前編:届いた挑戦状
まだ肌寒い季節のある日のこと、バサバサと書類の崩れる音がした。
「歩美! それ今確認が終わった書類だぞ!」
「すっ、すみません会長!」
普段ならば怒号など飛ばさないのだが、生徒会長の俺は年度末に向けての仕事が山積みでストレスが溜まっていた。
歩美こと春日歩美は一年生で庶務をしている。素直で真面目ないい子なのだが、おっちょこちょいな面がたまに傷だ。今は書類整理をしてくれている。
「会長、各部活の決算報告の確認終了」
「ありがとう冬樹」
「当然」
手早く自分のノルマを終えたのは、会計をしている二年生の宮永冬樹。常に冷静であり、いつも仕事を迅速に効率よく済ませる。
「うへぇ、冬っちもうあの量終わらせちったわけ?」
ふざけた口調で机に項垂れているのは、同じく二年生で副会長の布瀬秋良だ。飽きっぽい性格をしているが、一度熱が入ると人が変わったかのように熱心に仕事に取り組む。
「ねーねー由乃ちゃん、お茶入れてくんないかなあ?」
「さっきケーキまで出して休憩したばかりですよ?」
「ちぇ」
俺の代わりに秋良をたしなめてくれたのは、一年生で書記の夏目由乃だ。おっとりとした穏やかな性格で、心配りが行き届いているため、縁の下の力持ちといった存在だ。
「なぁ紫音、なんか面白いことねーの?」
「ない」
「即答かよ、つれないなぁ」
秋良だけは俺を肩書きではなく名前で呼ぶ。同級生ということもあるが、唯一前生徒会長の元で俺と共に働いていた。
ここで、改めて自己紹介をしようと思う。
俺は雪ノ下中学の生徒会長、五十嵐紫音。元は書記の席として生徒会に入り、昨年の冬に任期を終えた白詰玲奈先輩から生徒会長を引き継いだ。
玲奈先輩は才色兼備な優等生だったため、跡を継ぐのは気が引けていたのだが、先輩からの頼みを無下にはできなかった。
「夏目、今日はどうしてケーキだったんだ?」
冬樹は悠然とお茶をすすりながら、まだ仕事をする由乃に問い掛けた。
確かに、いつもならばクッキーやお煎餅など、ケーキと比べると質素なおやつばかりだった記憶がある。
「今日は特別です」
うふふと楽しそうに微笑むと、由乃は再び書類と向き直った。
夕刻を告げるチャイムが鳴り響く。
授業の合間に流れるものでも、下校時間を報せるためのチャイムでもない。これは小学生の帰宅を促すためのものだ。
「あ、投書の確認にいってきます!」
庶務の仕事の一つに、目安箱の回収があった。目安箱とは学校に対する意見を投函する、いわゆる意見ポストのことだ。
歩美は毎日この時間に確認しに行くのが日課だった。
「布瀬、仕事手伝う」
「ありがとう冬っち!大好きだぜっ!」
冬樹は秋良の告白をスルーし、黙々と作業に移る。秋良も集中を始め、沈黙の時間が続いた。
ドタバタと、騒がしい足音が静寂を破る。
勢い良く生徒会室のドアが開いたかと思えば、どうやら歩美は廊下を走ってきたらしく、額に汗を浮かべていた。
「歩美ちゃん、廊下を走ったらダメでしょう?」
「た、大変ですっ!」
一応人目を気にしているのか、生徒会室に入るとドアを閉める。注意深く声を低めた。
「これ見てください!」
手渡しされたのはなんの変哲もない白い封筒だった。だが、書かれている文字に目を見開く。
何度読んでも『生徒会への挑戦状』と、確かにそう書いてあるのだ。
歩美が血相を変えて飛び込んできたのは間違いなくこれのせいだろう。
「とりあえず中身を確認するか」
封を開けると、手紙と名刺サイズのカードが一枚入っていた。まずは手紙を読む。
「なんて書いてあるのですか?」
一時作業を中断し、俺に注目が集まる。俺は手紙の内容を音読した。
「私は今の学校に嫌気が差し、校舎に爆弾を設置しました。下校時間に学校を爆破します。これは挑戦状、生徒会の方々には爆破を止めるチャンスをあげます……ってさ」
「ば、ばくだんっ!? それに、下校時間ってあと二時間しかないよぅっ!?」
怯えた表情で歩美が震え上がっていた。
「止める方法があるはずだ」
「謎を解いて指定された場所へ行き、暗号の書かれたカードを集めろって書いてある」
封筒の隣に置いていたカードを拾い上げ、秋良が両面を確認する。
「つまり、この問題を解いて場所を特定し、裏面のこいつを使って爆弾を解除っつーわけだな」
緊迫した状況でありながら、秋良はものともせずにスリルを楽しんでいた。
秋良からカードを取り返して両面を見る。
表面には『小屋の左隣、に一番近い場所』と書かれ、裏面には『M4』という記号が記されている。おそらく表面が謎、裏面が停止に必要な暗号ということだろう。
「小屋というと、ウサギの飼育小屋のことでしょうか?」
「なら飼育小屋の左隣は体育倉庫があるから、一番近い場所は保健室だよねっ!」
早速動こうとする一年生二人組を冬樹が片手で制した。
「これは謎解き、そんな直接的な答えだとは思えない」
爆弾という単語にも動じず、かといって秋良のようにはしゃぐわけでもなく、冬樹はただ冷静に頭を回転させていた。
「これ、『小屋の左隣』の後の句読点、もしかしたらこれに意味がある? ならばこれは分割して二つの文として捉えて……」
ブツブツと考察が漏れている。つまり冬樹の考えだと『小屋の左隣』と『に一番近い場所』の二つに分けるということらしい。
「小屋……こや、『こ』と『や』……」
「あっ! 『こ』と『や』の左隣じゃねぇかっ!?」
「なるほど、そういうことですか」
「へっ? えと、どうゆうことなんですかっ?」
閃いた秋良は胸を張って自慢げに考察を述べ始めた。
「五十音の表は基本的に縦書きだろ?で、『こ』と『や』の左隣を見ると、『そ』と『ら』がある。つまり小屋の左隣は空ってことになるってわけだ!」
「なるほど……ならば、空に一番近い場所とは、学校内だと――」
「「屋上!」」
秋良と冬樹のおかげで答えを導き出した俺らは、早速屋上へと急いだ。
階段を駆け上り、屋上へと出る。
沈みながら町をオレンジに照らす太陽を前に、俺は大事な日を思い出していた。
夕暮れの中、妖艶なシルエットだけが浮き彫りになっていた。
「紫音、これからは私の代わりに、生徒会長としてこの学校を引っ張っていってくれるかしら?」
玲奈先輩は生徒の頂点である威厳を放り出し、一人の先輩として俺に尋ねた。
「はい! 玲奈先輩の時代よりも、より良い学校にしてみせます!」
ビシッと姿勢を正しながら宣誓する。その腕には先程の役員選挙で継承した腕章が、夕日を反射して光っていた。
「ふふっ……頼もしい後輩ね……」
嬉しそうな、寂しそうな表情で微笑むと、玲奈先輩は小指を差し出してきた。
「じゃあ約束してちょうだい」
「約束?」
ずいっと俺に顔を寄せてきた。吐息がかかるほどの距離だ。
「そう。私の卒業後も、貴方が卒業した後も、後輩にきちんと受け継いでいくってことを約束してほしいの」
約束というのは少しこそばゆいが、小指に小指を重ねる。
「じゃあ頑張ってね、五十嵐紫音生徒会長」
俺はその時、玲奈先輩が辞めることを惜しんでいるのを見逃さなかった。
それが生徒会に対してなのか、それとも――
「あ! 会長、ありましたよっ! たぶんアレですよねっ!」
突然呼ばれ、慌てて意識を引き戻した。
指摘された方へ視線をやると、フェンスに結びつけられたビニール袋があった。中にはカードとスマホが入っている。近寄って確認した。
「うん、間違いないみたいだ」
スマホは電源が切れていて使い物にはならなそうだ。カードは表面に『21 12 22* 32 43』と書かれ、裏面には『Y3』と記されている。
「あぅ、数字がいっぱい……」
歩美は身体を動かすことは得意なのだが、数字にはめっぽう弱かった。数字の羅列を目にしただけで目をグルグルと回す。
「一つだけアスタリスクが付いているのが気になりますね」
さっきの問題では答えへの道筋を歩んでいた冬樹も、手がかりなしだと黙り込んでしまった。
「1から4の数字っつーと、クラスとかか?」
「いや、クラスを表すなら学年より先に4が来るのはおかしいだろ」
「あー、じゃあ足すとか引くとかじゃね?」
「計算の可能性もあるのか」
カード片手に頭を悩ませていると、由乃が携帯電話で誰かに連絡をしていた。
「由乃、何やってるんだ?」
「お母様に帰りが遅くなると連絡しているのです」
メールを打っているらしく、ポチポチとボタンを連打している。
「学校が爆破されるかもしれないというのに、悠長な」
呆れる冬樹だったが、由乃の動作を見て何かに気がついたようだ。
「……もしかしたら、このスマホがヒントなのかもしれない」
電源どころか電池が入っていないガラクタでしかないが――
「由乃! ちょっと携帯電話を貸してくれないか!?」
「は、はい!」
携帯電話のボタンを確認した限り、どうやらこれで間違いなさそうだ。
「多分、俺らはスマホに慣れてるからすぐにはわからなかったんだ」
秋良と冬樹が横から携帯電話を覗いていた。
「なるほどなぁ、スマホで文字打つ時はアスタリスクのところが空白になってるってわけだ」
「そう。十の位の番号はどのボタンか、一の位の番号はそれを何回押すか」
「えっと、それじゃあこのアスタリスクはなんなんです?」
まだ理解できていない歩美の方へと携帯電話を向ける。
「そっか! 濁点!」
「つまりこの『21 12 22* 32 43』の答えは会議室だ!」
転ばない程度の速度で階段を下り、三階の会議室へと向かう。運良く誰も使用していないようだ。
「次の問題は――」
入室すると、人数分のティーカップが置かれていた。中にはまだ淹れたばかりで湯気の立つ紅茶が入っている。
「これ飲んでいいのかな?」
「先生のかもしれないんですよ」
「いや、飲んでいいと思うよ」
ティーカップの一つに、カードが下敷きにされていた。つまり犯人が俺らのために用意したということだろう。
でも、一体なぜ?
「そういや、部活会議ってのはいつもここでじみーにやってたけどよ、夏休みに一回だけ喫茶店に使ったよなぁ」
「あー、秋良がおしながきの漢字を読めなかったやつな」
「そーゆーのは覚えてなくていんだよ!」
ジト目で反論し、秋良は溜め息を一つ。
「次の問題は何だ?」
「えーと」
カードの表面は真ん中を区切るように線が引かれ、左には『ある…やみ、ちしき、ほんね、しょくいん』右には『ない…ひかり、けいけん、たてまえ、ようむいん』と書かれ、一番下には『学校のみんなに伝えられる?』という謎の疑問文があった。裏面には『N3』だけだ。
「あるなしクイズですね」
「わっけわかんねぇええ!!」
秋良は真っ先に匙を投げる。日本語力を試されるような問題は苦手らしい。
「えっと、勉強とか?」
「一部なら意味は通じますが、これは共通点を探る問題ですよ」
「あ、そっか」
シュン……としょげる歩美だが、頑張って考えてくれているのが伝わってくる。
「この問題、上の答えを元に、下の疑問文に答えるんだろうか?」
一年生も冬樹も真面目に取り組んでいるというのに……
「冬っちも由乃ちゃんも、あゆみんもがんばー! ついでに紫音も」
すでに考えることを諦めた秋良は、ヒラヒラと手を振りながら紅茶を飲んでホッコリとしていた。
学校を爆破されるかもしれないのに、気を緩める秋良の姿は非常に腹立たしいが、今は相手をしている場合じゃない。
「でもこれ、なんで全部ひらがななんだろ?」
歩美にとってはふとした疑問。それが突破口になるとは思いもよらなかっただろう。
「由乃、メモ帳とペンはあるかい?」
「はい!」
書記として、由乃は何かあった時にすぐメモを取る癖がついており、常にメモ帳とペンを持ち歩いていた。
「これ全部を漢字に変換すると」
漢字に変換し、文字を並べていく。
「まず『ある』は闇、知識、本音、職員。で、『ない』は光、経験、建前、用務員。つまりあるの方の漢字には全て……」
文字に含まれる共通点に次々と丸を付けていく。
「音……『学校のみんなに伝えられる?』というのは、音を学校中に伝えられる場所か」
「そう。つまり答えは放送室だ!」
「おー、解けたのか」
暢気に一人でティータイムを過ごしていた秋良が立ち上がる。生徒会室のお菓子箱から勝手に盗み出したと思われるチョコレートをモグモグと頬張っている。
緊張感の欠片もない秋良を放置し、今度は二階の放送室へと向かう。
放送室は主にお昼休みや掃除の時間に放送部が使用するくらいで、普段は施錠されている……のだが、今日は珍しく鍵が開いていた。
「閉め忘れたんでしょうか?」
「わざわざ職員室に向かう手間が省けて好都合だろ」
特に気に留めず、カードを探してさ迷う。今までの傾向を考えると見つけやすい場所にあるはずだ。
「会長、発見した」
冬樹が居たのは放送室の奥にあるブースだった。入ってすぐの場所にも機材が広がっているが、こっちは音響設備であり、あくまで放送先の選択や音の調節を行う。対してブースの中は、トークを配信するための場所だ。
マイクの下にカードが置かれ、マイクにはハチマキが結ばれていた。
「そういや紫音、お前体育祭の時に片付けサボって玲奈先輩にわざわざ呼び出されてたよなー」
ニヤニヤと不気味に笑う秋良。どうやらさっきのお返しということらしい。
冬樹は無表情に聞いていたが、一年生二人は苦笑していた。
「今は問題を解いて暗号を集める方が先だ、くだらないこと言ってんじゃない」
カードの表面は『く+小+土+良+口+ワ=□□』と書かれ、裏面にはさっきのカードと同じく『N3』と記されている。
「んじゃ、次行くか」
「ちょっと待てい!!」
スタスタと次の場所へ向かおうとする俺のことを秋良が止める。
「……なんだよ」
「お前、まさかもう解いたのかよっ!?」
「そうだけど? これ一番簡単だし」
信じられないと言うように秋良はあんぐりと口を開けていた。
「多分、これくらいなら歩美でも解けると思うぞ」
「ホントですかっ?」
一瞬、犬のように尻尾を振っている姿が見えた気がする。
「ほら、やってみるといい」
「わぁ……い……?」
一気にテンションが下がってしまったが、歩美はすぐにパアッと顔を明るめた。
「次はもしかして食堂っ?」
「そゆこと」
自力で解けたことが思いのほか嬉しかったらしく、歩美は小躍りを踊ってみせる。
「これは文字を組み合わせて二文字の熟語を完成させるんですね」
「んん??」
先程使ったメモ帳を取り出し、秋良にもわかりやすいように由乃が書いてくれる。
「まず『く』を90度回転させて『良』と合わせて『食』にし、次に『小』を逆さにした後、『ワ』、『口』、『土』を上から順に書いていくと『堂』になります」
「つまりその二つの漢字を合わせると食堂になる、と……はー、よくもまぁ一瞬で」
「お前、飽きたどころか、もう謎解きに興味なくなってるだろ」
秋良はコツンと頭を叩き、おちゃめにペロリと舌を出した。
「てへっ」
「さて、食堂行くぞー」
「待って! せめてツッコんで!!」
可愛らしく? 誤魔化そうとする秋良から、ボケを放っておかれた悲痛の叫びがあげられるが、一々取り合っていたら俺の身が持たない。
「食堂は一階だな」
「頭を使ってちょっとお腹すいちゃった」
「歩美ちゃん、後で布施先輩の分のお菓子あげますね」
「ありがと、由乃ちゃん!」
「お願いだから誰か構って!?」
約一名を除いて仲睦まじく俺らは進んでいく。廊下を歩いていると、ドアの窓から教室の時計が見えた。
制限時間が迫ることによる焦りから、まだこの時の俺は、犯人の正体を微塵も考えようとしていなかった。
わざとらしく、ヒントはそこかしこに散らされていたというのに……