俺は……許せない、許さない
ピケが一年前の英雄祭の時のように、赤を基調とした情熱的なフラメンコの姿で尻餅をつき鼻をさすっている。
俺はすぐさまピケの手を取った。
「わるい、ケガはないか?」
「あ、いえ、大丈夫です。よそ見をしてたみたいで、ごめんなさい」
「よそ見? そっかっ」
俺はバーグのおっさんとキタフに視線を飛ばした。
二人は口を噤み、目立たぬようにしている。
(くそっ、やっちまった。スプリたちに気を取られて、背後から近づく気配に気づけなかった)
ピケからしてみれば、何もない場所で急に人にぶつかったようなもの。
だから、転んで尻餅をついてしまった。
そこで俺が声を掛けずに黙っていれば、ピケは不思議に思うだけでここから離れていっただろう。
だけど、俺はピケの名を呼んでしまった。
今はしっかりと認識されてしまっている。
(まったく、俺のアホ。だけど、おっさんやキタフと違い、俺を知る者はいないはず)
アクタで俺を知っている者はウードぐらいなもの。
だから、多少目立っても大きな問題はない。
念のために周囲を警戒するが、敵意を持つ気配はない。
俺は警戒を解き、ピケを瞳に入れる。
ピケは土埃のついた衣装の裾を払っている。
その姿は俺の知るピケとちょっと違っていた。
(ピケ……少し、背が伸びたな)
瞳の栗色は変わらないが、桃色だったほっぺの色素は薄くなり、透き通るような肌へと変わっていた。
以前は、長い赤毛の髪を二本の三つ編みでまとめていたが、今はそれを降ろし、長い艶やかな髪の毛を風に揺らしている。
ピケの雰囲気は幼い女の子から、愛らしい少女へと成長していた。
今すぐにでも、その成長を喜び頭を撫でてやりたい。抱きしめてやりたい。
だが、それをぐっと堪えて、あくまでも他人として声を掛けた――。
「ごめんな、俺もよそ見をしてたみたいだ」
「ううん、こっちもよそ見してたから、お相子だよ」
「そっか、お相子か……とっ」
思わず、頭を撫でようとしてしまった。
その様子をピケは不思議そうに見つめている。
「あの~」
「うん、なに?」
「どこかで、お会いしたことありますか?」
「え、どうして!?」
言葉が大きく跳ねる。
それはピケが俺のことに気づいたのでは、と、感じたからだ。
だけど、続いた言葉は……。
「いえ、さっき、私の名前を呼んだから」
「あ、そうか、そうだな……」
バレてはいない。それでいいはずなのに、なんだか気落ちしてしまう。
またもピケは不思議そうに俺を見つめている。
それに気づいて、その場を誤魔化すことにした。
「いや、以前、サンシュメの食堂で見かけたからね。とても元気な女の子だから印象的だったんだよ」
「そうなんですか? でも、お兄さんのこと、覚えてないんだけど?」
「え?」
「私、お店に来てくれたお客さんを全部覚えてるはずなんです。だけど、お兄さんのことは……」
「そ、そうなの、すごいね。まぁ、あの時は店の端の方に座ってたし、注文を受けに来た人は君じゃなかったしね」
「そうですか……う~ん?」
ピケは一生懸命に頭を悩ませて、俺のことを思い出そうとしているみたいだ。
しかし、そんな記憶があるはずもなく……。
俺は何か話題を変えようと辺りを見回す。
すると、地面に見覚えのあるものが転がっていた。
(これって)
俺はそれを手に取り、ピケに渡す。
「はい、髪飾り。君のだろう?」
「あっ。はい、ありがとうございます!」
「いいよいいよ。転んだときにポケットから落ちたのかな?」
「たぶん、そうです。これは大切な髪飾りなんです。本当にありがとうございます」
そう言って、ピケはガガンガの髪飾りを両手で大切そうに包む。
この髪飾りは、俺とピケとティラを結ぶ友情の髪飾り。
(大事に持っていてくれたんだ……)
髪飾りを目にして、ピケとティラと一緒に街中を歩き、買い物を楽しんだ大切な時間を思い出す。
それと同時に、その髪飾りの所在が気になった。
(ウードのやつ、きっと処分している。くそ、あいつをブッ飛ばす理由がまた一つ増えたな!)
心に憎悪が宿る。
だけど、それを決して表に出さぬようにピケへ話しかけた。
「良かったね、髪飾りをなくさなくて」
「はい。この髪飾りは大切な髪飾りなんです。私とヤツハ様を結ぶ、大切な大切な髪飾りですから」
「…………え……?」
衝撃が身体を突き抜け、心に空白が広がっていく。
その空白を埋めようと、俺は声を上擦らせながら尋ねる。
「ヤツハ、様? どうして、お姉ちゃんだっただろう?」
「……え? それは……」
「ピケはヤツハのことをお姉ちゃんって呼んでいたよな。なのに、どうして?」
「それは……もう、そんな風に呼んじゃいけないって」
「誰がそんなことをっ?」
「それは、それは、やつはおね、ヤツハ様が」
「……は?」
「ヤツハ様は、女王様の次に、偉い人になったから……私と、私と身分が違うから……だから、もう、もう、もう……もう……」
ピケの声にゆっくりと涙が混ざり始める。
俺は慌ててピケを抱きしめた。
「ごめんなっ。もういい、もういいから。何も言わなくていいっ!」
俺は気づく。
先ほどのスプリと男の子のおかしなやり取りの理由を。
男の子がヤツハを呼び捨てにしたから、彼らの表情が凍りついたっ!
俺はぎゅっとピケを抱きしめ続ける。
ピケは俺の胸に顔を埋め、ずっと身体を上下に動かしている。
楽し気な喧騒に混じり、しばらくの間、悲しいしゃくり声が続く。
その声を、ピケは必死に飲み込み、俺から離れた。
「ごめんなさい、急に泣いちゃって」
「いや、大丈夫、気にしてないから」
「あの、それじゃ、私、もう、行きますから」
「うん、気をつけてね」
ピケは頬に残った涙を拭い、心躍る祭囃子が響く通りを走り去っていく。
瞳を真っ赤にしたままで……。
「ウード……」
憎しみが、怒りが、心を食らい尽くしていく。
ウードはピケを苦しめた。
ピケを悲しませた。
傷つけた。
涙を流させた。
それを、俺は許せない……。
憎悪が覚悟を決めた羽根に染み込んでいく。
羽根はもう飛び立つことはない。
だが、地を這ってでも、俺は覚悟を完遂する!
「ウード……許さない……」
ピケから視線を外し、顔をバーグたちへ向けた。
彼らは一瞬、びくりと体を跳ねる。
俺は彼らに言う。
「腹は決まった。ウードは絶対に殺す!!」
――女神コトアの部屋
ここまでの物語を客席から覗いていたコトアは席を立った。
「さてと、そろそろ出番かな?」
コトアは無の先に広がる気配を感じ取る。
「ふぅ~、さすがに監視者たちも様子がおかしいと思い始めちゃったか。全世界、全次元における運命という流れが力を生み出そうとしているからね」
――これより先は、神も、それを超える存在も見通すことのできない物語。
コトアは大きく両手を広げた。
「さぁ~、舞台に上がるよ。全てに余すことなく存在する者たちは、み~んな舞台に上がる。もう、観客席には誰もいない。誰もが演者。その中で、私が主役の座を勝ち取るんだから!」
コトアは音もなく、歩き出す。
最後に言葉を残して……。
「結末を見よう、みんなと一緒にねっ」




