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林檎の木

 世界が逆さまになった。ゆっくりと、ゆっくりと地面が近づいて来る。近くで見ていた友人が、驚いた表情を浮かべて走って来るのが見える。体感的に遅く感じる落下速度の中で、シルヴァは頭を守るように両の手で覆うようにして目を強く瞑った。

 やがて激しい衝撃と共に、視界が徐々に霞んでいくなか、眩しい木漏れ日を遮るようにして、ヴィネットの顔が覗き込んだ。何かを言っているのはわかるものの、それは激しい耳鳴りのようなもので遮られる。薄れゆく意識の中で、ヴィネットの慌てた表情と、遅れて駆けつけるジャレッドの姿が、後方に見える木のカーテンと共に霞みがかって見えていた。


 ハッとしたとき、目の前に広がっていたのは草原だった。


「……ここは」


 独りごちて、シルヴァが辺りを確認するように見渡してみると、どこまでも続く草原のなか、幾らか離れた場所にある丘の上には、一本の大きな木が見えた。他に目印になりうるもののない空間でその木を見つけたシルヴァは、根拠もなくその木を目指し始める。

 ヴィネット、ジャレッドと共に村近くの森で木登りをしていたのは覚えている。枝が折れ、そこから落ちたことも、シルヴァはわかっていた。しかし、死などというものを体験したことがなく、何よりそんなものからは遠いほどに若いシルヴァにとっては、その実感さえも感じられなくて、どこか夢でも見ているような感覚だった。

 風が吹き、草花が揺れて音を立てる。生き物がいるわけでもなく、ただ一つの丘と、その上に生える一本の木だけが異様に目立っていた。


 それほど高くもない丘を登りきり、木の下までいくと、リンゴが一つ二つと落ちていた。食べごろであろう、赤く艶のあるリンゴを拾い上げると、シルヴァはそれをひとかじり。甘く、瑞々しいそれはとても美味しく感じられ、シルヴァが側にある木の肌に触れると、ゴツゴツしたそれが手の平を刺激した。


「うまい……」

「——そうだろう?」


 突然聞こえた少女の声に、シルヴァが思わず振り返るも、そこには誰もいない。


「上だよ」


 言われて顔をあげたシルヴァは、眩しい木漏れ日に目を細めた。大きな林檎の樹の枝には腰を下ろす人影があり、それはやがてシルヴァの元をめがけて樹から飛び降りる。ワンピースのようなシルエットに加えて、長い髪を靡かせるそれが木漏れ日を遮ったとき、一瞬白いショーツが眼に映る。


「——よっと」


 華麗に着地した少女は、金色の髪を揺らして手に持ったリンゴを齧った。歳にして15程に見える少女は、シルヴァよりも背が高く、おおよそ160センチ程はあるだろう。淑やかに感じさせる純白の服を身に纏っているにも関わらず、その動作の一つ一つはそれを微塵も感じさせないものだった。


「名前は?」

「名前?」

「君の名前さ。教えてくれないか?」

「シルヴァ……だけど」


 尋ねる少女にそう答えると、彼女はシルヴァの肩に手を置いた。


「そうか、いい名前だ。私の名前はシャルロッテ。よろしくな」


 右手を差し出すシャルロッテを見て、シルヴァは戸惑いながらも握手を交わす。


「それで、お姉さんは誰なの?」

「おお、いいね。その呼び方」


 言いながら表情を緩ませるシャルロッテを見て、シルヴァが訝しげな表情を見せると、シャルロッテは咳払いをして言葉を続けた。


「とりあえず、私のことはお姉さんという認識でいいぞ。君はまだ10歳なんだし、私からすれば可愛い弟みたいなものだ」

「じゃあ、ここは?」


 年齢を知っていることには内心驚きはしたものの、シルヴァは続けて問いかけた。


「ここは、まあ夢と相違ない。ただ、私はちゃんとここで生きているぞ」

「よくわからないけど……僕はどうなったの?」

「死んではいない。ただ気を失っているだけだ」


 続ける質問に、シャルロッテは淡々と答えていく。死んではいないという事実に、シルヴァは安堵したような息を漏らした。そんな彼の様子を見て、シャルロッテは優しげな笑みを消して真剣な表情を浮かべる。


「シルヴァ」


 透き通るようで、どこか緊張感を感じる声音。叱るようでもなく、かといって慰めるような表情でもない。何か決意を問うような表情が、そこにはあった。


「かなり唐突な話になるけど、これから先、いくつもの災難が君を襲うだろう。いくつもの大切なものを失うだろう。すくい上げる指の隙間からは、かけがえのないものがたくさんこぼれ落ちていく。脅威はいつだって唐突に現れる。決して気を抜くな。死ぬなんていうのはもっての他だ。転んでもいい。折れず、立ち上がり、そして、歩くことを忘れるな」


 徐々にその表情は、憂いを帯びたものになっていった。自身の過去を思い出すような表情。その寂しげな表情に同情するシルヴァだが、その言葉の意味を理解するほどに、彼は成熟していなかった。しかし何かの暗示であることだけは、なんとなくわかった。


「そろそろ時間だ。目の前の光景を受け止めろ。現実を、受け止めろ」

「どういう——」

「——世界の命運は、いつだってひとりの少年少女に託される」


 シルヴァの問いかけを遮るようにして、シャルロッテは彼の肩を軽く押す。力なく倒れていくと、上を向く視界には眩しい木漏れ日が写った。眩しさに目を細めたとき、シルヴァの眼前は白に染まった。


「——ヴァ! ——ルヴァ! シルヴァ!」


 徐々に鮮明になる声でハッとすると、目の前には泣きじゃくるヴィネットの姿があった。溢れる涙は頬と鼻筋を伝い、やがて鼻先と顎からこぼれ落ちる。それがシルヴァの頬を掠めて、ようやく現在の状況を把握した。


「……ヴィネット」

「シルヴァ!」


 一瞬驚きながらも、ヴィネットは嬉しそうにシルヴァの胸元に飛び込む。


「よかった……よかった……」


 そうなんども言いながら、ヴィネットは嗚咽を漏らし続けた。どうするべきかと逡巡したのちに、シルヴァは優しくヴィネットの背中を摩る。徐々に落ち着きを取り戻す様子を眺めながら、シルヴァは問いかけた。


「ジャレッドは?」

「大人の人を呼びに行ってる。私、シルヴァが死んじゃったかと思った」

「……ごめん」


 心配するヴィネットを見て、シルヴァは申し訳なさそうに呟く。そうしてゆっくりと立ち上がると、軽く体を動かして口を開いた。


「村に戻ろう」

「歩ける? おんぶする?」

「いや、大丈夫だよ。ほら、立って」


 差し伸べた手を掴み、ヴィネットはゆっくりと立ち上がった。手を繋ぎ、村へ続く道をゆっくりと歩く。そんななかで、ヴィネットは不意に立ち止まってシルヴァの手を軽く引っ張った。

 振り返ると、どこかモジモジとするヴィネットの姿があり、シルヴァは不思議そうに問いかける。


「どうかした?」

「その……なんていうか……。好きなの。私、シルヴァのことが好きなの!」


 突然の告白は、シルヴァを驚かせるのには十分すぎるものだった。それと同時に、シルヴァは嬉しくも感じた。彼も幼い子どもながら、ヴィネットに対して初めての恋心を抱いていたから。

 言葉を受け止め、その意味を理解し、シルヴァは一瞬遅れてから顔を赤らめて視線を横に逸らす。


「ど、どうして今……」

「だって……今日みたいなのは嫌だもん!」


 その言葉が、全てを語っているように感じた。それほどにヴィネットは心配し、嫌なことを想像してしまっていたのだ。いつ死ぬかわからず、当たり前の日々から人が一人消えるということを、ヴィネットは早くも悟ってしまっていた。

 ヴィネットの言葉を受けたシルヴァは、ハッとして気が付いた。自分が死んでいたかもしれないということを、今になってようやく悟ったのだ。


「僕も、ヴィネットが好きだ」

「……ほんと?」

「ああ、大好きだ」


 恥ずかしながらも、シルヴァは満面の笑みを浮かべてそう答える。ヴィネットは嬉しさのあまり、勢いよくシルヴァに飛びついた。受け止めた勢いで倒れそうになりながらも、シルヴァはヴィネット体を抱き返す。

 幼い子どもの小さな初恋は実り、二人は手を強く握って道を歩いた。


「私、シルヴァのお嫁さんになる!」

「うん」


 赤い頬を陽光が照らし、舞い落ちた木の葉は風に乗り、二人の行く道を導いた。

 なんの災いもない、平和な日常が続くと思っていた。いつまでも村で暮らし、穏やかな毎日を過ごし、農村に住む両親を手伝い、やがて家を継ぎ、新たな家庭を築き、裕福でなくともこの大自然の中で平凡な人生を送る。そんな日々が続くんだろうと考えた。

 子どもながらに将来を夢想して微笑むシルヴァだったが、シャルロッテとの邂逅は一体なんだったのか、それだけが気がかりで仕方なかった。

はじめに、読んでいただきありがとうございます。これから週に一回程度のペースで更新して行く予定なので、良ければ読んでください!

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