魔王四天王は氷の剣士に立ち向かってみる
マルクト側の侵攻が終了した魔王軍は暇を持て余していた。
というのも、セフィロートにはセフィロートを縦断するフロンティエール大森林があり、マルクト、イェソド、ホド、ネツァク、ティファレト、ゲブラーとケセド、ビナー、コクマ、ケテルを分けていた。そしてその森は不可侵というのが暗黙の了解であった。何せそこは魔物も人間も使う中立地帯だったからだ。何より、魔王軍と人間の間で中立を宣言している獣人の存在は大きい。森には魔物以外にも、獣人が大切にする動物が住んでいる。それを無闇に殺すことは、獣人という種族を敵に回すことになる。
獣人は魔物や人間に比べると遥かに数の少ない種族だが、それでも、魔物や人間が畏れを成すほどの存在である。魔法が得手だとか、極端に武力的に強い、とか、そういうことではない。獣人の強さ……というよりか、強かさを表現するならば、やはり、獣人の長の貫禄の一言に尽きるだろう。
獣人という種族は、生命の神が作ったとされる。人間ではない異形だが、魔物と区別されるのはそれが理由だ。魔物は闇の女神が作った生き物であるというのが定義である。
生命の神が動物と人間を融合させて作ったのが獣人だ。動物と人間という寿命がちぐはぐな生物同士を掛け合わせたためか、獣人の見た目年齢と実年齢は結構違う。そして、獣人はわりと長生きな種族である。
その中でも長で山羊の獣人であるグランシェーヴルは最も長く生き、セフィロート千年の時代を知るという。
魔法に秀でているわけでも、剣術に秀でているわけでもない種族であるが、一種族として注目を受けている。
そんな獣人が大切にする森を侵してはいけないというのは暗黙の掟であった。魔王ノワールも、森向こうへ侵攻したいが、それがためで躊躇っている。
そんな中、森を自由に行き来するのは魔王四天王であった。
「森に行ぎてぇ?」
アミドソルが首を傾げたのも仕方のないこと。影年一九九〇年。魔王軍は瞬く間に六都市を征服し、その侵攻の中核を担う魔王四天王は暇を持て余していた。
アミドソルは例外だが。彼は元々フロンティエール大森林で生まれた魔物、土の民で、その中でもグランソルとして森を守護する役割を担っていた。森を荒らす者があれば容赦はしない。魔物であろうと、人間であろうと。その辺の関わりもあって、魔王軍は森を越えての進軍を躊躇っていたのである。
アミドソル以外の四天王は暇だ。やることがない。侵攻できる見通しが立っていないため、侵攻計画も立てられない、部下たる魔物を鍛えるのもやり飽きたし、もはや、部下たちは自主的に訓練するため、四天王が面倒を見る必要がないのだ。
四天王同士で鎬を削り合うこともあったが、それを好む質ではない四天王だっている。それがつまり、今、アミドソルの前にいるサージュである。
魔王四天王の中で、魔法を扱うサージュは、他のシュバリエやアルシェが戦うときは訓練室に結界を張って見物するのだが、自分が戦うときは、神殿の外に出なければならない。サージュは結界を維持したまま戦うこともできるが、たまに、結界の耐久値を越えた威力の魔法を出してしまうことがある。アミドソルの土魔法とサージュの魔法で強化されている神殿ではあるが、サージュが本気になってしまうと、粉微塵になりかねない。
サージュは戦闘狂ではないが、時には自分の現在の実力を知るために戦いたいときだってある。
そんな中、思いついたのが、森に行くことだった。
「ほら、噂はかねがね聞いている、氷の剣士くんに会ってみたいのですよ」
「リアンにが?」
アミドソルは少ない顔パーツで渋い顔をする。リアンとはアミドソルと一緒に森を守護する人間の子どもだ。土の民の誓約の儀式であるアミの契りを交わした友人でもある。
かつては魔王四天王の一人、シュバリエの弟子だったらしいが、今はアミドソルが体術を指南している。
……まあ、サージュがリアンに興味を持つのもわかる。何せ、魔王四天王二人を師に持つダートの使い手だ。サージュはもう一人のダートの使い手、リヴァルには会ったことがあるそうだが、リヴァルにはあまり興味を抱いていないらしい。曰く、面白味がなさそう、とのこと。セカイを救う使命を持った勇者をこんな風にばっさり斬ってしまうのも、魔王四天王という強者だからこそだろう。
対して、リアンにはかなり興味があるらしい。ダートの使い方が斬新でサージュ好みなのだとか。いや、サージュの好みなど、リアンは知ったことではないだろうが。
アミドソルは少し溜め息を吐くと、頷いた。
「わがっただ。頼んできたのがシュバリエだったら、少し考えっとごだが、まあ、サージュならあまり森を傷つけねぇべ」
そう、守護者として困るのは、森に害をもたらされること。獣人にとってもそうだが、アミドソルにとっても、森は大事な故郷なのである。
「もちろん、森に踏みいるからには掟は守るつもりです」
「ならいいだ。だけども、本気になって、森を荒らし始めだら、おらが容赦しねぇがらな?」
「わかってますって」
かくして、魔王四天王の一人が、氷の剣士に立ち向かってみることになったのである。
そんなことをつゆも知らないリアンはケセド近くの大樹で休んでいた。
ちょうど、何度目かのリヴァルの襲撃に遭った後だった。リヴァルは動きが単純なので、やりやすいのだが、こう何度も来られると精神的に疲れる。リアンにとって、リヴァルは譬、かつてでも、同門の徒で友人だったことに変わりはないのだ。
大樹に凭れて休んでいたリアンが、柄だけの剣に手をかけたのは、ほどなくしてのことだった。リアンはダートの使い手である。その代わり、魔法が使えない。魔力が少ないのだ。故に魔力探知には疎い。しかし、これはリアンでもわかった。とんでもない魔力を持つ人物が、森に近づいている。警戒を強めた。
魔力探知に疎いリアンが感じられるほどの魔力を持つなんて、ただ者ではない。
魔力がだいぶ近づき、その人物の影が見えてきたところで、リアンはダートを発動させ、氷壁を張った。やってきた人物は深緑色のローブを身に纏い、フードを目深に被っている。顔がどんなかはわからないが、その唇が不敵に笑んでいるのがわかった。
瞬間、その人物が詠唱する。
「風よ」
それだけで氷壁内の風が凶暴な鎌鼬と化した。目に見えないそれは縦横無尽にリアンを襲う。リアンは見えない攻撃に戸惑いながらも、ダートをそこら中に発動させた。ダートの冷気でどのように風が動いているのか感じ取るためだ。使いなれたダートの動きなら、リアンは目を瞑っていても感じ取れる。
そうして鎌鼬を避けながら、魔法使いの方へと駆けていく。魔法使いは楽しそうに笑った。リアンはそれを不気味に思った。
決して、自分が魔法使いを追い詰めているわけではないことを、リアンは理解していた。魔法使いは余裕の笑みで冷気から感じ取れる風の流れは、まるで、こちらを誘っているかのようだ。
魔法使いのこういう誘いには乗せられるものじゃない、と思っていたが、近接戦闘に持ち込まない限り、剣士は優位には立てない。故に、リアンは駆けた。
接近するのを見、魔法使いはこう唱えた。
「引力よ」
「!?」
土魔法の上位互換、引力魔法を使ってくるとは、思いも寄らなかった。地面に引き付けられるのであろうことを想定するが、今回の引力魔法は趣が違った。
体は重くならない。だが、あまり見ることはないであろう光景が目の前で繰り広げられていた。
魔法使いのローブから出た手に、土の成分から集められた金属で、剣が形作られていたのだ。
つまり、引力で金属を集め、武器にする目的の魔法。
剣の腕に覚えがあるのだろうか、と思いながら、リアンは思い切り、その人物と切り結んだ。普通なら体を狙うところなのだが、あまり人を傷つけたくないリアンの精神の表れなのだろう。剣とぶつかるように剣を振るった。
がきぃん、とものすごい音が耳をつんざく。通常なら、氷は金属より脆いため、壊れるところなのだが、リアンの柄に現れた氷の刀身はダートによって強化されており、鋼の剣に勝るとも劣らない。
やはり魔法使いは剣は扱いなれていないらしく、剣術は拙いものだった。リアンはまだ知らないことだが、魔王四天王である師に比べれば、という話で、決してど素人というわけではない。
しかし、剣術だけならリアンは軽々と伸せそうな相手だ。
……罠か?
そう思ったが、リアンは意識を奪うために峰打ちを繰り出していた。
「うわぁ、リアン、勝っただ……」
陰で見ていたアミドソルが若干引いていたことをリアンは知らない。
もちろん、無謀な賢者さまの尻拭いをしたのはアミドソルで、「おらの知り合いだ」と告げられたリアンはごめんなさいしか言えない生き物に一時的になったのはまた別の話。