら、うさぎの子のこと、忘れられるんじゃないかしら♪】
ぬいぐるみ達の目が妖しく輝く。
恐怖で震える心愛に、彼らは手を伸ばした。
九重里菜
里桜の妹。里桜のことを馬鹿にしている。
津秋心愛
可愛いものが好き。ぬいぐるみを集めている。