大丈夫
「あ……あ……」
言葉すら発することもできないまま、シルヴァはヴィネットの元へ這い寄った。手を握れば、まだ温もりが残っていた。頭部からは血が流れ、その中までもが見えてしまいそうだった。衝撃で首の骨は折れているものの、傷のない顔にそっと触れる。
「死んじゃった? 死んじゃったよねー? 悲しいね」
楽しむように語りかける女の声など、シルヴァの耳には届かなかった。涙はとうに出なくなり、吐き気がこみ上げても、すでに出るものなどなかった。
そんなシルヴァの様子を見て、女はどこかつまらなそうな表情を浮かべる。
「もう壊れちゃったの? 何か……剣で戦うとかやってみない?」
そう提案するも、シルヴァはただ黙ってヴィネットの死体に寄り添い続ける。呆れたように息を吐くと、女は残念そうに口を開いいた。
「そっか。いやー残念だね。ただ殺すのもつまらないし、いっそ生かしておくのも面白そうだけど……んー」
独り言をこぼしながら、女は考え込むように頭を抱える。瞬間、閃光のように煌めく一縷の光が、女をめがけて一直線に走っていった。
女は何かを感じ取り、咄嗟に振り返りはしたものの、勢いよく現れたそれは確実に彼女の右腕を断ち切る。土煙が舞い、やがてそこから姿を表したのは、仮面を被った一人の少女だった。顔は見えないが、身長はシルヴァよりもやや高い程度で、まだ幼くも感じられる。
「首を落とすつもりだったけど、流石にこの体じゃ無理か。……今回は退いてくれると助かるんだけど」
果敢にも剣を持ち立ち向かう少女が言い放つと、女は顔を一瞬歪めて切り落とされた腕を拾い上げると、すぐに平生を取り戻して口を開いた。
「……そうだね、うん、これは流石に予想外だし、あなたが出てきたってことはつまり、そういうことで良いんだよね」
「ああ、そうだ」
「そっか。勿体無いことしちゃったな。……まあ良いや、とりあえず今日はもう帰りまーす」
「そう。それなら良かった」
安堵したように剣を収める少女だったが、それをみても女は何も仕掛けない。目を離していても、間合いに入った瞬間に切られる。そんな想像が容易くできるほどに、少女の気配は大きく、鋭いものだった。
「どうした? 早く行ってくれないか?」
「はいはい」
諦めたように呟くと、女は身を翻して歩いて行った。纏っていた影を翼のような形にして、空を飛んでいく。その様子を見送ってから、仮面の少女はようやくシルヴァに向き直った。
「最初からこんな目に遭うとは、流石に辛いだろう」
「だ……れ……?」
蚊の鳴くような声で尋ねるシルヴァをみて、少女は仮面の裏でそれを哀れむような表情を浮かべていた。そうして彼に手を差し伸べると、少女は口を開く。
「転んでもいい。折れず、立ち上がり、そして、歩くことを忘れるな」
「シャルロッテ……?」
「ああ、そうだ。遅くなってすまなかった。生き返ることはないが、この子の形を修復することくらいはできる。可能ならばそれで許してほしい」
そう言って少女はヴィネットの体に手をかざす。あらぬ方向へ曲がった首と足が戻り、割れていた頭も元に戻った。血がなくなることはなくとも、彼女の姿から、歪な部分はなくなった。
「さて、これは借りた体だから時間があまりない。申し訳ないが、そう長居もしてられないんだ。だから私はもう行くが、気を強く持て。時期に街の騎士団も来るだろう」
「……ああ」
元気のない返事を聞くと、シャルロッテはその場を立ち去った。取り残されたシルヴァはヴィネットの頬を優しく撫で、決心したように立ち上がる。その心を表すかのように、雨が少しずつ降り始めた。
涙を流し、服をボロボロにしながら、シルヴァは死んだ村人を村の中心へと集め始めた。まともに形が残っているのは、20にも満たない。それ以外の死体は運ぶのを諦め、原型をとどめた村人だけを運んだ。
大人は引きずり、抱えられる子どもは抱え、なるべく傷つけないよう心がけた。
最後にヴィネットを残し、全員を運び終えたとき、村に騎士団がやって来た。数にして十の騎士団は、シルヴァの姿を見つけて駆け寄る。
「おい! 大丈夫か?」
「ダメだ……あと一人」
ヘトヘトになりながらも歩くシルヴァに声をかけるも、彼はその手を振り切って歩いて行った。声をかけた騎士はそのあとを追うようについて行く。シルヴァがヴィネットの元にたどり着き、騎士がそれを手伝おうとすると、突然シルヴァは大きな声をあげた。
「やめろ! ……ヴィネットは、俺が運ぶから、いい」
「そ、そうか」
荒々しく言うシルヴァに動揺しながらも返事をすると、騎士は手伝わずにその様子を眺めた。ヴィネットを抱えて歩くシルヴァには、すでに表情というものはなく、ただ無心で死体を運ぶ少年に見えた。
ヴィネットを村の中心に運んだシルヴァは、彼女を地面にゆっくりと寝かせた。その後シルヴァは、力尽きたように俯けに倒れ込む。隣にいるヴィネットは、雨に打たれて泣いているようにも見え、すでに冷たくなった手を優しく握ると、シルヴァはそのまま目を閉じて、気を失うようにして眠りについた。
降り続ける雨の中、並べられた20近くの死体を見て、騎士団は唖然としていた。様子からして、その全てをシルヴァが運んだものだと察したから。
「ほら、ボサッとしてないで早く周囲の確認を済ませるぞ」
騎士団を率いていた男が声をあげると、他9名の騎士は返事をして作業に取り掛かる。そんな中でその男は、シルヴァの背中に視線を落とした。ボロボロになった服の隙間から、右肩の辺りには赤い紋章の一部が見える。それを見た男は、ゆっくりとしゃがみこんで、シルヴァの服をたくし上げた。露わになったその紋章は、女神が剣を掲げているものだった。
「なあ、シェリア」
「はい、デイヴ隊長」
シェリアと呼ばれた女性は、返事をしてデイヴの元へと駆け寄る。
「この少年なんだが、うちで預かってもいいか?」
「彼が了承するなら問題はないと思いますが……普通は孤児院に預けるものでは? 隊長が育てる、ということですよね?」
「まあ、そうだな。細かい手続きはちゃんとやるつもりだから、その辺は心配しなくていい」
「はあ。それなら構わないのではないでしょうか? 残念ですが、おそらく生き残りはこの子だけですし、ちゃんとした家庭に預けられるなら、私もそれが一番だと思います」
納得するように何度か首を振ったあと、デイヴはシルヴァの体を抱えて竜車まで運び始める。綺麗だった筈の白髪は、煤と泥で黒く汚れていた。竜車で雨が遮られても、彼の頬を伝う雫は止まらない。
慰みのように降り続けた雨は、翌日の暮れまで、止むことはなかった。
眠り続けたシルヴァが目を覚ましたのは、雨が上がるのとほとんど同時だった。見たこともない天井に、蝋燭の優しい灯り。ハッとして体を起こすと、そこには髭を生やした男——デイヴがいた。
「誰だ!」
大きなシルヴァの声に、遅れてデイヴの妻——スージーとその娘——ローリアが部屋にやってきた。怯えるように身を竦ませ、シルヴァは後ずさって壁に背をつける。ベッドの傍に置いてある木剣を見つけたシルヴァは、その木剣のもとへ飛び込むと、それを掴んでデイヴたちに向けた。
「大丈夫だ。落ち着け」
「来るな!」
乱暴に振った木剣を避けることなく、デイヴはその鍛えられた体で受け止める。
「大丈夫だ」
「来るな」
「大丈夫だ」
「くる……な……」
「大丈夫だ」
弱まる声とともに、木剣を振る力も弱まっていく。言い聞かせるように連呼される言葉には、妙な安心感があり、シルヴァは次第に強張っていた表情を緩めていた。
そのうちにデイヴは木剣を掴み、シルヴァの体を包むように抱きしめる。
「——大丈夫だ。大丈夫。大丈夫。大丈夫だから」
暖かく、穏やかな声と抱擁感に、自然と涙が溢れた。
「みんな、殺された」
「ああ」
「父さんも、母さんも」
「ああ」
「ヴィネットも、ジャレッドも」
「ああ」
「みんな、殺されたんだ」
「ああ」
優しく相槌を打ち、その度に男はシルヴァの背中を優しく摩った。ここにいる。そばにいる。そう言うように、シルヴァを優しく抱きしめた。その様子を見ていたローリアは、スージーの足元に強く抱きつく。
「ちょっと、なんでローリアまで」
「だって……だって……」
デイヴがそれを見て笑みを浮かべると、スージーもどこか呆れた様子で笑みを浮かべた。二人分の泣き声が響く部屋の中、同様に優しく語りかける声が二人分、木霊した。
「——大丈夫」