30.憎しみの話
夜の住宅街を、万桜は走り続ける。
焦りながらも、背後を振り返った。
黒ずくめの男が追ってきているのが見えた。
(嫌っ!どうして!?どうして追いかけてくるの!?)
追いかけてくる男は得体が知れない。
秀一の仲間である可能性もあるが、彼ら以上に酷いことをされるかもしれなかった。
何にしても、絶対に捕まってはならない。
万桜は夜の住宅街を走り続けた。
「ッ!!」
それでも、靴下だけでほぼ裸足の状態のまま走るのには限界があったようだ。
万桜は足の痛みでバランスを崩し、転んでしまった。
マズいと思った時には既に遅かった。
あっという間に追いつかれてしまった。
「三日月さん……」
「嫌っ!!」
触れてこようとした男の手を、万桜は反射的に振り払う。
どうして自分の名前を知っているのか疑問に思う余裕も無く、万桜はすぐに立ち上がり、また走っていった。
「三日月さん……」
万桜に拒絶されたことがショックだったのか、男は呆然とし、フードを取った。
黒ずくめの男の正体は恭也だった。
「……僕のこと、見てほしかったよ」
恭也の目の前には、万桜のスマホが落ちていた。
そのスマホからは、息を切らしながら万桜を呼ぶ里桜の声が響いていた。
ただ、他の生徒と同じような楽しい青春をおくりたかった。
どうしてこうなってしまったのだろう。
自分がいったい何をしたのだろう。
前世に重い罪でも犯したのだろうか。
痛む足で走りながら、万桜はそんなことを考えていた。
(どうして……どうして私ばかりこうなるの?もう嫌だ!)
父に叱責されるのも、秀一に蔑まれるのも、学校も、勉強さえも嫌になっていた。
今からでも全て投げ出したかった。
(里桜……助けて……お願い!)
自分から突き放し、傷つけておいて都合が良すぎるとは思っている。
しかし、万桜にとって頼ることができるのは里桜だけだった。
万桜自身、もうどうしたらいいのか解らなかった。
そしていつの間にか車道に出てしまっていることに、気づいていなかった。
「ッ!!?」
急に灯りが万桜を照らす。
その眩しさのせいか、ようやく足を止めた。
万桜は恐る恐る右に目を向ける。
白い乗用車が迫ってくるのが見えた。
かなりのスピードで走行していたが、万桜にはそれがスローに見えた。
「あっ……」
“ドッ”
鈍い音と共に、万桜の体は宙を舞った。
夜空、街灯、街路樹が、ゆっくりと視界に映っては消えていく。
その後、万桜は道路に叩きつけられた。
(何……これ……………)
突然のことの連続で、万桜は状況を呑み込めていなかった。
体を起こそうにも、動けない。
耳を生暖かい液体が伝うのが解る。
次第に頭もボーッとしてきた。
左目も見えなくなっていた。
(何でだろ………何だか……眠い………)
遠くから、人の声が聞こえ始めた。
戸惑いの声や、焦った雰囲気の声、興味本位な声がする。
カメラのシャッター音さえも聞こえてきた。
(皆……私を見てる………?)
生暖かさが背中にまで伝わってきた。
こうしてようやく自分が血を流して倒れていることを理解する。
神経がおかしくなってしまっているのか、不思議と痛みは感じなかった。
ただ、ザワザワと音がするだけ。
しかしその雑音を破るように、足音が聞こえてきた。
それが近づくと共に、荒い息遣いも耳に届く。
その音の主は目の前まで来ると、万桜を抱き起こした。
「万桜!万桜!しっかりして!!」
(里桜………)
里桜は顔を真っ青にしながら、万桜の名前を呼ぶ。
会いたかった存在を目の前にし、万桜は心の底から喜んだ。
(里桜……里桜…………こんな形で会えるなんて…………)
そう言おうとしたのだが、口は動かなかった。
里桜の頬に触れようにも、手も動かない。
笑顔を見せようにも、表情を作れない。
(どうして……?里桜、……私、何もできないよ…!)
反応したくてもできない自に、万桜は戸惑う。
その戸惑いの表情さえもできない。
「万桜……。何で……………!」
里桜が流した涙が、万桜の頬に落ちる。
動けない体、流れる血、泣いている里桜。
これらの状況から、万桜は自分がこれから死ぬことを悟った。
(嫌………嫌だ……。まだ……死にたく…ないよ……)
「何でアンタが……!何で……!何で……!!」
万桜の視界がぼやけ、一気に眠気が押し寄せてくる。
里桜は何度も嘆いていた。
パトカーのサイレンが聞こえてくる頃には、万桜は既に事切れていた。
死に場所となった車道で、万桜は再び目を覚ました。
先程までは体を動かせずにいたが、今は立つことができ、体も動いた。
頭も冴えている。
「何が起こったの……?」
口も動き、喋ることもできた。
この変わり様は何なのだろうと思い、万桜は車道の様子を見る。
パトカーと複数の警察官。
取り調べを受けている、万桜を轢いた車の持ち主であろう男性。
婦警に慰められている里桜。
いろいろな光景が瞳に映ったが、何よりも気になったのが、青いシートで覆われている何かだった。
「………まさか……ね」
嫌な予感がしつつ、万桜は恐る恐るシートを少し剥がした。
「ッ!!?」
シートの下から、万桜の顔が出てきた。
頭が割れているせいか血塗れで、左目が飛び出している。
この状態で生きているとは思えなかった。
万桜は自身の死体にショックを受け、後退り、尻餅を着く。
その間に1人の警官が、シートを掛け直した。
「は…はは…………。そっか。……私、死んじゃったんだ………」
最早笑いしか出てこない。
この状況で誰も声を掛けてこないところを見て、さらに自分が死んだことを実感できた。
「あはは………あははは……。そうなんだ……。多分……私、今……お化けなんだろうね……フフッ……あはははははは────」
自分の死体の前で、万桜は狂ったように笑い始めた。
この状況に対して。
今までの努力が無駄になったことに対して。
そして、自分に“これから”が無かったことに対して。
こうしてひとしきり笑った後、万桜は無表情になった。
「赦せない」
ポツリとそう呟く。
万桜は立ち上がり、自分の死体の前に立った。
「死んだ後って、天国か地獄のどちらかだと思ってたけど、私はここにいる。つまり、そうだよね。神様が、好きにして良いって、言ってるんだよ……ね?……あはっ……」
万桜は口元を抑えて笑う。
三日月のように歪んでいるのが解る。
頭の中に、次々と人の顔が浮かんでくる。
父。
秀一。
田沢。
華絵や乃愛、晶子。
その他のクラスメイト。
万桜は全員が赦せなくなっていた。
「私の人生は終わったのに、皆は“これから”がある。嫌だ…。あいつらが……これから幸せになるなんて………」
憎しみに応えるように、万桜の体から黒い煙のようなものが出てきた。
「あはは……皆………苦しめばいいんだ!」
万桜の一声に呼応し、煙が一気に放たれる。
皮膚も少し黒ずんでしまっていた。
ふと、万桜は里桜の方に視線を送る。
里桜は婦警と話をしていたが、まだ泣き止んではいなかった。
万桜は里桜に近づいた。
「私のために泣いてくれるのは、あなただけね。里桜」
万桜は後ろから、里桜を抱き締めた。
勿論里桜は気づいていない。
左目から、黒い涙が零れた。




