湯に溶ける心
「シルヴァ! 一緒にお風呂入ろう!」
家に帰ってすぐ、ローリアが声をあげてシルヴァに飛びついた。
「わかった! わかったから離れてくれ!」
「はーい!」
ローリアの体を押し返して声をあげると、彼女は素直に返事をして体を引き離し、その様子を見ていたスージーは、微笑を浮かべながら早速風呂の準備を始めた。
準備をするスージーを見たローリアは、首を傾げて問いかけた。
「お母さんも一緒に入る?」
「流石に三人じゃ狭いわよ。それに、今日もやるんでしょ?」
剣を振るような素振りを見せながらスージーが聞き返すと、ローリアは首を縦に振って元気よく返事をする。
「うん!」
「それじゃあ、そのあとにゆっくり入るわ」
返事を聞き、ローリアは部屋に戻って服の準備をし始め、ひとまずシルヴァはローリアのお下がりを着ることとなった。
「おお、風呂なんて、初めてだ」
「入ったことないの?」
「ない」
答えながら、シルヴァは浴室の中を興味深そうに眺める。その様子を見ながら、ローリアは不思議そうに問いかけた。
「今まではどうしてたの?」
「近くの川で水浴びをするか、井戸から持ってきた水を家で浴びてた」
シルヴァの話を聞きながら、ローリアは興味深そうに頷く。やがて湯が沸いたことをスージーが告げると、二人は早速服を脱いで風呂に入ることとなった。
最初は湯を掬って体に浴びせ、シルヴァはローリエに髪の毛を丁寧に洗ってもらい、シルヴァはローリエの頭を洗い流す。その後互いにもう一度体をお湯で流すと、二人は湯船に入った。
「ちっちゃくて可愛いね、シルヴァ」
「何がだ?」
「おちんちん」
「そうなのか?」
向かい合って湯船に入り、ローリアが無垢な笑みを浮かべて呟くと、シルヴァは不思議そうに下を見て聞き返す。ローリアは思い出すように頭に手を当てると、彼に返事をする。
「確かお父さんのはもっと気持ち悪かったよ」
「確かに、村の大人のもなんか気持ち悪かったかもな」
何か兄弟らしい会話でも聞けると思い、スージーはこっそりと聞き耳を立てていたが、二人の話を聞いて彼女は苦笑を浮かべていた。無垢な少年少女の会話だからこそ、どこかこそばゆいような感覚を覚えてしまう。
流石に聞くに絶えなかったスージーは、二人に聞こえるように咳払いをする。
「二人とも? もう少し可愛げのある話をしたら?」
「可愛げのある話?」
「ええ、何か別の話をしてくれない?」
「……はーい」
スージーの言っている意味がわからず、シルヴァとローリアは顔を見合わせたが、少し遅れてローリアは返事をし、話を切り替えることにした。
「そうだ、シルヴァ背中向けてこっち来て」
「……こうか?」
言われた通り、シルヴァはローリアに背中を向けると、彼女に体を預けるようにしてその身を近づける。ローリアは不意に、シルヴァの右肩のあたりに目を向けると、不思議そうに尋ねた。
「ねえシルヴァ、そういえばその背中のやつ、何?」
「背中? 何かついてるか?」
「うん、なんか模様みたいなやつ」
聞き返すシルヴァに対し、ローリアはそう答えた。
「汚れか?」
「ううん。違う」
汚れとは到底思えないそれを見て、ローリアが断言すると、シルヴァは諦めたように息を吐いて「わからない」と答えた。それ以上ローリアが何かを聞くこともなく、彼女はシルヴァの髪を手にとって小さく声を漏らした。
「シルヴァの髪って本当に綺麗だね」
「そうか。気にしたことなかった」
「……もしかして、照れてる?」
「照れて……ない」
素っ気なく答えるシルヴァを前に、ローリアが呟くと、シルヴァはやはり恥ずかしそうに返事をする。シルヴァの返事に笑みをこぼすと、ローリアは彼を優しく抱きしめた。シルヴァの頭に頬をあてがい、彼の頭を優しく撫でると、徐に口を開く。
「私ね、兄弟がいるのって、少し羨ましかったから。シルヴァが来てくれて、嬉しいの」
「そうなのか……」
「うん。だからね、私もお父さんたちと一緒で、シルヴァと本当の家族になりたいな」
「……考えとく」
「うん。そろそろ出よっか」
「ああ」
まだ幼い二人の会話に、耳を傾けていたスージーは安堵した様に笑みをこぼす。徐々に溶け始めたシルヴァの心には、未だ小さな葛藤が揺らいでいた。
風呂を出ると、スージーがシルヴァの髪を拭いたのちに梳かしてくれた。ごわごわしていた髪は、風呂に入ったこともあり格別に以前よりも綺麗になっていた。
「どんな髪型にする?」
「任せる」
「男の子にしては長いけど、以前はどんな髪型にしていたの?」
「普通に、後ろで結んでた」
「じゃあ、とりあえずは前と同じにしておきましょうか」
頷くシルヴァを見ると、スージーは彼の長い髪を集め、それを後ろで結んだ。
「お揃いだね」
「……ああ、そうだな」
自身のポニーテールを手に持って見せると、ローリアは笑顔でシルヴァに言った。シルヴァは素っ気なく答えたが、やがて口元には小さな笑みが浮かぶ。ローリアとスージーはそれに気が付いたが、特別それを口に出すこともしないまま顔を見合わせると、互いに笑みを浮かべるのだった。
「さて、それじゃあやりましょうか。ローリア」
「うん」
気を取りなおすようにスージーが言うと、ローリアは笑みを浮かべて返事をする。なんのことだかわからないシルヴァは、当然首を傾げてその疑問を口に出した。
「何かやるのか?」
「うん! 剣の稽古! シルヴァも来て!」
そう言うと、ローリアはシルヴァの手を掴んで家の外へ駆け出す。出た先は玄関ではなく、反対側にある扉で、その先には幾らか広い空き地があった。地面は芝で覆われており、何もない、ただの空き地。ただ裏口のすぐ脇には、何本かの木剣が立てかけられていた。
「ここは?」
「庭だよ。広いでしょ?」
唖然として頷くと、ローリアはそれを見て近くにある木剣を手にとった。
「これを使って、お母さんと戦うんだ。それだけじゃないけど、最初はいつもそれなの」
「戦えるのか?」
「うん、だって——」
「——お待たせ。やりましょう」
ローリアが話そうとしたタイミングでスージーが訪れ、彼女はやる気満々で木剣を手に取る。遮られた言葉を続ける様子もないまま、ローリアは庭の中央まで駆け出した。
「見てればわかると思う!」
そう大きな声で伝えると、ローリアは楽しそうに木剣を構えた。スージーはそれと対面するように移動し、足元に転がっていた小石を拾い上げると、それを上空へ放り投げる。浮き上がった小石は、やがて重力に従い、徐々に落下し始めた。
小石が地面に落ちると同時に、ローリアとスージーの足元には草が舞い上がり、数秒で二人の木剣はぶつかり合う。気持ちの良い音が響くと同時に、気がつけば、ローリアの首元にはスージーの持つ木剣があてがわれていた。
想像以上に素早いローリアと、何よりも余裕な表情を浮かべたままのスージーを前にして、シルヴァは声も出せずに立ち竦んだ。
「お母さん手加減忘れてるよぉー」
「ごめんなさい。シルヴァが見てるからつい、ね?」
二人が短い言葉を交わし、シルヴァは数秒の後にハッとしてスージーの元に駆け寄った。
「すげー! なんだよ今のは!」
興奮するシルヴァを前にして、スージーは誇らしげに笑みを浮かべると、鼻高々に口を開いた。
「これでも私——」
「——お母さんね、最年少で国一番の騎士になったんだよ!」
「おお!」
スージーよりも早くローリアが伝えると、シルヴァはやはり興奮した様子で声を漏らした。そんな二人の傍で、スージーは肩を落として小さく呟いた。
「私のセリフ……」