震える心
放課後。
大一番を翌日に控えた俺の足は、ある場所を自然と目指した。
学期内にテストは二度ある。その内、明日から始まるのは一学期の中間テストだ。二年生へと進級して一発目の、学内カーストへ非常に大きな影響を与える、まさにこの一年を占うといっても過言ではない重要な試験。
俺はそれほど運動が出来るわけではない。かといって、お喋りが得意というわけでもない。正直なところ勉強もそれらと同様に苦手である。
周囲との適切なコミュニケーションすら俺にとっては大掛かりなタスクで、カースト上位層の巧みな立ち回りを遠目から黙って見ているというのが常である。
連中と下手に関わればどうなるか分からない。隙を見せたらオヤツにされる危険性はかなり高いのだ。ヤツらは人間の皮を被ったライオン。あるいはロールキャベツ。隠れた肉食系男子という意味を持つこの表現はむしろ連中に向けるべきでは、というのが俺の持論だ。そう、連中に対しては一瞬たりとも油断してはならない。
そうなれば、俺の取り得る術は『目立たない』ということ。具体的には、テストにおいてそこそこの点数を取ること。落第レベルの点数を取ってしまっては連中にたちまち食べられてしまう。しかしあまりにも高い得点を叩き出してしまうと『秀才くん』などという妙なキャラ設定の付与が待ち受けているに違いないのだ。それを回避するためには『そこそこ』でなければならない。
現状、教師にも目をつけられる不良でありながらカースト上位層の一人でもある儀我からは存在を認知されてしまっているが、辛うじてそこから波及するまでには至っていない。しかし、何かコトが起こればどうなってしまうかは想像がつかない。今回のテストは、その『何か』になり得る可能性が大いにあるのだ。
そんな俺にとっての特別な裏事情がある以上、テスト対策をしなければならないのは必然。
しかし、それと同じくらい必要なのは、精神の安定。ストレスの解消。
「来たぜ……」
俺の足が辿り着いた場所は、きらびやかな装飾と白光で多くの利用者を引き寄せる社交場。いわゆるゲームセンター。ここで俺は勝負の大海へ繰り出す。一夜漬け前の発散という名目で。
そう、これはあくまで発散だ。別に責務から逃げているわけでは全くない。俺にとってはほんの僅かな時間だけの逢瀬のようなものなのだ。限りある瞬間を全力で楽しみ、帰ったらスッパリ切り替えて勉学に勤しむので何の問題もない。
店内の奥に進むと、やがて目当ての筐体が視界に現れる。それは一対一形式の対戦格闘ゲーム。幸いにも先客は誰もいなかった。占領出来る喜びで胸がいっぱいになる。
固定された一つの場所にいながら全国のプレイヤーと魂の削り合いが出来るこのオンライン対戦という神がもたらした制度に今日も感謝しつつ、勢い良くコインを投入する。キャラ選択からものの数秒で『挑戦者現る!』という暑苦しい文字が画面いっぱいに表示された。
意識的に短く息を吐く。生い立ちや人物像、名前も顔も全てが不明ながら画面の向こうには実際に存在している相手との拳を介したやり取りが始まった。
さあ来い、ぶっ潰してやる――呟きはあくまで心で留め、視界の大部分を覆うほどのサイズを誇る画面を間近で睨む。
試合開始直後、俺の華麗なる連続コンボが立て続けにヒットする。先取すべき三ラウンドをあっという間に取った。完勝だ。
「フフフ……」
思わず口に出して笑ってしまった。しかし、それは当然とも言える。自分の思い通りに事が運ぶ時ほど愉しい瞬間はないのだ。気分がノッている時は、キャラを動かしているだけで楽しい。これでこそゲームだ。技が次々にヒットする感覚。生み出されるアドレナリン。この全能感。
それにここでは学校のように周囲を気にする必要もない。つまりは俺の独壇場。そんな時は自然とマシンも呼応してくれる。普段は待ち時間が発生する次の相手とのマッチングも、さほど間を空けずに行われた。
どんどん来い、俺に勝てるヤツなどいない――心の中で気炎を上げる。
しかし、僅かな異変が発生した。
「あっれ、おかしいな……」
俺の口は、ブツブツ何か言っていたら怪しまれる一人きりという状況を省みることなく独りごちていた。
異変の正体は、今まで問題なく決まっていた技が決まらないというものだ。努めて冷静に画面を見るとその原因が徐々に判明する。相手がこちらの動きに対応し、かつ、こちらの弱点を把握した攻めを展開しているというのが理由のようだ。
麻酔が切れたような感覚に陥り、全能感の代わりに気持ち悪さが少しずつ全身を支配していった。
「コイツ、調子のってんじゃねえぞコラ……」
周囲に人がいるかいないか、それは知らない。とにかく明確に声に出して憤りを表現せずにはいられない。
そうこうしている内に俺の負けが確定した。今度はこちらが一セットも取れない完全なる敗北。
刹那、意識はこの場所から消え去った。
気づけば俺は左腕を高々と振り上げていた。飛んだ意識を強引に戻し、危うく振り下ろされるところだった腕を辛うじて止める。この腕がそのまま落下すれば筐体を叩く暴力行為と見なされ、退店を余儀なくされる。
しかし、抑え切れない負の感情が外に出たがっている。恐ろしいことに、この力は普段の俺を忘れさせる。学内で作り上げられた俺のキャラを考えれば、たかがゲームの結果に憤って筐体を叩くなど有り得ない行為のはずだ。それなのに今、その衝動を抑えることが難しい。激しいエネルギーが内側から沸き上がっている。ありったけの力で筐体を叩かんとするために。
いけない。抑えなければ。俺が俺でなくなってしまう。
「何をしているの」
その時、冷ややかな声が耳に届いた。




