35.弱虫の話
「こ……浩介?まだご飯残ってるわよ……?」
「あ?あ~、もういらねーよ」
午後7時頃。
出席番号7番紀嶋浩介は、居間で母親に呼び止められていた。
食卓には夕食が並んでいる。
白米、味噌汁、焼き魚といったメニューだ。
しかし、浩介が座っていた場所に置いてある夕食は、ほとんど減っていない。
「ちゃんと食べないと……」
「あ?いらねーっつってんだろ?さっきカップ麺食ったからもう腹いっぱいなんだよ」
「そんな…。夕飯前に食べちゃダメでしょ……」
「うっせぇババァ!何食おうが俺の勝手だろ!」
浩介はそう言うと、自室の方に行ってしまった。
「浩介……。ちょっと、お父さんからも何か…………」
母親は助けを求めるような視線を父親に向けた。
しかし父親は、無言で味噌汁を啜るだけだった。
そんな父親を見て、母親の体は震えていた。
浩介の母親は気が弱い。
そのため、いつも浩介に対して強く出られずにいた。
父親の方は育児にあまり関心がなく、実質家のことは母親一人で行っていた。
そのせいか、浩介はあまり叱られずに育ち、そのうえ弱い相手には高圧的に、強い相手には媚びるような性格になってしまった。
実際学校でも、雄大や勇二達のような不良相手に頭が上がらずにいた。
その不良グループのほぼ全員が消えた今、浩介の態度はさらに悪化した。
「ったく、ババァがいちいちうるせぇってんだ」
浩介はそう言いながら自室に入り、乱暴にドアを閉めた。
【お母さんにババァはダメよ?】
「だからうるせ……って……はあっ!!?」
突然の声に、浩介は驚きの声を上げた。
背中を思いっ切りドアにぶつける。
目の前にあるベッドには、本来居ない筈の少女が座っていた。
浩介はそれが万桜であると気づくのに、時間は掛からなかった。
「はっ?……えっ…何で……お前がここに居んだよ!?……てか、は?お前……死んだんじゃ……?死んだ筈だろ!」
【もちろん、死んだわ】
「なっ……何なんだよお前!?まさか幽霊だってのか!!?」
【そう、幽霊よ。まさか紀嶋君、幽霊が怖いだなんて言わないわよね?】
万桜はクスクスと馬鹿にするように笑った。
それに苛立った浩介は立ち上がり、万桜を押し倒した。
「ざっけんな!誰がテメェなんか怖がるかよ!!!」
浩介はかつて、学校で不良グループに媚びる反面、万桜によく八つ当たりをしていた。
万桜が自習中の時は、机を蹴ったり、背後から罵倒した。
万桜とすれ違った時は、肩パンをしたり、わざと転ばせた。
弁当を窓から投げ捨てたこともある。
たまに視線を向けてくることがあったが、その度に怒鳴っていた。
当時の万桜は、反撃してくることはなかった。
そのため浩介にとって、万桜は完全にストレス発散用の玩具だった。
「テメェみてぇな女にビビるかよ!!何されても何も出来なかったクセによぉ!!なぁ?馬鹿にしやがってよぉ!!立場教えてやろうか!!?あ”ぁ“!!!?」
馬鹿にされたのが気に食わなかったのか、浩介は一気にまくしたてた。
生前の万桜なら、気圧されて目を逸らしていただろう。
しかし今の万桜は、全く動じていなかった。
【弱い犬ほどよく吠えるって言うわよね】
「はぁ!!?弱ぇのは………ッ!!!?」
万桜は真顔で浩介を見つめていた。
その瞳はドス黒く、吸い込まれそうな程だった。
全てを見透かされているように感じたのか、気圧されたのは浩介の方だった。
「おっ……お前………何なんだよ!!!?」
【さぁ?今の私って何なんでしょうね?】
万桜はそう言うと、嗤ってみせた。
その様を恐れ、浩介は万桜が倒れるベッドから後退った。
“トンッ”
後退っている最中に、背中に柔らかいものが当たった。
ギクリとし、視線を後ろに向けてみる。
見慣れたエプロンが目に映った。
「ッ!!母ちゃん!!コイツヤベぇんだよ!!」
そう言いながら、浩介は母親の方に顔を向けた。
「……は?」
浩介の動き、表情が固まった。
蜘蛛、ムカデ、ダニ、ゴキブリ、コオロギ、カマドウマetc……。
浩介の母親の顔が、それらの蟲達で覆われていた。
「ヒッ…ヒィイ!!!」
浩介は慌てて母親から離れた。
母親はひしめく蟲達を少しずつ落としながら、浩介に近づく。
落ちた蟲も浩介の方を見ていた。
「うっ…うおわぁああああああああ────!!!!」
浩介は悲鳴を上げ、慌ててベッドに上がる。
しかしその先は壁のため、逃げ場は無ない。
浩介は壁に背中を付けた状態で、怪物と化した母親に怯えた。
【あらら。さっきの威勢はどこに行っちゃったのかしら?】
すっかりパニック状態の浩介を、万桜は呆れた様子で見つめていた。
「おっ…おい!これお前がやったのかよ!!?」
【……】
「お、俺への仕返しのつもりなのかよ!!?なぁ!!おい!!」
【……】
「何とか言えよクソアマァ!!!」
無言の万桜に居ても立ってもいられなくなり、浩介は掴み掛かった。
万桜は溜息を吐く。
【お母さんのこと大事にしていたら、こうならなかったと思うわよ……】
「はっ!?どういう意味だよ!!?」
【限界を感じてたのよ。あなたにも。お父さんにも……ね。その証拠に、内側が暗かったわ。そこに付け入らせてもらっただけよ】
「何訳わかんねーこと言ってんだ!!?」
【馬鹿に何言っても無駄のようね】
「はぁ!!!?」
【私に構っててもいいの?】
万桜は首を傾げながらそう言った。
すると2人の間に、母親が割って入ってきた。
母親は蟲だらけの顔を浩介に向ける。
そして両手で浩介の顔を掴んだ。
「うわぁ!!や、やめ……やめろよ!!!キメェんだよ!!!離せ!!離せよ──!!!!」
浩介は涙や涎を撒き散らしながら喚く。
必死に逃れようと暴れるが、母親の力は異常に強く、引き剥がすことができなかった。
至近距離で数百匹の蟲が、不規則に蠢く。
落ちた蟲達が浩介の足や腹部を這い回り、徐々に顔の方まで登っていく。
次第に痛みも走り出した。
「痛っ!!!痛ぇ!!!痛ぇ!!!やめろ!!!もうやめてくれよ─────!!!!」
【自分より弱い相手には高圧的。そんなあなたにはお似合いの最期なんじゃない?】
「痛ぇ!!!痛ぇよ!!!!助けっ……助っ………助けて───!!!!」
【サヨナラ。弱虫君】
母親が蟲まみれの顔を、叫び続ける浩介の顔にくっつける。
浩介の顔が蟲で覆われていくのを見届けながら、万桜はこの場を去った。
紀嶋 浩介
自分より弱い者には強気。万桜に嫌がらせをしていた。




