44.親子の話
隠神大学病院。
隠神市内で最も大きな病院だ。
一般の市中病院と同じように機能していると共に、教育・研究機関でもある。
そんな病院の下に、万桜は佇んでいた。
ゆっくり視線を上げる。
その先の、建物の中のどこかに父は居る。
実際に入ったことがないため内装は解らないが、仕事人間の父のことだ。
息子の死を知る瞬間まで仕事をしているだろう。
少し気になるのはその後。
落ちこぼれとして扱われた自分の死は、一切悲しまれなかった。
寧ろ一家の面汚しが居なくなって清々したように見えた。
しかし、秀一ならどうだろう。
優秀で医学部にも進んだ秀一のことなら、悲しむだろうか。
【……あの人が泣くかしら?涙を流してるところ、見たことないけど………はぁ……】
万桜は溜息を吐く。
今から父親に会うことに対する緊張もあるが、それとは別の悩みもあった。
【里桜、どうしよう】
秀一を殺した際、里桜に姿を見られてしまった。
他のクラスメイトにも見られたが、彼らに見られるのはどうでもいい。
里桜だけには、見られたくなかった。
今の里桜には、自分がどう写っているのだろう。
そしてどう思っているのだろう。
久々に、“怖い”という気持ちになった。
【……後で考えよう】
ここでウジウジしていても始まらない。
万桜は今やるべきことに集中することにした。
それから、消えるようにして病院の壁をすり抜けた。
“トントン”
「どうぞ」
「失礼します」
許しを得た看護婦が、ドアを開ける。
医療関係の書類や資料が収納された、本棚が並んだ部屋。
その部屋の奥のデスクに、厳格そうな男が座って資料をまとめていた。
年は50程で、白衣を身につけている。
「何の用だね?」
「三日月院長、お客様がお見えです」
「客?」
「ちょいと失礼しますよ」
看護婦が道を空けると、背広姿の男が入ってきた。
こちらも50代くらいで背が高く、左目に獣に切り裂かれたような傷がある。
三日月と呼ばれた院長の男は、訝しげに背広男を睨む。
看護婦は「失礼致しました」とお辞儀をし、部屋を後にした。
背広男は三日月が座る席に近づく。
「どちら様ですかね?」
「失礼。片桐と申します。私、こういう者でしてね」
片桐と名乗った男は警察手帳を見せてそう言った。
それを一瞥すると、三日月は手元の資料に視線を戻す。
「それで、警察が何の用で?」
「ちょいといろいろややこい事件が起こってましてねぇ。まず、先程秀一さんが亡くなりました」
「………は?」
三日月は反射的に顔を上げた。
厳格な表情から、少し焦りが読み取れる。
「何故そんなデタラメを」
「デタラメでしたら良かったんですがねぇ。残念ながら本当なんですよ」
「……死因は?」
「飛び降りです」
「飛び降り?あいつが?あり得ない」
「そうでしょうね。事件の目撃者は直前まで彼と話していたそうですが、とても飛び降りをするような様子では無かったそうですしね。なのに窓から飛び降りた」
「じゃあ何ですか?事故ってことですか?あいつが窓から身を乗り出して、その拍子に落ちたってことですか?」
「そう思われるんですがね。どうもそんな風ではなかったようで……」
「はい?どういうことですか?」
「目撃者の証言によりますと、誠一さんの顔は涙なんかでぐしょぐしょだったそうですよ。そして飛び降りた後に、その窓から万桜さんの姿が見えた、と」
「………万桜が?」
三日月は眉をひそめた。
この警官はいったい何を言っているのだろう。
自分を揶揄っているのだろうか。
それとも秀一は死者に殺されたとでも言いたいのだろうか。
だとしたら、不謹慎なうえに頭がおかしい。
「私は精神科医ではないんですがね」
「まぁ、やはり信用されませんよね」
「当たり前でしょうが。あなた方、頭おかしいんじゃないですか?この調子だと、本当に息子が死んだか疑わしいんですが?」
「万桜さんが現れたことが信じられないのは解りますが、秀一さんの飛び降りは事実でしてねぇ」
「あなたじゃ話にならないんですが!?」
【本当、話にならないわ】
2人の間に、突如少女の声が割って入った。
呆れかえったような、冷たい声。
三日月はその声を聞いたことがあり、戦慄を覚えた。
片桐と三日月は、声のした方を見やる。
入り口の方に、万桜が立っていた。
「お前は……」
【久しぶりね。お父さん】
「お前……三日月万桜だな?」
片桐が三日月を庇うような形で前に出た。
万桜は不愉快そうに顔を歪める。
「今起きている一連の事件は──────」
【邪魔しないで】
万桜はそう言い捨て、右手を振った。
すると、黒い煙のようなものが横にあった本棚を包む。
「ッ!!?」
そして本棚がひとりでに傾き、片桐を潰すような勢いで、派手な音を立てて倒れた。
「ぐがっ!!?」
本棚の下敷きになった片桐は、蛙のような呻き声を上げる。
その本棚の上に、万桜は何食わぬ顔で立った。
【お父さん。死んだ娘と対面して、今あなたは何を思ってる?出来損ないと蔑んだ娘と再会して、どう思ってる?ねぇ、完璧なお父さん】
試すような顔で、三日月を見下ろす。
その声にはどことなく怒気が含まれていた。
そんな万桜に対し、三日月は質問を投げかける。
「お前、生き返ったのか?」
【いいえ。死んでるわ。自分の死体を見てるもの】
「どうやって生き返った?」
【だから、死んでるって】
「これは、医学界きっての発見だぞ!」
万桜は呆気に取られた。
三日月は……父は今、笑っている。
家族の前では一切笑うことのなかった父が。
無表情か怒りか呆れくらいしか表情を見たことがなかったというのに、今の父は笑みを浮かべている。
それは普通のものとは違い、狂気的なものだった。
「今までどんな医学でもどうにもできなかったこと、それは死者蘇生だ!世界的に優秀な医者がどれだけ揃おうとも、それは実現不可能だった。だが、現にお前はここにいる!死亡を確認したのにも関わらず、だ!しかも、見たところ事故の外傷まで治っているじゃないか!これを正式な医術として取り入れれば、不老不死も夢ではない!肉体の衰えだって取り消せる筈だ!いったいどうやって生き返った!!?」
【いや……だから、解らないって…………】
「解らないならそれでも良い!私達で研究して明らかにするだけだ!きっと世界的大発見になるだろう!だから私に協力するんだ!というか今までいったいどこに居たんだ!?帰って来れば良かっただろう!?」
【…………】
この父親は何を言っているのだろう。
そう思いながら、万桜は信じられないといった表情で三日月の演説を聞いていた。
そして、父親にはおそらく自分が見えていない。
単なる研究対象としか見られていないことを悟った。
【お父さん】
「む?何だ?」
【私が居て、良かったって思ってる?】
「あぁ、思っているとも。まさかお前が人の役に立つ日が来るとはな……。お前の存在が、我々人類を救うことができるかもしれないんだ。名誉なことだろう」
【………やっぱり、娘として見てくれないんだ】
万桜はポツリとそう呟くと、一瞬で三日月の目の前に近づいた。
そして黒い煙を纏った右手で、三日月の口元を掴むと、その状態のまま三日月を持ち上げた。
ここまで、僅か10秒程の出来事だった。
「む”っ……ぐっ………!!!」
【不老不死?人類を救う?馬鹿じゃないの?人にとって、生はこれ以上無い歓びだとでも?】
万桜は三日月を掴み上げたまま、窓の方へと歩を進める。
「ン”っ~!!!………ン”っ」
【この世には生に執着しない、死ぬことで救われる人間だって多いのよ?そんな人達から死を奪うつもり?】
「ぐもっ!!……むぐぐっ…………!!!」
【今この状況でも、私が人間だと思うの?違う。私はもう、死んで恨みが募り、この世に留まっているだけの怨霊。言わば化け物よ!】
万桜は右手に力を込める。
すると、骨が砕ける音と共に血が噴き出した。
少し遅れて、三日月の苦痛による呻き声が響く。
口を塞がれているせいか、それは決して大きいものではなかった。
窓際まで着くと、万桜は三日月を窓に押しつけるような形で立ち止まった。
その目は生に縋っているものそのものだった。
【やはりあなたも生きていてはいけない人間だった。このまま生かせば、きっとどこかで傷つく人が出る。だからそうなる前に、殺してあげる】
「がっ……ごふっ………」
【さようなら。三日月院長】
そう呟くと、万桜は勢いよく三日月を窓に叩きつけた。
窓ガラスは割れ、三日月は頭から外庭投げ出される。
ここは8階。
落ちればまず、助からないだろう。
案の定、すぐに肉が叩きつけられる音がした。
【来世ではせめて、自分の子を大切に…ね】
万桜はそう言い残すと、三日月の死体を確認することなくこの場を去った。




