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不気味

「よお虎太郎ちゃん。元気か?」

 教室にて。不良グループの儀我修(ぎがしゅう)がこの俺、三島虎太郎(みしまこたろう)の名を呼ぶ。

 この『ちゃん』呼びが俺の中に反発のエネルギーを溜めさせる。人を小馬鹿にしているということがハッキリと分かるからだ。

 儀我の体はクラスの誰よりも大きい。もしもその太い腕で殴られでもしたらひとたまりもないだろう。この男の厄介な特徴は、それに加えて頭が切れるという点だ。狡猾に対象を締め上げていく様はまるで意志を持って動く重機のようだと俺は勝手に例えている。

 そんな男が今、俺を沸騰させた。

 客観的に見て、俺が儀我に太刀打ち出来る点はどこにもない。肉体的な要素は勿論のこと、クラスにおけるカースト上の立ち位置もこちらが遥かに下だ。下手をすると学力でさえ上を行かれることになるかも知れない。

 しかしそんなことは関係ない。俺は今、俺の平静を保つ壁を破壊されたのだ。そうである以上、この原因は排除しなければならない。

 そう、分からせてやる。俺に不遜な態度を取るとどうなるか。

 行くぜ――。

「……う、うん……ぼ、ボチボチ、かな……」

 内面で沸き起こった闘争の心と、口から出た言葉の弱々しさのギャップに自分で驚く。

「そうかそうか。明日からテストだからな。シャキっとしようぜシャキっとよお!」

 儀我は俺の背中に張り手を喰らわせた。

「っ――!」

 一瞬息が止まる。儀我の有り余る力の一端を思い知る。ただのスキンシップでこれほどの威力を発揮するなど、される側からすれば冗談では済まない。

「まあ頑張ろうぜ。お互い、な」

「そ、そう、だね……」

「相変わらず名前の割にボソボソ喋ってんな。もっと声は張ってけよ虎太郎ちゃんよお!」

 もう一発、背中に張り手を見舞われる。またも瞬間的に呼吸困難に陥る。目の前に星のようなものが点灯しては消えていった。

「じゃな、虎太郎ちゃん」

 注入するだけ闘魂を注入して儀我は満足したのか、カラカラと笑いながら去っていった。ほどなくして、まるで台風が過ぎ去った後のような静寂が俺の中に訪れた。まだ熱い背中をさする。

 儀我は俺の背中を叩くためにわざわざ始業直前の僅かな時間を利用して席までやって来たというのだろうか。テストが近い以上、大変な価値を持つこの時間を自ら潰すその行動原理は良く分からないが、いずれにせよこれでは叩かれ損だ。

 ふと、右腕が震えていることに気づいた。反射的に周囲を見回す。しかし幸いにも皆、授業の準備で自席にしか目が向いていない。俺の腕の異変になど気づく者はいなかった。心の中で安堵の息を吐く。

 それにしてもおかしな手だ。これでは俺が儀我に臆していると言っているようなものだ。そんな仮説は馬鹿げている。俺はビビってなどいないというのに。

 そう。俺は無意味な争いは好まないのだ。俺のエネルギーを解放すればあんなヤツをのすくらい造作もない。しかし俺はあえてそれをしなかった。これは英断と言って良いだろう。この貴重な朝一番にわざわざ喧嘩などしている場合ではない。それに俺が行動を起こせば周りのクラスメートも巻き込むことになる。それは忍びない。そう。つまり俺の優しさがクラスを救ったことになる。それは神の行為に等しい。俺の決断はもっと崇められるべきだろう。

 そう、きっとそういうことだ。だからいい加減止まれ、震え。

「――!」

 刹那、一つの視線が俺を捉えていることに気づいた。思考は瞬間的に停止し、迎撃の態勢に入る。

 隈なく全方位のチェックを行い該当者なしと安堵していたが、それは違った。この広い教室内で俺を見ている存在がただ一人だけいる。

 対象者は俺の席の対角線上、左端最前列に座っている。互いの視線はぶつかったまま動こうとしない。

 長い黒髪は束ねていないにもかかわらず寸分のほつれもなく綺麗に纏まっている。思考の読めない能面のような顔と細く鋭い眼光でこちらを見ているその女子生徒の名前を、俺は咄嗟に思い出すことが出来なかった。

 どうにか記憶を掘り返そうとしたその時、視線の衝突を遮るように始業のベルが鳴った。教室は一層慌ただしくなり、担当教員の登場により最終的に静まり返る。

 俺は急いで教科書を机に出し、対角線上を再度確認した。彼女の視線は既に黒板の方に向いていた。

 まさか悟られただろうか。俺のこの震えを。

 そう考えると気が気でない。しかし彼女の思考が分からない以上、それは憶測でしかない。だが、強者に脅かされた弱者が取り得る反応をリサーチするという、いわゆる好奇以外の理由で遠くからいつまでも視線を送り続けるだろうか。

 散らかった考えを整理し切れない内にプリントが回ってくる。それは授業がいよいよ本格的に始まるという合図。

 しかし俺の頭の中には姿勢良く伸びる背中とロングヘアーのイメージがこびりついて離れなかった。

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