気づけば故郷
俺はアプフェルの口から飛び出した、聞き覚えがありすぎる料理名に目を丸くする。
「え……茶碗蒸しを、知ってるの?」
「知ってるも何も、人狼族定番の玉子蒸し料理だし」
「人狼族の? いつからあるの? 誰が考えたの?」
「え、いつからって昔から。誰が考えたかは知らないけど」
「そう……」
これはたまたま? 偶然?
それとも、人狼族の国に日本人が? いや、そもそも茶碗蒸しってどこの国の料理?
急いで、引き出しの世界へ――1689年、長崎にあった唐人屋敷に設けられた唐人料理から卓袱料理が生まれた。その献立の一つであったのが茶碗蒸し。
卓袱料理――西洋・中国の料理が日本ナイズされた宴会料理の一種。長崎市が発祥で……。
「う、頭がクラってきた。これで脳に負荷をかけるの嫌だなぁ。料理人でもないのに……結局、茶碗蒸しは中国料理? それとも日本料理? 中国発祥でいいの? あ、でも仮に、アクタに伝えた人が居ても、何人かわからないのか。いや、何人でもいいや。それよりも重要なのは、材料!」
引き出しの世界より帰る。
そして、早速アプフェルに質問をぶつける。
「もしかして、人狼の国には醤油ってあるの!?」
俺は日本人の心、醤油の存在に期待して厨房から身を乗り出す。
「ど、どうしたのよ、急に? あるけど。ジョウハクじゃ、まず手に入らないよ」
「あ、そうなの……」
俺はがっくりと肩を落とす。
醤油があるなら、久しぶりに故郷の料理を味わえると思ったのに。
「大丈夫、ヤツハ?」
「うん、まぁ」
「あの、どうしてヤツハはそんなに私の国の料理に詳しいの?」
「えっと、街の人から聞いて、一度食べてみたいと思ってたから。そん時に珍しい醤油っていう調味料の話も。人狼族の料理とは知らなかったけどね」
「ああ、そういうこと。食い意地張ってるね」
「うっさいよ……しかし、茶碗蒸しはあるのにプリンはないのか。ま、それは日本も同じか」
「なに、ブツブツ言って?」
「いや、別に」
「あっそ。でも、それじゃあ、ヤツハはいま何を作ろうとしてんの?」
「ああ、これ。俺がいま作ってるのは茶碗蒸しじゃなくて、玉子のお菓子かな。旅の人に聞いてね」
もちろん、そんな人に出会ってもないし聞いてもない。そういう誤魔化し、設定。
「へぇ~。ヤツハ、お菓子作りとかできるんだ?」
「さぁ、何とかなるんじゃないかな?」
「何とかって」
「まぁまぁ、見てて見てて」
醤油はいつか必ず絶対に手に入れるとして、今はプリン作りに集中だ。
料理の腕前は家庭科で習った程度のレベルだけど、レシピ通り作れば問題ないはず。
バニラエッセンスはなかったので、トルテさんにそれっぽいやつがないか尋ねると、黒い葉っぱのハーブを渡された。
このハーブを煮だして料理に混ぜると甘い香りが沸き立つらしい。
これをバニラエッセンス代わりにする。
ここから引き出しにあった手順通りプリンを作る。
卵のLサイズは適当に大きいの選べば大丈夫だろ。
蒸す間の取り方は経験がないので、トルテさんからアドバイスをもらう。
料理は手順通り過不足なく進み、出来上がったプリンを鍋から取り出し粗熱を取る。
ここで、アプフェルに声を掛けた。
「あのさ、アプフェル。これを凍らない程度に氷系の魔法って掛けられる? 俺、氷系の魔法ってあんま練習してないからさ」
「それって、冷やすってこと?」
「そう」
「私、癒し系と雷撃系が専門だからなぁ。使えないことないけど、ちょっとした拍子で凍らせちゃうかも」
「そう。パティは?」
「わたくしは闇の魔法と火の魔法が得意でして、水に関連する魔法はちょっと」
「なら、私の出番ですね」
アマンが肉球をぷにっと誇らしげに胸に置いて、一歩前へ出る。
「アマン?」
「私は水の魔法が大の得意でして、この程度ならお安い御用です」
「そうなんだ。じゃあ、お願いできる?」
「はい、お願いされました」
アマンはプリンの周りに結界を張って、中を冷気で満たす。
なんだか、簡易版の冷蔵庫みたいになっている。
十分に冷えたところで、崩れないように皿にのせる。
あとは寒さに震えるプリンにカラメルのコートをかけておしまい。
そうだ、ついでにサクランボの帽子もつけておこう。
「はい、出来上がり。食べてみて」
ピケがスプーンの先でプリンをつつく。
「プルプルしてるね。このお菓子、なんていう~の?」
「プリン」
「まんまじゃない!」
と、アプフェルがツッコむ。
そんなこと言われても、俺がつけた名前じゃないし。
ピケはプリンをすくい、ぱくりと口に入れた。
「うわ~、おいし~。柔らかくて、甘くてっ」
ピケの蕩けそうなほっぺ見たみんなは、次々にプリンを口へと運ぶ。
「うわっ、本当においしい。ヤツハ、やるじゃないの」
「う~ん、まろやか。見事なお菓子ですわね」
「この、カラメルの苦みがアクセントとなっているんですね。甘いタマゴの味わいをより引き立たせています」
「どういたしまして。うまくできてよかったよ。トルテさん、蒸しのアドバイス、ありがとうございます。こればっかりは経験がないとわかんないんで」
「いいよいいよ、面白いもの食べさせてもらえたし。今度からうちでも出そうかね。井戸水で冷やせばなんとなるだろうし。いいかい、ヤツハ?」
「どうぞ、どうぞ、そうしてくれた方が俺も嬉しいですし」
「うむ、となると、私はここへ毎日通わなければならぬな、アレッテ」
「駄目ですよ~。今日は特別なんですからぁ」
「え? その声は?」
カウンター席の端に、ティラとアレッテさんが座っている。
ティラはどこでもいるような町娘の姿でプリンを美味しそうに頬張っていた。
「ふ、二人とも、いつのまにっ!?」
「ちょっと前にな。何やら、美味しそうなお菓子が並んでおったから、ついな」
「ついって、アレッテさん、いいの?」
「今日は先日の服を返しにぃ。あの服はピケという女の子の服だそうでぇ」
アレッテさんは疲れた笑顔を俺に向ける。
あの様子だと、ティラは自分で返しに行くと、かなりわがままを通したに違いない。
アレッテさんの表情から、苦労された情景が目に浮かぶ。
ティラに気がついたピケがそばに駆け寄ってきた。
「ティラちゃんっ」
「おお、ピケっ。久しいな」
「うん、また会えてうれしい!」
「私もだ!」
二人は仲良く話に花を咲かせる。
アプフェルはティラの姿を目に入れ「ピケの友達なの?」と、尋ねてきたので、そうだと答える。
彼女はすぐに納得して「ふ~ん」と言いながら二人に目を向ける。
アプフェルはこんな感じだったけど、パティとアマンは二人して首を傾げていた。
「いや、そんなはず……でも、アレッテ様がご一緒ということは……まさか」
「ええ、他人の空似、では済みませんね……」
二人はティラと面識があるみたいで、彼女がブラン王女だと気づいている様子。
二人とも、それなりの地位の人間っぽいし、面識があって当然か。
むしろ、アプフェルが知らない方がおかしい。
(こいつ、族長の孫娘だろ!? 行事に出席したりしないのか? もしかして、族長セムラって人、アプフェルに相当甘い?)
いまいち、アプフェルの立場がわからない。完全にただの学生扱いなんだろうか?
なんにせよ、プリンの甘さにほっぺたを蕩けさせているアプフェルの姿から、な~んの裏のない人間だということだけは、はっきりと伝わる。
アプフェルは放っておくとして、問題はパティとアマンだ。
俺はアレッテさんの傍に近づき、こそこそと話しかける。
「いいの? あの二人にはバレてるよ」
「問題ありませ~ん。あのぅ、パティスリーさん、アマンさん」
「え、何でしょうか? アレッテ様」
「わ、私たちに、何かご用事でも?」
「あの子はティラ。教会で預かっている~、お子さんですぅ。わかりましたね」
細目から威圧する眼光が飛ぶ。
二人は、黙ってうんうんと頷く。
これは脅しじゃないか。
「そんなのでいいの? それ以前に、王女様が街中うろうろしていいの?」
「勝手にほっつき歩かれても困りますし~、ならばいっそ、監視下に置いていた方が安全ですからぁ」
「そういうこと……でも、本当にいいのかなぁ」
「本当はだめですよぉ。でも、ブラン王女にも少しくらい自由があってもね」
そう言って、アレッテさんは暖かな笑みを見せる。
これは彼女なりの優しさのようだ。
アレッテさんは人差し指をそっと柔らかな唇に当てる。
「これは王女には内緒ですよぉ。すぐ、調子に乗るからぁ」
「ふふ、わかってます」
俺はアレッテさんから離れて、大きく店内を見回す。
店の隅ではサダさんが酔いつぶれている。
(全くあの人は、幼い子がいるってのに……)
カウンター席ではアプフェルたちがプリン片手に盛り上がっている。
アプフェルは一人で、パティ・アマン連合相手に頑張っているみたいだ。
(ふふ、様子を見て、加勢してやらないとな)
ピケとティラは、ずっと楽し気な笑い声をあげて、お話をしている。
その二人を、トルテさんとアレッテさんが温かく見守る。
俺はみんなと過ごす時間から元気をもらう。
(悪くないな、この時間……ずっと、こんな時間が続くと嬉しいな)
地球に戻りたいという思いは、今もある。
でも、それ以上にみんなと過ごす時間が大事になっている。
流れゆく、何気ない日常。
でも、とっても大切な日常。
温かく、決して手放すことのできない日常。
(このまま、ずっとここにいるのも悪くないな。別れるのも寂しいし)
評価点を入れていただき、ありがとうございます。
今後も絶えず努力を続け、甘いお菓子にも負けない楽しい物語をお届けしたいです。




