危険への入り口
――サシオン=コンベル邸
屋敷に到着すると、すぐさまサシオンが待つ執務室に通された。
サシオンの屋敷は二階建てで、庭は広く、庶民の家とは比べものにならないほど大きかったが、全体的に非常に質素なものだった。
豪華な彫刻や絵が飾っているわけでもなく、絢爛なインテリアがあるわけでもない。
騎士団の団長として、最低限の威風のみを表す程度のもの。
フォレは二階にある執務室の扉の前で、サシオンに声をかける。
彼の返事を受けて扉を開き、俺たちは中へ入った。
執務室も屋敷と同じく、無用な飾りなどない。
左右に本棚が置いてあり、本は全て仕事に必要な書籍や資料ばかり。
机の上にも資料や書類が積まれており、仕事の忙しさが見て取れる。
紙ばかりの部屋。
その中にある机の前で、サシオンはペンを片手に書類に目を通している。
彼はペンで書類に何かを記すと、ペンを置き、書類を書類の山の上に置いて、こちらへ顔を向けてきた。
「フォレ、ご苦労。ヤツハ殿、ご足労願い、すまぬな」
「いえ、いいけど。話って、何?」
「ああ、折り入って頼みたいことがあってな」
「先に言っとくけど、厄介事はやだよ。ただえさえ、仕事で忙しいってのに。はぁ~、なんでこんなに働かなきゃならないんだろ」
仕事をさぼりたい、さぼりたい、と思っているのに、色んな人から頼みごとをされて忙しいったらきりがない。
何度か面倒になり逃げだしたりもしたが、ピケとアプフェルに見つかってしまい、結局さぼることができず仕事をやらされる。
悪魔だよ、あの二人は……。
逃走先で、仁王立ちで構える二人の姿を思い出し、瞳から光が消えていくのをはっきりと感じる。
その生気を失った瞳をサシオンに見せつけ牽制するが、彼はたじろぐことなく正直すぎる言葉を漏らす。
「ふふ、忙しいところ申し訳ないが、私の話は、ヤツハ殿の嫌がる厄介事だ」
「はぁ~、やっぱり。でも、なんで厄介事を俺なんかに?」
「それは今から話す内容を聞いていただければ納得できるはずだ」
「そう言われたら、まず聞くしかないよね。ずるいなぁ」
「ふっ、誉め言葉ととっておこう。では、本題に入ろう。ヤツハ殿には市井の調査を願いたい」
「街の? 何の調査?」
「皆がどのように、何を思い、暮らしているのか」
「……街の監視役、密偵、隠密ってこと?」
「そういった意味もないとは言わない。だが、近衛騎士団としては皆の偽らざる気持ちを知りたいのだ」
「ふ~ん、街の人たちは騎士団に遠慮して本音を明かしていない。だから、色んな案件で実のところ、どう思っているか知りたいってわけか」
「その通りだ。私や他の騎士団の者では権威が邪魔をして胸襟を開いてくれぬ。そこでフォレに調査を頼んだのだが……騎士団という肩書きはどこまでも障害となってな」
「フォレに……ああ、そうか」
視線をフォレに送ると、彼は微妙な笑顔を浮かべる。
フォレは貧民街出身。
裏の事情にも詳しく、また、街の人たちとも親しみやすいとサシオンは考えたのだろうが、騎士団という名は思った以上に重かったわけだ。
そこで、俺に注目した。
自分で言うのもなんだが、様々な偶然と勘違いが重なって、街の人たちには一目置かれている。
それでいて、何かの権力機関に所属しているわけではない。
さらに、女性というのが都合がいい。
厳ついおっさんから、街のことをあれこれ聞かれたら誰もが警戒する。
その点、女なら井戸端会議の延長上で様々な話を引き出しやすい。
加えて、記憶喪失というところ。
多少おかしなことを聞いても、疑いの目は向けられにくい。
ただ、サシオンから見れば、記憶喪失の素性も知れぬ怪しげな女となるが……なぜ、そんな人間にこんな依頼をしたいんだろう?
何か切迫した事情があるはず。
俺はフォレから団長に視線を移す。
「その調査だけど、街の声を届けるだけじゃないんでしょ?」
「ふふ、察しが良いな。ヤツハ殿は裏通りの治安の状態を知っているか?」
「ああ、あまり良くないね」
「面目の立たぬ話だが、裏通りはさる御方が違法賭博場を作り仕切っている。その者は我らも手が出しにくい立場であり、また、なかなか尻尾を出さぬ」
「なるほど、だから裏通りは……サシオン団長がいるのにおかしいと思ってたよ。それで、さる御方とやらの名前は?」
「王族であらせられる、カルア=クァ=ミル様だ」
「ん? カルアって、たしか……」
フォレに顔を向けると、彼は静かに頷いた。
カルアとは、王都へ訪れる前にフォレが話していた、北方の司令官をやっていたけど左遷されて警備隊の隊長に降格された奴。
左遷に不満たらたらで、仕事をさぼり、フォレたち近衛騎士団に無用な負担を掛けている。
それだけに収まらず、王都で違法賭博場の経営とは……サダのおっさんがかわいく見えるくらいのろくでなしだな。
しかし、ろくでなしと言えど、王族。
サシオンとて、手を出しにくい。
同時にこの仕事の話は……俺はサシオンを睨みつける。
「何が街の調査だよっ。めっちゃ危険な話じゃん!」
「何もその身を危難へ晒せとは言わない。あくまでも、聞き取り程度で構わぬから協力を願いたい」
「その聞き取りが命とりだっての! ちょっとでも疑われたら、せっかく綺麗にしたドブ川に俺が浮かぶじゃんか」
「そのような危険が少ない調査を願うので構えずともよい」
「少ないってことは、ゼロじゃないってことだろ。そしてそのリスクは、あんたにだってある。どうして、俺に頼む? どこの誰だかわからない俺に、こんな話を持ち掛けるなんて」
この問いにサシオンは一拍おいて、俺の眼をまっすぐと見つめながら答えを返した。
「どこの誰だかわからないこそ」
射貫くような視線。
全身は総毛立ち、汗が噴き出てくる。
俺がどう言葉を返そうかと考えあぐねていると、言葉の意味に気づいたフォレがサシオンに食って掛かった。




