急襲
「ち、長野さん……」
何という偶然か。長野が先客としてスピーカーを先に眺めている。
まさか、儀我達とのやり取りを気づかれて先回りされたのか。そしてまた『イライラの手本』とやらを見せつけようというのか。いや、そこまでする義理は彼女にはないはずだ。
しかしあの筐体蹴り上げはほぼ初対面の状態で行われたものだ。そうした前例がある以上、ここでも何が起こるか分からない。とにかく気づかれないようにしなければ。ここは一旦退避して時間を置いてからまた――。
「あら、三島くん」
しかしその思いは空しく、あっさりと見つかってしまった。色々考え過ぎたのが仇になって動き出しが遅れたか。心の中で悔やみながら片手をおずおずと挙げて挨拶を交わす。
こうなったら腹をくくるしかない。俺は先手先手で質問を投げまくり、やり過ごす道を探ることにした。
「ち、長野さんはどうしてここに……?」
「私は通学中に使うためのイヤホンが欲しくて。三島くんはどうしてここへ?」
すぐに質問を返されるが、そこには隙があった。
「長野さん、イヤホンならここじゃなくてもう少し向こうの方だよ……」
僅かな隙。それは長野の行動がもたらしたものだった。イヤホンが目当てと言いながら、いる場所はスピーカーのコーナー。つまり長野は探す場所を間違っている。
これまで何度か彼女と行動を共にして感じたことだが、この清楚な女子は案外抜けているところがあるのかも知れない。いずれにしても追い払うにはこれ以上ない妙手だ。
「そう。詳しいのね」
俺が詳しいのではない。長野が色々と知らないのだ。しかし無論そんなことを口にするはずはない。俺の主力技である愛想笑いをここぞとばかりに披露する。
「こういう店には良く来るの?」
しかし、長野はすぐにはこの場を離れてくれなかった。続けざまに飛んでくる質問にどうにか応対する。
「い、いや、今日はたまたま……」
「そう。何かオススメの家電はあるのかしら」
高校生が家電のオススメなど持ち合わせていると思うのか。非常に答えに困る。少なくとも俺はそんな情報を有してはいない。もう正直に白状するしかなかった。
「オススメ家電は特にない、かな……」
「そう。じゃあ、買うと決めたら何を基準に選べば良いのかしら」
「ご、ごめん……ちょっとそれも分からない、かな……」
「そう」
成果の上がらない回答の数々を受けて、長野の表情に変化は見られない。残念などという感情は特にないようだ。それはそれで彼女の中に秘めたる火薬が湿気てくれているということだろうから、助かる。
しかしおかしい。質問攻めで乗り切ろうとしたのに、なぜかこちらが質問攻めに遭っていないか。これではどうにも調子が狂う。
「ところで三島くん」
「は、はいっ……!」
凛とした声が脳内思考を遮る。次はどんな内容の話が飛んでくるのかと身構える。
「イヤホンの場所をもう少し詳しく教えて欲しいのだけれど」
「あ、ああ、なるほど……」
チャンス。これは俺と長野、二者を引き剥がす絶好のタイミングでしかない。
「あそこだよ。この棚の二つ奥」
日常会話はゴニョゴニョ口ごもるクセに道案内だと饒舌になるのは昔からの癖だ。物事が決まっていることならスラスラと言葉に出来るのだろう。そんな自分に嫌気がさすが、ここで自らを助けてくれるなら良しとする。
「悪いわね。助かるわ」
淑女らしく雅やかに一礼し、長野はこの場を後にした。
一時はどうなることかと思ったが、とにかくこれで災害は去った。取り急ぎスピーカーの価格帯を確認しなければ。
「三島くん」
「ひっ――!」
心臓に悪い。お化け屋敷にいるわけでもないのにどうしてこう驚かされなくてはならないのか。
「ど、どうしたの……?」
「迷ってしまったわ」
この距離で迷うということがあるのだろうか。お化けとは言わないが、この女子も中々にキテレツだ。いや、その長髪を活かせば優秀な化かし役として活躍出来るかも知れない。
「そ、それなら案内するよ。こっち……」
とにかく、再び化けて出られても困る。該当の場所まで引率してやることにした。といっても目と鼻の先。歩き出して数歩で到着した。
「すぐそこだったのね。わざわざ手間を取らせてしまって、済まなかったわ」
「じ、じゃあ僕はあっちで見るものがあるから……」
イヤホンのオススメを聞かれる前にそそくさとコーナーから退散する。これで今度こそ嵐は通り過ぎた。結果的に、ここにいる目的も悟られることなくやり過ごすことが出来た。ホッと胸を撫で下ろす。
それから、改めて自らのタスクを確認した。まずやらなければならないことは値段の確認。それが済めば、より安価なものを購入するという流れだ。どうせ間に合わせなのだ。高級品である必要は微塵もない。
「え……まじかよ……」
しかし、その価格帯は俺の予想を超えてきた。
ズラリと並べられたコンパクトなスピーカーの数々。そのいずれにも結構な額の値札が貼られていた。最も安い物でも五千円は必要だった。
財布の中身を確認する。そこにはみすぼらしくも、千円しかない。これではこの場のいかなるスピーカーにも手が届かない。
「やべえな、どうすっか……」
何か良い方法がないか考える。まさか窃盗などするわけにはいかない。するわけにはいかない、というよりする勇気がない、というのが正しいだろう。残念ながら。
そうすると狭い選択肢から唯一使えそうなのは、母さんからお小遣いを前借りするという手段くらいのものだった。理由を問われると苦しいだろうが、そこは言い訳の嵐を発生させてどうにかするしかない。
僅かな時間立ち止まって考える。その結果、覚悟は決まった。そこにしかお金がない以上もう正解は一つだ。スピーカーコーナーへ背を向ける。
ふと、黒い長髪のシルエットが気になり、イヤホンコーナーへチラリと目をやる。しかしそこには既に彼女の姿はなかった。
「三島くん」
と思いきや、いつの間にか背後を取られていた。不意の声に心臓が跳ね上がりそうになる。
「や、やあ……僕はもう、帰ろうと思って……」
鼓動を必死に抑えながら別れの挨拶をする。
長野は何も言わない。今の声が聞こえているのかさえ怪しいほどのノーリアクションである。
しかし不意に、彼女は口を開いた。
「忘れないで。解放こそが大切なのだから」
それだけを言い残し、彼女はこの場から去っていった。




