空間魔法
色々とごたごたしてしまったけど、とりあえず互いの紹介を済ませる。
エクレル先生はアステル近衛騎士団と懇意にしているため、そのつながりで今回、教師役を引き受けてくれたそうだ。
先生の専門は空間魔法。そのエキスパート。
ただし、エキスパートといっても空間魔法は魔導学に於いてマイナーなジャンルのため、あまり目立った功績もないし、また学ぶ者もほとんどいない。
功績が望めない分野でありながら、さらに魔導学の中では最も難しい学問らしい。
これでは誰も学ぼうとしないのも頷ける。
空間魔法は並みの魔導師には扱えない代物――扱えたとしても、実用レベルで使える者はまずいない。
だけど、エクレル先生は高位の空間魔導師なので、空間魔法の花形、転送魔法を使えるそうだ。
だが、転送を妨害する結界を張られると転送は不可能になるため、使い道は限られる。
いまいち使いどころがない空間魔法だけど、先生は空間魔法以外の総ての魔導を修めるエリート魔導師だから、教師役としては申し分ない。
おまけに、練習場まで提供してくれた。
屋敷の地下にある練習場へ移動する。
練習場は金属でできた重々しい扉で閉ざされていた。
先生が何かの呪文を唱えると、轟音を鳴らして扉が開いていく。
扉の先には、学校の体育館ほどの何もない部屋が広がっていた。
部屋からは流れ出た空気には、何かが焦げた匂いが含まれている。
「スンスン、何の匂い?」
「ああ~、最近、炎の魔法を盛大に爆発させたから、匂いが残っているみたいねぇ」
「爆発って、一体、何をしようと……?」
「ここでは色んな魔法の実験をしているの。頑丈に作ってあるから多少の無茶もできるし、地下だから防音効果もあるし、何より誰の目にも止まらないからね。魔導の研究は危険が伴うから、安全かつ盗み見られない場所でしないといけないの」
「はぁ、なるほど。となると、俺が剣の稽古をする場所としてもふさわしいわけか」
人気の高いフォレ直々の稽古。
密偵の件を抜いても、街の人たちは口々に噂話を重ねるに違いない。特にフォレのファンである女性たちが。
殺風景な部屋の中央までやって来たところで、俺は二人に尋ねた。
「それで、何するの? 準備運動? 走り込みとか?」
「もちろん準備運動は必要ですが、まずはエクレル先生に魔法の適正を見てもらいます」
「ああ、そういえば適正が必要なんだっけ。んじゃ、何をするかわからないけど、先生よろしくです」
「はいは~い。じゃあ、ヤツハちゃん。私のそばに来てね」
笑顔で手招きをしているけど……なんだか、胡散臭い。大丈夫か、とフォレに目を向けるが、特に変わった様子はない。
いまいち不安だけど、先生のそばへ寄ってみた。
「ではでは、体から力を抜いてリラックスしてね。そして、目を瞑って、深呼吸を」
「はい」
言われた通り、目を瞑り、深呼吸を繰り返す。
「そうそう、そのままずっと繰り返して~」
先生の声が近づいてくる。
「では、私がいいと言うまで、目を瞑ったままで動いちゃだめよ~」
先生の声は耳そばで響く。
すると、お尻の部分にさわりと何かが当たった。
それは何度も何度も繰り返し、お尻の表面を行ったり来たりする。
さわさわと、産毛を触るようなむず痒い感覚がお尻を包み込む。
「ちょっ、くっ、何っ?」
「動いちゃだめよ。すぐに済むから」
「すぐにって、うくぅ」
感触はお尻から太ももに移り、そろそろと股下の付け根を目指して動いている。
「や、まってっ」
「だめだめ、がまんがまん」
「だから、ま……まってって。あひ」
感触が増えた。
お尻と太ももを這えずっていた感触が胸にも現れる。
「クッ、も、もうっ」
「先生、何をやっているんですか!」
フォレの怒気を含んだ声が響き、俺はすぐに目を開けた。
彼は先生の両手を握り締めて、無理やり万歳のポーズを取らせている。
「もう、フォレちゃんっ! 私のお楽しみを邪魔するなんてぇ」
「あんまり妙な真似しないでくださいよ。ヤツハさんが困っているじゃないですか。大丈夫ですか、ヤツハさん」
「え、ああ、うん。今の何だったの?」
「それは、エクレル先生がヤツハさんに悪ふざけを……」
「はっ? それってあれか、ただの痴漢行為ってこと?」
先生に視線をぶつけると、とぼけた様子で視線を避ける。
「はぁ~、ふざけんなよ。こっちは真剣なのにっ! フォレももう少し早く助けてくれよ!」
「あ、いや、すみません。突然の出来事だったので、どうしていいかわからず」
フォレは顔を真っ赤に染め上げて、何もない場所に顔を向けている。
どうやら、俺の痴態に見入っていたみたいだ。
フォレも男ということか。まぁ、わからないでもないけど。
「まったく、先生、真面目にやろうよ。こっちは眠いの我慢してるのにっ」
「まぁまぁ、ごめんなさいね。つい、チャンスだと思っちゃって」
「あのね。同性同士だから冗談で通る部分があるけど、男だったら容赦なく豚箱行きだからね」
「私が男だったら、こんなことしてないわよ~」
「た、たちが悪いな」
「うふふふ」
にこやかな笑顔を見せて、見たまんま笑ってごまかしている。
俺は大仰に首を横に振って、先生を睨みつける。
「次やったら、両腕の骨をボッキリと折るから」
「え……ごめんなさい。ねぇ、フォレちゃん、フォレちゃん。意外にヤツハちゃんって、怖いこと言う子なのね」
「……ヤツハさんが怖いことを口にしないように、先生、ここは真面目に」
「わかったわよ。それじゃ改めて。ヤツハちゃん、目を瞑って、深呼吸して」
「う~ん、わかった……」
さっきの今では非常にやりにくいが、仕方ないので言われた通りにした。
先生の声はその場から動かず、何度も深呼吸をするように促す。
しばらく深呼吸を繰り返して、目を開けるように指示が出た。
「さぁ、目を開けて」
「ふぅ~、はい」
「心と体は落ち着いてる?」
「うん、まぁ。気持ちを落ち着かせたいくせに身体を弄るなんて、どの口が言うのかとは思うけど……」
「ふふふ」
「また、笑ってごまかす」
「まぁまぁ、落ち着いて。では、こちらへきて、この卵を握って」
先生は鈍い光沢のある、銀色の金属っぽい卵を俺に手渡してきた。
卵は見た目通り、ズシリと重みがある。
「今から銀の卵の儀式を行います。卵を両手で包み、もう一度目を閉じて深呼吸を繰り返しながら、両手から卵へ力を注ぎ込むイメージをしてね」
「両手に力ねぇ」
なんだか、漠然とした指示だけど、卵を包む両手に体中の力が集まるように念じてみる。
すると、パチリと電気のような衝撃が走った。
「いつっ! なんか、パチッと来たけど」
「あら、おめでとう。ヤツハちゃんには魔導の才能があるみたいね」
「え、こんなんであるっていうの?」
「才能のない人には何も起きないからね。では、さっそく卵を割ってみましょう」
「割るの? これを?」
見た目は金属製の卵。とても、普通の卵のように割れる気がしない。
先生はどこからともなく空中にふわりと真っ白なお皿を生んで、そこで卵を割るように催促してくる。
俺は卵を右手に持ち、皿のふちに卵を近づけて殻をたたき割ろうとした。
そこで卵が、ある奇妙な変化を遂げていることに気づく。
(あれ、軽くなってる。最初に持ったときは重かったのに……)
「どうしたの、ヤツハちゃん?」
「いや、えっと。とりあえず、割ってみる」
再び、卵を皿のふちに近づけて、殻をぶつける。
すると、力を込めて叩きつけたわけでもないのに、何故か卵は、皿に半分以上めり込んでしまった。
驚き、殻を見つめる。殻は非常に薄くなっていて中身は全く入っていない。
「なにこれ? 欠陥品? ねぇ、エクレル先生?」
呼びかけるが、先生は俺を見ていない。
彼女は身体をわなわなと震わせながら、目を見開き卵を見ている。
「う、嘘……こんなことが……」
「あのぉ、どうしたんすか? 何かヤバいことでも?」
「ふ……ふふ、ふふふ、まさか。そう、奇跡かしら? それとも運命? ヤツハちゃん」
フワフワとしていた先生の表情は真剣な面持ちへと変わり、まっすぐ射貫くような紫の瞳をこちらに向けてくる。
「な、何ですか?」
「ようこそ、魔導の世界へ。あなたには私の知り得る限りの、空間魔法の秘儀を伝えましょう」
 




