無の先に在るモノは……
俺たちは丘から『チャッカラ』に戻り、作戦決行日までザルツさんが用意してくれた宿でゆっくりと英気を養うことになった。
その間に、キタフへある相談を持ちかけた。
「貴様の脳を検査してほしいだと?」
「うん」
俺は引き出しの能力を持っている。
だけど現在、この能力は強力になりすぎて使用すれば脳が壊れてしまう。
そこでキタフの技術を使い、検査してもらおうと考えた。
上手く行けば、この力を使って戦いを優位に運べるかもしれない。
この能力についてキタフに説明をすると、彼の興味を惹いたようですんなり承諾してきた。
そんなわけで、検査のためにチャッカラの宿の一室を借り、俺とキタフだけが部屋にいる。
俺はベッドに仰向けになり、額に小さな円盤状の装置を二個つけられた。
「これ、何?」
「ただの測定器具だ。詳しく説明してもよいが、理解できぬだろう?」
「まぁ、そうだけど」
「それでは、貴様の能力を使う前に通常の状態を検査するぞ」
「ああ、頼む」
彼は正多面体の青い水晶を浮かべて、それを覗き込んでいる。
「ほぉ、脳の神経活動が活性化しているな。大脳皮質も変異し、海馬と神経回路が直結している。シナプスの放電量も異常値だ」
「変異とか異常値とか、超怖いんですけど……」
「問題ない。単純に言えば、貴様の脳は進化している。おそらく、大量の情報を処理するために地蔵菩薩が手を加えた、もしくはアクタのマフープが脳に何らかの影響を与えたのかもしれん」
「ええ~、影響とか脳に手を加えるとか、マジ怖い。ってか、手を加えた方なら、お地蔵様がいじくったのはヤツハの身体なのに、どうして俺の身体に変化が?」
「肉体への負荷を軽減するために、魂というエネルギー体に直接変化を与えたのだろうな」
「はい?」
「魂に必要な情報を書き込むことによって、まず内側に変化が起こることを知らせておく。つまり、前準備のようなものだ。その後、肉体を得た際、魂の情報を基に、肉体は変異するというわけだ」
「魂の情報を基に? それで身体が? そんなことができるの?」
「技術や知識があれば、情報というものはあらゆるものに刻むことができる」
「はぁ?」
「そうだな、貴様にわかりやすく説明すると……例えば、RNAの核酸塩基を利用すれば、そこに情報を刻むことが可能だ。動的であるため安定は難しいが、これにより情報の秘匿性が増し、他者から覗き見られにくくできる」
「ごめん、さっぱりです。とどのつまり、俺の脳は……?」
「特に問題ない。脳は滞りなく機能している。それに、シナプスの放電量が高い数値を示すのは、魔法が使える存在とって普通のことだからな」
「そうなの?」
「ああ。もっとも、地球人の許容では異常だが」
「結局どっちだよっ? 異常なの正常なの!?」
上半身を起こして、声を荒げる。
しかし、キタフは何の反応も示さず、大人しくベッドに横になっていろという。
俺は愚痴を漏らすが、彼は淡々と次に移った。
「では、貴様の能力とやらを使ってみろ。何かあれば、すぐに対処する」
「なんか納得できねぇなぁ。それじゃ、マジで頼むよ。もう、耳や鼻から血を出したくないから……」
「わかっている。装置は貴様の意識と結んであるから、常時やり取りが可能だ。安心して、力を使え」
「うん、わかったけど……なんだかな~」
いまいち不安だけど、目を閉じて、引き出しの世界に向かう。
心の中で目を開けると、知識の箪笥鎮座する引き出しの世界。
周りには光の文字が飛び交う。
そして、早速頭に激痛が走る。
「キタフ!」
「落ち着け」
引き出しの世界にキタフの声が響く。
それと同時に体がびくりと跳ねると、痛みは引いて周りからは光が消えた。
「キタフ、何をしたんだ?」
「額に付けた器具からバリゾニンを20cc投薬した」
「ば、ばりぞにん?」
「簡単に言えば、我々の世界の痛み止めだ。地球人にも効果がある」
「そうなんだ。たしかに痛みは引いたけど、周りの光も消えちゃったんだけど……」
「薬で脳の活性化を抑制しているからな」
「じゃあ、その薬では俺の能力は使えない?」
「ああ。貴様の能力がどうすれば使えるようになるか、いまから検査を行う。しばらく、待機しておいてくれ」
「おっけ、わかった」
――――
キタフはベッドに横たわり目を瞑っている笠鷺の傍で、脳の状態をモニタリングしている。
(情報への感応性が高い。テレパスとしての才能を秘めているのか。ふむ、その能力が魔力と繋がり活性化している。地球でならば、発現することなく常人であっただろうが。となると、アクタのマフープの影響か……)
正多面体の水晶はグルグルと回転し、笠鷺の脳を素粒子レベルで計算していく。
すると、そこに通常あり得ない現象が表示された。
(これは驚いた。脳内に微小の空間の歪みが存在する。そういえば、空間の使い手だったな。その影響か? 理由ともかく、これが原因でアクタの情報を取り込んでいるようだな。さらに神経伝達物質の一部には未知のものが……ん?)
彼は多面体の装置を操作し、空間の歪みを調べる。
(これは亜空間に繋がっている? さらには、亜空間の先に影響も。無の先には…………この少年の情報への感応力、ふむ)
キタフは装置の操作を止めて、考えに耽る。
すると、前触れもなく時を凍りつかせる気配が後ろに現れた。
彼は振り向くことなく、ソレに問いかける。
「コトアか?」
「当たり。あの、悪いけどさ」
「わかっている。空間をずらし、監視者の目を誤魔化そう」
キタフは装置を操り、部屋に次元を転置する位相変換シールドを張った。
「これで監視者からは探知されない」
「ふ~、ありがと。私の力を行使し続けると目立つから」
「それで、何の用だ?」
「君が私の計画に気づいたみたいだから。君は故郷への帰還以上に、故郷の安全を考えている。だから、私の邪魔をする気でしょ?」
「そうだな……だが、邪魔などしない方が良いかもしれん」
「どうして?」
「ある点において、都合が良いからだ。おそらくサシオンもそうなのであろう?」
「……二人には何が見えているの?」
「そのような問いをするということは……女神コトアよ、貴様は先を見る遠見を使わず、人のように予測して動いているということか?」
「だったら?」
「我らは対等な敵ということだな」
「君にもはっきりとした先が見えているわけじゃないってことかな? そして、サシオンにも?」
「そうなるな。しかし、大きな賭けに出たものだ」
「まぁね。でも、こうでもしないと有の世界を出し抜けない」
「そうだろうな」
キタフは笠鷺に顔を向ける。
「彼はそこに至れると?」
「至ってもらわないと困るんだよ」
「ふふ、無謀を希望とはき違えるのは我らの専売特許だと思っていたが、神にもそのような奴がいるようだ」
「もう、一緒にしないで欲しいなぁ。私は無謀じゃなくて、可能性から希望を掴もうとしているんだからねっ」
「物は言い様だな。だが、それが成就すれば、私は宰相ヤツハを名乗る女、ウード以上の敵を産むことになるな」
「なら、止める?」
この問いに、キタフは長い沈黙で応えた。
時を刻まぬ針の空間で、彼はずっと黙する。
そして、ようやく出た答えは……。
「いや、私もまた、これより演者となり、流れに沿おう」
「理由は?」
「話すつもりはない」
「む~」
コトアの視線が刃となり、キタフの背中を幾度も刺す。
しかし、彼はその痛みをさらりとした笑い声で払い落す。
「ふふふ、神は情報の積み重ねによる予測が苦手か」
「普通はそんなことしないからねっ……それでキタフ、彼の力だけど」
「わかっている。このままにしておこう。どのみち、何の施設もない状況ではこれ以上の事はできない」
「そう。はぁ、私の邪魔をしないのはいいけど、君とサシオンが何を企んでいるのかわからないのは、ちょっとなぁ」
「安心しろ。私とサシオンの思惑は、貴様の計画が成就してこそ成り立つものだからな」
「ますます安心できない! ふん、その時に誕生する最強の私相手に何ができるかわからないけど、できたらできたでいいや」
「ほぉ、それはまた」
「結果の見えた戦いよりも楽しめるからね。それじゃね」
気配は消え、凍りついた時は雪解けを迎える。
そこへ笠鷺が声を上げてきた。
「キタフ、まだ検査続くの?」
「今、終わった。貴様の力を使いこなそうとすると、補助のために脳内にインプラントを埋め込む必要があるな」
「ええ~、それって機械的な」
「ああ。だが、そのためにはそれ相応の施設が必要。アクタには存在しないため、事実上不可能だな」
「そっか。まぁ、脳に何か埋めたいとは思わないからいいけど。じゃ、そろそろ、戻るよ」
笠鷺は目を開き、半身を起こして、背伸びをしている。
キタフは彼の姿を瞳に入れる。
(運命に翻弄される少年か。だが、手にしようとしているモノもまた……)
意識を笠鷺から外し、コトアへと移す。
(女神コトア……神の分際でなかなか面白い存在だ)




