後編:事件の真相
重石は薄く、いやに軽かった。メモの裏をめくるが、他には何も書いていないようだ。
「軌跡……人の歩んできた人生のことか……」
チラッと冬樹が俺を見る。言われずとも、どう並べればいいかはわかっている。
「まずは俺が初めて玲奈先輩に会った図書室、次は生徒会に入って初めて使ったパソコン室」
「体育祭は前期なので放送室、次いで夏休みの思い出を語った会議室ですね」
「えっと、そしたら定期試験の後に学園祭があったから、食堂と体育館だよね」
「しかし、屋上はどうなる?」
余ったカードを冬樹から奪い、一番最後に置く。
「屋上は、俺が最後に先輩と話した場所だ」
並べかえた結果は『N1 T3 N3 Y3 N3 Y2 M4』となった。
「あとはこれをどう読むかだな」
「えっと……な、つ、の、よ、の、ゆ、め?」
ゆっくりと歩美が読み、本棚へと向かう。
夏の夜の夢、シェイクスピアの作品で、妖精パックがあべこべ騒動を起こすも、最後は丸く収まりハッピーエンドとなる。
「なるほど、アルファベットは行を表し、数字はその行の何番目かってことだったのね」
「夏の夜の夢といえば、シェイクスピアの名作だな」
話を聞きながら目的の本を見つけ、三人の元へと戻る。
「やっぱり、この騒動の犯人は白詰玲奈先輩だ」
「えっ!?」
有無を言わせる暇など与えずに、図書室を出る。
夏の夜の夢に挟まっていた栞にはこう書いてあった。
『思い出がいっぱい詰まった、あの場所で待っています』
つまり、ゴールは……
「待ちくたびれたわよ」
今は俺の席となった生徒会長の椅子でふんぞり返っていたのは、やはり玲奈先輩だった。ラスボスのような様相に歩美が怯えていると見るや否や、慌てて姿勢を正した。
「今日はバレンタインだから、みんなにチョコレートを持ってきたの」
先輩は傍らのカバンから、赤いリボンで包装された可愛らしい箱を取り出す。
「それでチョコケーキか……」
「はい、そうです」
「どうしてこんな回りくどいことを?」
「私は試したかっただけよ。私達の描いたロミオとジュリエットのように」
最終的な結論として、俺らはロミオとジュリエットの結末をハッピーエンドに書き換え、学園祭で上演した。
「ジュリエットは仮死毒を飲むのを止め、家を出てロミオと駆け落ちするんですよね」
「そう。そして表では自殺したことにして、修道僧に遺書を託し、その遺書を読んだ両家は心を改めたんだ」
「でも、ロミオとジュリエットは何を試したの?」
こっそりと歩美が由乃と冬樹に尋ねる。
「自分達を大切に想っていたならば、争いがいかに無意味で滑稽だったかを思い知らされるはずだ」
「今回の場合、生徒会の結束を見たかったということでしょう?玲奈先輩」
玲奈先輩はパチパチと俺らに拍手を送る。
「正解だけれど、まだ謎解きは終わってないわよ」
「終わってない?」
喜ぼうとしたのも束の間、玲奈先輩は告げる。
「試そうとしたのは私だけれど、実行したのは別人よ」
「はっ!? だって最後のカードには……!」
そこで気付く。夏の夜の夢に挟まっていたのは栞。それまではほとんど同一のカードだった。カード以外で最初に見つけたのは『軌跡を歩め』というメモだ。
「もしかして軌跡ってのは、この一連の謎のことだったのか?」
そう考えると、ヒントとして置かれていたものにも意味があるように感じた。
体育館の小瓶が玲奈先輩に行き着くためのダミーだとすると、それ以外にもダミーは混ざってるはずだ。ざっとカードに添えられた物を思い起こし、一つ目のヒントであるスマホを取り出した。
しかし、困ったことにバッテリーが抜かれたせいで電源が入らないのだ。
「あと、これってもしかして」
歩美はメモの重石を手にしていた。目を凝らすと、和紙の端が少し剥がれている。
和紙を剥くと、中からバッテリーが出てきた。スマホに嵌め込み、電源を入れる。
「会長、紙の裏に『重複せず、書き記す人物を引け』と書いてあります」
「ああ。恐らくこの暗証番号を解くためのヒントだと思う」
もう一つのヒントとなるのは、カードの裏面に記された暗号だ。
「重複、つまり同じ文字は使わずに、書き記す人物を引くのか」
「書き記す人物って書記かなぁ?」
「由乃ってことか?」
歩美は『なつのよのゆめ』と平仮名で書き、まずは重複する『の』を一つ消した。次に『なつめゆの』と由乃の名前を下に並べると、同じ文字を消した。
「残るのは『よ』を表す『Y3』で、入力するのはスマホだから、多分『9993』かなって」
暗証番号は歩美の指摘通りだった。ロックが解除され、画面に『さて、真の犯人はだーれだ?』という挑発的な文章と、入力欄が現れる。
「最後は犯人を推理しろということか」
「いや、推理するまでもないさ」
答えを入力すると自動的に犯人に通話するように仕掛けられていたのだろう。すぐ側で着信音が鳴り響いた。
音がした入り口のドアへと一斉に振り返ると、気だるそうにしながら立っていたのは――
「えっ? 布瀬先輩だったの?」
「おう、正解だ」
通話を切断し、何事もなかったかのように秋良が副会長の席につく。
「んで? なんで俺だってわかった?」
「俺のことを詳しく知っている人でこんなふざけたことするのは、お前しかしない」
秋良は不服そうに肩を竦める。
「ヒントとして俺に昔話を振ったのもあからさまだったし、なにより」
真っ直ぐと、射抜くような視線で告げる。
「お前が本気になれば、あんな問題は一瞬だろ」
「買い被りすぎだぜ、紫音」
ヘラヘラと笑って誤魔化すが、その実目元は笑っていない。
「どうしてこんなことをしたんですか?」
「お前らの協調性を試したんだ」
納得がいかない。その一言だった。
「まず由乃ちゃんはあゆみんばっか見てて、他の人には壁を作ってる」
「……それは認めますけれども」
「あゆみんは突っ走りがちで人の話を聞かない面があるし、冬っちの場合最近はマシだけど、人と会話をしないことが多かった」
「まあ、な」
「で、最後に紫音!」
指を突き付けられ、思わずたじろぐが、秋良は寂しげに微笑んだ。
「俺がいなくても、大丈夫そうでよかった」
「お前……何言ってんだよ!」
俺は腸が煮えくり返りそうになり、拳に爪を食い込ませて必死に耐えた。
「バレンタインにみんなを驚かせたいって玲奈先輩に提案された頃にさ、親父に春から転勤するって聞かされたんだ」
「布瀬先輩、転校しちゃうの?」
秋良が頷き、歩美は涙を瞳に溜める。
「泣かないでくれよ。歩美には、俺の代わりに紫音を支えて欲しいんだ」
秋良は優しく指で歩美の涙を拭き取る。
「でも、そしたら庶務が――」
「ロミオとジュリエットは両家が共に道を歩んだことに胸を打たれ、自分達が生きていることを伝えることにしました」
由乃の心配を遮るように、玲奈先輩は俺らで描いた結末の続きを語り始める。
「私達は幸せな未来へと進んでいると伝えるため、自分達の愛の証である子供と共に家へ向かったのです」
試練を乗り越えたからこそ真実が伝えられるという点では、状況は一致している。けれど、子供?
「私と秋良で、信頼に足る後継者を選出したわ」
恐る恐る入室してきたのは、ほっそりとした体型の少年だった。上級生が多いからか、少し落着きがない。
「白詰時哉、私の弟よ」
「えと、よろしくお願いします」
成績上位者として貼り出されている名前に驚きを隠せない。
「でも私も秋良も、本当はねっ……!」
玲奈先輩は言葉を飲み込んでしまうが、その先は言わずともわかる。
――本当は、生徒会を辞めたくない。
本心を悟ったからこそ、俺は胸を張った。
「俺が、俺らがいい学校にしてみせる!」
二人は安心したように安らかな表情を浮かべ、ただただ涙を流し続けた。
あれからしばらくして――
すっかり慣れた生徒会長の席に座り、俺は他の役員が揃うのを待っていた。
窓の外では新入生の門出を祝うように桜が咲き誇っている。
「おはようございます会長、今お茶を淹れますね」
「おはよう、会長」
「おはようございます、さっそく目安箱を確認してきますね」
続々と集まる役員達。そして各自の仕事に取り掛かる。
「雲一つない晴天を見ていると、何か良いことが起きそうだな」
「ああ」
上の空で答えていると、「おっはようございます!」と元気良く歩美が入ってきた。何故か庶務の席に座る。
「歩美、お前の席はこっちだろ」
「おいおい、そしたら俺の座るとこねーだろ」
どこか懐かしい軽口に視線を向けると、そこには秋良が立っていた。
「お前、どうして」
「歩美の親父さんが管理するアパートに住むって条件で、親に頼んで残ったんだ」
どうやら知らなかったのは俺だけのようで、由乃は当たり前のように秋良のお茶も淹れていた。
「新しいとこで馴染むってのも大変だし、お前らが心配だったしな」
よくよく見れば冬樹の机の横に会計監査という席が作られていた。時哉のために新たな役職を設置したようだ。
「まっ、そんなわけで……」
何度も苦い思いをさせられた相手だが、新たな挑戦状が渡されるのを心待ちするくらい、俺はこいつに甘いみたいだ。
「これからもよろしくな! 相棒!」