愛を凌辱する者
アプフェルが王都から左遷され、ひと月が過ぎた。
その間も、フォレたちはヤツハの無慈悲な命に抗い続けていたが、ついにその時が訪れようとしてた。
――ジョウハク・西方・ルシュークル
フォレは宰相ヤツハ直々の命により、大勢の兵士を連れて、ルシュークルの町を治めているブラウニー派の貴族へ攻撃を仕掛けていた。
白銀の鎧を身に纏うフォレは一人、町の近くの林で佇み、報告を待っている。
そこに伝令が訪れた。
「フォレ将軍、報告であります。ブラウニー派の一翼、アルフェニン卿を捉えました」
「こちらの被害は?」
「死者百五十七名。負傷者は三百名ほどです」
「思っていた以上に抵抗が激しかったわけか……アルフェニン側は?」
「城内に立てこもっていた二千五百の内、およそ千五百名が城を枕に討ち死に。残りも戦えるような状況でありません。彼らは……最後の最後までアルフェニン卿を守るべく抵抗を試みていました」
「そうか……卿の人徳だな。良き配下に恵まれたようだ」
「将軍……どうされますか?」
「っ」
この問いの意味は、宰相ヤツハの命令を実行するかどうかの問い。
宰相はアルフェニン卿を捉えるだけでなく、その関係者を見せしめしろと命じていた。
それはアルフェニン卿の兵士はもちろん、ルシュークルの町そのものを焼き払うこと。
フォレは町へ顔を向けた。
町からは濛々と煙が立ち上り、住民たちの嘆きが聞こえてくる。
(彼らはたまたまブラウニー派であったアルフェニン卿の領民。何ら罪はない。だが……だが……)
喉の奥まで出かけた言葉。
しかし、ぐっとそれを飲み込み、伝令に伝える。
「卿を護送車へ。少数部隊を組んで、残存兵が潜んでいないか確認を」
「はっ、了解です!」
伝令はフォレから離れ、走り去っていく。
彼の姿が見えなくなったところで、フォレは傍にあった木を殴りつけた。
「どうすればっ!? くそっ!」
フォレの瞳に、命令を受けた直後の光景が広がっていく。
――琥珀城・宰相執務室
宰相ヤツハはアルフェニン卿討伐の命を直接フォレに伝えていた。
それを受けて、フォレは迷いを見せた。
「宰相閣下、領民には何ら咎はないのでは?」
「それはわかっている。だが、思っていた以上にブラウニー派の影響は強く、ブラン女王陛下の地盤も確固たるものではない。だから、甘い顔はできない」
「しかしっ」
繰り返される問答。
フォレは粛清がアルフェニン卿と彼につき従う兵士だけに留まるようにと言葉を発し続けた。
「宰相閣下、ご再考を!」
一際大きな声を上げて、宰相ヤツハの言葉を止めた。
すると、ヤツハは悲し気な表情を見せて、フォレよりもさらに大きな声で彼の名を呼んだ。
「フォレっ!」
ヤツハはフォレを両手で抱きしめる。
「さ、宰相?」
「私だって……俺だってこんなことはしたくないっ! でも、誰かかやらなきゃいけないことなんだっ!」
「ヤツハ、さん……?」
「でもさ、もう限界なんだよっ! アプフェルからは嫌われるし、誰も俺のことをわかってくれないっ! お願いだよ、フォレ! お前まで俺を見捨てないでくれ!!」
フォレは視線をヤツハへ向ける。
彼女はフォレの胸に顔を埋めて、細かく身体を震わせている。
「罪を背負うのが怖いんだ。これは勝手なことかもしれない。だけど、お前と一緒なら耐えられるっ」
「ヤツハさん……」
「だから、だから、フォレ……俺と一緒に罪を背負ってくれないか?」
ヤツハは涙に沈んだ瞳でフォレを見つめ、縋るようにきつくきつく抱きしめていく。
それは、愛する女性が手を差し伸べて助けてくれと懇願している姿。
心優しきフォレにその手を振る払うことなんてできない……。
フォレは暖かな手でヤツハを包み込む。
「わかりました。ヤツハさん。命令に従います」
「フォレ……ありがとう……」
ヤツハは抱きしめていた腕をゆっくりとフォレの首に回す。
そして、背伸びをして、目を閉じ、唇を彼の唇へと近づけていった。
フォレの鼓動は大きく脈を打つ。
艶やかに濡れる唇が情欲を掻き立て、フォレの理性を失わせる。
彼は愛する女性の思いに応え、唇を重ねようとした。
<だめ>
不意に、小さく響く声が聞こえた。
フォレはその声に驚き、一歩、足を後ろへ引く。
「ど、どうしたの、フォレ?」
「え、いや……やはり職務中にこのようなことは」
「はは、固いなフォレは。でも、女に恥をかかせる真似は間違っているぞ」
「す、すみません」
「まぁ、フォレらしいっちゃフォレらしいっか……今度、二人で持てる時間があったら、続きをしような」
「つ、つづ、その、しつれいしますっ」
フォレは顔を真っ赤にして、飛び出すように執務室から出て行った。
――執務室に宰相ヤツハだけが残る。
「ふふ、初心な男。少々面倒だけど、可愛くもある」
ヤツハことウードは机に腰を掛けて、入口の傍に立つ存在をじっと見つめた。
「ヤツハ、どうして邪魔をしたの? せっかくあなたの大好きなフォレとキスができたのに」
ウードはニチャリと糸を引くような醜い笑顔を漏らし、幼い少女を瞳に入れた。
少女は止め処なく流れる涙を何度も拭いながら、ウードへ訴える。
「もう、やめてよ。みんな、くるしんでる。かなしんでる」
「だから、いいんじゃないの。ウフフフ」
「なんで、なんで、こんなことするの?」
「楽しいからに決まっているでしょ~」
「たのしくないよ。とてもつらいよ」
ウードは机からぴょんと降りて、何度もしゃくり声を上げる少女に近づく。
「あなたのフォレを思う気持ちは私の中にも存在する。私はフォレを愛している」
「だったら、こんなこともうやめようよ」
「馬鹿ね~、だからこそやるのよ。愛している人がもがき、苦しみ、壊れていく様を間近で見れるなんて……フフフ、こんな悦楽味わったことがないっ」
「やめて、おねがいだから、みんなにひどいことしないで」
「フフ、泣きなさい。誰かを思い、泣いているあなたの姿も、私にとっては娯楽の一つ。だからこそ、あなたに多少の力を与え、存在することを許してあげたんだから」
「う、うう、ひどい、ひどい、うわ~ん!」
少女は蹲り、両手で顔を覆って、ひたすらに泣き続ける。
ウードはその憐れな少女の姿を心の奥底から堪能していた。
「ウフフ、笠鷺に見せてあげられなかったぶん、仲間が壊れていく様をあなたがしっかりと見つめなさい。そして、私をもっと楽しませなさい」
少女は言葉を返すこともできず、ヒックヒックと涙を流すばかり。
その姿に、震えという快感がウードの足のつま先から脳髄まで伝わっていく。
「はぁ~、そうそう、その姿がいいのぉ~」
ウードは自分を両手で抱きしめて、身より湧き出す快感にのたうち回る。
そして、フォレの姿を瞳に宿す。
「愛する者を壊す喜び……愛って素晴らしいわっ。まさか、一つの国を壊すよりも、一人の男の心を壊す方が楽しいなんてっ!」
ウードは涙を流し続ける少女の傍で屈み、腐臭漂う穢れた言葉を掛けた。
「あなたの愛という心のおかげで、私はと~っても楽しい~。ありがとう、ヤツハ。愛をくれて。ふひひひひあはははは!」
「や、やめてぇぇぇ、わぁぁぁぁん!!」
ウードの笑い声は、少女の悲痛で清らかな涙を蹂躙していく。
その嘆きは終わることなく、今もなおずっと続いている。




