黒
闇の霧は散り消えて、あるのは両膝を折り佇む、黒の鎧だけ……。
戦場にいる全ての者が、黒い鎧を見続ける。
そこには人の音はなく、心無き冬の冷たい風のみが音を立てるだけ。
その中で、最初に心の宿る音を奏でたのは……一人の少女だった。
「黒騎士……六龍の礎となった男。名は……ノルマンド=バ=オートであったか?」
ティラがポヴィドル子爵と数人の従者を連れて現れた。
彼女の姿を目にしたクラプフェンは剣の柄に手を掛ける。
しかしそれを、ノアゼットとフォレが鋭い眼光を見せて、彼の手を柄から降ろさせた。
ティラは一人、前に出る。
それを子爵が止めようとしたが、ティラは振り向くことなく片手を上げて、彼の声を止めた。
ティラは黒騎士の前に立つ。
俺たちは静かに二人を見守る……もう、黒騎士には、指先一つ動かす力も残っていないことを知っているから……。
「母様が就寝前に物語として何度か話してくれたことがある。ジョウハクの誉れと呼ばれた男の話をな。男はジョウハクを愛していた。だが、それ以上に強さを求めた。そして、強さのために全てを捨てたと……」
「……っ」
僅かに黒騎士が動く。
俺たちは身構えるが、ティラはそれらを制する。
黒騎士は身体を動かすことなく、言葉を紡ぐ……。
「そなたはプラリネ女王の御子か?」
「いかにも……だが、ただの御子ではない。先王プラリネの遺志を受け継ぐ者。ジョウハクを統べる、女王ブランだ」
ティラは遥か高みから声を産む。
彼女の儼乎たる王としての姿に、黒騎士は言葉に尊崇を宿した。
「玉座を争う戦いに水を差したこと、心から平伏申し上げる」
「よいっ。王道を彩る、素晴らしき戦いであった。さすがは生ける伝説ぞ。誠に見事な騎士である」
「有難き御言葉。ですが、その御言葉は私の身に余ります。私は騎士を名乗れません。ジョウハクに不義不忠を働いた忘恩の徒」
「ふふ、次代を紡ぐ戦いに興を添えてくれたのだ。女王ブランの名において、汝は騎士である!」
「陛下……」
ティラは黒騎士の小さな呟きを優しく見つめ、そこから大きく場を見渡した。
彼女は俺やアプフェル、パティ、アマン、フォレ、エクレル先生、クレマ、セムラさん、ケイン……さらには、敵である六龍、クラプフェン、ノアゼット、バスクを瞳に入れる。
最後に、多くを宿した瞳で黒騎士の姿を映した。
「時代を紡ぐ、我が騎士たちは強かったであろう?」
王は、ここにいる全てを騎士と呼ぶ。
その言葉を聞いて、クラプフェンは身体から力を失った。
「王……そうですか。もはやこの戦いは……」
ティラはどこまでも透き通る純白な愛と、無限の広き視野を兼ね備えた瞳で、黒騎士を見つめ続ける。
その、王としての威厳と人としての愛を宿す瞳に、黒騎士は声儚くもしっかりと答えた。
「……はい、素晴らしい若人たちであります」
「そうであろう。しかし、惜しいことをしたな、ノルマンドよ」
「それは?」
「これから先の道を、そなたは見ることが叶わぬ。ここにいる可能性を秘めた者たちは、そなたを越えて輝き続けるというのに」
「……ええ、その通りでございます。ふふ、私は一人の男に囚われ、何も見ていなかった……」
黒騎士の身体が静かに揺れる。
黒い兜の中で彼は涙を流している。
その涙の意味は、一体……?
彼の涙を受けて、何故かクラプフェンとフォレは悲し気な雰囲気を漂わす。
彼らには、黒騎士の涙の意味が理解できているのだろうか?
黒騎士は隻腕となった左手に力を籠め、気力を振り絞り動かす。
その左腕は、力を失った彼では絶対に動かすことのできない腕。
だが、彼は確かな意思の籠る力でその腕を胸元に置き、最上の敬意を表す。
「ブラン女王陛下。ジョウハクは貴女の下で、真盛を迎えるでしょう……いえ、これから続く者たちが更なる輝きへと導く。どうか、私のように視野狭き道を歩まぬよう。これはかつてジョウハクを愛した、愚人からの送り言葉でございます」
「お主の遺言、しかと受け取った。広き瞳をもって、世界を見よう。人を見よう。心を見よう」
「ふふ、ジョウハクに天壌無窮の王が降り立ったか……だが、それを見る眼は、私には過ぎるもの…………」
鎧の隙間から、砂のような粒が流れ落ちていく……それは冬の疾風に混ざり、戦場へと散っていった……。
残されたのは、力持たぬ黒い残骸。
ティラは目を閉じ、右手を胸に当てて祈りを捧げる。
そして、目を開くと、クラプフェンへ語りかけた。
「さて、これからどうする? 続きと行くか、ふふ」
ティラは笑みを浮かべる。
それは王の笑みと共に人の心を知る、少女の笑み。
全てを優しく包み込む、偉大なる少女の微笑み。
クラプフェンは両手をだらりと下げた。
そして、力なく首を横に振る。
「我々の、負けです……」
この、クラプフェンの言葉により、戦いの決着がついた。
……もう、誰も涙を流さずに済む。悲しまずに済む
俺はホッと安堵で心を満たす。
(はぁ~、何とか乗り越えた。もう少しだけ、みんなと一緒に居られる。さ~てと、その間にウードを何とかしないとなぁ)
これからはウードの力を借りるようなことはない。
彼女と対抗できる時間が生まれた。
そう…………生まれるはずだった。
『ククク、よもや黒騎士が破れるとは、私の先を見る慧眼も衰えたものよ』
突然、空から言葉が降ってくる!?
戦場に立つ全員が一斉に空を見上げた。
「黒騎士の言葉を借りるが、水を差してすまないな、ブラン女王陛下」
そいつは空に浮かんでいた……真っ黒な外套を纏って……。
俺はそいつを眼に焼きつけ、ギシギシと崩れるような悲痛の音を漏らす。
「そ、そ、そん、な…………」
瞳に焼きつけられたのは黒いマヨマヨ、だけでない……。
数え切れぬマヨマヨたちが空を埋め尽くしている。
黒いマヨマヨは大きく両手を広げ、声に愉楽を乗せ語る。
「我々はこのときを待っていた! 全ての強者が集い、互いに血を流す瞬間をっ!」
黒の存在は王都を見据える。
「王都にサシオンは居らず、敵は無し!」
北を嘲る。
「穏健派は北に釘付け、我らを阻むこと無し!」
そして、地を卑しめる。
「あるのは、力を使い果たした六龍たち! 我ら迷い人は貴様たちを贄として、唯一の力ある存在となる! 女神コトアを殺し、世界を壊す。我らがあるべき場所へ戻るためにっ!!」
評価点を入れていただき、ありがとうございます。
冬の寒さに凍える指先に熱が宿り、熱は力となり筆を走らせ、それは物語を真盛へと導く助けとなっております。




