4 迷宮奥
さらに先へと進む。もうそろそろ今まで通った道を忘れそうだ。完全に忘れないまでも、本来の長さを忘れてしまいそうだ。記憶に残っているところは長く、それ以外は短く感じてしまう。
「ねえおじさん、娘さんはどんな子?」
「なぜそんなことを?」
「景色の変わらない迷宮は目が疲れないのはいいけど、この姿で見ているだけだと退屈。新鮮な話が聞きたくて」
「まあ、いいけど…。娘の名前はミレイ。小学校5年生の11歳。黒のセミロング、レイヤーカット、前髪は横に流している。色白な丸顔で、釣り目がちな大きな丸い目、色はブラウン、鼻や口は小さめ…?いや、測ったことないな。目立たないだけか?」
「ふむふむ」
「性格は基本的にクールだが、甘える気分の時は甘える。手を抜く時は抜く。集中力が高く、家では黙々と勉強したり、ゲームをしたり、本を読んだりする。外ではお喋りが好きらしい。服装はデニムスカートやパーカーを好む。連れ去られた時もその恰好をしている。正確に言うと、黒字にピンクや黄色でアルファベットとキャラクターの書かれたTシャツの上に、縦線の入ったグレーのパーカー、フードの枠が白になっているものを着て、膝くらいの高さの青のデニムスカートを履き、ワンポイントの黒い靴下を履いている」
「好きなものは?」
「美しいもの好き。特に夕焼けや霧のかかった森、町の夜景を好む。物はあまり執着しないので、部屋はシンプル。好きな料理はハンバーグ、蒸したニンジン、治部煮。おやつだと、イチゴのアイスクリームとたい焼き。まあでも、これから変化するかもしれないけどな」
「いいよそれで。何か共感できるところがあると親しみが湧いて、より助けたいという思いが強くなるから」
「君の姿はどんな姿なんだ?」
「見てからのお楽しみ…と言いたいけど、それじゃ見逃しちゃうかもしれないから教えるね。ウェーブのかかったブラウンの髪、エメラルド色の瞳、濃緑を基調としたワンピースに金色のバッジやボタン、耳には吊るされた赤い球状のピアス。スタイルには自信あり。セクシーでありながらビューティーでもある」
自分で言うか…。
「待って、おじさん!何か様子が変だ?」
「あれか?」
道の隅で飛竜がうずくまっている。羽を閉じて、地面に突っ伏しているように見える。
「普通なら道の真ん中で通行の邪魔すると思うけど、違うのか?」
「普通ならそう。でもこれなら戦わずに通れそうね」
「一応情報を」
「はい。風属性 コスト8,ST4,HP2 先制能力。初期侵略ユニット4体のうちの1体。これは防御側でも先に攻撃を仕掛けられる能力で、先制同士の戦いなら攻めた側が先手を取れる」
「要するに早い動きだな。じゃあ、もしかしたらあの状態で油断させて攻撃を仕掛けて来るんじゃないか?」
「早いといっても、あの姿勢からは無理だよ。だからあれは、何か別の理由…」
「思い当たるものはないか?」
「…おそらく、ヤジロベーの手伝いをしてきた。この子も自我が目覚めた者の一人。そこで何らかの確執があって、ここに飛ばされた」
「そうか、お前も災難だったな」
横を通るが、反撃をしてくる気配はない。ただ目だけがこちらを追う。何事もなく通り過ぎた。
「ち、ちょっと…どこ行くの?」
飛竜の前に来て肩にかけたベルトのホルダーから巻物を抜く。
「無駄遣いは止めた方が…」
「無駄にはしない」
巻物を開き、文字が光り出し、飛竜の周りに柔らかな光が溢れる。
「それは回復の巻物!ちょっと!何やってるの!?」
「悪い奴には見えない。甘いと言われようが、これでいい」
「随分と余裕ね。そんなことしていていいの?」
「余裕じゃない。だから、理論だけでなく自分の直感にも頼る」
「はあ…あきれた…。戦うことになったらどうするつもり?」
「何とかする」
「はあ…。でも心残りあるよりもいいのかな…?」
飛竜は起き上がり、羽ばたき出す。風圧がビリビリと感じられる。羽ばたきを止めて翼を広げて立ち止まった。
「元気でな」
軽くポンポンと叩いて奥へと進んでいった。
「回復の巻物…、状態異常を消してステータス変動を元に戻す効果。使っちゃって良かったの?」
「まだ一本ある」
ミレイの万が一のために使わずに取っておくが…。
「分かったよ…、もうこの話は終わり。仲間同士で争っていてもしょうがないから」
「そうだな。君の体を取り戻して、娘も取り戻す。余計な争いをしている余裕はない」
「本体と近い気配を感じる…もう少し先?」
「遠隔操作で持ってこれないか?」
「ロボットじゃあるまいし…やってみよう。……」
無言のまま、迷宮を歩く。また突き当たり、何か落ちている。黒騎士の交換券?集めてもしょうがないな。でもかさばるものでもないし、記念に持っていくか。道を戻って別方向へ進む。
「…駄目だ、動かない」
「やっぱり駄目か」
「でも場所は分かった。次の角を右…右の2つめの通路を曲がって…1、そこを左!…次の左の通路…」
左の通路に入ると扉がついていた。
「どう開ける?」
「このゲーム、本来なら迷宮内に扉も鍵もない」
「じゃあ壊すしかないのか」
ドアノブを押したり引いたりしても開かない。蹴りや体当たりをしたが、それでも開かない。巻物を取り出して広げる。文字が光り、稲妻が発生してドアを黒こげにした。蹴るとボロボロ崩れて中へと入れるようになった。
部屋の中央には台の上で眠りにつく女性がいた。半透明なドームに包まれた台の上に、綺麗にまっすぐ伸びた姿勢で、胸の下で手を組んで眠りについている。
「いた!あれが私!早く早く!」
「待て、ドームの外側に細いワイヤーのトラップがある。切るからちょっと待て。まだ終わりじゃない、無事に帰るまで冷静に、喜ぶのは後」
オーラの剣で周囲のワイヤーを切断し、ドームの留め具を外して開ける。薬品のような香りとリンゴの実のような香りが漂ってきた。
「どうやって元に戻る?」
「バッジが取れているところ、そこにつけて。後は私が意識を移す」
言われた通りにバッジを戻す。リンゴの体の周囲に二進数の並ぶデジタル空間が表れ、拡張し、消えていく。リンゴは目を覚ます。
「けほっ…はあ、はあ…」
体を丸めて咳をし、息を整え始めながら起き上がる。
「ふうううう…。……。あー、あー、ヨシ!」
リンゴは立ち上がってこちらを見上げる。
「ありがとうおじさん。おかげで体を取り戻せた。本当にありがとう」
「良かったな。なるほど、セクシーでビューティーと言うだけはある」
「ふふふ…そうでしょ?やっと私の目的の折り返し地点まで来た…」
「折り返し…?そうか、元の場所へ帰るまでが目的だったな。これでお別れか」
「何言ってるの?協力するって言ったでしょう?ここから出るのはミレイちゃんを助け出してから」
「……」
「何驚いているの?言ったじゃない、協力するって。おじさん、これから出てくる敵の情報も元の世界へ帰る方法も知らないまま一人で行く気?」
「一人じゃ無理だ。…ありがとう」
「お礼はまだ早いわ。ふふん…、体を取り戻して機嫌がいい。さあ、ゴールへ向けてレッツゴー!」
「取り戻してしまったか…」
部屋の中に光が現れ、人が出現する。
「大人しく寝ていた方が良かったというのに」
「ヤジロベー…」
「まだ生きていたか。どうやらお前を少々侮っていたかもしれないな」
「ヤジロベー!よくも私をバッジに閉じ込めてくれたわね!」
威勢はいいが、タケルの後ろに体を半分隠している。ヤジロベーが視線を向けるとタケルの後ろに完全に隠れた。
「…フッ」
「あっ!鼻で笑った!」
「…ヤジロベー、娘をどこにやった?」
「言うと思うか?」
「なぜこんなことをする?」
「迷宮の主の目的だからだ」
「お前の理由を聞いている」
「主に従うのみ」
「嘘だ、そんな主従関係はない。まさか…」
「お喋りは終わりだ。リンゴから離れろ、お前は俺の手で始末してやる」
タケルはリンゴに向こうへ行けと手で示す。
しかし、リンゴはタケルの前へと踏み出し、ヤジロベーに向けて両手を広げて立ち塞がる。
「…何の真似だ?」
「わ、私は…その…」
上ずった声、恐怖に混乱した頭で言葉を必死に紡ぎ出す。
「私はあなたと対立してでもはっきりと言う。こんなのは間違っている。私たちが人々に届けるのは娯楽、喜びや悔しさ、苦しみ、尊さ…様々な心の動きの場を提供して楽しんで貰うこと。生贄の誘拐なんかじゃない」
「前にも似たようなことを聞いた。その時は煩いからバッジに閉じ込めて、箱に入れて海に捨ててやったっけか?今度は完全に消してやろうか」
「もう悪ぶるのはやめて!私が巻き込まれないように、嫌なものを見ないようにしたんでしょう?いい迷惑だったわ!二人で力を合わせればもっといい選択ができたかもしれないのに、それができなくて」
「無理だ。お前に何ができる」
「それは…えっと…」
「一つは助けを呼ぶことだ。その証拠がここにいる」
「世迷いごとを…、お前は自分の娘を助ける目的が無ければリンゴを助けたか?利害が一致したに過ぎない」
「断言はできない。しかし分かっているじゃないか。利害が一致するものに助けを求めればいいと。そうすれば良かった」
「く…」
「ヤジロベー…」
「…リンゴ、お前が邪魔するなら排除しろと言われていた。封じ込めたことで手を打った。…だから、無事でいるところを主に見られればお前は殺される」
「その前に主を倒せばいい、力を貸して」
リンゴは一歩前に出てヤジロベーに手を差し伸べる。
「俺が…仲間に…?」
「おじさん、後で私からも謝るから…」
リンゴはヤジロベーから目を離さず、タケルへ後ろを向いたまま力強く説得の言葉を賭けようとする。が、食い気味にタケルは返す。
「分かったよ。あいつへの恨みは今は置いといてやる。それよりも大事なことがあるからな」
リンゴは後ろを振り向き、大きく見開いた目でタケルを見上げる。
「本当に?」
「しつこいぞ」
「えへへ…、ありがとう」
リンゴはヤジロベーの方へ向き直す。タケルは柄にかけた手を離して腕を組み、ヤジロベーを見る。
「さあ、一緒にやっつけようよ」
これで娘の居場所が分かり、もしかしたらこの迷宮を好きな場所へ移動できるかもしれない。それにゲームから出ることも。迷宮の主の近況も分かるだろう。
「…ああ」
ヤジロベーは手を伸ばした。が、途中で手を止めた。リンゴは首を傾げる。